史記 / 酈生陸賈列伝
曰:「越中無足與語,至生來,令我日聞所不聞。」賜陸生橐中裝直千金,他送亦千金。陸生卒拜尉他為南越王,令稱臣奉漢約。歸報,高祖大悅,拜賈為太中大夫。
新字:曰:「越中無足与語,至生来,令我日聞所不聞。」賜陸生橐中装直千金,他送亦千金。陸生卒拝尉他為南越王,令称臣奉漢約。帰報,高祖大悦,拝賈為太中大夫。
書き下し
曰く、「越中には与に語るに足る無し。生の来たるに至りて、我をして日に聞かざる所を聞かしむ」と。陸生に橐中の装、直(あたひ)千金なるを賜ひ、他に送ること亦千金。陸生卒に尉他を拝して南越王と為し、臣と称して漢の約を奉ぜしむ。帰りて報ず。高祖大いに悦び、賈を拝して太中大夫と為す。
現代語訳
(尉他は)言った。「越の中には話し相手になる者がいなかった。先生が来てくれたおかげで、毎日聞いたことのない話を聞くことができた。」そして陸賈に袋入りの宝物、値にして千金を贈り、ほかにも千金を贈った。陸賈はついに尉他を南越王に任じ、臣と称して漢との約束を守らせた。帰って報告すると、高祖は大いに喜び、陸賈を太中大夫(皇帝の顧問官)に任じた。
解説
南越への使いの結末です。尉他は陸賈との数か月の酒宴を振り返り、越には語り合える相手がいなかったが、先生のおかげで毎日知らなかったことを聞けたと言って、袋入りの宝物千金と別の贈り物千金を与えます。そのうえで臣と称し、漢の約束を奉ずることを受け入れました。武力を一兵も使わず、辺境の王を漢の秩序の中に組み込んだのです。尉他が本当に心を動かされたのは、脅しよりも、知的な刺激を与えてくれる相手に出会えたことだったのかもしれません。この橐中の装はのちに陸賈が五人の息子に分け与える財産となり、次の段の隠居生活の元手になります。劉邦は大いに喜んで陸賈を太中大夫に任じました。交渉相手が「この人とまた話したい」と思ってくれるかどうかは、条件の良し悪し以上に、関係を長続きさせる力になります。
関連する章句
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説苑・奉使陸賈高祖に從いて天下を定む。名づけて口辯の士有りと爲す。左右に居り、常に諸侯に使いす。高祖の時に及び、中國初めて定まり、尉佗南越を平らげ、因りて之に王たらしむ。高祖陸賈をして尉佗に印を賜わしめ、南越王と爲す。陸生至り、尉佗椎結箕踞して陸生に見ゆ。陸生因りて佗に說きて曰く、「足下は中國の人にして、親戚昆弟の墳墓は眞定に在り。今足下天性に棄反し、冠帶を捐てて、區區たる越を以て、天子と抗衡して敵國たらんと欲す、禍且に身に及ばんとす。且つ夫れ秦其の政を失い、諸侯豪傑並び起こる。惟だ漢王先んじて關に入り、咸陽に據る。項籍約に倍きて、自ら西楚の霸王と立つ。諸侯皆屬す、彊なりと謂うべし。然れども漢王巴蜀より起こり、天下を鞭笞し、諸侯を劫かし、遂に項羽を誅して之を滅ぼす。五年の間に、海內平定す、此れ人力に非ず、天の建つる所なり。天子君王の南越に王たるを聞き、天下暴逆を誅するを助けずんば、將相兵を移して王を誅せんと欲す。天子百姓の新たに勞苦するを憐れみ、且く之を休め、臣を遣わして君王に印を授け、符を剖ちて使いを通ず、君王宜しく郊迎して、北面稱臣すべし。乃ち新たに造りて未だ集まらざるの越を以て、此に屈彊せんと欲す。漢誠に之を聞かば、君王先人の冢墓を掘り燒き、宗族を夷種し、一偏將をして十萬の眾を將いて越に臨ましめん。越則ち王を殺して以て漢に降らんこと、反覆手の如きのみ。」是に於て尉佗乃ち蹶然として起坐し、陸生に謝して曰く、「蠻夷の中に居ること久しく、殊に禮義を失えり。」因りて陸生に問いて曰く、「我蕭何、曹參、韓信と孰れか賢なる。」陸生曰く、「王賢なるに似たり。」復た問う、「我皇帝と孰れか賢なる。」