貞観政要 / 択官
貞觀十四年,特進魏徵上疏曰:
新字:貞観十四年,特進魏徴上疏曰:
書き下し
貞観十四年、特進魏徴、疏を上りて曰く、
現代語訳
貞観十四年、特進の魏徴が上奏文を奉って言った。
解説
この一行だけを見ると、ただの書き出しに見えます。しかしこれから続くのは、人材登用について論じた、長く読み応えのある上奏文です。主題は「人材がいないのではなく、本気で求めていないだけだ」という指摘。国が忠実で優れた人を求めながら実現できずにいるのは、求め方が甘く、育てる働きかけが足りないからだ、と魏徴は続けて説いていきます。そしてこの後、臣下のあるべき六つの姿と、避けるべき六つの姿という「六正六邪」の類型論が展開されていきます。書き出しの一行は素っ気なくとも、この後に続く内容は、人を見る目を養いたいすべての人にとって、示唆に富む内容です。親として子を育てる時も、地域で後継ぎを探す時も、同じ姿勢が問われます。
この章句が説くこと
魏徴の上疏人材登用論六正六邪へ公正人材登用人事
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公三年 祁奚、讎を挙ぐ祁奚、老を請ふ。晉侯、嗣を問ふ。解狐を稱す。其の讎なり。將に之を立てんとして卒す。又焉に問ふ。對へて曰く、「午や可なり」と。是に於て羊舌職死せり。晉侯曰く、「孰か以て之に代はるべき」と。對へて曰く、「赤や可なり」と。是に於て祁午をして中軍尉と爲し、羊舌赤之を佐けしむ。君子謂ふ、祁奚是に於て能く善を舉ぐ、と。其の讎を稱するも、諂ふと爲さず。其の子を立つるも、比(したし)むと爲さず。其の偏を舉ぐるも、黨すと爲さず。商書に曰く、「偏無く黨無く、王道蕩蕩たり」と。其れ祁奚の謂ひなり。解狐は舉げらるるを得、祁午は位を得、伯華は官を得たり。一官を建てて三物成る。能く善を舉ぐればなり。夫れ唯だ善なり、故に能く其の類を舉ぐ。詩に云ふ、「惟れ其の之を有す、是を以て之に似たり」と。祁奚焉有り。六月、公、單の頃公及び諸侯に會す。己未、雞澤に同盟す。晉侯、荀會をして吳子を淮上に逆へしむ。吳子至らず。楚の子辛、令尹と爲り、小國に侵欲す。陳の成公、袁僑をして會に如きて成を求めしむ。晉侯、和組父をして諸侯に告げしむ。秋、叔孫豹及び諸侯の大夫、陳の袁僑に及びて盟ふ。陳、服せんことを請ふなり。
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史記 晋世家閏月乙卯、厲公匠驪氏に游ぶ。欒書・中行偃其の党を以て厲公を襲捕し、之を囚へ、胥童を殺し、而して人をして公子周を周に迎へしめて之を立てんとす。是を悼公と為す。悼公の元年正月庚申、欒書・中行偃厲公を弑し、之を葬るに一乗の車を以てす。厲公囚はれて六日にして死す。死して十日の庚午、智罃公子周を迎へて来たり、絳に至り、鶏を刑して大夫と盟ひて之を立つ。是を悼公と為す。辛巳、武宮に朝す。二月乙酉、即位す。悼公周は、其の大父捷、晋の襄公の少子なり。立つを得ず。号して桓叔と為す。桓叔最も愛せらる。桓叔恵伯談を生み、談悼公周を生む。周の立つや、年十四なり。悼公曰く、「大父・父皆立つを得ずして難を周に辟け、焉に客死す。寡人自ら疎遠なるを以て、君と為るを幾(ねが)ふこと毋し。今大夫文・襄の意を忘れずして恵みて桓叔の後を立つ。宗廟大夫の霊に頼り、晋の祀を奉ずるを得たり。豈に敢て戦戦たらざらんや。大夫其れ亦た寡人を佐けよ」と。是に於て臣たらざる者七人を逐ひ、旧功を修め、徳恵を施し、文公の入りし時の功臣の後を収む。