史記 / 淮南衡山列伝
又偽為左右都司空上林中都官詔獄書,逮諸侯太子幸臣。如此則民怨,諸侯懼,即使辯武隨而說之,儻可徼幸什得一乎?」王曰:「此可也。雖然,吾以為不至若此。」於是王乃令官奴入宮,作皇帝璽,丞相、御史、大將軍、軍吏、中二千石、都官令、丞印,及旁近郡太守、都尉印,漢使節法冠,欲如伍被計。使人偽得罪而西,事大將軍、丞相;一日發兵,使人即刺殺大將軍青,而說丞相下之,如發蒙耳。王欲發國中兵,恐其相、二千石不聽。王乃與伍被謀,先殺相、二千石;偽失火宮中,相、二千石救火,至即殺之。計未決,又欲令人衣求盜衣,持羽檄,從東方來,呼曰「南越兵入界」,欲因以發兵。乃使人至廬江、會稽為求盜,未發。王問伍被曰:「吾舉兵西鄉,諸侯必有應我者;即無應,柰何?」被曰:「南收衡山以擊廬江,有尋陽之船,守下雉之城,結九江之浦,絕豫章之口,彊弩臨江而守,以禁南郡之下,東收江都、會稽,南通勁越,屈彊江淮閒,猶可得延歲月之壽。」王曰:「善,無以易此。急則走越耳。」於是廷尉以王孫建辭連淮南王太子遷聞。上遣廷尉監因拜淮南中尉,逮捕太子。至淮南,淮南王聞,與太子謀召相、二千石,欲殺而發兵。召相,相至;內史以出為解。
新字:又偽為左右都司空上林中都官詔獄書,逮諸侯太子幸臣。如此則民怨,諸侯懼,即使弁武随而説之,儻可徼幸什得一乎?」王曰:「此可也。雖然,吾以為不至若此。」於是王乃令官奴入宮,作皇帝璽,丞相、御史、大将軍、軍吏、中二千石、都官令、丞印,及旁近郡太守、都尉印,漢使節法冠,欲如伍被計。使人偽得罪而西,事大将軍、丞相;一日発兵,使人即刺殺大将軍青,而説丞相下之,如発蒙耳。王欲発国中兵,恐其相、二千石不聴。王乃与伍被謀,先殺相、二千石;偽失火宮中,相、二千石救火,至即殺之。計未決,又欲令人衣求盗衣,持羽檄,従東方来,呼曰「南越兵入界」,欲因以発兵。乃使人至廬江、会稽為求盗,未発。王問伍被曰:「吾舉兵西郷,諸侯必有応我者;即無応,柰何?」被曰:「南収衡山以撃廬江,有尋陽之船,守下雉之城,結九江之浦,絶予章之口,彊弩臨江而守,以禁南郡之下,東収江都、会稽,南通勁越,屈彊江淮閒,猶可得延歳月之寿。」王曰:「善,無以易此。急則走越耳。」於是廷尉以王孫建辞連淮南王太子遷聞。上遣廷尉監因拝淮南中尉,逮捕太子。至淮南,淮南王聞,与太子謀召相、二千石,欲殺而発兵。召相,相至;内史以出為解。
書き下し
又偽りて左右都司空・上林・中都官の詔獄の書を為り、諸侯の太子幸臣を逮へしむ。此くの如くなれば則ち民怨み、諸侯懼る、即ち弁武をして随ひて之に説かしめば、儻いは徼幸して什に一を得べきか」と。王曰く、「此れ可なり。然りと雖も、吾以為へらく此くの若きに至らずと」と。是に於て王乃ち官奴をして宮に入りて、皇帝の璽、丞相・御史・大将軍・軍吏・中二千石・都官の令・丞の印、及び旁近の郡の太守・都尉の印、漢の使節・法冠を作らしめ、伍被の計の如くせんと欲す。人をして偽りて罪を得て西せしめ、大将軍・丞相に事へしめ、一日兵を発せば、人をして即ち大将軍青を刺殺せしめ、而して丞相に説きて之を下すこと、蒙を発くが如くならんのみ。王国中の兵を発せんと欲するも、其の相・二千石の聴かざらんことを恐る。王乃ち伍被と謀り、先づ相・二千石を殺さんとす。偽りて宮中に失火し、相・二千石火を救はば、至るに即ち之を殺さんと。計未だ決せず、又人をして求盗の衣を衣て、羽檄を持し、東方より来たりて、呼びて「南越の兵界に入る」と曰はしめ、因りて以て兵を発せんと欲す。乃ち人をして廬江・会稽に至りて求盗と為さしむるも、未だ発せず。王伍被に問ひて曰く、「吾兵を挙げて西郷せば、諸侯必ず我に応ずる者有らん。即し応ずる無くんば、柰何」と。