史記 / 淮陰侯列伝
後九月,破代兵,禽夏說閼與。信之下魏破代,漢輒使人收其精兵,詣滎陽以距楚。信與張耳以兵數萬,欲東下井陘擊趙。趙王、成安君陳餘聞漢且襲之也,聚兵井陘口,號稱二十萬。廣武君李左車說成安君曰:『聞漢將韓信涉西河,虜魏王,禽夏說,新喋血閼與,今乃輔以張耳,議欲下趙,此乘勝而去國遠鬬,其鋒不可當。臣聞千里餽糧,士有飢色,樵蘇後爨,師不宿飽。今井陘之道,車不得方軌,騎不得成列,行數百里,其勢糧食必在其後。願足下假臣奇兵三萬人,從閒道絕其輜重;足下深溝髙壘,堅營勿與戰。彼前不得鬬,退不得還,吾奇兵絕其後,使野無所掠,不至十日,而兩將之頭可致於戲下。願君留意臣之計。否,必爲二子所禽矣。』成安君,儒者也,常稱義兵不用詐謀奇計,曰:『吾聞兵法十則圍之,倍則戰。今韓信兵號數萬,其實不過數千。能千里而襲我,亦已罷極。今如此避而不擊,後有大者,何以加之!則諸侯謂吾怯,而輕來伐我。』不聽廣武君策,廣武君策不用。韓信使人閒視,知其不用,還報,則大喜,乃敢引兵遂下。未至井陘口三十里,止舍。
新字:後九月,破代兵,禽夏説閼与。信之下魏破代,漢輒使人収其精兵,詣滎陽以距楚。信与張耳以兵数万,欲東下井陘撃趙。趙王、成安君陳余聞漢且襲之也,聚兵井陘口,号称二十万。広武君李左車説成安君曰:『聞漢将韓信渉西河,虜魏王,禽夏説,新喋血閼与,今乃輔以張耳,議欲下趙,此乗勝而去国遠闘,其鋒不可当。臣聞千里餽糧,士有飢色,樵蘇後爨,師不宿飽。今井陘之道,車不得方軌,騎不得成列,行数百里,其勢糧食必在其後。願足下仮臣奇兵三万人,従閒道絶其輜重;足下深溝高塁,堅営勿与戦。彼前不得闘,退不得還,吾奇兵絶其後,使野無所掠,不至十日,而両将之頭可致於戯下。願君留意臣之計。否,必為二子所禽矣。』成安君,儒者也,常称義兵不用詐謀奇計,曰:『吾聞兵法十則囲之,倍則戦。今韓信兵号数万,其実不過数千。能千里而襲我,亦已罷極。今如此避而不撃,後有大者,何以加之!則諸侯謂吾怯,而軽来伐我。』不聴広武君策,広武君策不用。韓信使人閒視,知其不用,還報,則大喜,乃敢引兵遂下。未至井陘口三十里,止舎。
書き下し
後九月、代の兵を破り、夏説を閼与に禽にす。信の魏を下し代を破るや、漢輒ち人をして其の精兵を収めしめ、滎陽に詣りて以て楚を距がしむ。信張耳と兵数万を以て、東のかた井陘を下りて趙を撃たんと欲す。趙王・成安君陳余漢の且に之を襲はんとするを聞き、兵を井陘口に聚め、二十万と号す。広武君李左車成安君に説きて曰く、「聞く漢将韓信西河を渉り、魏王を虜にし、夏説を禽にし、新たに閼与に喋血し、今乃ち輔くるに張耳を以てし、議して趙を下さんと欲すと。此れ勝に乗じて国を去ること遠く闘ふ。其の鋒当たるべからず。臣聞く、千里糧を餽れば、士に飢色有り、樵蘇して後に爨げば、師宿飽せずと。今井陘の道は、車方軌するを得ず、騎列を成すを得ず、行くこと数百里、其の勢ひ糧食必ず其の後に在り。願はくは足下臣に奇兵三万人を仮せ。間道より其の輜重を絶たん。足下は溝を深くし塁を高くし、営を堅くして与に戦ふ勿かれ。彼前むも闘ふを得ず、退くも還るを得ず、吾が奇兵其の後を絶ち、野をして掠むる所無からしめば、十日に至らずして、両将の頭戯下に致すべし。願はくは君臣の計に留意せよ。否ずんば、必ず二子の禽とする所と為らん」と。成安君は儒者なり。常に義兵は詐謀奇計を用ゐずと称し、曰く、「吾聞く兵法に十なれば則ち之を囲み、倍なれば則ち戦ふと。今韓信の兵数万と号するも、其の実は数千に過ぎず。能く千里にして我を襲ふも、亦已に罷極せり。今此くの如くして避けて撃たずんば、後に大なる者有らば、何を以て之に加へん。則ち諸侯吾を怯と謂ひて、軽んじて来りて我を伐たん」と。広武君の策を聴かず。広武君の策用ゐられず。韓信人をして間視せしめ、其の用ゐられざるを知りて還報すれば、則ち大いに喜び、乃ち敢へて兵を引きて遂に下る。未だ井陘口に至らざること三十里にして、止まりて舎す。
