史記 / 朝鮮列伝
天子募罪人擊朝鮮。其秋,遣樓船將軍楊仆從齊浮渤海;兵五萬人,左將軍荀彘出遼東:討右渠。右渠發兵距險。左將軍卒正多率遼東兵先縱,敗散,多還走,坐法斬。樓船將軍將齊兵七千人先至王險。右渠城守,窺知樓船軍少,即出城擊樓船,樓船軍敗散走。將軍楊仆失其眾,遁山中十餘日,稍求收散卒,復聚。左將軍擊朝鮮浿水西軍,未能破自前。天子為兩將未有利,乃使衛山因兵威往諭右渠。右渠見使者頓首謝:「願降,恐兩將詐殺臣;今見信節,請服降。」遣太子入謝,獻馬五千匹,及饋軍糧。人眾萬餘,持兵,方渡浿水,使者及左將軍疑其為變,謂太子已服降,宜命人毋持兵。太子亦疑使者左將軍詐殺之,遂不渡浿水,復引歸。山還報天子,天子誅山。左將軍破浿水上軍,乃前,至城下,圍其西北。樓船亦往會,居城南。右渠遂堅守城,數月未能下。左將軍素侍中,幸,將燕代卒,悍,乘勝,軍多驕。樓船將齊卒,入海,固已多敗亡;其先與右渠戰,因辱亡卒,卒皆恐,將心慚,其圍右渠,常持和節。
新字:天子募罪人撃朝鮮。其秋,遣楼船将軍楊仆従斉浮渤海;兵五万人,左将軍荀彘出遼東:討右渠。右渠発兵距険。左将軍卒正多率遼東兵先縦,敗散,多還走,坐法斬。楼船将軍将斉兵七千人先至王険。右渠城守,窺知楼船軍少,即出城撃楼船,楼船軍敗散走。将軍楊仆失其衆,遁山中十余日,稍求収散卒,復聚。左将軍撃朝鮮浿水西軍,未能破自前。天子為両将未有利,乃使衛山因兵威往諭右渠。右渠見使者頓首謝:「願降,恐両将詐殺臣;今見信節,請服降。」遣太子入謝,献馬五千匹,及饋軍糧。人衆万余,持兵,方渡浿水,使者及左将軍疑其為変,謂太子已服降,宜命人毋持兵。太子亦疑使者左将軍詐殺之,遂不渡浿水,復引帰。山還報天子,天子誅山。左将軍破浿水上軍,乃前,至城下,囲其西北。楼船亦往会,居城南。右渠遂堅守城,数月未能下。左将軍素侍中,幸,将燕代卒,悍,乗勝,軍多驕。楼船将斉卒,入海,固已多敗亡;其先与右渠戦,因辱亡卒,卒皆恐,将心慚,其囲右渠,常持和節。
書き下し
天子罪人を募りて朝鮮を撃たしむ。其の秋、楼船将軍楊僕を遣はし斉より渤海に浮かばしむ。兵五万人、左将軍荀彘遼東に出づ。右渠を討つ。右渠兵を発して険を距ぐ。左将軍の卒正多遼東の兵を率ゐて先づ縦ち、敗散す、多還り走り、法に坐して斬らる。楼船将軍斉の兵七千人を将ゐて先づ王険に至る。右渠城守し、窺ひて楼船の軍少なきを知り、即ち城を出でて楼船を撃つ、楼船の軍敗散して走る。将軍楊僕其の衆を失ひ、山中に遁るること十余日、稍く散卒を求め収め、復た聚む。左将軍朝鮮の浿水の西軍を撃ち、未だ破りて自ら前むこと能はず。天子両将の未だ利有らざるが為に、乃ち衛山をして兵威に因りて往きて右渠を諭さしむ。右渠使者を見て頓首して謝す、「降らんことを願ふも、両将の臣を詐り殺さんことを恐る。今信節を見る、請ふ服して降らん」と。太子を遣はして入りて謝せしめ、馬五千匹を献じ、及び軍糧を饋る。人衆万余、兵を持し、方に浿水を渡らんとす、使者及び左将軍其の変を為さんことを疑ひ、謂ふ太子已に服して降る、宜しく人に命じて兵を持すること毋からしむべしと。太子も亦使者・左将軍の詐りて之を殺さんことを疑ひ、遂に浿水を渡らず、復た引きて帰る。山還りて天子に報ず、天子山を誅す。左将軍浿水の上の軍を破り、乃ち前み、城下に至り、其の西北を囲む。楼船も亦往きて会し、城南に居る。右渠遂に城を堅守し、数月未だ下すこと能はず。左将軍素より侍中にして、幸せられ、燕代の卒を将ゐ、悍にして、勝ちに乗じ、軍多く驕る。楼船は斉の卒を将ゐ、海に入り、固より已に敗亡多し。其の先に右渠と戦ひ、因りて辱められ卒を亡ふ、卒皆恐れ、将の心慚ぢ、其の右渠を囲むや、常に和節を持す。
