史記 / 黥布列伝
夫北面而臣事人者,固若是乎?夫漢王戰於彭城,項王未出齊也,大王宜騷淮南之兵渡淮,日夜會戰彭城下,大王撫萬人之眾,無一人渡淮者,垂拱而觀其孰勝。夫託國於人者,固若是乎?大王提空名以鄉楚,而欲厚自託,臣竊為大王不取也。然而大王不背楚者,以漢為弱也。夫楚兵雖彊,天下負之以不義之名,以其背盟約而殺義帝也。然而楚王恃戰勝自彊,漢王收諸侯,還守成皋、滎陽,下蜀、漢之粟,深溝壁壘,分卒守徼乘塞,楚人還兵,閒以梁地,深入敵國八九百里,欲戰則不得,攻城則力不能,老弱轉糧千里之外;楚兵至滎陽、成皋,漢堅守而不動,進則不得攻,退則不得解。故曰楚兵不足恃也。使楚勝漢,則諸侯自危懼而相救。夫楚之彊,適足以致天下之兵耳。故楚不如漢,其勢易見也。今大王不與萬全之漢而自託於危亡之楚,臣竊為大王惑之。臣非以淮南之兵足以亡楚也。夫大王發兵而倍楚,項王必留;留數月,漢之取天下可以萬全。臣請與大王提劍而歸漢,漢王必裂地而封大王,又況淮南,淮南必大王有也。故漢王敬使使臣進愚計,願大王之留意也。」淮南王曰:「請奉命。」陰許畔楚與漢,未敢泄也。楚使者在,方急責英布發兵,舍傳舍。
新字:夫北面而臣事人者,固若是乎?夫漢王戦於彭城,項王未出斉也,大王宜騷淮南之兵渡淮,日夜会戦彭城下,大王撫万人之衆,無一人渡淮者,垂拱而観其孰勝。夫託国於人者,固若是乎?大王提空名以郷楚,而欲厚自託,臣窃為大王不取也。然而大王不背楚者,以漢為弱也。夫楚兵雖彊,天下負之以不義之名,以其背盟約而殺義帝也。然而楚王恃戦勝自彊,漢王収諸侯,還守成皋、滎陽,下蜀、漢之粟,深溝壁塁,分卒守徼乗塞,楚人還兵,閒以梁地,深入敵国八九百里,欲戦則不得,攻城則力不能,老弱転糧千里之外;楚兵至滎陽、成皋,漢堅守而不動,進則不得攻,退則不得解。故曰楚兵不足恃也。使楚勝漢,則諸侯自危懼而相救。夫楚之彊,適足以致天下之兵耳。故楚不如漢,其勢易見也。今大王不与万全之漢而自託於危亡之楚,臣窃為大王惑之。臣非以淮南之兵足以亡楚也。夫大王発兵而倍楚,項王必留;留数月,漢之取天下可以万全。臣請与大王提剣而帰漢,漢王必裂地而封大王,又況淮南,淮南必大王有也。故漢王敬使使臣進愚計,願大王之留意也。」淮南王曰:「請奉命。」陰許畔楚与漢,未敢泄也。楚使者在,方急責英布発兵,舎伝舎。
書き下し
夫れ北面して人に臣事する者は、固より是の若きか。夫れ漢王彭城に戦ひ、項王未だ斉を出でざるに、大王宜しく淮南の兵を騒して淮を渡り、日夜彭城の下に会戦すべし。大王万人の衆を撫しながら、一人の淮を渡る者無く、垂拱して其の孰れか勝つを観る。夫れ国を人に託する者は、固より是の若きか。大王空名を提げて以て楚に郷ひ、而して厚く自ら託せんと欲す。臣竊かに大王の為に取らざるなり。然り而して大王楚に背かざる者は、漢を以て弱と為せばなり。夫れ楚の兵彊しと雖も、天下之に負はすに不義の名を以てす。其の盟約に背きて義帝を殺すを以てなり。然り而して楚王戦勝を恃みて自ら彊しとす。漢王は諸侯を収め、還りて成皋・滎陽を守り、蜀・漢の粟を下し、溝を深くし壁を塁ね、卒を分かちて徼を守り塞に乗る。楚人兵を還すに、間つるに梁の地を以てし、深く敵国に入ること八九百里、戦はんと欲すれば則ち得ず、城を攻むれば則ち力能はず、老弱糧を千里の外に転ず。楚の兵滎陽・成皋に至るも、漢堅く守りて動かず、進めば則ち攻むるを得ず、退けば則ち解くるを得ず。故に曰く、楚の兵は恃むに足らざるなりと。楚をして漢に勝たしむれば、則ち諸侯自ら危懼して相救はん。夫れ楚の彊は、適々以て天下の兵を致すに足るのみ。故に楚の漢に如かざること、其の勢見易し。今大王万全の漢に与せずして自ら危亡の楚に託す。臣竊かに大王の為に之を惑ふ。臣は淮南の兵を以て楚を亡ぼすに足ると為すに非ざるなり。夫れ大王兵を発して楚に倍かば、項王必ず留まらん。留まること数月、漢の天下を取ること以て万全なるべし。臣請ふ大王と剣を提げて漢に帰せん。漢王必ず地を裂きて大王を封ぜん。又況んや淮南をや。淮南は必ず大王の有たん。故に漢王敬んで使臣をして愚計を進めしむ。願はくは大王の意を留めよ」と。淮南王曰く、「請ふ命を奉ぜん」と。陰かに楚に畔きて漢に与するを許すも、未だ敢て泄らさず。楚の使者在り、方に急に英布に兵を発することを責め、伝舎に舎る。