陸生曰く、「皇帝は豐沛より起こり、暴秦を討ち、彊楚を誅し、天下の爲に利を興し害を除き、五帝三王の業を繼ぎ、中國を統理す。中國の人億を以て計え、地は方萬里、天下の膏腴に居り、人眾く車輿、萬物殷富にして、政一家より由る。天地剖判より以來、未だ嘗て有らざるなり。今王の眾は數十萬に過ぎず、皆蠻夷なり、山海の間に踦す、譬えば漢の一郡の若し、何ぞ乃ち漢王に比すべけんや。」尉佗大いに笑いて曰く、「吾中國に起こらざるが故に此に王たり、我をして中國に居らしめば、何ぞ遽かに漢に若かざらんや。」乃ち大いに陸生を悅び、與に留まりて飲むこと數月。曰く、「越中語るに足る無し、生の來るに至りて、我をして日に聞かざる所を聞かしむ。」陸生に橐中の裝、直千金なるを賜い、佗も送るに亦た千金を以てす。陸生尉佗を拜して南越王と爲し、臣と稱し、漢の約を奉ぜしむ。歸りて報ずるに、高祖大いに悅び、拜して太中大夫と爲す。
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史記 酈生陸賈列伝今足下天性に反き、冠帯を棄て、区区たる越を以て天子と抗衡して敵国と為らんと欲す、禍且に身に及ばんとす。且つ夫れ秦其の政を失ひ、諸侯豪桀並び起こる。唯だ漢王のみ先に関に入り、咸陽に拠る。項羽約に倍き、自立して西楚の霸王と為り、諸侯皆属す、至彊と謂ふべし。然れども漢王巴蜀より起こり、天下を鞭笞し、諸侯を劫略し、遂に項羽を誅して之を滅ぼす。五年の間に、海内平定す。此れ人力に非ず、天の建つる所なり。天子君王の南越に王たりて、天下を助けて暴逆を誅せざるを聞き、将相兵を移して王を誅せんと欲す。天子百姓の新たに労苦するを憐れみ、故に且く之を休め、臣を遣はして君王に印を授け、符を剖きて使ひを通ぜしむ。君王宜しく郊迎し、北面して臣と称すべし。乃ち新造未集の越を以て、此に屈彊せんと欲す。漢誠に之を聞かば、王の先人の冢を掘り焼き、宗族を夷滅し、一偏将をして十万の衆を将ゐて越に臨ましめば、則ち越は王を殺して漢に降ること、手を反覆するが如きのみ」と。是に於て尉他乃ち蹶然として起ちて坐し、陸生に謝して曰く、「蛮夷の中に居ること久しく、殊に礼義を失へり」と。因りて陸生に問ひて曰く、「我は蕭何・曹参・韓信と孰れか賢なる」と。陸生曰く、「王似(や)や賢なり」と。復た曰く、「我は皇帝と孰れか賢なる」と。陸生曰く、「皇帝は豊沛より起こり、暴秦を討ち、彊楚を誅し、天下の為に利を興し害を除き、五帝三王の業を継ぎ、中国を統理す。中国の人は億を以て計へ、地は方万里、天下の膏腴に居り、人衆く車轝あり、万物殷富にして、政一家に由る。天地剖泮してより未だ始めより有らざるなり。今王の衆は数十万に過ぎず、皆蛮夷にして、山海の間に崎嶇たり、譬へば漢の一郡の若し。王何ぞ乃ち漢に比せん」と。尉他大いに笑ひて曰く、「吾中国に起こらず、故に此に王たり。我をして中国に居らしめば、何渠(なん)ぞ漢に若かざらん」と。乃ち大いに陸生を説(よろこ)び、留めて与に飲むこと数月。
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『長短経』覇図尉佗、南越に王として反す。高祖、陸賈をして尉佗に印綬を賜い、南越王と為し、臣と称して漢の約を奉ぜしむ。〈陸生、南越に至る。尉佗、魋髻箕踞して陸生に見ゆ。陸生因りて説を進めて曰く「足下は中国の人なり。親戚・昆弟・墳墓、真定に在り。今、足下、天性に反し、冠帯を棄て、区区たる越を以て天子と抗衡して敵国たらんと欲す。禍い且に身に及ばんとす。且つ夫れ秦、其の政を失い、諸侯豪傑並び起こる。唯だ漢王のみ先ず関に入り、咸陽に拠る。項王、約に背き、自立して西楚の覇王と為り、諸侯皆な属す。至強と謂う可し。然れども漢王、巴蜀に起こり、天下を鞭笞し、諸侯を制し、遂に項羽を誅して之を滅ぼす。五年の間に、海内平定す。此れ人力に非ず、天の建つる所なり。