史記 / 淮陰侯列伝
廣武君對曰:『方今爲將軍計,莫如案甲休兵,鎮趙撫其孤,百里之內,牛酒日至,以饗士大夫醳兵,北首燕路,而後遣辯士奉咫尺之書,暴其所長於燕,燕必不敢不聽從。燕已從,使諠言者東告齊,齊必從風而服,雖有智者,亦不知爲齊計矣。如是,則天下事皆可圖也。兵固有先聲而後實者,此之謂也。』韓信曰:『善。』從其策,發使使燕,燕從風而靡。乃遣使報漢,因請立張耳爲趙王,以鎮撫其國。漢王許之,乃立張耳爲趙王。楚數使奇兵渡河擊趙,趙王耳、韓信往來救趙,因行定趙城邑,發兵詣漢。楚方急圍漢王於滎陽,漢王南出,之宛、葉閒,得黥布,走入成皋,楚又復急圍之。六月,漢王出成皋,東渡河,獨與滕公俱,從張耳軍修武。至,宿傳舍。晨自稱漢使,馳入趙壁。張耳、韓信未起,即其臥內上奪其印符,以麾召諸將,易置之。信、耳起,乃知漢王來,大驚。漢王奪兩人軍,即令張耳備守趙地。拜韓信爲相國,收趙兵未發者擊齊。信引兵東,未渡平原,聞漢王使酈食其已說下齊,韓信欲止。范陽辯士蒯通說信曰:『將軍受詔擊齊,而漢獨發閒使下齊,寧有詔止將軍乎?何以得毋行也!
新字:広武君対曰:『方今為将軍計,莫如案甲休兵,鎮趙撫其孤,百里之内,牛酒日至,以饗士大夫醳兵,北首燕路,而後遣弁士奉咫尺之書,暴其所長於燕,燕必不敢不聴従。燕已従,使諠言者東告斉,斉必従風而服,雖有智者,亦不知為斉計矣。如是,則天下事皆可図也。兵固有先声而後実者,此之謂也。』韓信曰:『善。』従其策,発使使燕,燕従風而靡。乃遣使報漢,因請立張耳為趙王,以鎮撫其国。漢王許之,乃立張耳為趙王。楚数使奇兵渡河撃趙,趙王耳、韓信往来救趙,因行定趙城邑,発兵詣漢。楚方急囲漢王於滎陽,漢王南出,之宛、葉閒,得黥布,走入成皋,楚又復急囲之。六月,漢王出成皋,東渡河,独与滕公倶,従張耳軍修武。至,宿伝舎。晨自称漢使,馳入趙壁。張耳、韓信未起,即其臥内上奪其印符,以麾召諸将,易置之。信、耳起,乃知漢王来,大驚。漢王奪両人軍,即令張耳備守趙地。拝韓信為相国,収趙兵未発者撃斉。信引兵東,未渡平原,聞漢王使酈食其已説下斉,韓信欲止。范陽弁士蒯通説信曰:『将軍受詔撃斉,而漢独発閒使下斉,寧有詔止将軍乎?何以得毋行也!