現代語訳
北を向いて人に臣下として仕える者が、そもそもこのようであってよいのか。漢王が彭城で戦ったとき、項王はまだ斉から出ていなかった。大王はそのとき淮南の兵を奮い立たせて淮水を渡り、日夜彭城の下で漢と戦うべきであった。ところが大王は一万の軍勢を抱えながら、一人も淮水を渡らせず、手をこまねいてどちらが勝つかを眺めていた。国を人に託す者が、そもそもこのようであってよいのか。大王は形だけの名目を掲げて楚になびきながら、手厚く身を託そうとしている。私はひそかに、大王のためにそれはよくないと思う。それでも大王が楚に背かないのは、漢を弱いと思っているからだろう。しかし楚の兵は強くても、天下は楚に不義の汚名を着せている。盟約に背いて義帝を殺したからだ。それなのに楚王は戦の勝利を頼んで自らを強いと思っている。一方、漢王は諸侯を集め、引き返して成皋と滎陽を守り、蜀・漢中の穀物を運び下ろし、堀を深くし塁壁を重ね、兵を分けて国境の要所を守り、城塞に拠っている。楚が兵を引き返そうとしても、間に梁の地が挟まっていて、敵国の奥深く八九百里も入り込まなければならない。戦おうとしても戦えず、城を攻めようとしても力が足りず、老人や子供に千里の彼方まで兵糧を運ばせている。楚の兵が滎陽や成皋に至っても、漢は堅く守って動かないので、進んでも攻め落とせず、退こうにも抜け出せない。だから楚の兵は頼みにならないと言うのだ。仮に楚が漢に勝ったとしても、諸侯は自分の身が危ういと恐れて、互いに助け合うだろう。つまり楚の強さは、かえって天下の兵を自分に向けさせるだけなのだ。だから楚が漢に及ばないことは、情勢からして明らかである。いま大王は万全の漢に味方せず、自ら危うく滅びかけている楚に身を託している。私はひそかに、大王のためにそれを不思議に思う。私は、淮南の兵だけで楚を滅ぼせると言っているのではない。大王が兵を挙げて楚に背けば、項王は必ずここに足止めされる。数か月足止めされれば、漢が天下を取ることは万全となる。どうか私と大王とで剣を提げて漢に帰順しよう。漢王は必ず領土を割いて大王を封じるだろう。まして淮南の地はなおさらで、淮南は必ず大王のものとなる。だから漢王は謹んで使者の私に愚かな計を申し上げさせたのだ。どうか大王にはお心にとめていただきたい」。淮南王は「仰せに従おう」と言った。ひそかに楚に背いて漢につくことを承知したが、まだあえて外には漏らさなかった。ちょうど楚の使者が来ていて、英布に早く兵を出すよう厳しく求めており、駅の宿舎に泊まっていた。
解説
関連する章句
-
史記 黥布列伝其の八月、布将をして義帝を撃たしめ、追ひて之を郴県に殺す。漢の二年、斉王田栄楚に畔く。項王往きて斉を撃ち、兵を九江に徴す。九江王布病と称して往かず、将をして数千人を将ゐて行かしむ。漢の楚を彭城に敗るや、布又病と称して楚を佐けず。項王此に由りて布を怨み、数々使者をして誚譲して布を召さしむ。布愈々恐れ、敢て往かず。項王方に北は斉・趙を憂へ、西は漢を患ふ。与する所の者は独り九江王のみ。又布の材を多とし、親しみて之を用ひんと欲す。故を以て未だ撃たず。漢の三年、漢王楚を撃ち、大いに彭城に戦ひて、利あらず。梁の地に出でて、虞に至り、左右に謂ひて曰く、「彼等の如き者は、与に天下の事を計るに足る無し」と。謁者隨何進みて曰く、「陛下の謂ふ所を審らかにせず」と。漢王曰く、「孰か能く我が為に淮南に使ひし、之をして兵を発して楚に倍かしめ、項王を斉に留むること数月ならしめん。我の天下を取ること以て百全なるべし」と。隨何曰く、「臣請ふ之に使ひせん」と。乃ち二十人と倶に、淮南に使ひす。至る。太宰に因りて之を主とせしむるも、三日見ゆるを得ず。