史記 / 南越列伝
高帝已定天下,為中國勞苦,故釋佗弗誅。漢十一年,遣陸賈因立佗為南越王,與剖符通使,和集百越,毋為南邊患害,與長沙接境。
新字:高帝已定天下,為中国労苦,故釈佗弗誅。漢十一年,遣陸賈因立佗為南越王,与剖符通使,和集百越,毋為南辺患害,与長沙接境。
書き下し
高帝已に天下を定むるも、中国の労苦するが為に、故に佗を釈して誅せず。漢の十一年、陸賈を遣はして因りて佗を立てて南越王と為し、与に符を剖きて使を通じ、百越を和集し、南辺の患害と為ること毋からしむ、長沙と境を接す。
現代語訳
高帝(劉邦)は天下を平定したが、中国が戦乱で疲れ苦しんでいたので、佗を許して誅伐しなかった。漢の十一年(前196年)、陸賈を遣わして佗を南越王に立て、割り符を分け合って使者を通わせ、百越の諸部族を和合させ、南の辺境の災いとならないようにさせた。南越は長沙国と境を接していた。
解説
秦の滅亡の混乱に乗じて南越を建てた趙佗に対し、劉邦がとった現実的な対応を記す段です。天下統一を果たしたとはいえ、長い戦乱で国内は疲弊しており、遠い南方に兵を送る余力はありませんでした。そこで武力で討つのではなく、弁舌の士陸賈を送って趙佗を正式に南越王と認め、割り符を交わして外交関係を結び、南の辺境を安定させる役目を任せたのです。陸賈の使いは陸賈列伝にも詳しく描かれています。力で抑え込めない相手を、あえて公式の地位を与えて味方に組み込むという判断は、国内の立て直しを優先する合理的な選択でした。自社の体力が弱いときに、競合や独立した勢力とどう折り合うかを考えるうえで参考になる段です。
関連する章句
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史記 南越列伝孝文帝元年、初めて天下を鎮撫す。乃ち佗の親冢の真定に在るが為に、守邑を置き、歳時奉祀す。其の従昆弟を召し、官を尊くし賜を厚くして之を寵す。乃ち陸賈を召して以て太中大夫と為し、往きて使ひせしむ。陸賈南越に至るや、王甚だ恐れ、書を為りて謝す。乃ち頓首謝し、長く藩臣為り、貢職を奉ぜんことを願ふ。是に於て乃ち国中に令を下して曰く、「吾聞く両雄は俱には立たず、両賢は世を并せずと。皇帝は賢天子なり。今より以後、帝制黄屋左纛を去らん」と。陸賈還りて報じ、孝文帝大いに説ぶ。
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『長短経』覇図尉佗、南越に王として反す。高祖、陸賈をして尉佗に印綬を賜い、南越王と為し、臣と称して漢の約を奉ぜしむ。〈陸生、南越に至る。尉佗、魋髻箕踞して陸生に見ゆ。陸生因りて説を進めて曰く「足下は中国の人なり。親戚・昆弟・墳墓、真定に在り。今、足下、天性に反し、冠帯を棄て、区区たる越を以て天子と抗衡して敵国たらんと欲す。禍い且に身に及ばんとす。且つ夫れ秦、其の政を失い、諸侯豪傑並び起こる。唯だ漢王のみ先ず関に入り、咸陽に拠る。項王、約に背き、自立して西楚の覇王と為り、諸侯皆な属す。至強と謂う可し。然れども漢王、巴蜀に起こり、天下を鞭笞し、諸侯を制し、遂に項羽を誅して之を滅ぼす。五年の間に、海内平定す。此れ人力に非ず、天の建つる所なり。天子、君王の南越に王たるを聞くも、天下を助けて暴逆を誅せず。将に兵を移して王を誅せんと欲す。天子、百姓の新たに労苦せるを憐れみ、且く之を休ましめ、臣を遣わして君王に印綬を授け、符を剖きて使いを通ず。君王、宜しく郊迎して、北面して臣と称すべし。乃ち新たに造りて未だ集まらざるの越を以て、此に屈強せんと欲す。漢、誠に之を聞かば、王の先人の塚を掘り、王の宗族を夷滅し、一偏将をして十万の衆を将いて以て越に臨ましめば、則ち越は王を殺して降ること、手を反覆するが如きのみ」と。是に於て尉佗、蹶然として起ち、陸生に謝す。卒に尉佗を拝して還る。
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説苑・奉使陸賈高祖に從いて天下を定む。名づけて口辯の士有りと爲す。左右に居り、常に諸侯に使いす。高祖の時に及び、中國初めて定まり、尉佗南越を平らげ、因りて之に王たらしむ。高祖陸賈をして尉佗に印を賜わしめ、南越王と爲す。陸生至り、尉佗椎結箕踞して陸生に見ゆ。陸生因りて佗に說きて曰く、「足下は中國の人にして、親戚昆弟の墳墓は眞定に在り。今足下天性に棄反し、冠帶を捐てて、區區たる越を以て、天子と抗衡して敵國たらんと欲す、禍且に身に及ばんとす。且つ夫れ秦其の政を失い、諸侯豪傑並び起こる。惟だ漢王先んじて關に入り、咸陽に據る。項籍約に倍きて、自ら西楚の霸王と立つ。