史記 / 淮陰侯列伝
於是信問廣武君曰:『仆欲北攻燕,東伐齊,何若而有功?』廣武君辭謝曰:『臣聞敗軍之將,不可以言勇,亡國之大夫,不可以圖存。今臣敗亡之虜,何足以權大事乎!』信曰:『仆聞之,百里奚居虞而虞亡,在秦而秦霸,非愚於虞而智於秦也,用與不用,聽與不聽也。誠令成安君聽足下計,若信者亦已爲禽矣。以不用足下,故信得侍耳。』因固問曰:『仆委心歸計,願足下勿辭。』廣武君曰:『臣聞智者千慮,必有一失;愚者千慮,必有一得。故曰「狂夫之言,聖人擇焉」。顧恐臣計未必足用,願效愚忠。夫成安君有百戰百勝之計,一旦而失之,軍敗鄗下,身死泜上。今將軍涉西河,虜魏王,禽夏說閼與,一舉而下井陘,不終朝破趙二十萬眾,誅成安君。名聞海內,威震天下,農夫莫不輟耕釋耒,褕衣甘食,傾耳以待命者。若此,將軍之所長也。然而眾勞卒罷,其實難用。今將軍欲舉倦獘之兵,頓之燕堅城之下,欲戰恐久力不能拔,情見勢屈,曠日糧竭,而弱燕不服,齊必距境以自彊也。燕齊相持而不下,則劉項之權未有所分也。若此者,將軍所短也。臣愚,竊以爲亦過矣。故善用兵者不以短擊長,而以長擊短。』韓信曰:『然則何由?』
新字:於是信問広武君曰:『仆欲北攻燕,東伐斉,何若而有功?』広武君辞謝曰:『臣聞敗軍之将,不可以言勇,亡国之大夫,不可以図存。今臣敗亡之虜,何足以権大事乎!』信曰:『仆聞之,百里奚居虞而虞亡,在秦而秦覇,非愚於虞而智於秦也,用与不用,聴与不聴也。誠令成安君聴足下計,若信者亦已為禽矣。以不用足下,故信得侍耳。』因固問曰:『仆委心帰計,願足下勿辞。』広武君曰:『臣聞智者千慮,必有一失;愚者千慮,必有一得。故曰「狂夫之言,聖人択焉」。顧恐臣計未必足用,願効愚忠。夫成安君有百戦百勝之計,一旦而失之,軍敗鄗下,身死泜上。今将軍渉西河,虜魏王,禽夏説閼与,一舉而下井陘,不終朝破趙二十万衆,誅成安君。名聞海内,威震天下,農夫莫不輟耕釈耒,褕衣甘食,傾耳以待命者。若此,将軍之所長也。然而衆労卒罷,其実難用。今将軍欲舉倦獘之兵,頓之燕堅城之下,欲戦恐久力不能抜,情見勢屈,曠日糧竭,而弱燕不服,斉必距境以自彊也。燕斉相持而不下,則劉項之権未有所分也。若此者,将軍所短也。臣愚,窃以為亦過矣。故善用兵者不以短撃長,而以長撃短。』韓信曰:『然則何由?』
書き下し
是に於て信広武君に問ひて曰く、「僕北のかた燕を攻め、東のかた斉を伐たんと欲す。何若にして功有らん」と。広武君辞謝して曰く、「臣聞く、敗軍の将は、以て勇を言ふべからず。亡国の大夫は、以て存を図るべからずと。今臣は敗亡の虜なり。何ぞ以て大事を権るに足らんや」と。信曰く、「僕之を聞く、百里奚虞に居りて虞亡び、秦に在りて秦覇たり。虞に愚にして秦に智なるに非ざるなり。用ゐると用ゐざると、聴くと聴かざるとなりと。誠に成安君をして足下の計を聴かしめば、信の若き者も亦已に禽と為らん。足下を用ゐざるを以ての故に、信侍するを得たるのみ」と。因りて固く問ひて曰く、「僕心を委ねて計に帰す。願はくは足下辞する勿かれ」と。広武君曰く、「臣聞く、智者も千慮に必ず一失有り、愚者も千慮に必ず一得有りと。故に曰く『狂夫の言も、聖人択ぶ』と。顧ふに恐らくは臣の計未だ必ずしも用ゐるに足らざらん。願はくは愚忠を效さん。夫れ成安君は百戦百勝の計有るも、一旦にして之を失ひ、軍は鄗下に敗れ、身は泜上に死す。今将軍西河を渉り、魏王を虜にし、夏説を閼与に禽にし、一挙にして井陘を下り、朝を終へずして趙の二十万の衆を破り、成安君を誅す。名は海内に聞こえ、威は天下を震はし、農夫も耕を輟め耒を釈て、衣を褕にし食を甘くし、耳を傾けて以て命を待たざる者莫し。此くの若きは、将軍の長ずる所なり。然り而して衆労し卒罷れ、其の実用ゐ難し。今将軍倦獘の兵を挙げて、之を燕の堅城の下に頓め、戦はんと欲するも恐らくは久しくして力抜くこと能はず、情見はれ勢屈し、日を曠しくして糧竭き、而して弱燕服せずんば、斉必ず境を距ぎて以て自ら彊めん。燕斉相持して下らずんば、則ち劉項の権未だ分かるる所有らざるなり。此くの若き者は、将軍の短なる所なり。臣愚にして、窃かに以為へらく亦過てりと。故に善く兵を用ゐる者は短を以て長を撃たずして、長を以て短を撃つ」と。韓信曰く、「然らば則ち何に由らん」と。