隨何因りて太宰に説きて曰く、「王の何に見えざるは、必ず楚を以て彊と為し、漢を以て弱と為すならん。此れ臣の使ひを為す所以なり。何をして見ゆるを得しめ、之を言ひて是ならば、是れ大王の聞かんと欲する所なり。之を言ひて非ならば、何等二十人をして斧質に淮南の市に伏せしめ、以て王の漢に倍きて楚に与するを明らかにせよ」と。太宰乃ち之を王に言ふ。王之に見ゆ。隨何曰く、「漢王臣をして敬んで書を大王の御者に進めしむ。竊かに大王の楚と何ぞ親しきを怪しむ」と。淮南王曰く、「寡人北郷して之に臣事す」と。隨何曰く、「大王と項王と倶に列して諸侯と為る。北郷して之に臣事するは、必ず楚を以て彊と為し、以て国を託すべしとすればなり。項王斉を伐つに、身づから板築を負ひ、以て士卒の先と為る。大王宜しく淮南の衆を悉くし、身づから自ら之に将として、楚軍の前鋒と為るべし。今乃ち四千人を発して以て楚を助く。
-
『長短経』覇図今、大王、万全の漢に与せずして、自ら危亡の楚に託す。臣、竊かに大王の為に之を惑う。臣は淮南の兵を以て楚を亡ぼすに足ると為すに非ざるなり。大王、兵を発して楚に倍けば、項王必ず斉に留まること数月ならん。漢の天下を取ること、以て万全なる可し。臣請う、大王、剣を提げて漢に帰せば、漢は必ず土地を裂きて大王に分かたん。又た況んや淮南をや。必ず大王之を有せん。故に臣をして愚計を進めしむ。願わくは大王、意を留めよ」と。淮南王曰く「請う、命を奉ぜん」と。陰かに楚に叛きて漢に与せんことを許すも、未だ敢えて泄らさず。楚の使者、淮南に在り、方に急に英布に兵を発せしめんとし、伝舎に舎る。随何、直ちに入り、楚の使者の上座に坐して曰く「九江王已に漢に帰す。楚、何を以て兵を発せしむるを得んや」と。布、愕然たり。楚の使者起つ。何、因りて布に説きて曰く「事已に構われり。独り楚の使者を殺し、帰らしむる無くして、疾く漢に走りて力を并せよ」と。乃ち漢の使者の教えの如くす。是に於て楚の使者を殺し、因りて兵を起こして楚を攻むるなり。〉
-
史記 黥布列伝楚、項声・竜且をして淮南を攻めしめ、項王留まりて下邑を攻む。数月、竜且淮南を撃ち、布の軍を破る。布兵を引きて漢に走らんと欲するも、楚王の之を殺さんことを恐る。故に間行して何と倶に漢に帰す。淮南王至る。上方に床に踞して洗ひ、布を召して入り見えしむ。布大いに怒り、来たりしを悔い、自殺せんと欲す。出でて舎に就く。帳御飲食従官漢王の居の如し。布又大いに喜び望みに過ぐ。是に於て乃ち人をして九江に入らしむ。楚已に項伯をして九江の兵を収めしめ、尽く布の妻子を殺す。布の使者頗る故人幸臣を得、衆数千人を将ゐて漢に帰す。漢益々布に兵を分かちて与に倶に北し、兵を収めて成皋に至る。四年七月、布を立てて淮南王と為し、与に項籍を撃つ。漢の五年、布人をして九江に入らしめ、数県を得。六年、布劉賈と九江に入り、大司馬周殷を誘ふ。周殷楚に反き、遂に九江の兵を挙げて漢と楚を撃ち、之を垓下に破る。項籍死し、天下定まる。上置酒す。上隨何の功を折き、何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんと。隨何跪きて曰く、「夫れ陛下兵を引きて彭城を攻むるに、楚王未だ斉を去らず。陛下歩卒五万人、騎五千を発して、能く以て淮南を取らんか」と。上曰く、「能はず」と。隨何曰く、「陛下何と二十人とをして淮南に使ひせしめ、至りて陛下の意の如くならしむ。是れ何の功は歩卒五万人騎五千より賢れるなり。然り而して陛下何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんとするは、何ぞや」と。上曰く、「吾方に子の功を図らんとす」と。乃ち隨何を以て護軍中尉と為す。布遂に符を剖きて淮南王と為り、六に都す。九江・廬江・衡山・豫章の郡皆布に属す。七年、陳に朝す。八年、雒陽に朝す。九年、長安に朝す。
-