秋、鄭を伐つ。鄭の師敗る。遂に陳に至る。三年、晋諸侯を会す。悼公群臣の用ふべき者を問ふ。祁傒解狐を挙ぐ。解狐は、傒の仇なり。復た問ふ。其の子祁午を挙ぐ。君子曰く、「祁傒は党せずと謂ふべし。外に挙ぐるに仇を隠さず、内に挙ぐるに子を隠さず」と。方に諸侯を会せんとするに、悼公の弟楊干行を乱す。魏絳其の僕を戮す。悼公怒る。或ひと公を諫む。公卒に絳を賢とし、之に政を任じ、戎を和せしむ。戎大いに親附す。十一年、悼公曰く、「吾魏絳を用ひしより、九たび諸侯を合し、戎・翟を和す。魏子の力なり」と。之に楽を賜ふ。三たび譲りて乃ち之を受く。冬、秦我が櫟を取る。十四年、晋六卿をして諸侯を率ゐて秦を伐たしめ、涇を度り、大いに秦の軍を敗り、棫林に至りて去る。
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『春秋左氏伝』昭公二十八年 魏献子、県大夫を挙ぐ秋、晉の韓宣子卒す。魏獻子政を為す。祁氏の田を分かちて、以って七縣と為し、羊舌氏の田を分かちて、以って三縣と為す。司馬彌牟を鄔の大夫と為し、賈辛を祁の大夫と為し、司馬烏を平陵の大夫と為し、魏戊を梗陽の大夫と為し、知徐吾を塗水の大夫と為し、韓固を馬首の大夫と為し、孟丙を盂の大夫と為し、樂霄を銅鞮の大夫と為し、趙朝を平陽の大夫と為し、僚安を楊氏の大夫と為す。賈辛・司馬烏を謂ひて、王室に力有りと為す、故に之を舉ぐ。知徐吾・趙朝・韓固・魏戊を謂ひて、餘子の職を失はず、能く業を守る者なりと。其の四人の者は、皆縣を受けて後に魏子に見ゆ。賢を以って舉げらるるなり。魏子、成鱄(せいせん)に謂ひて曰く、「吾戊に縣を與ふ。人其れ我を以って黨すと為さんか」と。對へて曰く、「何ぞや。戊の人と為りや、遠くして君を忘れず、近くして同じきを偪(せま)らず、利に居りて義を思ひ、約に在りて純を思ひ、守心有りて淫行無し。
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『春秋左氏伝』宣公十六年 民の多幸は国の不幸十六年春、晉の士會師を帥ゐて赤狄の甲氏及び留吁・鐸辰を滅ぼす。三月、狄の俘を獻ず。晉侯王に請ひ、戊申、黻冕を以て士會に命じて中軍に將とし、且つ大傅と為す。是に於て晉國の盜、逃れて秦に奔る。羊舌職曰く、「吾之を聞く、禹善人を稱げて、不善人遠ざかると。此の謂なり。夫れ詩に曰く、『戰戰兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し』と。善人上に在るなり。善人上に在れば、則ち國に幸民無し。諺に曰く、『民の幸多きは、國の不幸なり』と。是れ善人無きの謂なり」と。夏、成周の宣榭火あり、人之に火するなり。凡そ火は、人火を火と曰ひ、天火を災と曰ふ。秋、郯の伯姬來り歸る、出されたるなり。毛・召の難の故の為に、王室復た亂る。王孫蘇晉に奔る、晉人之を復す。冬、晉侯士會をして王室を平がしむ。定王之を享し、原襄公禮を相く。殽烝す。武子私かに其の故を問ふ。王之を聞き、武子を召して曰く、「季氏、而聞かざるか。王の享には體薦有り、宴には折俎有り。公は享に當り、卿は宴に當る、王室の禮なり」と。武子歸りて典禮を講求し、以て晉國の法を脩む。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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