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史記 / 淮南衡山列伝

淮南王有女陵,慧,有口辯。王愛陵,常多予金錢,為中詗長安,約結上左右。,上賜淮南王几杖,不朝。淮南王王后荼,王愛幸之。王后生太子遷,遷取王皇太后外孫修成君女為妃。王謀為反具,畏太子妃知而內泄事,乃與太子謀,令詐弗愛,三月不同席。王乃詳為怒太子,閉太子使與妃同內三月,太子終不近妃。妃求去,王乃上書謝歸去之。王后荼、太子遷及女陵得愛幸王,擅國權,侵奪民田宅,妄致繋人。太子學用劍,自以為人莫及,聞郎中雷被巧,乃召與戲。被一再辭讓,誤中太子。太子怒,被恐。此時有欲從軍者輒詣京師,被即願奮擊匈奴。太子遷數惡被於王,王使郎中令斥免,欲以禁后,被遂亡至長安,上書自明。詔下其事廷尉、河南。河南治,逮淮南太子,王、王后計欲無遣太子,遂發兵反,計猶豫,十餘日未定。會有詔,即訊太子。當是時,淮南相怒壽春丞留太子逮不遣,劾不敬。王以請相,相弗聽。王使人上書告相,事下廷尉治。蹤跡連王,王使人候伺漢公卿,公卿請逮捕治王。王恐事發,太子遷謀曰:「漢使即逮王,王令人衣衛士衣,持戟居庭中,王旁有非是,則刺殺之,臣亦使人刺殺淮南中尉,乃舉兵,未晚。」

新字:淮南王有女陵,慧,有口弁。王愛陵,常多予金銭,為中詗長安,約結上左右。,上賜淮南王几杖,不朝。淮南王王后荼,王愛幸之。王后生太子遷,遷取王皇太后外孫修成君女為妃。王謀為反具,畏太子妃知而内泄事,乃与太子謀,令詐弗愛,三月不同席。王乃詳為怒太子,閉太子使与妃同内三月,太子終不近妃。妃求去,王乃上書謝帰去之。王后荼、太子遷及女陵得愛幸王,擅国権,侵奪民田宅,妄致繋人。太子学用剣,自以為人莫及,聞郎中雷被巧,乃召与戯。被一再辞譲,誤中太子。太子怒,被恐。此時有欲従軍者輒詣京師,被即願奮撃匈奴。太子遷数悪被於王,王使郎中令斥免,欲以禁后,被遂亡至長安,上書自明。詔下其事廷尉、河南。河南治,逮淮南太子,王、王后計欲無遣太子,遂発兵反,計猶予,十余日未定。会有詔,即訊太子。当是時,淮南相怒寿春丞留太子逮不遣,劾不敬。王以請相,相弗聴。王使人上書告相,事下廷尉治。蹤跡連王,王使人候伺漢公卿,公卿請逮捕治王。王恐事発,太子遷謀曰:「漢使即逮王,王令人衣衛士衣,持戟居庭中,王旁有非是,則刺殺之,臣亦使人刺殺淮南中尉,乃舉兵,未晩。」

書き下し

淮南王に女陵有り、慧にして、口弁有り。王陵を愛し、常に多く金銭を予へ、為に長安に中詗し、上の左右に約結せしむ。上淮南王に几杖を賜ひ、朝せざらしむ。淮南王の王后荼、王之を愛幸す。王后太子遷を生む、遷王皇太后の外孫修成君の女を取りて妃と為す。王謀りて反具を為る、太子妃の知りて内より事を泄らさんことを畏れ、乃ち太子と謀り、詐りて愛せず、三月席を同じくせざらしむ。王乃ち詳りて太子を怒ると為し、太子を閉ぢて妃と内を同じくせしむること三月、太子終に妃に近づかず。妃去らんことを求む、王乃ち上書して謝して帰して之を去らしむ。王后荼・太子遷及び女陵王に愛幸せらるるを得て、国権を擅にし、民の田宅を侵奪し、妄りに人を繋ぐを致す。太子剣を用ふるを学び、自ら以為へらく人及ぶ莫しと、郎中雷被巧みなりと聞き、乃ち召して与に戯る。被一再辞譲するも、誤りて太子に中つ。太子怒り、被恐る。此の時軍に従はんと欲する者有らば輒ち京師に詣る、被即ち匈奴を奮撃せんことを願ふ。太子遷数々被を王に悪む、王郎中令をして斥け免ぜしめ、以て後を禁ぜんと欲す、被遂に亡げて長安に至り、上書して自ら明らかにす。詔して其の事を廷尉・河南に下す。河南治め、淮南の太子を逮へんとす、王・王后計りて太子を遣はす無からんと欲し、遂に兵を発して反せんとするも、計猶予し、十余日定まらず。会々詔有り、即に太子を訊ふ。是の時に当たり、淮南の相寿春の丞の太子の逮を留めて遣はさざるを怒り、不敬を劾す。王以て相に請ふ、相聴かず。王人をして上書して相を告げしむ、事廷尉に下して治む。蹤跡王に連なる、王人をして漢の公卿を候伺せしむ、公卿淮南王を逮捕して治めんことを請ふ。王事の発せんことを恐る、太子遷謀りて曰く、「漢の使ひ即し王を逮へば、王人をして衛士の衣を衣て、戟を持して庭中に居らしめ、王の旁に是に非ざる有らば、則ち之を刺殺せよ、臣も亦人をして淮南の中尉を刺殺せしめ、乃ち兵を挙ぐるも、未だ晩からず」と。