現代語訳
閏九月、代の兵を破り、代の宰相夏説を閼与で捕らえた。韓信が魏を下し代を破るたびに、漢はすぐに使者を送ってその精兵を引き抜き、滎陽に向かわせて楚を防がせた。韓信は張耳とともに数万の兵で、東へ井陘(太行山の峠道)を下って趙を攻めようとした。趙王(趙歇)と成安君陳余は、漢が攻めて来ると聞いて、井陘の出口に兵を集め、二十万と号した。広武君李左車が成安君に説いた。「聞けば漢の将韓信は西河を渡り、魏王を捕虜にし、夏説を捕らえ、閼与で血を流したばかりで、いま張耳を補佐につけて趙を下そうと相談しているとのこと。これは勝ちに乗じて本国を遠く離れて戦う軍で、その鋭鋒には当たれません。私はこう聞いている。千里も糧食を運べば兵士は飢えた顔になり、薪や草を刈ってから飯を炊くようでは軍は満腹で眠れない、と。いま井陘の道は、車は二台並んで通れず、騎兵は隊列を組めません。数百里も進めば、その態勢からして糧食は必ず後ろにある。どうか私に奇襲部隊三万人をお貸しください。間道から敵の輜重(補給部隊)を断ちましょう。あなたは堀を深くし塁を高くし、陣営を固めて戦わないでください。敵は前に進んでも戦えず、退いても帰れず、我が奇襲部隊がその後ろを断ち、野に略奪するものも無くさせれば、十日もたたないうちに、二人の将の首を旗本の下に届けてみせよう。どうかこの策に心を留めてください。さもなければ、必ずあの二人の捕虜になってしまうでしょう」。成安君は儒者で、つねづね正義の軍は詐謀や奇策を用いないと唱えており、こう言った。「兵法では、十倍なら包囲し、二倍なら戦う、と聞いている。いま韓信の兵は数万と号しているが、実際は数千にすぎない。千里を越えて我々を襲おうとしても、すでに疲れ果てている。いまこんな相手を避けて撃たないなら、のちにもっと大きな敵が来たとき、どう対処するのか。諸侯は我々を臆病者と言って、侮って攻めて来るだろう」。こうして広武君の策を聴かず、広武君の策は用いられなかった。韓信は人を遣って密かに探らせ、策が用いられなかったことを知ると大いに喜び、そこで思い切って兵を率いて峠を下った。井陘の出口の三十里手前で、止まって宿営した。
解説
関連する章句
-
『長短経』覇図韓信と張耳と、兵数万を以て、東のかた井陘を下りて趙を撃ち、之を破る。乃ち漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を撫せんことを請う。漢王、之に従う。〈初め、趙王と成安君陳余と、漢の且に之を襲わんとするを聞き、兵を井陘口に聚む。広武君李左車、説きて曰く「聞く、漢将韓信、西河を渉り、魏王を虜にし、夏悦を擒にし、新たに閼与に喋血す、と。今、乃ち輔くるに張耳を以てし、議して趙を下さんと欲す。此れ勝ちに乗じて国を去り遠く闘う。其の鋒、当たる可からず。臣聞く、千里に糧を餽れば、士に飢色有り。樵蘇して後に爨げば、師は宿として飽かず、と。今、井陘の道は、車は軌を方ぶるを得ず、騎は列を成すを得ず。行くこと数百里、其の勢い糧食は必ず後に在らん。願わくは足下、臣に奇兵三万人を仮し、間道より出でて、其の輜重を絶たしめよ。足下は溝を深くし塁を高くし、営を堅くして与に戦う勿かれ。前は闘うを得ず、退くは還るを得ざらしむ。吾が奇兵、其の後を絶たば、野に掠鹵する所無し。十日に至らずして、両将の首、戯下に致す可し。願わくは足下、臣の計に意を留めよ。否ずんば、必ず二子の禽とする所と為らん」と。成安君、広武君に聴かず。広武君の策、用いられず。
-