『長短経』覇図〈随何、淮南王に説きて曰く「漢王、使臣をして敬みて書を大王の御者に進めしむ。竊かに惟うに、大王と楚と何ぞ親しきや」と。淮南王曰く「寡人、北面して之に臣事す」と。随何曰く「大王と項王と倶に列して諸侯と為る。北面して之に臣事するは、必ず楚を以て強しと為し、以て国を託す可ければなり。項王、斉を伐つや、身自ら版築を負い、以て士卒の先と為る。大王、宜しく悉く淮南の衆を発し、身自ら之を将いて、以て楚軍の前鋒と為るべし。今、乃ち四千人を発して以て楚を助く。北面して人に臣事する者、固より是くの若きか。夫れ漢王、彭城に戦うや、項王は未だ斉を出でざるなり。大王、宜しく淮南の兵を掃きて淮を渡り、日夜彭城の下に会戦すべし。大王、万人の衆を撫して、淮を渡る者無く、垂拱して孰れか勝つかを観る。夫れ国を人に託する者、固より是くの若きか。大王、空名を提げて以て楚に向かい、而も厚く自ら託せんと欲す。臣、竊かに大王の為に取らざるなり。
-
史記 黥布列伝山東は漢の有に非ざるなり。中計に出でば、勝敗の数未だ知るべからざるなり。下計に出でば、陛下枕を安んじて臥せん」と。上曰く、「何をか上計と謂ふ」と。令尹対へて曰く、「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、斉を并せ魯を取り、檄を燕・趙に伝へ、固く其の所を守らば、山東は漢の有に非ざるなり」と。「何をか中計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、韓を并せ魏を取り、敖庾の粟に拠り、成皋の口を塞がば、勝敗の数未だ知るべからざるなり」と。「何をか下計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた下蔡を取り、重を越に帰し、身は長沙に帰せば、陛下枕を安んじて臥し、漢事無からん」と。上曰く、「是の計将に安くにか出でんとす」と。令尹対へて曰く、「下計に出でん」と。上曰く、「何の謂ぞ上中計を廃して下計に出づるとは」と。令尹曰く、「布は故の麗山の徒なり。自ら万乗の主に致る。此れ皆身の為にして、後に百姓万世の為に慮ることを顧みざる者なり。故に下計に出づと曰ふ」と。上曰く、「善し」と。薛公に千戸を封ず。乃ち皇子長を立てて淮南王と為す。上遂に兵を発し、自ら将として東のかた布を撃つ。布の初めて反するや、其の将に謂ひて曰く、「上老いたり、兵を厭ふ。必ず来たる能はず。諸将をして使はしめん。諸将は独り淮陰・彭越を患ふるのみ。今皆已に死せり。余は畏るるに足らざるなり」と。故に遂に反す。果して薛公の之を籌るが如く、
-
史記 黥布列伝東のかた荊を撃つ。荊王劉賈走りて富陵に死す。尽く其の兵を劫かし、淮を渡りて楚を撃つ。楚兵を発して与に徐・僮の間に戦ひ、三軍と為し、以て相救ひて奇を為さんと欲す。或ひと楚の将に説きて曰く、「布は善く兵を用ふ。民素より之を畏る。且つ兵法に、諸侯其の地に戦ふを散地と為す。今別れて三と為る。彼吾が一軍を敗らば、余は皆走らん。安くんぞ能く相救はん」と。聴かず。布果して其の一軍を破り、其の二軍散走す。遂に西し、上の兵と蘄の西の会甀に遇ふ。布の兵精甚だし。上乃ち庸城に壁し、布の軍の陳を置くこと項籍の軍の如きを望み、上之を悪む。布と相望見し、遙かに布に謂ひて曰く、「何を苦しみて反するや」と。布曰く、「帝為らんと欲するのみ」と。上怒りて之を罵り、遂に大いに戦ふ。布の軍敗走し、淮を渡り、数々止まりて戦ふも、利あらず。百余人と江南に走る。布故より番君と婚す。故を以て長沙の哀王人をして布を紿かしめ、偽りて与に亡げんとし、誘ひて越に走らしむ。故に信じて之に随ひて番陽に之く。番陽の人布を茲郷の民の田舎に殺し、遂に黥布を滅ぼす。皇子長を立てて淮南王と為し、賁赫を封じて期思侯と為す。諸将率ね多く功を以て封ぜらるる者あり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る