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史記 / 楽毅列伝

臣聞之、善作者不必善成、善始者不必善終。昔伍子胥說聽於闔閭、而吳王遠跡至郢。夫差弗是也、賜之鴟夷而浮之江。吳王不寤先論之可以立功、故沈子胥而不悔。子胥不蚤見主之不同量、是以至於入江而不化。夫免身立功、以明先王之跡、臣之上計也。離毀辱之誹謗、墮先王之名、臣之所大恐也。臨不測之罪、以幸為利、義之所不敢出也。

新字:臣聞之、善作者不必善成、善始者不必善終。昔伍子胥説聴於闔閭、而吳王遠跡至郢。夫差弗是也、賜之鴟夷而浮之江。吳王不寤先論之可以立功、故沈子胥而不悔。子胥不蚤見主之不同量、是以至於入江而不化。夫免身立功、以明先王之跡、臣之上計也。離毀辱之誹謗、堕先王之名、臣之所大恐也。臨不測之罪、以幸為利、義之所不敢出也。

書き下し

臣之を聞く、善く作す者は必ずしも善く成さず、善く始むる者は必ずしも善く終へず、と。昔伍子胥説闔閭に聴かれ、呉王跡を遠くして郢に至る。夫差是とせず、之に鴟夷を賜ひて之を江に浮かぶ。呉王先論の以て功を立つ可きを寤らず、故に子胥を沈めて悔いず。子胥蚤く主の量を同じくせざるを見ず、是を以て江に入るに至りて化せず。夫れ身を免れ功を立て、以て先王の跡を明らかにするは、臣の上計なり。毀辱の誹謗を離れ、先王の名を墮とすは、臣の大いに恐るる所なり。不測の罪に臨みて、幸を以て利と為すは、義の敢て出でざる所なり。

現代語訳

「良い始まりが良い結末を保証しない。だからこそ、身を守りつつ、恩人の名誉を汚さない道を選ぶ」——楽毅が自らの亡命を弁明する、深慮に満ちた一段です。楽毅は、なぜ燕に殉じず趙へ亡命したのかを説明するにあたり、まず普遍的な真理を述べます。『善作者不必善成、善始者不必善終(物事を立派に始めた者が、必ずしも立派に成し遂げ、立派に終えられるとは限らない)』。そして、その痛切な実例として、伍子胥を引きます。伍子胥は、先代の呉王・闔閭には信任されて大功を立てましたが、代替わりした夫差には容れられず、無実のまま自害を命じられ、遺体を革袋に入れて川に流されました。楽毅は分析します。「伍子胥は、主君が代われば器量も違うということを、早く見抜けなかった。だから川に沈められる悲劇に至ったのだ」と。つまり、自分(楽毅)は伍子胥の轍を踏まない、と暗に言うのです。そして楽毅は、自分の選択の論理を示します。「身の安全を守りつつ功績を立て、亡き先王の業績を明らかにするのが、最善の策(上計)だ。讒言による恥辱を受けて、(無実の罪で殺されることで)先王の名誉まで汚してしまうことこそ、私が最も恐れることだ。無実の罪に甘んじて、万に一つの幸運を頼りにするようなことは、道義に照らしてできない」と。ここに、二つの深い教訓があります。第一に、「良い始まりが良い結末を保証しない」という現実認識。とりわけ、トップが代われば、前任者のもとでの評価や信頼は通用しなくなることがある。伍子胥の悲劇は、その変化を見誤った結果でした。人は、状況(特に上に立つ者)の変化を敏感に察知し、それに応じて身の処し方を変える必要がある。第二に、無謀な自己犠牲(無実の罪に殉じる)を、必ずしも忠義とはしない、賢明な身の処し方。楽毅は、犬死にすることが先王への恩返しではなく、むしろ生き延びて功績と先王の名誉を守ることこそが真の忠だ、と考えた。理不尽な状況で、盲目的に殉じるのでも、恨んで主君を貶めるのでもなく、身を守りつつ節義を保つ第三の道を選んだのです。組織やキャリアで、トップや状況の変化を見極めること、そして理不尽な仕打ちに対して、自滅でも復讐でもない、賢明で節度ある身の処し方を選ぶこと——楽毅の弁明は、その成熟した知恵を教えます。

解説

あなたは、「良い始まりが良い結末を保証しない」こと、特にトップや状況が変われば過去の評価が通用しなくなることを、見極められていますか?理不尽な仕打ちに対して、自滅(無謀な殉死)でも復讐でもない、身を守りつつ節義を保つ賢明な道を選べますか?

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

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