被曰く、「南は衡山を収めて以て廬江を撃ち、尋陽の船を有ち、下雉の城を守り、九江の浦を結び、豫章の口を絶ち、彊弩もて江に臨みて守り、以て南郡の下るを禁じ、東は江都・会稽を収め、南は勁越に通じ、江淮の間に屈彊せば、猶ほ歳月の寿を延ばすを得べし」と。王曰く、「善し、以て此に易ふる無し。急なれば則ち越に走らんのみ」と。是に於て廷尉王孫建の辞淮南王の太子遷に連なるを以て聞す。上廷尉監を遣はし因りて淮南の中尉を拝し、太子を逮捕せしむ。淮南に至る、淮南王聞き、太子と謀りて相・二千石を召し、殺して兵を発せんと欲す。相を召す、相至る。内史は出づるを以て解と為す。
現代語訳
また偽って左右都司空・上林・中都官の詔獄の召喚状を作り、諸侯の太子や寵臣を逮捕させる。こうすれば民は恨み、諸侯は恐れる。そこへ弁舌の士を送り込んで説かせれば、あるいは僥倖によって十に一つの成功を得られるかもしれない」。王は言った。「それはよい。だが、わたしはそこまでする必要はないと思う」。そこで王は官の奴隷に宮中で皇帝の璽、丞相・御史大夫・大将軍・軍吏・中二千石・都官の令と丞の印、さらに近隣の郡の太守・都尉の印、漢の使者の節や法官の冠を作らせ、伍被の計のようにしようとした。また人を偽って罪を犯したことにして西の都へ送り、大将軍や丞相に仕えさせ、いったん兵を起こしたら、その者にすぐ大将軍衛青を刺し殺させ、丞相を説いて降らせるのは、覆いを取り払うようにたやすいと考えた。王は国中の兵を動かそうとしたが、国の相や二千石の官が従わないのではと恐れた。そこで伍被と相談し、まず相と二千石の官を殺すことにした。偽って宮中で火事を起こし、相と二千石が消火に駆けつけたところを殺そうというのである。計画はまだ決まらず、さらに人に求盗(盗賊を捕らえる役人)の服を着せ、羽檄(至急の軍令書)を持たせて東方からやって来させ、「南越の兵が国境に入った」と叫ばせ、それを口実に兵を起こそうとした。そこで人を廬江・会稽にやって求盗に仕立てようとしたが、まだ実行しなかった。王は伍被に尋ねた。「わたしが兵を挙げて西へ向かえば、諸侯には必ず呼応する者がいるだろう。もし呼応する者がなければ、どうするか」。伍被は言った。「南は衡山を取り込んで廬江を攻め、尋陽の船を押さえ、下雉の城を守り、九江の岸辺をつなぎ、豫章の入り口を断ち、強弩で長江に臨んで守り、南郡の軍が下ってくるのを阻む。東は江都・会稽を取り込み、南は強い越と通じ、長江と淮水の間で頑強に抵抗すれば、なお何年かは命を延ばすことができるだろう」。王は言った。「よい。これに代わる策はない。危なくなったら越へ逃げればよい」。そこで廷尉は、王の孫の建の供述が淮南王の太子遷に及んでいることを上奏した。主上は廷尉監を遣わし、そのまま淮南の中尉に任じて、太子を逮捕させた。廷尉監が淮南に着くと、淮南王はそれを聞いて太子と相談し、国の相と二千石の官を呼び出して殺し、兵を起こそうとした。相を呼ぶと、相はやって来た。内史は外出中だと言い訳をして来なかった。
解説
関連する章句
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史記 淮南衡山列伝中尉曰く、「臣詔を受けて使ひす、王に見ゆるを得ず」と。王念ふに独り相を殺して内史・中尉来たらずんば、益無しと、即ち相を罷む。王猶予し、計未だ決せず。太子念ふに坐する所の者は漢の中尉を刺さんと謀るなり、与に謀る所の者已に死す、以て口絶えたりと為し、乃ち王に謂ひて曰く、「群臣の用ふべき者は皆前に繋がる、今与に事を挙ぐるに足る者無し。王時に非ざるを以て発せば、恐らくは功無からん、臣願はくは逮に会はん」と。