史記 / 楽毅列伝
功立而不廢,故著於春秋;蚤知之士,名成而不毀,故稱於後世。若先王之報怨雪恥,夷萬乘之彊國,收八百歲之蓄積,及至棄群臣之日,餘教未衰,執政任事之臣,修法令,慎庶孽,施及乎萌隸,皆可以教後世。
新字:功立而不廃,故著於春秋;蚤知之士,名成而不毀,故称於後世。若先王之報怨雪恥,夷万乗之彊国,収八百歳之蓄積,及至棄群臣之日,余教未衰,執政任事之臣,修法令,慎庶孽,施及乎萌隸,皆可以教後世。
書き下し
功立ちて廃せず、故に春秋に著る。蚤知の士は、名成りて毀れず、故に後世に称せらる。先王の怨みに報い恥を雪ぎ、万乗の彊国を夷らげ、八百歳の蓄積を収め、群臣を棄つるの日に及ぶまで、余教未だ衰へず、政を執り事に任ずるの臣、法令を修め、庶孽を慎み、施して萌隷に及ぶが若きは、皆以て後世に教ふべし。
現代語訳
(賢明な君主は)功を立てればそれが廃れることがないので、史書に記される。先を見通す士は、名を成せばそれが損なわれることがないので、後の世に称えられる。先王が恨みに報い恥をすすぎ、万乗の強国を平らげ、八百年にわたる斉の蓄えを収め取り、群臣を残して世を去られる日に至るまで、その遺された教えは衰えず、政治を執り事を任された臣下たちが法令を整え、庶子たちの扱いを慎み、その恩恵が庶民にまで及んだようなことは、みな後の世の手本とすることができる。
解説
楽毅の返書の中で、昭王の功業が後世の手本となることを述べた部分です。直前の「臣聞く、賢聖の君は」を受けて、賢明な君主の功は廃れることなく史書に記され、先を見通す士の名は損なわれずに後世に称えられると述べます。そして、先王昭王が斉への恨みを晴らし、八百年の歴史を持つ斉の蓄えを収め、亡くなった後もその教えが生き続けて、政治を担う臣下が法令を整え、庶子の扱いを慎み、恩恵が庶民にまで及んだことを称えました。ここで楽毅が言いたいのは、先王の築いた政治を守り伝えることこそ後継者の務めであり、功臣を疑って追い落とすことはその教えに背くという、恵王への静かな諫めです。直接非難せず、先王を称えることで、今の王に欠けているものを浮かび上がらせる書き方になっています。前任者の優れた点を称えることで、後継者に何を受け継ぐべきかを示すという方法は、今の組織の引き継ぎにも通じる知恵です。
関連する章句
-
史記 楽毅列伝太史公曰く、「始め斉の蒯通及び主父偃、楽毅の燕王に報ずるの書を読み、未だ嘗て書を廃して泣かずんばあらざるなり。楽臣公黄帝・老子を学び、其の本師号して河上丈人と曰ふ、其の出づる所を知らず。河上丈人安期生を教へ、安期生毛翕公を教へ、毛翕公楽瑕公を教へ、楽瑕公楽臣公を教へ、楽臣公蓋公を教ふ。蓋公斉の高密・膠西に教へ、曹相国の師と為る」と。
-
史記 楽毅列伝臣聞く、賢聖の君は禄を以て親に私せず、その功多き者はこれを賞し、その能当たる者はこれに処らしむ。故に能を察して官を授くる者は、成功の君なり。行ひを論じて交はりを結ぶ者は、立名の士なり。臣竊かに先王の挙を観るに、世主より高きの心有るを見る、故に節を魏に仮りて、身を以て燕に察せらるるを得たり。先王過りて挙げ、これを賓客の中に廁へ、これを群臣の上に立て、父兄に謀らずして、以て亜卿と為す。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく令を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、故に令を受けて辞せず。先王これに命じて曰く、「我に斉に積怨深怒有り、軽弱を量らずして、斉を以て事と為さんと欲す」と。臣曰く、「夫れ斉は霸国の余業にして最勝の遺事なり。兵甲に練れ、戦攻に習ふ。王若しこれを伐たんと欲せば、必ず天下と与にこれを図れ。天下と与にこれを図らば、趙に結ぶに若くは莫し。且つまた淮北・宋の地は、楚・魏の欲する所なり、趙若し許して四国に約してこれを攻めば、斉大いに破るべきなり」と。