書き下し
広武君対へて曰く、「方今将軍の為に計るに、甲を案じ兵を休め、趙を鎮めて其の孤を撫し、百里の内、牛酒日に至り、以て士大夫を饗し兵を醳ひ、燕の路に北首し、而る後に弁士を遣はして咫尺の書を奉じ、其の長ずる所を燕に暴さしむるに如くは莫し。燕必ず敢へて聴従せずんばあらず。燕已に従はば、諠言する者をして東のかた斉に告げしめば、斉必ず風に従ひて服せん。智者有りと雖も、亦斉の為に計るを知らざらん。是くの如くんば、則ち天下の事皆図るべきなり。兵には固より声を先にして実を後にする者有り。此の謂なり」と。韓信曰く、「善し」と。其の策に従ひ、使を発して燕に使はしむ。燕風に従ひて靡く。乃ち使を遣はして漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を鎮撫せんことを請ふ。漢王之を許し、乃ち張耳を立てて趙王と為す。楚数しば奇兵をして河を渡りて趙を撃たしむ。趙王耳・韓信往来して趙を救ひ、因りて行きて趙の城邑を定め、兵を発して漢に詣らしむ。楚方に急に漢王を滎陽に囲む。漢王南に出で、宛・葉の間に之き、黥布を得て、走りて成皋に入る。楚又復た急に之を囲む。六月、漢王成皋を出で、東のかた河を渡り、独り滕公と倶にし、張耳の軍に修武に従ふ。至りて、伝舎に宿す。晨に自ら漢使と称し、馳せて趙の壁に入る。張耳・韓信未だ起きず。即ち其の臥内に上りて其の印符を奪ひ、麾を以て諸将を召し、易へて之を置く。信・耳起きて、乃ち漢王の来たるを知り、大いに驚く。漢王両人の軍を奪ひ、即ち張耳をして趙の地を備守せしむ。韓信を拝して相国と為し、趙の兵の未だ発せざる者を収めて斉を撃たしむ。信兵を引きて東し、未だ平原を渡らざるに、漢王酈食其をして已に斉を説き下さしむと聞き、韓信止まらんと欲す。范陽の弁士蒯通信に説きて曰く、「将軍詔を受けて斉を撃つ。而るに漢独り間使を発して斉を下す。寧ぞ詔有りて将軍を止めんや。何を以て行く毋きを得んや。
現代語訳
広武君は答えた。「いま将軍のために計るなら、鎧を収め兵を休ませ、趙を鎮めてその遺児たちを慰撫し、百里四方から牛や酒が毎日届くようにして将兵をもてなし兵を休め、燕への道に北向きに構えを見せ、そのうえで弁舌の士を遣わして短い書状を届けさせ、将軍の強みを燕に見せつけるに越したことはありません。燕は必ず従わずにはいられません。燕が従ったら、口のうまい者を東の斉にやって告げさせれば、斉も必ず風になびくように服従するでしょう。たとえ知恵者がいても、斉のために策を立てようがありません。こうすれば、天下のことは皆図ることができる。兵には、まず声威を先に立て、実力を後にする場合がある、というのはこのことです」。韓信は「よろしい」と言った。その策に従って燕へ使者を送ると、燕は風になびくように従った。そこで使者を漢に送って報告し、あわせて張耳を趙王に立てて国を鎮め治めさせたいと願い出た。漢王はこれを許し、張耳を趙王に立てた。楚はたびたび奇襲部隊に黄河を渡らせて趙を攻めた。趙王張耳と韓信は行き来して趙を救い、その途上で趙の城邑を平定し、兵を送って漢王のもとへ向かわせた。楚はちょうど漢王を滎陽で激しく包囲していた。漢王は南へ脱出して宛・葉の間に行き、黥布を味方に得て、成皋に逃げ込んだが、楚はまたしても激しくこれを包囲した。六月、漢王は成皋を出て、東へ黄河を渡り、滕公ただ一人を連れて、修武にいる張耳の軍のもとへ行った。到着して宿駅に泊まった。夜明けに自ら漢の使者と名乗って趙の陣営に馬で乗り込んだ。張耳と韓信はまだ起きていなかった。漢王はそのまま寝室に上がって二人の印と割符を奪い、指揮旗で諸将を呼び集めて、配置を入れ替えた。韓信と張耳は起きてはじめて漢王が来たことを知り、大いに驚いた。漢王は二人の軍を取り上げ、張耳には趙の地を守らせた。韓信は相国に任じ、趙の兵でまだ出動していない者を集めて斉を攻めさせた。韓信は兵を率いて東へ進んだが、まだ平原の渡しを渡らないうちに、漢王が酈食其を使ってすでに斉を説き伏せ降伏させたと聞き、進軍を止めようとした。范陽の弁舌の士蒯通が韓信に説いた。「将軍は詔を受けて斉を攻めている。ところが漢は別に密使を出して斉を降しただけである。将軍を止めよとの詔があったでしょうか。どうして進まずにいられましょう。