王も亦偸かに休まんと欲し、即ち太子に許す。太子即ち自剄するも、殊せず。伍被自ら吏に詣り、因りて淮南王と謀反するを告ぐ、反の蹤跡具に此くの如し。吏因りて太子・王后を捕へ、王宮を囲み、尽く王の与に謀反せし賓客の国中に在る者を求め捕へ、反具を索め得て以て聞す。上公卿に下して治めしむ、連引する所の淮南王と謀反せし列侯二千石豪傑数千人、皆罪の軽重を以て誅を受く。衡山王賜は、淮南王の弟なり、当に坐して収めらるべし、有司衡山王を逮捕せんことを請ふ。天子曰く、「諸侯は各々其の国を以て本と為す、当に相坐すべからず。諸侯王・列侯と会して丞相・諸侯に肄して議せしめよ」と。趙王彭祖・列侯臣譲等四十三人議して、皆曰く、「淮南王安甚だ大逆無道、謀反明白なり、当に誅に伏すべし」と。膠西王臣端議して曰く、「淮南王安法を廃し邪を行ひ、詐偽の心を懐き、以て天下を乱し、百姓を熒惑し、宗廟に倍畔し、妄りに妖言を作す。春秋に曰く『臣は将する無し、将すれば誅す』と。安の罪は将より重く、謀反の形已に定まる。臣端の見る所の其の書・節・印・図及び他の逆無道の事の験明白なり、甚だ大逆無道なり、当に其の法に伏すべし。而して国の吏二百石以上及び比する者、宗室近幸の臣の法中に在らざる者を論ずるに、相教ふること能はず、当に皆官を免じ爵を削りて士伍と為し、宦して吏と為るを得る毋かるべし。其の吏に非ざるものは、他は死を贖ふに金二斤八両とせん。
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史記 淮南衡山列伝淮南王に女陵有り、慧にして、口弁有り。王陵を愛し、常に多く金銭を予へ、為に長安に中詗し、上の左右に約結せしむ。上淮南王に几杖を賜ひ、朝せざらしむ。淮南王の王后荼、王之を愛幸す。王后太子遷を生む、遷王皇太后の外孫修成君の女を取りて妃と為す。王謀りて反具を為る、太子妃の知りて内より事を泄らさんことを畏れ、乃ち太子と謀り、詐りて愛せず、三月席を同じくせざらしむ。王乃ち詳りて太子を怒ると為し、太子を閉ぢて妃と内を同じくせしむること三月、太子終に妃に近づかず。妃去らんことを求む、王乃ち上書して謝して帰して之を去らしむ。王后荼・太子遷及び女陵王に愛幸せらるるを得て、国権を擅にし、民の田宅を侵奪し、妄りに人を繋ぐを致す。太子剣を用ふるを学び、自ら以為へらく人及ぶ莫しと、郎中雷被巧みなりと聞き、乃ち召して与に戯る。被一再辞譲するも、誤りて太子に中つ。太子怒り、被恐る。此の時軍に従はんと欲する者有らば輒ち京師に詣る、被即ち匈奴を奮撃せんことを願ふ。太子遷数々被を王に悪む、王郎中令をして斥け免ぜしめ、以て後を禁ぜんと欲す、被遂に亡げて長安に至り、上書して自ら明らかにす。詔して其の事を廷尉・河南に下す。河南治め、淮南の太子を逮へんとす、王・王后計りて太子を遣はす無からんと欲し、遂に兵を発して反せんとするも、計猶予し、十余日定まらず。会々詔有り、即に太子を訊ふ。是の時に当たり、淮南の相寿春の丞の太子の逮を留めて遣はさざるを怒り、不敬を劾す。王以て相に請ふ、相聴かず。王人をして上書して相を告げしむ、事廷尉に下して治む。蹤跡王に連なる、王人をして漢の公卿を候伺せしむ、公卿淮南王を逮捕して治めんことを請ふ。王事の発せんことを恐る、太子遷謀りて曰く、「漢の使ひ即し王を逮へば、王人をして衛士の衣を衣て、戟を持して庭中に居らしめ、王の旁に是に非ざる有らば、則ち之を刺殺せよ、臣も亦人をして淮南の中尉を刺殺せしめ、乃ち兵を挙ぐるも、未だ晩からず」と。