先王以て然りと為し、符節を具へて南のかた臣を趙に使はす。顧みて反命し、兵を起こして斉を撃つ。天の道、先王の霊を以て、河北の地先王に随ひてこれを済上に挙ぐ。済上の軍命を受けて斉を撃ち、大いに斉人を敗る。軽卒鋭兵、長駆して国に至る。斉王遁れて莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉財宝車甲珍器、尽く収めて燕に入る。斉の器は寧台に設けられ、大呂は元英に陳ねられ、故鼎は磿室に反り、薊丘の植は汶篁に植う。五伯より已来、功の未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て志に慊しと為し、故に地を裂きてこれを封じ、小国の諸侯に比するを得しむ。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく命を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、是を以て命を受けて辞せず。臣聞く、賢聖の君は、
-
史記 楽毅列伝臣不佞にして、王命を奉承して以て左右の心に順ふ能はず、先王の明を傷つけ、足下の義を害する有らんことを恐る、故に遁逃して趙に走る。今、足下人をしてこれを数むるに罪を以てせしむ、臣恐る、侍御する者の先王の臣を畜幸せし所以の理を察せず、また臣の先王に事へし所以の心を白らかにせざらんことを、故に敢へて書を以て対ふ。
-
史記 楽毅列伝臣聞く、古の君子は、交はり絶ゆるとも悪声を出さず、忠臣国を去るとも其の名を絜(きよ)くせず、と。臣不佞と雖も、数々君子に教を奉ず。侍御者の左右の説に親しみ、疏遠の行を察せざるを恐る、故に敢て書を献じて以て聞す、唯だ君王の留意せんことを。是に於いて燕王復た楽毅の子楽閒を以て昌国君と為す。而して楽毅往来して復た燕に通じ、燕趙以て客卿と為す。楽毅趙に卒す。
-
史記 燕召公世家死を弔ひ孤を問ひ、百姓と甘苦を同じくす。二十八年、燕国殷富にして、士卒楽軼して戦を軽んず。是に於て遂に楽毅を以て上将軍と為し、秦・楚・三晋と合謀して以て斉を伐つ。斉の兵敗れ、湣王出でて外に亡ぐ。
-
史記 楽毅列伝楽毅は、その先祖を楽羊と曰ふ。楽羊は魏の文侯の将と為り、伐ちて中山を取る、魏の文侯、楽羊を封ずるに霊寿を以てす。楽羊死し、霊寿に葬る、その後子孫因りて焉に家す。中山国を復し、趙の武霊王の時に至りてまた中山を滅ぼす、而して楽氏の後に楽毅有り。楽毅賢にして、兵を好み、趙人これを挙ぐ。武霊王に沙丘の乱有るに及び、乃ち趙を去りて魏に適く。燕の昭王の子之の乱を以て斉大いに燕を敗り、燕の昭王斉を怨み、未だ嘗て一日も斉に報ゆることを忘れざるを聞く。燕国は小さく、辟遠にして、力制する能はず、是に於いて身を屈して士に下り、先づ郭隗を礼して以て賢者を招く。楽毅是に於いて魏の昭王の為に燕に使ひす、燕王客礼を以てこれを待す。楽毅辞譲し、遂に質を委ねて臣と為る、燕の昭王以て亜卿と為し、これを久しくす。是の時に当たり、斉の湣王彊く、南のかた楚の相唐眛を重丘に敗り、西のかた三晋を観津に摧き、遂に三晋と秦を撃ち、趙を助けて中山を滅ぼし、宋を破り、地を広むること千余里。秦の昭王と重きを争ひて帝と為り、已にしてまたこれを帰す。諸侯皆秦に背きて斉に服せんと欲す。湣王自ら矜り、百姓堪へず。是に於いて燕の昭王、斉を伐つの事を問ふ。楽毅対へて曰く、「斉は霸国の余業なり、地大にして人衆く、未だ独り攻め易からざるなり。王必ずこれを伐たんと欲せば、趙及び楚・魏と与にするに如くは莫し」と。是に於いて楽毅をして趙の恵文王に約せしめ、別に使ひをして楚・魏に連ならしめ、趙をして秦に説くに斉を伐つの利を以てせしむ。諸侯は斉の湣王の驕暴を害とし、皆争ひて合従して燕と斉を伐つ。楽毅還りて報ず、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る