史記 / 淮南衡山列伝
是時上不許公卿請,而遣漢中尉宏即訊驗王。王聞漢使來,即如太子謀計。漢中尉至,王視其顏色和,訊王以斥雷被事耳,王自度無何,不發。中尉還,以聞。公卿治者曰:「淮南王安擁閼奮擊匈奴者雷被等,廢格明詔,當棄市。」詔弗許。公卿請廢勿王,詔弗許。公卿請削五縣,詔削二縣。使中尉宏赦淮南王罪,罰以削地。中尉入淮南界,宣言赦王。王初聞漢公卿請誅之,未知得削地,聞漢使來,恐其捕之,乃與太子謀刺之如前計。及中尉至,即賀王,王以故不發。其後自傷曰:「吾行仁義見削,甚恥之。」然淮南王削地之后,其為反謀益甚。諸使道從長安來,為妄妖言,言上無男,漢不治,即喜;即言漢廷治,有男,王怒,以為妄言,非也。王日夜與伍被、左吳等案輿地圖,部署兵所從入。王曰:「上無太子,宮車即晏駕,廷臣必徵膠東王,不即常山王,諸侯并爭,吾可以無備乎!且吾高祖孫,親行仁義,陛下遇我厚,吾能忍之;萬世之後,吾寧能北面臣事豎子乎!」
新字:是時上不許公卿請,而遣漢中尉宏即訊験王。王聞漢使来,即如太子謀計。漢中尉至,王視其顔色和,訊王以斥雷被事耳,王自度無何,不発。中尉還,以聞。公卿治者曰:「淮南王安擁閼奮撃匈奴者雷被等,廃格明詔,当棄市。」詔弗許。公卿請廃勿王,詔弗許。公卿請削五県,詔削二県。使中尉宏赦淮南王罪,罰以削地。中尉入淮南界,宣言赦王。王初聞漢公卿請誅之,未知得削地,聞漢使来,恐其捕之,乃与太子謀刺之如前計。及中尉至,即賀王,王以故不発。其後自傷曰:「吾行仁義見削,甚恥之。」然淮南王削地之后,其為反謀益甚。諸使道従長安来,為妄妖言,言上無男,漢不治,即喜;即言漢廷治,有男,王怒,以為妄言,非也。王日夜与伍被、左呉等案輿地図,部署兵所従入。王曰:「上無太子,宮車即晏駕,廷臣必徴膠東王,不即常山王,諸侯并争,吾可以無備乎!且吾高祖孫,親行仁義,陛下遇我厚,吾能忍之;万世之後,吾寧能北面臣事豎子乎!」
書き下し
是の時上公卿の請ひを許さず、而して漢の中尉宏を遣はして即に王を訊験せしむ。王漢の使ひの来たるを聞き、即ち太子の謀計の如くす。漢の中尉至る、王其の顔色の和らかなるを視る、王を訊ふに雷被を斥くるの事を以てするのみ、王自ら度るに何も無しと、発せず。中尉還り、以て聞す。公卿の治むる者曰く、「淮南王安匈奴を奮撃せんとする者雷被等を擁閼し、明詔を廃格す、当に棄市すべし」と。詔して許さず。公卿廃して王とする勿からんことを請ふ、詔して許さず。公卿五県を削らんことを請ふ、詔して二県を削る。中尉宏をして淮南王の罪を赦し、罰するに削地を以てせしむ。中尉淮南の界に入り、宣言して王を赦す。王初め漢の公卿之を誅せんことを請ふと聞き、未だ地を削らるるを得るを知らず、漢の使ひの来たるを聞き、其の之を捕へんことを恐れ、乃ち太子と謀りて之を刺さんとすること前計の如し。中尉至るに及び、即ち王を賀す、王故を以て発せず。其の後自ら傷みて曰く、「吾仁義を行ひて削らる、甚だ之を恥づ」と。然れども淮南王地を削られし後、其の反謀を為すこと益々甚し。諸々の使ひ道より長安より来たり、妄りに妖言を為し、上に男無く、漢治まらずと言へば、即ち喜ぶ。即し漢廷治まり、男有りと言へば、王怒り、以為へらく妄言なり、非なりと。王日夜伍被・左呉等と輿地図を案じ、兵の従りて入る所を部署す。王曰く、「上に太子無し、宮車即し晏駕せば、廷臣必ず膠東王を徴し、即かずんば常山王、諸侯并び争はん、吾以て備へ無かるべけんや。且つ吾は高祖の孫、親ら仁義を行ふ、陛下我を遇すること厚し、吾能く之を忍ぶ。万世の後、吾寧んぞ能く北面して豎子に臣事せんや」と。