現代語訳
そこで韓信は広武君に問うた。「私は北の燕を攻め、東の斉を討とうと思う。どうすれば成功するだろうか」。広武君は辞退して言った。「敗軍の将は勇を語るべきではなく、亡国の大夫は国の存続を図るべきではない、と聞いている。いま私は敗れて滅んだ国の捕虜である。どうして大事を論じる資格がありましょう」。韓信は言った。「私はこう聞いている。百里奚は虞にいたときは虞が滅び、秦にいたときは秦が覇者となった。虞では愚かで秦では賢かったのではない。用いられたか用いられなかったか、聴かれたか聴かれなかったかの違いだ、と。もし成安君があなたの策を聴いていたら、私のような者はとうに捕虜になっていた。あなたを用いなかったからこそ、私はこうしてお側にいられるのだ」。そしてさらに強く求めた。「私は心を委ねてあなたの計に従うつもりだ。どうか辞退しないでほしい」。広武君は言った。「知者も千回考えれば必ず一度は失敗があり、愚者も千回考えれば必ず一度は得るところがある、と聞く。だから『狂人の言葉でも、聖人は選び取る』と言うのである。私の計がお役に立つかどうかわかりませんが、愚かな忠誠を尽くさせていただこう。成安君は百戦百勝の計を持ちながら、一朝にしてそれを失い、軍は鄗の城下で敗れ、身は泜水のほとりで死にました。いま将軍は西河を渡り、魏王を捕虜にし、夏説を閼与で捕らえ、一挙に井陘を下って、朝のうちに趙の二十万の軍を破り、成安君を誅しました。名声は国中に聞こえ、威光は天下を震わせ、農民も耕作をやめ鋤を置き、良い着物を着てうまいものを食べ、耳をそばだてて将軍の命令を待たない者はありません。これが将軍の長所である。しかし兵は疲れ切っており、実際には使いにくい。いま将軍が疲弊した兵を率いて燕の堅固な城の下に留まり、戦おうとしても、長引いて攻め落とせず、内情が見透かされ勢いがくじけ、日数を費やして兵糧が尽き、弱い燕すら屈服しなければ、斉は必ず国境を固めて守りを強めるでしょう。燕と斉がにらみ合って降らなければ、劉邦と項羽の優劣はまだ決着しません。これが将軍の短所である。愚見ながら、それは誤りだと存ずる。だから兵をよく用いる者は、短所で相手の長所を撃たず、長所で相手の短所を撃つのです」。韓信は言った。「では、どうすればよいのか」。
解説
関連する章句
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『長短経』覇図広武君曰く「臣聞く、智者も千慮に、必ず一失有り。愚者も千慮に、必ず一得有り、と。故に曰く『狂夫の言、聖人は焉を択ぶ』と。顧うに恐らくは臣の計、未だ必ずしも用うるに足らず。愚忠を効さんことを願う。夫れ成安君には百戦百勝の計有り。一旦にして之を失い、軍は鄗下に破れ、身は泜上に死す。今、将軍は西河を渉り、魏王を虜にし、夏悦を閼与に禽にし、一挙にして井陘を下し、朝を終えずして趙の二十万の衆を破り、成安君を誅し、名は海内に聞こえ、威は天下を震わす。農夫は耕を輟め耒を釈かざるは莫く、工女は機を下り、衣を褕し食を甘くし、耳を傾けて以て命を待つ。此くの若き者は、将軍の長ずる所なり。