現代語訳
天子は罪人を募って朝鮮を攻撃させた。その秋、楼船将軍の楊僕を遣わし、斉から渤海を船で渡らせた。兵五万人を率いる左将軍の荀彘(じゅんてい)は遼東から出陣した。こうして右渠(衛満の孫、朝鮮王)を討たせた。右渠は兵を出して険しい地で防いだ。左将軍の卒正(部隊長)の多が遼東の兵を率いて先に攻めかかったが、敗れて散り散りになり、多は逃げ帰ったので、法により斬られた。楼船将軍は斉の兵七千人を率いて先に王険に着いた。右渠は城を守っていたが、様子をうかがって楼船の軍が少ないと知ると、すぐに城を出て楼船を攻撃した。楼船の軍は敗れて散り散りに逃げた。楊僕将軍は兵を失い、十余日山中に逃れ隠れ、少しずつ散った兵を探し集め、再び軍を集めた。左将軍は浿水の西にいる朝鮮軍を攻めたが、破って前進することはできなかった。天子は二将軍が戦果を挙げられないので、衛山を遣わし、兵の威勢を背景に右渠を諭させた。右渠は使者に会うと頭を地につけて謝罪した。「降伏したいと願っていたが、二将軍がわたしをだまして殺すのではと恐れていた。今、天子の使者の信任の節を見たので、どうか服従して降伏させてほしい」。そして太子を遣わして都へ謝罪に行かせ、馬五千頭を献上し、軍の食糧も贈った。一万余人の人々が武器を持って浿水を渡ろうとすると、使者と左将軍は変事を起こすのではと疑い、太子はすでに降伏したのだから、人々に武器を持たせるべきではないと言った。太子もまた使者と左将軍が自分をだまして殺すのではと疑い、とうとう浿水を渡らず、引き返してしまった。衛山は帰って天子に報告したが、天子は衛山を誅した。左将軍は浿水のほとりの軍を破って前進し、城下に至ってその西北を囲んだ。楼船将軍も行って合流し、城の南に陣取った。右渠は城を堅く守り、数か月たっても落とせなかった。左将軍はもともと侍中として寵愛を受けており、燕・代の兵を率いていたが、兵は勇猛で、勝ちに乗じて軍には驕りが多かった。楼船将軍は斉の兵を率いて海を渡り、もとから多くの兵を失っていた。先に右渠と戦って恥辱を受け兵を失ったので、兵はみな怯え、将軍も恥じ入って、右渠を包囲していても、つねに和睦の構えをとっていた。
解説
関連する章句
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史記 朝鮮列伝左将軍已に両軍を并せ、即ち急ぎ朝鮮を撃つ。朝鮮の相路人・相韓陰・尼谿相参・将軍王唊相与に謀りて、皆亡げて漢に降る。尼谿相参乃ち人をして朝鮮王右渠を殺して来降せしむ。左将軍徵し至り、功を争ひ相嫉むに坐し、計に乖くに坐して、棄市せらる。樓船将軍も亦た兵洌口に至り、当に左将軍を待つべきに、擅に先づ縦ちて、失亡多きに坐して、当に誅すべきも、贖ひて庶人と為る。
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史記 朝鮮列伝左将軍朝鮮を急撃す、朝鮮の大臣乃ち陰かに閒して人をして私かに樓船に降るを約せしめ、往来言ふも、尚ほ未だ決するを肯んぜず。左将軍数しば樓船と戦を期するも、樓船其の約を急就せんと欲し、会せず。左将軍も亦た人をして閒めて朝鮮を卻降せしめんとするも、朝鮮肯んぜず、心樓船に附く。以故両将相能はず。左将軍心に樓船の前に失軍の罪有るを意ひ、今朝鮮と私善して又降らざれば、其の反計有るを疑ひ、未だ敢て発せず。天子曰く、「将率能はず、両将城を囲むも、又乖異し、以故久しく決せず」と。