現代語訳
このとき主上は公卿の願いを許さず、漢の中尉の殷宏を遣わして、その場で王を尋問し調べさせた。王は漢の使者が来ると聞くと、すぐに太子の立てた計略どおりに備えた。漢の中尉が着くと、王はその顔色が穏やかなのを見た。中尉は雷被を罷免した件について王を尋ねただけであったので、王は自ら何事もないと判断して、行動を起こさなかった。中尉は帰って報告した。取り調べにあたった公卿は言った。「淮南王劉安は、匈奴討伐に奮い立とうとした雷被らを押しとどめ、明らかな詔を無視して妨げた。棄市に当たる」。詔によって許されなかった。公卿は王位を廃するよう願ったが、詔で許されなかった。公卿は五県を削るよう願い、詔によって二県を削ることになった。中尉殷宏を遣わして淮南王の罪を赦し、領地を削ることを罰とした。中尉は淮南の境に入ると、王を赦すと公に告げた。王は初め、漢の公卿が自分を誅するよう願ったと聞いていて、領地を削られるだけで済むことを知らなかったので、漢の使者が来ると聞くと捕らえられるのではと恐れ、太子と相談して前の計画どおり使者を刺そうとした。ところが中尉が着くと、すぐに王に祝いの言葉を述べたので、王は行動を起こさなかった。その後、王は自ら嘆いて言った。「わたしは仁義を行ってきたのに領地を削られた。まことに恥ずかしい」。しかし淮南王は領地を削られた後、ますます反乱の計画に熱中した。長安から来た使者たちが、でたらめなうわさを言い立てて、主上には男子がなく、漢はうまく治まっていないと言うと、王は喜んだ。もし漢の朝廷はよく治まっており、男子もいると言えば、王は怒り、でたらめだ、そんなことはないと言った。王は日夜伍被・左呉らと地図を調べ、兵がどこから攻め入るかを割り振った。王は言った。「主上には太子がいない。もし天子が崩御されたら、朝廷の臣は必ず膠東王を迎えるか、そうでなければ常山王を立てるだろう。諸侯は並び争うことになる。わたしが備えずにいられようか。しかもわたしは高祖の孫で、自ら仁義を行ってきた。陛下はわたしを手厚く遇してくださるから、今は我慢できる。だが陛下の亡き後、どうして北面して小僧に臣下として仕えられようか」。
解説
関連する章句
-
史記 淮南衡山列伝中尉曰く、「臣詔を受けて使ひす、王に見ゆるを得ず」と。王念ふに独り相を殺して内史・中尉来たらずんば、益無しと、即ち相を罷む。王猶予し、計未だ決せず。太子念ふに坐する所の者は漢の中尉を刺さんと謀るなり、与に謀る所の者已に死す、以て口絶えたりと為し、乃ち王に謂ひて曰く、「群臣の用ふべき者は皆前に繋がる、今与に事を挙ぐるに足る者無し。王時に非ざるを以て発せば、恐らくは功無からん、臣願はくは逮に会はん」と。