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『長短経』懼戒王曰く「苟も公の言の如くんば、徼倖すべからざるか」と。被曰く「被に愚計有り」と。王曰く「奈何」と。被曰く「今、朔方の郡は田地広く、水草美しく、民の徙る者以て其の地を実たすに足らず。偽りて丞相・御史の請書を為り、郡国の豪傑任侠及び耐罪以上有る者を徙し〔軽罪は髠に至らず、其の耐鬢を完うす、故に耐と曰う。又た律と曰う。耐して司寇と為し、耐して鬼薪・白粲と為す。耐は猶お任のごときなり〕、赦令もて除き、家産五十万以上の者は、皆其の家属を朔方の郡に徙し、益々甲卒を発して、其の会日を急にす。又た偽りて左右都司空・上林・中都官の詔獄を為り、諸侯の太子・幸臣を逮う〔宗正に左右都司空有り、上林に水司空有り、皆囚徒を主る官なり〕。此くの如くんば則ち民怨み、諸侯懼る。即ち辨武をして随いて之に説かしめば〔人の名〕、倘くは徼倖して十に一を得べきか」と。王曰く「此れ可なり」と。伍被の計の如くせんと欲す。人をして偽りて罪を得て西し、大将軍・丞相に事えしめ、一日兵を発すれば〔淮南の兵を発す〕、人をして即ち大将軍青を刺殺せしめ、而して丞相以下に説くこと蒙を発くが如くせんとす。又た衣を求盗の衣にし、羽檄を持ちて東方より来たらしめ、呼びて曰く『南越の兵入る』と。因りて以て兵を発せんと欲す。未だ発するを得ざるに、会々事泄れ、誅せらる。
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史記 淮南衡山列伝不害に子建有り、材高く気有り、常に太子の其の父を省みざるを怨望す。又時の諸侯皆子弟を分かちて侯と為すを得、而して淮南は独り二子、一は太子為り、建の父独り侯と為るを得ざるを怨む。建陰に結交し、告げて太子を敗り、其の父を以て之に代へんと欲す。太子之を知り、数々捕繋して建を榜笞す。建具に太子の謀りて漢の中尉を殺さんと欲するを知り、即ち善くする所の寿春の荘芷をして以て天子に上書せしめて曰く、「毒薬は口に苦くして病に利あり、忠言は耳に逆らひて行ひに利あり。今淮南王の孫建、材能高し、淮南王の王后荼、荼の子太子遷常に建を疾害す。建の父不害罪無きに、擅に数々捕繋し、之を殺さんと欲す。今建在り、徴して問ふべし、具に淮南の陰事を知る」と。書聞せられ、上其の事を以て廷尉に下し、廷尉河南に下して治む。是の時故の辟陽侯の孫審卿丞相公孫弘に善し、淮南厲王の其の大父を殺すを怨み、乃ち深く淮南の事を弘に購ふ、弘乃ち淮南に畔逆の計謀有るを疑ひ、深く其の獄を窮治す。河南建を治む、辞淮南の太子及び党与を引く。淮南王之を患ひ、発せんと欲し、伍被に問ひて曰く、「漢廷は治まるか乱るるか」と。伍被曰く、「天下治まれり」と。王意説ばず、伍被に謂ひて曰く、「公何を以て天下治まれりと言ふや」と。被曰く、「被窃かに朝廷の政を観るに、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、皆其の理を得、上の挙錯は古の道に遵ひ、風俗紀綱未だ欠くる所有らざるなり。重装の富賈、天下を周流し、道通ぜざる無し、故に交易の道行はる。南越賓服し、羌僰入りて献じ、東甌入りて降り、長楡を広め、朔方を開き、匈奴翅を折り翼を傷つけ、援けを失ひて振るはず。未だ古の太平の時に及ばずと雖も、然れども猶ほ治まれりと為すなり」と。王怒る、被死罪を謝す。