現代語訳

淮南王(劉安)には陵という娘がいて、聡明で弁舌が立った。王は陵を可愛がり、いつも多くの金銭を与えて、長安で内情を探らせ、主上の側近と誼を結ばせた。主上は淮南王に几と杖(老臣への恩典)を賜い、入朝しなくてよいとした。淮南王の王后は荼(と)といい、王に寵愛されていた。王后は太子の遷を産み、遷は王皇太后の外孫である修成君の娘を妃に迎えた。王は謀反の準備をしていたが、太子妃がそれを知って内部から秘密を漏らすことを恐れ、太子と相談して、妃を愛していないふりをさせ、三か月寝所を共にさせなかった。王はそこで太子に怒ったふりをして、太子を妃と同じ部屋に三か月閉じ込めたが、太子は最後まで妃に近づかなかった。妃が去りたいと願い出ると、王は上書して謝罪し、妃を実家に帰した。王后荼・太子遷・娘の陵は王の寵愛をよいことに国の権力をほしいままにし、民の田地や屋敷を奪い、みだりに人を捕らえた。太子は剣術を学び、自分に及ぶ者はいないと思っていたが、郎中の雷被が巧みだと聞いて、呼んで手合わせをした。雷被は一度ならず辞退したが、誤って太子に当ててしまった。太子は怒り、雷被は恐れた。このころ従軍を望む者は都へ出向くことができたので、雷被はすぐに匈奴討伐に奮って加わりたいと願い出た。太子遷はたびたび王に雷被の悪口を言い、王は郎中令に命じて雷被を罷免させ、後に続く者を禁じようとした。雷被はとうとう逃げて長安に至り、上書して自らの潔白を訴えた。詔によってその件は廷尉と河南郡に下された。河南郡が取り調べ、淮南の太子を召し捕ろうとした。王と王后は太子を差し出すまいと考え、いっそ兵を起こして反乱しようとしたが、計画は迷って十余日定まらなかった。ちょうど詔があり、その場で太子を取り調べることになった。このとき淮南の相(中央から派遣された宰相)は、寿春の丞が太子の召喚を留めて差し出さないことに怒り、不敬の罪で弾劾した。王は相に取り下げを頼んだが、相は聞き入れなかった。王は人をやって上書させて相を告発させたので、事件は廷尉に下されて取り調べられた。その足跡は王にまでつながり、王は人をやって漢の公卿の動きをうかがわせた。公卿は淮南王を逮捕して取り調べるよう願い出た。王は事が露見するのを恐れた。太子遷は策を立てて言った。「漢の使者がもし王を逮捕しに来たら、王は人に衛士の服を着せ、戟を持たせて庭に並べ、王のそばで不穏な動きがあれば刺し殺させなさい。わたしも人をやって淮南の中尉を刺し殺させる。それから兵を挙げても遅くはない」。

解説

淮南王劉安の謀反が露見していく発端を描く段です。劉安は『淮南子』を編ませた学者肌の王として知られますが、娘の陵を長安に送り込んで朝廷の内情を探らせ、皇太后の縁者である太子妃に秘密を漏らされぬよう、息子に妃を三か月も遠ざけさせて離縁させるなど、周到に謀反の準備を進めていました。ところが、自信家の太子遷が剣の手合わせで郎中雷被に一本取られて恨み、匈奴討伐への従軍を願った雷被を罷免したことから、雷被が長安で訴え出て事件が明るみに出ます。大きな陰謀が、跡継ぎの小さな面子と逆恨みから崩れ始めるのが印象的です。組織でも、上の者のささいな私怨による不当な処分が、内部告発を招いて組織全体の問題を暴くきっかけになることがあります。

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