王も亦偸かに休まんと欲し、即ち太子に許す。太子即ち自剄するも、殊せず。伍被自ら吏に詣り、因りて淮南王と謀反するを告ぐ、反の蹤跡具に此くの如し。吏因りて太子・王后を捕へ、王宮を囲み、尽く王の与に謀反せし賓客の国中に在る者を求め捕へ、反具を索め得て以て聞す。上公卿に下して治めしむ、連引する所の淮南王と謀反せし列侯二千石豪傑数千人、皆罪の軽重を以て誅を受く。衡山王賜は、淮南王の弟なり、当に坐して収めらるべし、有司衡山王を逮捕せんことを請ふ。天子曰く、「諸侯は各々其の国を以て本と為す、当に相坐すべからず。諸侯王・列侯と会して丞相・諸侯に肄して議せしめよ」と。趙王彭祖・列侯臣譲等四十三人議して、皆曰く、「淮南王安甚だ大逆無道、謀反明白なり、当に誅に伏すべし」と。膠西王臣端議して曰く、「淮南王安法を廃し邪を行ひ、詐偽の心を懐き、以て天下を乱し、百姓を熒惑し、宗廟に倍畔し、妄りに妖言を作す。春秋に曰く『臣は将する無し、将すれば誅す』と。安の罪は将より重く、謀反の形已に定まる。臣端の見る所の其の書・節・印・図及び他の逆無道の事の験明白なり、甚だ大逆無道なり、当に其の法に伏すべし。而して国の吏二百石以上及び比する者、宗室近幸の臣の法中に在らざる者を論ずるに、相教ふること能はず、当に皆官を免じ爵を削りて士伍と為し、宦して吏と為るを得る毋かるべし。其の吏に非ざるものは、他は死を贖ふに金二斤八両とせん。
-
史記 淮南衡山列伝淮南王に女陵有り、慧にして、口弁有り。王陵を愛し、常に多く金銭を予へ、為に長安に中詗し、上の左右に約結せしむ。上淮南王に几杖を賜ひ、朝せざらしむ。淮南王の王后荼、王之を愛幸す。王后太子遷を生む、遷王皇太后の外孫修成君の女を取りて妃と為す。王謀りて反具を為る、太子妃の知りて内より事を泄らさんことを畏れ、乃ち太子と謀り、詐りて愛せず、三月席を同じくせざらしむ。王乃ち詳りて太子を怒ると為し、太子を閉ぢて妃と内を同じくせしむること三月、太子終に妃に近づかず。妃去らんことを求む、王乃ち上書して謝して帰して之を去らしむ。王后荼・太子遷及び女陵王に愛幸せらるるを得て、国権を擅にし、民の田宅を侵奪し、妄りに人を繋ぐを致す。太子剣を用ふるを学び、自ら以為へらく人及ぶ莫しと、郎中雷被巧みなりと聞き、乃ち召して与に戯る。被一再辞譲するも、誤りて太子に中つ。太子怒り、被恐る。此の時軍に従はんと欲する者有らば輒ち京師に詣る、被即ち匈奴を奮撃せんことを願ふ。太子遷数々被を王に悪む、王郎中令をして斥け免ぜしめ、以て後を禁ぜんと欲す、被遂に亡げて長安に至り、上書して自ら明らかにす。詔して其の事を廷尉・河南に下す。河南治め、淮南の太子を逮へんとす、王・王后計りて太子を遣はす無からんと欲し、遂に兵を発して反せんとするも、計猶予し、十余日定まらず。会々詔有り、即に太子を訊ふ。是の時に当たり、淮南の相寿春の丞の太子の逮を留めて遣はさざるを怒り、不敬を劾す。王以て相に請ふ、相聴かず。王人をして上書して相を告げしむ、事廷尉に下して治む。蹤跡王に連なる、王人をして漢の公卿を候伺せしむ、公卿淮南王を逮捕して治めんことを請ふ。王事の発せんことを恐る、太子遷謀りて曰く、「漢の使ひ即し王を逮へば、王人をして衛士の衣を衣て、戟を持して庭中に居らしめ、王の旁に是に非ざる有らば、則ち之を刺殺せよ、臣も亦人をして淮南の中尉を刺殺せしめ、乃ち兵を挙ぐるも、未だ晩からず」と。