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史記 淮南衡山列伝王又被に謂ひて曰く、「山東即し兵有らば、漢必ず大将軍をして将として山東を制せしめん、公以為へらく大将軍は何如なる人ぞ」と。被曰く、「被の善くする所の者黄義、大将軍に従ひて匈奴を撃ち、還りて、被に告げて曰く、『大将軍士大夫を遇するに礼有り、士卒に於いて恩有り、衆皆之が用を為すを楽しむ。騎して山を上下すること蜚ぶが若く、材幹人に絶す』と。被以為へらく材能此くの如く、数々将として兵を習ふ、未だ当たり易からざるなりと。謁者曹梁長安に使ひして来たるに及び、言ふ大将軍号令明らかにして、敵に当たりて勇敢、常に士卒の先と為る。休舎するに、井を穿ちて未だ通ぜざれば、士卒の尽く水を得るを須ちて、乃ち敢て飲む。軍罷むるに、卒尽く已に河を度りて、乃ち度る。皇太后の賜ふ所の金帛、尽く以て軍吏に賜ふ。古の名将と雖も過ぎざるなりと」と。王黙然たり。淮南王建の已に徴されて治めらるるを見、国の陰事の且に覚られんとするを恐れ、発せんと欲す、被又以て難しと為す、乃ち復た被に問ひて曰く、「公以為へらく呉の兵を興すは是か非か」と。被曰く、「以て非と為すなり。呉王は富貴を至むるなり、事を挙げて当たらず、身は丹徒に死し、頭足処を異にし、子孫遺類無し。臣聞く呉王之を悔ゆること甚しと。願はくは王孰く之を慮り、呉王の悔ゆる所を為す無かれ」と。王曰く、「男子の死する所の者は一言のみ。且つ呉何ぞ反を知らん、漢の将一日に成皋を過ぐる者四十余人。今我楼緩をして先づ成皋の口を要せしめ、周被をして潁川の兵を下して轘轅・伊闕の道を塞がしめ、陳定をして南陽の兵を発して武関を守らしめん。河南の太守独り雒陽有るのみ、何ぞ憂ふるに足らん。然れども此の北に尚ほ臨晋関・河東・上党と河内・趙国と有り。人言ひて曰く『成皋の口を絶たば、天下通ぜず』と。三川の険に拠り、山東の兵を招き、事を挙ぐること此くの如し、公以為へらく何如」と。被曰く、「臣其の禍を見るも、未だ其の福を見ざるなり」と。
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史記 淮南衡山列伝以て臣安の罪を章かにし、天下をして明らかに臣子の道を知らしめ、敢て復た邪僻倍畔の意有らしむる毋からん」と。丞相弘・廷尉湯等以て聞す、天子宗正をして符節を以て王を治めしむ。未だ至らざるに、淮南王安自剄して殺す。王后荼・太子遷諸々の与に謀反せし者皆族せらる。天子伍被の雅辞多く漢の美を引くを以て、誅すること勿からんと欲す。廷尉湯曰く、「被は首として王の為に反謀を画す、被の罪赦す無し」と。遂に被を誅す。国除かれて九江郡と為る。衡山王賜、王后乗舒子三人を生む、長男爽を太子と為し、次男孝、次女無采。又姫徐来子男女四人を生み、美人厥姫子二人を生む。衡山王・淮南王の兄弟相礼節を責望し、間に相能くせず。衡山王淮南王の畔逆の反具を作為するを聞き、亦心に賓客に結びて以て之に応ぜんとす、并せらるるを恐るればなり。衡山王入朝す、其の謁者衛慶方術有り、上書して天子に事へんと欲す、王怒り、故に慶を死罪に劾し、彊ひて榜ちて之を服せしむ。衡山の内史以て是に非ずと為し、其の獄を卻く。王人をして上書して内史を告げしむ、内史治めらるるに、王の直からざるを言ふ。王又数々人の田を侵奪し、人の冢を壊ちて以て田と為す。有司衡山王を逮治せんことを請ふ。天子許さず、為に吏二百石以上を置く。衡山王此を以て恚り、奚慈・張広昌と謀り、能く兵法を為し星気を候ふ者を求め、日夜王に従容して密かに反事を謀る。王后乗舒死し、徐来を立てて王后と為す。厥姫倶に幸せらる。両人相妒み、厥姫乃ち王后徐来を太子に悪みて曰く、「徐来婢をして蠱道もて太子の母を殺さしむ」と。太子心に徐来を怨む。徐来の兄衡山に至る、太子与に飲み、刃を以て王后の兄を刺傷す。王后怨怒し、数々太子を王に毀悪す。
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