史記 淮陰侯列伝夜半に伝発し、軽騎二千人を選び、人ごとに一赤幟を持たしめ、間道より山に萆れて趙の軍を望ましめ、誡めて曰く、「趙我が走るを見ば、必ず壁を空しくして我を逐はん。若疾く趙の壁に入り、趙の幟を抜きて、漢の赤幟を立てよ」と。其の裨将をして飱を伝へしめ、曰く、「今日趙を破りて会食せん」と。諸将皆信ずる莫く、詳りて応へて曰く、「諾」と。軍吏に謂ひて曰く、「趙已に先づ便地に拠りて壁を為す。且つ彼未だ吾が大将の旗鼓を見ざれば、未だ前行を撃つを肯ぜず。吾の阻険に至りて還らんことを恐るればなり」と。信乃ち万人をして先づ行かしめ、出でて、水を背にして陳す。趙の軍望み見て大いに笑ふ。平旦、信大将の旗鼓を建て、鼓行して井陘口を出づ。趙壁を開きて之を撃ち、大いに戦ふこと良久し。是に於て信・張耳詳りて鼓旗を弃て、水上の軍に走る。水上の軍開きて之を入れ、復た疾く戦ふ。趙果たして壁を空しくして漢の鼓旗を争ひ、韓信・張耳を逐ふ。韓信・張耳已に水上の軍に入る。軍皆殊死して戦ひ、敗るべからず。信の出だす所の奇兵二千騎、共に趙の壁を空しくして利を逐ふを候ち、則ち馳せて趙の壁に入り、皆趙の旗を抜き、漢の赤幟二千を立つ。趙の軍已に勝たず、信等を得ること能はず、還りて壁に帰らんと欲するに、壁皆漢の赤幟なれば、大いに驚き、以為へらく漢皆已に趙王の将を得たりと。兵遂に乱れ、遁走す。趙の将之を斬ると雖も、禁ずること能はず。是に於て漢の兵夾撃し、大いに趙の軍を破虜し、成安君を泜水の上に斬り、趙王歇を禽にす。信乃ち軍中に令して広武君を殺す毋からしめ、能く生きながら得る者有らば千金を購ふ。是に於て広武君を縛して戯下に致す者有り。信乃ち其の縛を解き、東郷して坐せしめ、西郷して対し、之に師事す。諸将首虜を效し、(休)
-
史記 淮陰侯列伝広武君対へて曰く、「方今将軍の為に計るに、甲を案じ兵を休め、趙を鎮めて其の孤を撫し、百里の内、牛酒日に至り、以て士大夫を饗し兵を醳ひ、燕の路に北首し、而る後に弁士を遣はして咫尺の書を奉じ、其の長ずる所を燕に暴さしむるに如くは莫し。燕必ず敢へて聴従せずんばあらず。燕已に従はば、諠言する者をして東のかた斉に告げしめば、斉必ず風に従ひて服せん。智者有りと雖も、亦斉の為に計るを知らざらん。是くの如くんば、則ち天下の事皆図るべきなり。兵には固より声を先にして実を後にする者有り。此の謂なり」と。韓信曰く、「善し」と。其の策に従ひ、使を発して燕に使はしむ。燕風に従ひて靡く。乃ち使を遣はして漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を鎮撫せんことを請ふ。漢王之を許し、乃ち張耳を立てて趙王と為す。楚数しば奇兵をして河を渡りて趙を撃たしむ。趙王耳・韓信往来して趙を救ひ、因りて行きて趙の城邑を定め、兵を発して漢に詣らしむ。楚方に急に漢王を滎陽に囲む。漢王南に出で、宛・葉の間に之き、黥布を得て、走りて成皋に入る。楚又復た急に之を囲む。六月、漢王成皋を出で、東のかた河を渡り、独り滕公と倶にし、張耳の軍に修武に従ふ。至りて、伝舎に宿す。晨に自ら漢使と称し、馳せて趙の壁に入る。張耳・韓信未だ起きず。即ち其の臥内に上りて其の印符を奪ひ、麾を以て諸将を召し、易へて之を置く。信・耳起きて、乃ち漢王の来たるを知り、大いに驚く。漢王両人の軍を奪ひ、即ち張耳をして趙の地を備守せしむ。韓信を拝して相国と為し、趙の兵の未だ発せざる者を収めて斉を撃たしむ。信兵を引きて東し、未だ平原を渡らざるに、漢王酈食其をして已に斉を説き下さしむと聞き、韓信止まらんと欲す。范陽の弁士蒯通信に説きて曰く、「将軍詔を受けて斉を撃つ。而るに漢独り間使を発して斉を下す。寧ぞ詔有りて将軍を止めんや。何を以て行く毋きを得んや。
-
