史記 / 朝鮮列伝
子に伝へ孫の右渠に至り、誘ふ所の漢の亡人滋ます多く、又未だ嘗て入見せず。真番の旁の衆国上書して天子に見えんと欲するも、又擁閼して通ぜず。元封二年、漢使涉何右渠を譙諭するも、終に詔を奉ずるを肯んぜず。何去りて界上に至り、浿水に臨み、御をして送何する者朝鮮の裨王長を刺殺せしめ、即ち渡り、馳せて塞に入り、遂に帰りて天子に報じて曰、朝鮮の将を殺すと。上其の名の美なるが為に、即ち詰らず、何を拝して遼東東部都尉と為す。朝鮮何を怨み、兵を発して襲ひて何を攻め殺す。
新字:子に伝へ孫の右渠に至り、誘ふ所の漢の亡人滋ます多く、又未だ嘗て入見せず。真番の旁の衆国上書して天子に見えんと欲するも、又擁閼して通ぜず。元封二年、漢使渉何右渠を譙諭するも、終に詔を奉ずるを肯んぜず。何去りて界上に至り、浿水に臨み、御をして送何する者朝鮮の裨王長を刺殺せしめ、即ち渡り、馳せて塞に入り、遂に帰りて天子に報じて曰、朝鮮の将を殺すと。上其の名の美なるが為に、即ち詰らず、何を拝して遼東東部都尉と為す。朝鮮何を怨み、兵を発して襲ひて何を攻め殺す。
書き下し
子に伝へ孫の右渠に至り、誘ふ所の漢の亡人滋ます多く、又未だ嘗て入見せず。真番の旁の衆国上書して天子に見えんと欲するも、又擁閼して通ぜず。元封二年、漢使涉何右渠を譙諭するも、終に詔を奉ずるを肯んぜず。何去りて界上に至り、浿水に臨み、御をして送何する者朝鮮の裨王長を刺殺せしめ、即ち渡り、馳せて塞に入り、遂に帰りて天子に報じて曰く、「朝鮮の将を殺す」と。上其の名の美なるが為に、即ち詰らず、何を拝して遼東東部都尉と為す。朝鮮何を怨み、兵を発して襲ひて何を攻め殺す。
現代語訳
「情報や意思疎通の道を塞げば不信を招き、虚偽の手柄を安易に賞せば災いを呼ぶ」——朝鮮と漢の関係が破綻していく発端を描いた一段です。衛満の孫・右渠の代になると、朝鮮は約束を破り始めます。漢から逃げてきた者を数多くかくまい、自らは天子に謁見せず、さらに——かつての取り決めに反して——周辺の国々が天子に謁見したいと上書しても、それを「妨げて通じさせない(擁閼不通)」ようになったのです。意思疎通の道を塞いだこの態度が、漢との対立を深めていきます。漢は使者・涉何を送って右渠を諭させましたが、右渠は最後まで従いません。ここで涉何が、とんでもないことをします。帰路、国境の川辺で、見送りに来た朝鮮の副王・長を、御者に命じて刺殺させ、そのまま漢へ逃げ帰ったのです。そして天子には「朝鮮の将軍を殺しました」と、あたかも手柄のように偽って報告しました。皇帝は、その名目が立派なのを喜び、真相を問いただすこともせず、涉何を遼東の都尉に任じてしまいます。虚偽の手柄を、安易に賞したのです。当然、朝鮮は涉何を深く恨み、兵を出して涉何を襲撃し、殺しました。こうして、塞がれた意思疎通と、賞された虚偽の手柄が、やがて全面戦争の引き金となっていくのです。ここに、二つの教訓があります。一つは、情報や意思疎通の道を塞ぐことの危うさ。右渠は、周辺国と天子の間の意思疎通を「擁閼不通」——妨げて通じさせなかった。情報や対話の経路を塞ぐことは、相手に不信と敵意を抱かせ、対立を深める。組織でも、風通しを悪くし、意思疎通を遮断すれば、必ず疑念と亀裂を生む。もう一つは、虚偽の手柄を安易に賞することの危うさ。皇帝は、涉何の偽りの功名を、真相も確かめずに賞した。虚偽の功績を、事実を検証せずに賞すれば、不正を助長し、やがて大きな災い(涉何殺害、そして戦争)を招く。手柄の裏にある真実を見極めず、体裁のよい報告を鵜呑みにする——それが破綻の入口となった。組織で、情報や意思疎通の道を塞がず風通しを保つこと、そして報告された手柄を鵜呑みにせず事実を検証すること——右渠と涉何の逸話は、対話の遮断と虚偽の賞賛がもたらす災いを教えます。