解説
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『長短経』覇図韓信と張耳と、兵数万を以て、東のかた井陘を下りて趙を撃ち、之を破る。乃ち漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を撫せんことを請う。漢王、之に従う。〈初め、趙王と成安君陳余と、漢の且に之を襲わんとするを聞き、兵を井陘口に聚む。広武君李左車、説きて曰く「聞く、漢将韓信、西河を渉り、魏王を虜にし、夏悦を擒にし、新たに閼与に喋血す、と。今、乃ち輔くるに張耳を以てし、議して趙を下さんと欲す。此れ勝ちに乗じて国を去り遠く闘う。其の鋒、当たる可からず。臣聞く、千里に糧を餽れば、士に飢色有り。樵蘇して後に爨げば、師は宿として飽かず、と。今、井陘の道は、車は軌を方ぶるを得ず、騎は列を成すを得ず。行くこと数百里、其の勢い糧食は必ず後に在らん。願わくは足下、臣に奇兵三万人を仮し、間道より出でて、其の輜重を絶たしめよ。足下は溝を深くし塁を高くし、営を堅くして与に戦う勿かれ。前は闘うを得ず、退くは還るを得ざらしむ。吾が奇兵、其の後を絶たば、野に掠鹵する所無し。十日に至らずして、両将の首、戯下に致す可し。願わくは足下、臣の計に意を留めよ。否ずんば、必ず二子の禽とする所と為らん」と。成安君、広武君に聴かず。広武君の策、用いられず。
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史記 高祖本紀漢王酈生をして往きて斉王田広に説かしむ、広楚に叛き、漢と和し、共に項羽を撃たんとす。韓信蒯通の計を用ゐ、遂に襲ひて斉を破る。斉王酈生を烹、東のかた高密に走る。項羽韓信已に河北の兵を挙げて斉・趙を破り、且に楚を撃たんと欲すと聞き、則ち龍且・周蘭をして往きて之を撃たしむ。韓信与に戦ふ、騎将灌嬰撃ちて、大いに楚の軍を破り、龍且を殺す。斉王広彭越に奔る。此の時に当たりて、彭越兵を将ゐて梁の地に居り、往来して楚の兵を苦しめ、其の糧食を絶つ。四年、項羽乃ち海春侯大司馬曹咎に謂ひて曰く、「謹みて成皋を守れ。若し漢挑戦すとも、慎みて与に戦ふ勿かれ、東するを得しむる無きのみ。我十五日にして必ず梁の地を定め、復た将軍に従はん。」と。乃ち行きて陳留・外黄・睢陽を撃ち、之を下す。漢果たして数(しばしば)楚の軍に挑む、楚の軍出でず、人をして之を辱めしむること五六日、大司馬怒り、兵を汜水に度す。士卒半ば渡る、漢之を撃ち、大いに楚の軍を破り、尽く楚国の金玉貨賂を得たり。大司馬咎・長史欣皆汜水の上に自剄す。項羽睢陽に至り、海春侯の破るるを聞き、乃ち兵を引きて還る。漢の軍方に鍾離眛を滎陽の東に囲む、項羽至る、尽く険阻に走る。韓信已に斉を破り、人をして言はしめて曰く、「斉は楚に辺し、権軽し、仮王と為らずんば、恐らくは斉を安んずる能はざらん。」と。漢王之を攻めんと欲す。留侯曰く、「因りて之を立て、自ら守りを為さしむるに如かず。」と。乃ち張良を遣はして印綬を操りて韓信を立てて斉王と為す。項羽龍且の軍の破るるを聞き、則ち恐れ、盱台の人武渉をして往きて韓信に説かしむ。韓信聴かず。楚漢久しく相持して未だ決せず、丁壮は軍旅に苦しみ、老弱は転饟に罷る。漢王・項羽相与に広武の間に臨みて語る。項羽漢王と独身にて挑戦せんと欲す。
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