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『長短経』覇図信、之を聞き知り、大いに喜び、乃ち軍を進めて趙を撃ち、之を破る。趙の破るるや、韓信、軍中に令して広武君を殺す無からしめ、能く生け得る者有らば、千金を購わんとす。是に於て広武君を縛りて戯下に致す者有り。信乃ち其の縛を解き、師として之に事う。問いて曰く「僕、北のかた燕を攻め、南のかた斉を伐たんと欲す。何若くして功有らん」と。広武君、辞謝して曰く「臣聞く、敗軍の将は、与に勇を言う可からず、亡国の大夫は、与に存を図る可からず、と。今、臣は敗亡の虜なり。何ぞ以て大事に権るに足らんや」と。信曰く「僕聞く、百里奚は虞に居りて虞亡び、秦に在りて秦伯たり、と。虞に愚にして秦に智なるに非ず。聴くを用うると聴くを用いざるとなり。試みに成安君をして足下の計を聴かしめば、信の若き者も亦た擒と為らん。僕、心を委ねて計に帰す。願わくは足下、辞する勿かれ」と。
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『長短経』覇図然り而して衆は労し卒は疲る。其の実は用い難し。今、将軍、倦弊の兵を挙げて、燕の堅城の下に頓せんと欲す。戦わんと欲すれば恐らくは得ず、城を攻むれば抜く能わず、情は見れ勢いは屈し、日を曠しくして糧は竭きん。而して弱燕服せずんば、斉必ず境に距りて以て自ら強くせん。燕・斉相い持して下す可からずんば、劉・項の権、未だ分かるる所有らざるなり。此くの若き者は、将軍の短なり。臣愚かに、竊かに以て過てりと為す。故に善く兵を用うる者は、短を以て長を撃たず、而して長を以て短を撃つ」と。韓信曰く「然らば則ち何に由らん」と。広武君曰く「方今、将軍の為に計るに、甲を按じ兵を休め、以て趙を鎮め、其の孤弱を撫し、百里の内、牛酒日に至りて、以て士大夫を饗し、兵を醳し、北のかた燕路に首するに如くは莫し。而る後に弁士を遣わし、咫尺の書を奉じ、長ずる所を燕に暴さば、燕必ず敢えて聴かざらず。燕已に従わば、諠言する者をして東のかた斉に告げしめば、斉必ず風に従いて服せん。智者有りと雖も、亦た斉の為に計るを知らざらん。是くの如くんば、則ち天下の事図る可きなり。兵に固より先声して後実なる者有り。此れ之を謂うなり」と。韓信曰く「善し」と。其の策に従い、使いを燕・斉に発し、風に従いて靡くなり。〉
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史記 淮陰侯列伝後九月、代の兵を破り、夏説を閼与に禽にす。信の魏を下し代を破るや、漢輒ち人をして其の精兵を収めしめ、滎陽に詣りて以て楚を距がしむ。信張耳と兵数万を以て、東のかた井陘を下りて趙を撃たんと欲す。趙王・成安君陳余漢の且に之を襲はんとするを聞き、兵を井陘口に聚め、二十万と号す。広武君李左車成安君に説きて曰く、「聞く漢将韓信西河を渉り、魏王を虜にし、夏説を禽にし、新たに閼与に喋血し、今乃ち輔くるに張耳を以てし、議して趙を下さんと欲すと。此れ勝に乗じて国を去ること遠く闘ふ。其の鋒当たるべからず。臣聞く、千里糧を餽れば、士に飢色有り、樵蘇して後に爨げば、師宿飽せずと。今井陘の道は、車方軌するを得ず、騎列を成すを得ず、行くこと数百里、其の勢ひ糧食必ず其の後に在り。願はくは足下臣に奇兵三万人を仮せ。間道より其の輜重を絶たん。足下は溝を深くし塁を高くし、営を堅くして与に戦ふ勿かれ。彼前むも闘ふを得ず、退くも還るを得ず、吾が奇兵其の後を絶ち、野をして掠むる所無からしめば、十日に至らずして、両将の頭戯下に致すべし。願はくは君臣の計に留意せよ。否ずんば、必ず二子の禽とする所と為らん」と。成安君は儒者なり。常に義兵は詐謀奇計を用ゐずと称し、曰く、「吾聞く兵法に十なれば則ち之を囲み、倍なれば則ち戦ふと。今韓信の兵数万と号するも、其の実は数千に過ぎず。能く千里にして我を襲ふも、亦已に罷極せり。今此くの如くして避けて撃たずんば、後に大なる者有らば、何を以て之に加へん。則ち諸侯吾を怯と謂ひて、軽んじて来りて我を伐たん」と。広武君の策を聴かず。広武君の策用ゐられず。韓信人をして間視せしめ、其の用ゐられざるを知りて還報すれば、則ち大いに喜び、乃ち敢へて兵を引きて遂に下る。未だ井陘口に至らざること三十里にして、止まりて舎す。
