史記 / 季布欒布列伝
季布弟季心,氣蓋關中,遇人恭謹,爲任俠,方數千里,士皆爭爲之死。嘗殺人,亡之呉,從袁絲匿。長事袁絲,弟畜灌夫、籍福之屬。嘗爲中司馬,中尉郅都不敢不加禮。少年多時時竊籍其名以行。當是時,季心以勇,布以諾,著聞關中。
新字:季布弟季心,気蓋関中,遇人恭謹,為任侠,方数千里,士皆争為之死。嘗殺人,亡之呉,従袁糸匿。長事袁糸,弟畜灌夫、籍福之属。嘗為中司馬,中尉郅都不敢不加礼。少年多時時窃籍其名以行。当是時,季心以勇,布以諾,著聞関中。
書き下し
季布の弟季心、気関中を蓋ひ、人に遇ふこと恭謹、任侠を為し、方数千里、士皆争ひて之が為に死す。嘗て人を殺し、亡げて呉に之き、袁糸に従ひて匿る。長として袁糸に事へ、弟として灌夫・籍福の属を畜ふ。嘗て中司馬と為る、中尉郅都も敢へて礼を加へずんばあらず。少年多く時時竊かに其の名を籍りて以て行ふ。是の時に当たり、季心は勇を以て、布は諾を以て、関中に著聞す。
現代語訳
季布の弟の季心は、その意気は関中(都の周辺の地)を圧するほどで、人には恭しく慎み深く接し、任侠を行ったので、周囲数千里の士はみな争って彼のために命を投げ出した。かつて人を殺して呉へ逃れ、袁糸(袁盎)のもとに身を隠した。袁糸には兄として仕え、灌夫・籍福といった者たちは弟分として面倒を見た。中司馬(中尉の属官)となったことがあるが、厳しいことで知られた中尉の郅都(しつと)でさえ、彼には礼を尽くさずにはいられなかった。若者たちの多くは、しばしばこっそり季心の名をかたって事を行った。このころ、季心は勇気で、季布は承諾を必ず守ることで、関中に名が響き渡っていた。
解説
季布の弟季心の人となりを記した短い段です。季心は意気盛んでありながら人にはへりくだって接し、周囲数千里の士が彼のために命を投げ出したと言われるほどの侠客でした。人を殺して呉に逃れ、袁盎(字は糸)にかくまわれ、後の名将灌夫らを弟分として面倒を見ています。苛烈な取り締まりで恐れられた酷吏の郅都でさえ礼を尽くしたというのは、季心の人望の大きさを物語ります。兄の季布は「諾」、つまり約束を守ることで、弟の季心は「勇」で名を知られ、兄弟そろって関中の人々の敬意を集めていたのです。力のある人が低い姿勢で人に接することで信頼を集めるという構図は、肩書きではなく人柄で人がついてくるリーダーの姿に重なります。
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史記 季布欒布列伝彼必ず自ら其の材を負み、故に辱めを受けて羞ぢず、其の未だ足らざる所を用ふる有らんと欲するなり、故に終に漢の名将と為る。賢者は誠に其の死を重んず。夫れ婢妾賤人の感慨して自殺する者は、能く勇なるに非ず、其の計画復た之く無きのみ。欒布の彭越を哭し、湯に趣くこと帰するが如き者は、彼誠に処る所を知り、自ら其の死を重んぜず。往古の烈士と雖も、何を以て加へんや。
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史記 季布欒布列伝季布は、楚の人なり。気を為し任侠たり、楚に名有り。項籍兵を将ゐしめ、数々漢王を窘む。項羽滅ぶるに及び、高祖布を千金に購求し、敢へて舎匿する有らば、罪三族に及ぶとす。季布濮陽の周氏に匿る。周氏曰く「漢将軍を購ふこと急なり、跡且に臣の家に至らんとす、将軍能く臣に聴かば、臣敢へて計を献ぜん。即し能はずんば、願はくは先づ自剄せん」と。季布之を許す。乃ち季布を髡鉗し、褐衣を衣せ、広柳車の中に置き、并びに其の家僮数十人と、魯の朱家の所に之きて之を売る。朱家心に是れ季布なるを知り、乃ち買ひて之を田に置く。其の子を誡めて曰く「田事は此の奴に聴け、必ず与に食を同じくせよ」と。朱家乃ち軺車に乗りて洛陽に之き、汝陰侯滕公に見ゆ。滕公朱家を留めて飲むこと数日。因りて滕公に謂ひて曰く「季布何の大罪ありて、上之を求むること急なるや」と。滕公曰く「布数々項羽の為に上を窘む、上之を怨む、故に必ず之を得んと欲す」と。朱家曰く「君季布を視ること何如なる人ぞ」と。曰く「賢者なり」と。朱家曰く「臣は各々其の主の為に用ひらる、季布の項籍の為に用ひらるるは、職のみ。項氏の臣尽く誅すべけんや。今上始めて天下を得て、独り己の私怨を以て一人を求む、何ぞ天下に広からざるを示すや。且つ季布の賢を以てして漢之を求むること此くの如く急なれば、此れ北のかた胡に走らずんば即ち南のかた越に走らんのみ。夫れ壮士を忌みて以て敵国に資するは、此れ伍子胥の荊の平王の墓に鞭うちし所以なり。君何ぞ従容として上の為に言はざるや」と。汝陰侯滕公心に朱家の大侠なるを知り、季布其の所に匿るると意ひ、乃ち許して曰く「諾」と。間を待ちて、果たして朱家の指の如く言ふ。上乃ち季布を赦す。是の時に当たり、諸公皆季布の能く剛を摧きて柔と為すを多とし、
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『長短経』臣行或るひと曰く「季布は壮士なり。而るに反って剛を摧きて柔と為り、髠鉗して逃匿す。是と為すか」と。司馬遷曰く「項羽の気を以てして、季布は勇を以て楚に顕る。身は屢しば軍を典り、旗を搴ぐ〔音、綺連の反。〕こと数しばなり。壮士と謂う可し。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至る。何ぞ其れ下れるや。彼は必ず自ら其の材を負む。故に辱を受けて羞じず。其の未だ足らざるを用うる所有らんと欲するなり。故に終に漢の名将と為る。賢者は誠に其の死を重んず。
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