説苑 / 雜言
孔子曰:「以富貴為人下者,何人不與?以富貴敬愛人者,何人不親?眾言不逆,可謂知言矣,眾嚮之,可謂知時矣。」
新字:孔子曰:「以富貴為人下者,何人不与?以富貴敬愛人者,何人不親?眾言不逆,可謂知言矣,眾嚮之,可謂知時矣。」
書き下し
孔子曰く、「富貴を以て人の下と為る者は、何人か与せざらん。富貴を以て人を敬愛する者は、何人か親しまざらん。衆言逆らわざるは、言を知ると謂う可し。衆之に嚮うは、時を知ると謂う可し」と。
現代語訳
孔子は言った。「富や地位を持ちながらも自分を人より下に置く者を、誰が味方しないでいられようか。富や地位を持ちながらも人を敬い愛する者を、誰が親しまないでいられようか。多くの人の言葉に逆らわないことを、言葉を知ると言うべきである。多くの人がその人になびき従うことを、時勢を知ると言うべきである」と。
解説
富や地位を得た者が謙虚に自分を低く置き、他者を敬愛するならば、人望は自然と集まってくるという孔子の言葉は、成功と謙虚さが両立しうるだけでなく、むしろ両立させてこそ本当の求心力が生まれることを示す。現代の組織でも、地位や実績を得た人物が驕り高ぶれば人が離れ、逆に成功してなお謙虚であり続ければ、周囲の信頼と協力を集め続けることができる。この章が教えるのは、富貴という条件そのものよりも、それをどう扱うかという態度こそが、人望と時勢を味方につける真の鍵だということである。
この章句が説くこと
謙虚富貴人望
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