尉繚子 / 十二陵
得衆在於下人。
書き下し
衆を得るは人に下るに在り。
現代語訳
多くの人の心を得るには、自分から人へりくだることにある。
解説
人望というものは、地位や肩書きから自然に生まれるのではない。むしろ自分から相手に頭を下げ、へりくだる姿勢を持ち続けるところに生まれる。役職や実績が上がるほど、この単純な事実を忘れて尊大になりがちだが、周囲が本当についてくるかどうかは日々のふるまいの積み重ねで決まる。謙虚さは弱さの表れではなく、人を動かす確かな力である。
この章句が説くこと
謙虚人望下座
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