諸侯皆屬す、彊なりと謂うべし。然れども漢王巴蜀より起こり、天下を鞭笞し、諸侯を劫かし、遂に項羽を誅して之を滅ぼす。五年の間に、海內平定す、此れ人力に非ず、天の建つる所なり。天子君王の南越に王たるを聞き、天下暴逆を誅するを助けずんば、將相兵を移して王を誅せんと欲す。天子百姓の新たに勞苦するを憐れみ、且く之を休め、臣を遣わして君王に印を授け、符を剖ちて使いを通ず、君王宜しく郊迎して、北面稱臣すべし。乃ち新たに造りて未だ集まらざるの越を以て、此に屈彊せんと欲す。漢誠に之を聞かば、君王先人の冢墓を掘り燒き、宗族を夷種し、一偏將をして十萬の眾を將いて越に臨ましめん。越則ち王を殺して以て漢に降らんこと、反覆手の如きのみ。」是に於て尉佗乃ち蹶然として起坐し、陸生に謝して曰く、「蠻夷の中に居ること久しく、殊に禮義を失えり。」因りて陸生に問いて曰く、「我蕭何、曹參、韓信と孰れか賢なる。」陸生曰く、「王賢なるに似たり。」復た問う、「我皇帝と孰れか賢なる。」陸生曰く、「皇帝は豐沛より起こり、暴秦を討ち、彊楚を誅し、天下の爲に利を興し害を除き、五帝三王の業を繼ぎ、中國を統理す。中國の人億を以て計え、地は方萬里、天下の膏腴に居り、人眾く車輿、萬物殷富にして、政一家より由る。天地剖判より以來、未だ嘗て有らざるなり。今王の眾は數十萬に過ぎず、皆蠻夷なり、山海の間に踦す、譬えば漢の一郡の若し、何ぞ乃ち漢王に比すべけんや。」尉佗大いに笑いて曰く、「吾中國に起こらざるが故に此に王たり、我をして中國に居らしめば、何ぞ遽かに漢に若かざらんや。」乃ち大いに陸生を悅び、與に留まりて飲むこと數月。曰く、「越中語るに足る無し、生の來るに至りて、我をして日に聞かざる所を聞かしむ。」陸生に橐中の裝、直千金なるを賜い、佗も送るに亦た千金を以てす。陸生尉佗を拜して南越王と爲し、臣と稱し、漢の約を奉ぜしむ。歸りて報ずるに、高祖大いに悅び、拜して太中大夫と爲す。
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史記 酈生陸賈列伝今足下天性に反き、冠帯を棄て、区区たる越を以て天子と抗衡して敵国と為らんと欲す、禍且に身に及ばんとす。且つ夫れ秦其の政を失ひ、諸侯豪桀並び起こる。唯だ漢王のみ先に関に入り、咸陽に拠る。項羽約に倍き、自立して西楚の霸王と為り、諸侯皆属す、至彊と謂ふべし。然れども漢王巴蜀より起こり、天下を鞭笞し、諸侯を劫略し、遂に項羽を誅して之を滅ぼす。五年の間に、海内平定す。此れ人力に非ず、天の建つる所なり。天子君王の南越に王たりて、天下を助けて暴逆を誅せざるを聞き、将相兵を移して王を誅せんと欲す。天子百姓の新たに労苦するを憐れみ、故に且く之を休め、臣を遣はして君王に印を授け、符を剖きて使ひを通ぜしむ。君王宜しく郊迎し、北面して臣と称すべし。乃ち新造未集の越を以て、此に屈彊せんと欲す。漢誠に之を聞かば、王の先人の冢を掘り焼き、宗族を夷滅し、一偏将をして十万の衆を将ゐて越に臨ましめば、則ち越は王を殺して漢に降ること、手を反覆するが如きのみ」と。是に於て尉他乃ち蹶然として起ちて坐し、陸生に謝して曰く、「蛮夷の中に居ること久しく、殊に礼義を失へり」と。因りて陸生に問ひて曰く、「我は蕭何・曹参・韓信と孰れか賢なる」と。陸生曰く、「王似(や)や賢なり」と。復た曰く、「我は皇帝と孰れか賢なる」と。陸生曰く、「皇帝は豊沛より起こり、暴秦を討ち、彊楚を誅し、天下の為に利を興し害を除き、五帝三王の業を継ぎ、中国を統理す。中国の人は億を以て計へ、地は方万里、天下の膏腴に居り、人衆く車轝あり、万物殷富にして、政一家に由る。天地剖泮してより未だ始めより有らざるなり。今王の衆は数十万に過ぎず、皆蛮夷にして、山海の間に崎嶇たり、譬へば漢の一郡の若し。王何ぞ乃ち漢に比せん」と。尉他大いに笑ひて曰く、「吾中国に起こらず、故に此に王たり。我をして中国に居らしめば、何渠(なん)ぞ漢に若かざらん」と。乃ち大いに陸生を説(よろこ)び、留めて与に飲むこと数月。
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史記 酈生陸賈列伝曰く、「越中には与に語るに足る無し。生の来たるに至りて、我をして日に聞かざる所を聞かしむ」と。陸生に橐中の装、直(あたひ)千金なるを賜ひ、他に送ること亦千金。陸生卒に尉他を拝して南越王と為し、臣と称して漢の約を奉ぜしむ。帰りて報ず。高祖大いに悦び、賈を拝して太中大夫と為す。
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