史記 淮陰侯列伝是に於て信広武君に問ひて曰く、「僕北のかた燕を攻め、東のかた斉を伐たんと欲す。何若にして功有らん」と。広武君辞謝して曰く、「臣聞く、敗軍の将は、以て勇を言ふべからず。亡国の大夫は、以て存を図るべからずと。今臣は敗亡の虜なり。何ぞ以て大事を権るに足らんや」と。信曰く、「僕之を聞く、百里奚虞に居りて虞亡び、秦に在りて秦覇たり。虞に愚にして秦に智なるに非ざるなり。用ゐると用ゐざると、聴くと聴かざるとなりと。誠に成安君をして足下の計を聴かしめば、信の若き者も亦已に禽と為らん。足下を用ゐざるを以ての故に、信侍するを得たるのみ」と。因りて固く問ひて曰く、「僕心を委ねて計に帰す。願はくは足下辞する勿かれ」と。広武君曰く、「臣聞く、智者も千慮に必ず一失有り、愚者も千慮に必ず一得有りと。故に曰く『狂夫の言も、聖人択ぶ』と。顧ふに恐らくは臣の計未だ必ずしも用ゐるに足らざらん。願はくは愚忠を效さん。夫れ成安君は百戦百勝の計有るも、一旦にして之を失ひ、軍は鄗下に敗れ、身は泜上に死す。今将軍西河を渉り、魏王を虜にし、夏説を閼与に禽にし、一挙にして井陘を下り、朝を終へずして趙の二十万の衆を破り、成安君を誅す。名は海内に聞こえ、威は天下を震はし、農夫も耕を輟め耒を釈て、衣を褕にし食を甘くし、耳を傾けて以て命を待たざる者莫し。此くの若きは、将軍の長ずる所なり。然り而して衆労し卒罷れ、其の実用ゐ難し。今将軍倦獘の兵を挙げて、之を燕の堅城の下に頓め、戦はんと欲するも恐らくは久しくして力抜くこと能はず、情見はれ勢屈し、日を曠しくして糧竭き、而して弱燕服せずんば、斉必ず境を距ぎて以て自ら彊めん。燕斉相持して下らずんば、則ち劉項の権未だ分かるる所有らざるなり。此くの若き者は、将軍の短なる所なり。臣愚にして、窃かに以為へらく亦過てりと。故に善く兵を用ゐる者は短を以て長を撃たずして、長を以て短を撃つ」と。韓信曰く、「然らば則ち何に由らん」と。
-
『長短経』利害平旦、信は大将の旗鼓を建て、鼓行して井陘口を出づ。趙、壁を開きて之を攻撃し、大いに戦うこと良久し。是に於て信と張耳とは旗鼓を棄て、水上に走る。水上の軍、壁を開きて之を入れ、復た疾く戦う。趙は壁を空しくして漢の旗鼓を争い、韓信・張耳を逐う。韓信・張耳已に水上の軍に入る。軍皆殊死して戦い、敗るべからず。信の出だす所の奇兵二千騎、共に趙の壁を空しくして利を逐うを候い、則ち馳せて趙の壁に入り、皆趙の幟を抜き、漢の赤幟二千を立つ。趙の軍、信等を得ずして、還りて壁に帰らんと欲するに、壁皆漢の赤幟なり。而して大いに驚き〔太公曰く「夫れ両陣の間に、俾陣を出だす。卒を縦にし行を乱す者は、変を為す所以なり」と。此の謂いなり〕、以為えらく漢は皆已に趙の主将を得たりと。遂に乱れて遁走す。趙の将撃ちて之を斬ると雖も、禁ずること能わざるなり〔孫子曰く「治を以て乱を待ち、静を以て譁を待つ。此れ心を治むる者なり」と。夫れ衆心已に乱るれば、良将有りと雖も、亦た之が為に計ること能わず〕。是に於て漢兵夾撃し、大いに之を破り、成安君を泜水の上に斬り、趙王歇を擒にす。
-
『長短経』時宜韓信、趙を伐ち、井陘に軍す。軽騎二千人を選び、人ごとに一赤幟を持たしめ、間道より山に昇りて趙軍を望ましめ、誡めて曰く「趙は我が走るを見ば、必ず壁を空しくして我を逐わん。若疾く趙の壁に入り、趙の幟を抜きて、漢の赤幟を立てよ」と。信乃ち万人をして先に行かしめ、出でて背水の陣を為す。平旦、信は大将の旗鼓を建て、行きて井陘口を出づ。趙、壁を開きて之を撃ち、大いに戦うこと良久し。是に於て信は旗鼓を棄てて、水上の軍に走る。水上の軍開きて之を入れ、復た疾く戦う。趙は壁を空しくして漢の旗鼓を争い、韓信を逐う。韓信等已に水上の軍に入り、軍皆殊死して戦い、敗るべからず。信の出だす所の奇兵二千騎、共に趙の壁を空しくして利を逐うを候い、則ち馳せて趙の壁に入り、皆趙の旗を抜き、漢の赤幟二千を立つ。趙軍已に信等を得ること能わず、還りて壁に帰らんと欲するに、皆漢の赤幟なり。而して大いに驚き、以為えらく皆已に趙王の将を得たりと。遂に乱れて遁走し、趙の将之を斬ると雖も、禁ずること能わざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る