晏子春秋 / 問下・晉平公問齊君德行高下晏子對以小善
晏子使于晉,晉平公問曰:「吾子之君,德行高下如何?」晏子對以小善。公曰:「否,吾非問小善,問子之君德行高下也。」晏子蹴然曰:「諸侯之交,紹而相見,辭之有所隱也。君之命質,臣無所隱。嬰之君無稱焉。」平公蹴然而辭,送,再拜而反:曰:「殆哉吾過,誰曰齊君不肖,直稱之士,正在本朝也。」
新字:晏子使于晋,晋平公問曰:「吾子之君,徳行高下如何?」晏子対以小善。公曰:「否,吾非問小善,問子之君徳行高下也。」晏子蹴然曰:「諸侯之交,紹而相見,辞之有所隠也。君之命質,臣無所隠。嬰之君無称焉。」平公蹴然而辞,送,再拝而反:曰:「殆哉吾過,誰曰斉君不肖,直称之士,正在本朝也。」
書き下し
晏子、晋に使いす。晋の平公問いて曰く、「吾が子の君は、徳行の高下如何」と。晏子、小善を以て対う。公曰く、「否。吾は小善を問うに非ず。子の君の徳行の高下を問うなり」と。晏子蹴然として曰く、「諸侯の交わり、紹ぎて相見ゆるは、辞の隠す所有ればなり。君の命質すに、臣隠す所無し。嬰の君は称するに足る無し」と。平公蹴然として辞し、送りて、再拝して反りて曰く、「殆うきかな吾が過ち。誰か斉の君を不肖と曰う。直く称うる士、正に本朝に在るなり」と。
現代語訳
晏子が晋に使いしました。晋の平公は尋ねました。「あなたの君は、徳行の程度はどうか」。晏子は小さな善について答えました。公は言いました。「いや、小さな善を聞いたのではない。あなたの君の徳行がどの程度かを聞いたのだ」。晏子は居ずまいを正して言いました。「諸侯の交際で、取り次ぎを重ねて会うときは、言葉に隠すところがあるものです。君が直接お尋ねになった以上、私には隠すものがありません。わが君には称えるに足るところはありません」。平公は驚いて詫び、見送って、再び拝礼して戻り、言いました。「危うく過ちを犯すところだった。誰が斉の君を不肖と言うだろう。正直に君を称える士が、ちょうど朝廷にいるではないか」。
解説
この章句が説くこと
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史記 酈生陸賈列伝曰く、「越中には与に語るに足る無し。生の来たるに至りて、我をして日に聞かざる所を聞かしむ」と。陸生に橐中の装、直(あたひ)千金なるを賜ひ、他に送ること亦千金。陸生卒に尉他を拝して南越王と為し、臣と称して漢の約を奉ぜしむ。帰りて報ず。高祖大いに悦び、賈を拝して太中大夫と為す。
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『韓非子』存韓第二韓の秦に事ふること三十余年、出でては則ち扞蔽と為り、入りては則ち蓆薦と為る。秦特だ鋭師を出だして地を取り、韓之に随ひ、怨みは天下に懸かり、功は強秦に帰す。且つ夫れ韓は貢職を入れ、郡県と異なる無きなり。今臣窃かに貴臣の計を聞くに、兵を挙げて将に韓を伐たんとす。夫れ趙氏は士卒を聚め、従徒を養ひ、天下の兵を贅めんと欲し、秦弱からざれば則ち諸侯必ず宗廟を滅ぼさるるを明らかにし、西面して其の意を行はんと欲す、一日の計に非ざるなり。今趙の患を釈きて、内臣の韓を攘はば、則ち天下趙氏の計を明らかにせん。
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『春秋左氏伝』宣公十七年 過ちて改めず夏、斷道に會す、貳けるを討ずるなり。卷楚に盟ひ、齊人を辭す。晉人晏弱を野王に執へ、蔡朝を原に執へ、南郭偃を溫に執ふ。苗賁皇使ひして、晏桓子に見え、歸りて晉侯に言ひて曰く、「夫れ晏子何の罪かある。昔者諸侯吾が先君に事ふるや、皆逮ばざるが如くす。舉げて群臣信ならずと言ひ、諸侯皆貳志有り。齊君禮を得ざらんことを恐る、故に出でずして、四子をして來らしむ。左右或いは之を沮みて曰く、『君出でずんば、必ず吾が使を執へん』と。故に高子斂盂に及びて逃る。夫の三子の者曰く、『若し君の好を絕たば、寧ろ歸りて死せん』と。是が為に難を犯して來る。吾若し善く彼を逆へて、以て來る者を懷けんとすべきに、吾又之を執ふ、以て齊の沮を信にす。吾既に過てるにあらずや。過ちて改めず、而して又之を久しくし、以て其の悔を成す、何の利か之れ有らん。反る者をして辭を得しめて、來る者を害し、以て諸侯を懼れしむ、將に焉くにか之を用ゐん」と。晉人之を緩くす、逸す。
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史記 秦本紀是に於て繆公晋君を虜にして以て帰り、国に令す、「斉宿せよ、吾将に晋君を以て上帝を祠らんとす」と。周の天子之を聞きて、曰く「晋は我が同姓なり」と、為に晋君を請ふ。夷吾の姊も亦繆公の夫人為り。夫人之を聞き、乃ち衰絰して跣し、曰く、「妾が兄弟相救ふ能はず、以て君命を辱めしむ」と。繆公曰く、「我晋君を得て以て功と為す。今天子為に請ひ、夫人是れ憂ふ」と。乃ち晋君と盟ひ、之を帰すことを許し、更めて上舎に舎せしめ、而して之に七牢を饋る。十一月、晋君夷吾を帰す。夷吾其の河西の地を献じ、太子圉をして秦に質たらしむ。秦子圉に妻はすに宗女を以てす。是の時秦の地東のかた河に至る。十八年、斉の桓公卒す。二十年、秦梁・芮を滅ぼす。二十二年、晋の公子圉晋君の病むを聞きて、曰く、「梁は、我が母の家なり。而るに秦之を滅ぼす。我兄弟多し、即し君百歳の後、秦必ず我を留めん。而して晋我を軽んじ、亦更に他子を立てん」と。子圉乃ち亡げて晋に帰る。二十三年、晋の恵公卒し、子圉立ちて君と為る。秦圉の亡げ去りしを怨み、乃ち晋の公子重耳を楚より迎へ、而して妻はすに故の子圉の妻を以てす。重耳初め謝し、後乃ち受く。繆公益礼して厚く之を遇す。二十四年春、秦人をして晋の大臣に告げしめ、重耳を入れんと欲す。晋之を許す。是に於て人をして重耳を送らしむ。二月、重耳立ちて晋君と為る。是を文公と為す。文公人をして子圉を殺さしむ。子圉は是を懐公と為す。其の秋、周の襄王の弟帯翟を以て王を伐ち、王出でて鄭に居る。二十五年、周王人をして難を晋・秦に告げしむ。秦の繆公兵を将ゐて晋の文公を助けて襄王を入れ、王の弟帯を殺す。二十八年、晋の文公楚を城濮に敗る。三十年、繆公晋の文公を助けて鄭を囲む。鄭人をして繆公に言はしめて曰く、「鄭を亡ぼして晋を厚くするは、晋に於ては得たり、而るに秦は未だ利有らず。晋の彊きは、秦の憂ひなり」と。繆公乃ち兵を罷めて帰る。晋も亦罷む。
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