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史記 朝鮮列伝子に伝へ孫の右渠に至り、誘ふ所の漢の亡人滋ます多く、又未だ嘗て入見せず。真番の旁の衆国上書して天子に見えんと欲するも、又擁閼して通ぜず。元封二年、漢使涉何右渠を譙諭するも、終に詔を奉ずるを肯んぜず。何去りて界上に至り、浿水に臨み、御をして送何する者朝鮮の裨王長を刺殺せしめ、即ち渡り、馳せて塞に入り、遂に帰りて天子に報じて曰く、「朝鮮の将を殺す」と。上其の名の美なるが為に、即ち詰らず、何を拝して遼東東部都尉と為す。朝鮮何を怨み、兵を発して襲ひて何を攻め殺す。
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史記 朝鮮列伝太史公曰く、「右渠固を負み、国以て祀を絶つ。涉何功を誣ひ、兵を発するの首と為る。樓船将狹く、難に及びて咎に離る。番禺を失ふを悔い、乃ち反りて疑はる。荀彘労を争ひ、遂と皆誅せらる。両軍俱に辱められ、将率侯たる莫し」と。
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史記 朝鮮列伝済南太守公孫遂をして往きて之を正さしめ、便宜有らば以て事に従ふを得しむ。遂至る、左将軍曰く、「朝鮮当に下るべきこと久し、下らざる者は状有り」と。楼船の数々期して会せざるを言ひ、具に素より意ふ所を以て遂に告げて曰く、「今此の如くにして取らずんば、恐らくは大害を為さん、独り楼船のみに非ず、又且に朝鮮と共に吾が軍を滅ぼさんとす」と。遂も亦以て然りと為し、而して節を以て楼船将軍を召して左将軍の営に入りて事を計らしめ、即ち左将軍の麾下に命じて楼船将軍を執捕せしめ、其の軍を并せ、以て天子に報ず。天子遂を誅す。
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史記 衛将軍驃騎列伝青の校尉張次公功有り、封じて岸頭侯と為す。天子曰く、「匈奴天理に逆らひ、人倫を乱し、長を暴し老を虐げ、盗窃を以て務めと為し、諸蛮夷を行詐し、謀を造り兵を藉り、数々辺害を為す。故に師を興し将を遣はして、以て厥の罪を征す。詩に云はずや、『薄か玁狁を伐ちて、太原に至る』、『車を出だすこと彭彭たり、彼の朔方に城く』と。今車騎将軍青西河を度りて高闕に至り、首虜二千三百級を獲、車輜畜産畢く収めて鹵と為し、已に封じて列侯と為す。遂に西のかた河南の地を定め、榆谿の旧塞を按じ、梓領を絶り、北河に梁し、蒲泥を討ち、符離を破り、軽鋭の卒を斬り、伏聴する者を捕ふること三千七十一級、執訊して醜を獲、馬牛羊を駆ること百有余万、甲兵を全うして還る。青に三千戸を益封す」と。其の明年、匈奴入りて代郡の太守友を殺し、入りて鴈門の千余人を略す。其の明年、匈奴大いに代・定襄・上郡に入り、漢の数千人を殺略す。其の明年、春、漢車騎将軍青をして三万騎を将ゐて、高闕より出でしむ。衛尉蘇建游撃将軍と為り、左内史李沮彊弩将軍と為り、太僕公孫賀騎将軍と為り、代の相李蔡軽車将軍と為り、皆車騎将軍に領属し、倶に朔方より出づ。大行李息・岸頭侯張次公将軍と為り、右北平より出づ。咸匈奴を撃つ。匈奴の右賢王衛青等の兵に当たり、以為へらく漢の兵此に至る能はずと。飲みて酔ふ。漢の兵夜至り、右賢王を囲む。右賢王驚き、夜逃れ、独り其の愛妾一人・壮騎数百と馳せ、囲みを潰して北に去る。漢の軽騎校尉郭成等逐ふこと数百里、及ばず。右賢の裨王十余人、衆男女万五千余人、畜数千百万を得たり。是に於て兵を引きて還る。
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