-
史記 淮南衡山列伝以て臣安の罪を章かにし、天下をして明らかに臣子の道を知らしめ、敢て復た邪僻倍畔の意有らしむる毋からん」と。丞相弘・廷尉湯等以て聞す、天子宗正をして符節を以て王を治めしむ。未だ至らざるに、淮南王安自剄して殺す。王后荼・太子遷諸々の与に謀反せし者皆族せらる。天子伍被の雅辞多く漢の美を引くを以て、誅すること勿からんと欲す。廷尉湯曰く、「被は首として王の為に反謀を画す、被の罪赦す無し」と。遂に被を誅す。国除かれて九江郡と為る。衡山王賜、王后乗舒子三人を生む、長男爽を太子と為し、次男孝、次女無采。又姫徐来子男女四人を生み、美人厥姫子二人を生む。衡山王・淮南王の兄弟相礼節を責望し、間に相能くせず。衡山王淮南王の畔逆の反具を作為するを聞き、亦心に賓客に結びて以て之に応ぜんとす、并せらるるを恐るればなり。衡山王入朝す、其の謁者衛慶方術有り、上書して天子に事へんと欲す、王怒り、故に慶を死罪に劾し、彊ひて榜ちて之を服せしむ。衡山の内史以て是に非ずと為し、其の獄を卻く。王人をして上書して内史を告げしむ、内史治めらるるに、王の直からざるを言ふ。王又数々人の田を侵奪し、人の冢を壊ちて以て田と為す。有司衡山王を逮治せんことを請ふ。天子許さず、為に吏二百石以上を置く。衡山王此を以て恚り、奚慈・張広昌と謀り、能く兵法を為し星気を候ふ者を求め、日夜王に従容して密かに反事を謀る。王后乗舒死し、徐来を立てて王后と為す。厥姫倶に幸せらる。両人相妒み、厥姫乃ち王后徐来を太子に悪みて曰く、「徐来婢をして蠱道もて太子の母を殺さしむ」と。太子心に徐来を怨む。徐来の兄衡山に至る、太子与に飲み、刃を以て王后の兄を刺傷す。王后怨怒し、数々太子を王に毀悪す。
-
史記 淮南衡山列伝淮南王安の為人、書を読み琴を鼓するを好み、亦た陰徳を行ひ百姓を拊循し、誉を天下に流さんと欲す。時時厲王の死を怨望し、時に畔逆せんと欲す。武安侯逆へて王に語りて曰く、「方今上に太子無し、大王は高皇帝の孫に親しく、仁義を行ひ、天下聞かざる莫し。即し宮車一日晏駕せば、大王に非ずして誰か立つべき者ぞ」と。淮南王大いに喜び、厚く武安侯に金財物を遺る。建元六年、彗星見はれ、辨士の方略を為す者、妄りに妖言を作して王に諂諛す、王喜び、多く金銭を賜ひて、謀反滋ます甚だし。
-
史記 淮南衡山列伝呂后諸呂を王とし、以て劉氏を危うくせんと欲す、辟陽侯争はず、罪の三なり。臣謹んで天下の為に賊臣辟陽侯を誅し、母の仇に報ゆ、謹んで闕下に伏して罪を請ふ」と。孝文其の志を傷み、親の為の故に、治めず、厲王を赦す。是の時に当たり、薄太后及び太子諸大臣皆厲王を憚る、厲王此を以て国に帰りて益々驕恣にして、漢の法を用ひず、出入に警蹕を称し、制と称し、自ら法令を為り、天子に擬す。六年、男子但等七十人をして棘蒲侯柴武の太子奇と謀り、輂車四十乗を以て谷口に反せしめ、人をして閩越・匈奴に使ひせしむ。