天子、君王の南越に王たるを聞くも、天下を助けて暴逆を誅せず。将に兵を移して王を誅せんと欲す。天子、百姓の新たに労苦せるを憐れみ、且く之を休ましめ、臣を遣わして君王に印綬を授け、符を剖きて使いを通ず。君王、宜しく郊迎して、北面して臣と称すべし。乃ち新たに造りて未だ集まらざるの越を以て、此に屈強せんと欲す。漢、誠に之を聞かば、王の先人の塚を掘り、王の宗族を夷滅し、一偏将をして十万の衆を将いて以て越に臨ましめば、則ち越は王を殺して降ること、手を反覆するが如きのみ」と。是に於て尉佗、蹶然として起ち、陸生に謝す。卒に尉佗を拝して還る。
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史記 南越列伝高帝已に天下を定むるも、中国の労苦するが為に、故に佗を釈して誅せず。漢の十一年、陸賈を遣はして因りて佗を立てて南越王と為し、与に符を剖きて使を通じ、百越を和集し、南辺の患害と為ること毋からしむ、長沙と境を接す。
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史記 南越列伝孝文帝元年、初めて天下を鎮撫す。乃ち佗の親冢の真定に在るが為に、守邑を置き、歳時奉祀す。其の従昆弟を召し、官を尊くし賜を厚くして之を寵す。乃ち陸賈を召して以て太中大夫と為し、往きて使ひせしむ。陸賈南越に至るや、王甚だ恐れ、書を為りて謝す。乃ち頓首謝し、長く藩臣為り、貢職を奉ぜんことを願ふ。是に於て乃ち国中に令を下して曰く、「吾聞く両雄は俱には立たず、両賢は世を并せずと。皇帝は賢天子なり。今より以後、帝制黄屋左纛を去らん」と。陸賈還りて報じ、孝文帝大いに説ぶ。
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史記 酈生陸賈列伝夫れ漢王は蜀漢を発して、三秦を定め、西河の外に渉りて、上党の兵を援け、井陘を下りて、成安君を誅し、北魏を破りて、三十二城を挙ぐ。此れ蚩尤の兵なり、人の力に非ざるなり、天の福なり。今已に敖倉の粟に拠り、成皋の険を塞ぎ、白馬の津を守り、大行の阪を杜ぎ、蜚狐の口を距ぐ。天下後れて服する者は先に亡びん。王疾く先に漢王に下らば、斉国の社稷得て保つべきなり。漢王に下らずんば、危亡立ちどころにして待つべきなり」と。田広以て然りと為し、乃ち酈生に聴き、歴下の兵の守戦の備へを罷め、酈生と日に酒を縦にす。淮陰侯、酈生の軾に伏して斉の七十余城を下すと聞き、乃ち夜兵を平原に度して斉を襲ふ。斉王田広、漢兵の至るを聞き、以て酈生己を売ると為し、乃ち曰く、「汝能く漢軍を止めば、我汝を活かさん。然らずんば、我将に汝を亨(に)んとす」と。酈生曰く、「大事を挙ぐる者は細謹せず、盛徳は辞譲せず。而公(だいこう)は若(なんぢ)の為に更に言はず」と。斉王遂に酈生を亨て、兵を引きて東に走る。漢の十二年、曲周侯酈商、丞相を以て兵を将ゐて黥布を撃ちて功有り。高祖列侯功臣を挙ぐるに、酈食其を思ふ。酈食其の子疥、数兵を将ゐるも、功未だ侯に当たらず。上其の父の故を以て、疥を封じて高梁侯と為す。後に更めて武遂に食み、嗣ぐこと三世。元狩元年中、武遂侯平、詔を詐りて衡山王の百斤の金を取るに坐し、棄市に当たるも、病死し、国除かるるなり。陸賈は楚人なり。客を以て高祖に従ひて天下を定め、名づけて口弁有る士と為し、左右に居りて、常に諸侯に使ひす。高祖の時に及び、中国初めて定まる。尉他(いた)南越を平らげ、因りて之に王たり。高祖陸賈をして尉他に印を賜ひて南越王と為さしむ。陸生至る、尉他魋結(ついけつ)箕倨して陸生を見る。陸生因りて進みて他に説きて曰く、「足下は中国の人、親戚昆弟の墳は真定に在り。
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