史記 / 季布欒布列伝
朱家亦以此名聞當世。季布召見,謝,上拜爲郎中。孝惠時,
新字:朱家亦以此名聞当世。季布召見,謝,上拝為郎中。孝恵時,
書き下し
朱家も亦た此を以て名当世に聞こゆ。季布召されて見え、謝し、上拝して郎中と為す。孝恵の時、
現代語訳
朱家もまたこの一件で当時の世に名を知られた。季布は召し出されて高祖に拝謁し、罪を謝した。高祖は季布を郎中に任じた。孝恵帝の時代には、(季布は)
解説
季布が赦された後の短い結びで、季布を救った侠客朱家もこれで天下に名を知られたこと、そして季布が高祖に謁見して罪を詫び、郎中という側近の役職に取り立てられたことが記されます。つい先ごろまで千金の賞金首だった敵将が、一転して皇帝のそばに仕える身になったのです。朱家は游侠列伝にも登場する人物で、見返りを求めずに人を救う侠客の代表として司馬遷が深く敬意を払っています。季布を救った功を誇らず、名が世に出たのは結果にすぎませんでした。敵を許して取り立てた劉邦の決断と、見返りを求めずに人を救った朱家の行いがそろって、はじめて一人の有能な人材が生かされたのです。人を生かす場面には、決断する人と、陰で橋を架ける人の両方が要ることを示しています。
関連する章句
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史記 季布欒布列伝季布は、楚の人なり。気を為し任侠たり、楚に名有り。項籍兵を将ゐしめ、数々漢王を窘む。項羽滅ぶるに及び、高祖布を千金に購求し、敢へて舎匿する有らば、罪三族に及ぶとす。季布濮陽の周氏に匿る。周氏曰く「漢将軍を購ふこと急なり、跡且に臣の家に至らんとす、将軍能く臣に聴かば、臣敢へて計を献ぜん。即し能はずんば、願はくは先づ自剄せん」と。季布之を許す。乃ち季布を髡鉗し、褐衣を衣せ、広柳車の中に置き、并びに其の家僮数十人と、魯の朱家の所に之きて之を売る。朱家心に是れ季布なるを知り、乃ち買ひて之を田に置く。其の子を誡めて曰く「田事は此の奴に聴け、必ず与に食を同じくせよ」と。朱家乃ち軺車に乗りて洛陽に之き、汝陰侯滕公に見ゆ。滕公朱家を留めて飲むこと数日。因りて滕公に謂ひて曰く「季布何の大罪ありて、上之を求むること急なるや」と。滕公曰く「布数々項羽の為に上を窘む、上之を怨む、故に必ず之を得んと欲す」と。朱家曰く「君季布を視ること何如なる人ぞ」と。曰く「賢者なり」と。朱家曰く「臣は各々其の主の為に用ひらる、季布の項籍の為に用ひらるるは、職のみ。項氏の臣尽く誅すべけんや。今上始めて天下を得て、独り己の私怨を以て一人を求む、何ぞ天下に広からざるを示すや。且つ季布の賢を以てして漢之を求むること此くの如く急なれば、此れ北のかた胡に走らずんば即ち南のかた越に走らんのみ。夫れ壮士を忌みて以て敵国に資するは、此れ伍子胥の荊の平王の墓に鞭うちし所以なり。君何ぞ従容として上の為に言はざるや」と。汝陰侯滕公心に朱家の大侠なるを知り、季布其の所に匿るると意ひ、乃ち許して曰く「諾」と。間を待ちて、果たして朱家の指の如く言ふ。上乃ち季布を赦す。是の時に当たり、諸公皆季布の能く剛を摧きて柔と為すを多とし、
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史記 季布欒布列伝季布河東の守と為る、孝文の時、人其の賢を言ふ者有り、孝文召し、以て御史大夫と為さんと欲す。復た其の勇にして、酒を使ひて近づき難きを言ふ有り。至り、邸に留まること一月、見えて罷めらる。季布因りて進みて曰く「臣功無くして竊かに寵せられ、罪を河東に待つ。陛下故無くして臣を召す、此れ人必ず臣を以て陛下を欺く者有らん。今臣至るに、事を受くる所無くして、罷め去らしむ、此れ人必ず以て臣を毀る者有らん。夫れ陛下一人の誉を以て臣を召し、一人の毀を以て臣を去らしむ、臣恐らくは天下の識有る者之を聞き以て陛下を闚ふ有らん」と。上黙然として慚ぢ、良久しくして曰く「河東は吾が股肱の郡なり、故に特に君を召せしのみ」と。布辞して官に之く。
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『長短経』臣行或るひと曰く「季布は壮士なり。而るに反って剛を摧きて柔と為り、髠鉗して逃匿す。是と為すか」と。司馬遷曰く「項羽の気を以てして、季布は勇を以て楚に顕る。身は屢しば軍を典り、旗を搴ぐ〔音、綺連の反。〕こと数しばなり。壮士と謂う可し。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至る。何ぞ其れ下れるや。彼は必ず自ら其の材を負む。故に辱を受けて羞じず。其の未だ足らざるを用うる所有らんと欲するなり。故に終に漢の名将と為る。賢者は誠に其の死を重んず。
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史記 游侠列伝魯の朱家は、高祖と時を同じくす。蔵し活かす所の豪士は百を以て数へ、其の餘の庸人は勝げて言ふ可からず。然れども終に其の能を伐らず、其の徳を歆ぶことをせず、諸そ嘗て施す所は、唯だ之を見らるるを恐る。人を振ふに贍らざれば、先づ貧賤より始む。家に餘財無く、衣は采を完うせず、食は味を重ねず、乗は軥牛に過ぎず。専ら人の急に趨り、己の私よりも甚だし。既に陰かに季布将軍の阸を脱す、布の尊貴なるに及び、身を終ふるまで見えざるなり。
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史記 季布欒布列伝彼必ず自ら其の材を負み、故に辱めを受けて羞ぢず、其の未だ足らざる所を用ふる有らんと欲するなり、故に終に漢の名将と為る。賢者は誠に其の死を重んず。夫れ婢妾賤人の感慨して自殺する者は、能く勇なるに非ず、其の計画復た之く無きのみ。欒布の彭越を哭し、湯に趣くこと帰するが如き者は、彼誠に処る所を知り、自ら其の死を重んぜず。往古の烈士と雖も、何を以て加へんや。
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史記 季布欒布列伝季布の弟季心、気関中を蓋ひ、人に遇ふこと恭謹、任侠を為し、方数千里、士皆争ひて之が為に死す。嘗て人を殺し、亡げて呉に之き、袁糸に従ひて匿る。長として袁糸に事へ、弟として灌夫・籍福の属を畜ふ。嘗て中司馬と為る、中尉郅都も敢へて礼を加へずんばあらず。少年多く時時竊かに其の名を籍りて以て行ふ。是の時に当たり、季心は勇を以て、布は諾を以て、関中に著聞す。
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