事覚り、之を治め、使ひをして淮南王を召さしむ。淮南王長安に至る。「丞相臣張倉・典客臣馮敬・行御史大夫事宗正臣逸・廷尉臣賀・備盗賊中尉臣福昧死して言ふ。淮南王長先帝の法を廃し、天子の詔を聴かず、居処度無く、黄屋蓋の乗輿を為り、出入天子に擬し、擅に法令を為り、漢の法を用ひず。及び置く所の吏、其の郎中春を以て丞相と為し、漢の諸侯の人及び罪有りて亡ぐる者を聚収し、匿して与に居り、為に家室を治め、其の財物爵禄田宅を賜ひ、爵或いは関内侯に至り、奉ずるに二千石を以てす、当に得べからざる所なり、以て為す有らんと欲す。大夫但・士伍開章等七十人棘蒲侯の太子奇と謀反し、以て宗廟社稷を危うくせんと欲す。開章をして陰に長に告げしめ、与に謀りて閩越及び匈奴に使ひして其の兵を発せしめんとす。開章淮南に之きて長に見ゆ、長数々与に坐して語り飲食し、為に家室を為り婦を娶らしめ、二千石の俸を以て之を奉ず。開章人をして但に告げしむ、已に之を王に言ふと。春使ひをして但等に報ぜしむ。吏覚知し、長安の尉奇等をして往きて開章を捕へしむ。長匿して予へず、故の中尉蕑忌と謀り、殺して以て口を閉ざす。
-
史記 淮南衡山列伝為に棺槨衣衾を為り、之を肥陵邑に葬り、吏を謾きて曰く『安くに在るかを知らず』と。又詳りて土を聚め、表を其の上に樹てて、曰く『開章死し、此の下に埋む』と。及び長身自ら無罪の者一人を賊殺す。吏をして無罪の者六人を論殺せしむ。亡命の棄市の罪の為に詐りて命ずる者を捕へて以て罪を除く。擅に人を罪し、罪人告劾無く、繋ぎて城旦舂以上に治むる者十四人。罪人を赦免す、死罪十八人、城旦舂以下五十八人。人に爵関内侯以下を賜ふこと九十四人。前日長病む、陛下之を憂苦し、使者をして書・棗脯を賜はしむ。長賜を受くるを欲せず、使者に見えて拝するを肯ぜず。南海の民の廬江の界中に処る者反す、淮南の吏卒之を撃つ。陛下淮南の民の貧苦するを以て、使者を遣はして長に帛五千匹を賜ひ、以て吏卒の労苦する者に賜はしむ。長賜を受くるを欲せず、謾きて言ひて曰く『労苦する者無し』と。南海の民王織上書して璧を皇帝に献ず、忌擅に其の書を燔き、以て聞せず。吏忌を召して治めんことを請ふ、長遣はさず、謾きて言ひて曰く『忌病む』と。春又長に請ひ、入りて見えんことを願ふ、長怒りて曰く『女我を離れて自ら漢に附かんと欲す』と。長は当に棄市すべし、臣請ふ論ずること法の如くせん」と。制して曰く、「朕王に法を致すに忍びず、其れ列侯二千石と議せよ」と。「臣倉・臣敬・臣逸・臣福・臣賀昧死して言ふ。臣謹んで列侯吏二千石臣嬰等四十三人と議す、皆曰く『長法度を奉ぜず、天子の詔を聴かず、乃ち陰に徒党及び謀反する者を聚め、厚く亡命を養ひ、以て為す有らんと欲す』と。臣等議して論ずること法の如くせん」と。制して曰く、「朕王に法を致すに忍びず、其れ長の死罪を赦し、廃して王とする勿かれ」と。「臣倉等昧死して言ふ。長大死罪有り、陛下法を致すに忍びず、幸ひに赦し、廃して王とする勿からしむ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る