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『長短経』覇図韓信と張耳と、兵数万を以て、東のかた井陘を下りて趙を撃ち、之を破る。乃ち漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を撫せんことを請う。漢王、之に従う。〈初め、趙王と成安君陳余と、漢の且に之を襲わんとするを聞き、兵を井陘口に聚む。広武君李左車、説きて曰く「聞く、漢将韓信、西河を渉り、魏王を虜にし、夏悦を擒にし、新たに閼与に喋血す、と。今、乃ち輔くるに張耳を以てし、議して趙を下さんと欲す。此れ勝ちに乗じて国を去り遠く闘う。其の鋒、当たる可からず。臣聞く、千里に糧を餽れば、士に飢色有り。樵蘇して後に爨げば、師は宿として飽かず、と。今、井陘の道は、車は軌を方ぶるを得ず、騎は列を成すを得ず。行くこと数百里、其の勢い糧食は必ず後に在らん。願わくは足下、臣に奇兵三万人を仮し、間道より出でて、其の輜重を絶たしめよ。足下は溝を深くし塁を高くし、営を堅くして与に戦う勿かれ。前は闘うを得ず、退くは還るを得ざらしむ。吾が奇兵、其の後を絶たば、野に掠鹵する所無し。十日に至らずして、両将の首、戯下に致す可し。願わくは足下、臣の計に意を留めよ。否ずんば、必ず二子の禽とする所と為らん」と。成安君、広武君に聴かず。広武君の策、用いられず。
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史記 淮陰侯列伝広武君対へて曰く、「方今将軍の為に計るに、甲を案じ兵を休め、趙を鎮めて其の孤を撫し、百里の内、牛酒日に至り、以て士大夫を饗し兵を醳ひ、燕の路に北首し、而る後に弁士を遣はして咫尺の書を奉じ、其の長ずる所を燕に暴さしむるに如くは莫し。燕必ず敢へて聴従せずんばあらず。燕已に従はば、諠言する者をして東のかた斉に告げしめば、斉必ず風に従ひて服せん。智者有りと雖も、亦斉の為に計るを知らざらん。是くの如くんば、則ち天下の事皆図るべきなり。兵には固より声を先にして実を後にする者有り。此の謂なり」と。韓信曰く、「善し」と。其の策に従ひ、使を発して燕に使はしむ。燕風に従ひて靡く。乃ち使を遣はして漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を鎮撫せんことを請ふ。漢王之を許し、乃ち張耳を立てて趙王と為す。楚数しば奇兵をして河を渡りて趙を撃たしむ。趙王耳・韓信往来して趙を救ひ、因りて行きて趙の城邑を定め、兵を発して漢に詣らしむ。楚方に急に漢王を滎陽に囲む。漢王南に出で、宛・葉の間に之き、黥布を得て、走りて成皋に入る。楚又復た急に之を囲む。六月、漢王成皋を出で、東のかた河を渡り、独り滕公と倶にし、張耳の軍に修武に従ふ。至りて、伝舎に宿す。晨に自ら漢使と称し、馳せて趙の壁に入る。張耳・韓信未だ起きず。即ち其の臥内に上りて其の印符を奪ひ、麾を以て諸将を召し、易へて之を置く。信・耳起きて、乃ち漢王の来たるを知り、大いに驚く。漢王両人の軍を奪ひ、即ち張耳をして趙の地を備守せしむ。韓信を拝して相国と為し、趙の兵の未だ発せざる者を収めて斉を撃たしむ。信兵を引きて東し、未だ平原を渡らざるに、漢王酈食其をして已に斉を説き下さしむと聞き、韓信止まらんと欲す。范陽の弁士蒯通信に説きて曰く、「将軍詔を受けて斉を撃つ。而るに漢独り間使を発して斉を下す。寧ぞ詔有りて将軍を止めんや。何を以て行く毋きを得んや。
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