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史記 / 范雎蔡沢列伝

秦大破趙於長平,遂圍邯鄲。已而與武安君白起有隙,言而殺之。任鄭安平,使擊趙。鄭安平為趙所圍,急,以兵二萬人降趙。應侯席槁請罪。秦之法,任人而所任不善者,各以其罪罪之。於是應侯罪當收三族。秦昭王恐傷應侯之意,乃下令國中:「有敢言鄭安平事者,以其罪罪之。」而加賜相國應侯食物日益厚,以順適其意。後二歲,王稽為河東守,與諸侯通,坐法誅。而應侯日益以不懌。昭王臨朝嘆息,應侯進曰:「臣聞『主憂臣辱,主辱臣死』。今大王中朝而憂,臣敢請其罪。」昭王曰:「吾聞楚之鐵劍利而倡優拙。夫鐵劍利則士勇,倡優拙則思慮遠。夫以遠思慮而御勇士,吾恐楚之圖秦也。夫物不素具,不可以應卒,今武安君既死,而鄭安平等畔,內無良將而外多敵國,吾是以憂。」欲以激勵應侯。應侯懼,不知所出。蔡澤聞之,往入秦也。蔡澤者,燕人也。游學干諸侯小大甚眾,不遇。而從唐舉相,曰:「吾聞先生相李兌,曰『百日之內持國秉』,有之乎?」曰:「有之。」曰:「若臣者何如?」唐舉孰視而笑曰:「先生曷鼻,巨肩,魋顏,蹙齃,膝攣。吾聞聖人不相,殆先生乎?」蔡澤知唐舉戲之,乃曰:「富貴吾所自有,吾所不知者壽也,願聞之。」唐舉曰:「先生之壽,從今以往者四十三歲。」

新字:秦大破趙於長平,遂囲邯鄲。已而与武安君白起有隙,言而殺之。任鄭安平,使撃趙。鄭安平為趙所囲,急,以兵二万人降趙。応侯席槁請罪。秦之法,任人而所任不善者,各以其罪罪之。於是応侯罪当収三族。秦昭王恐傷応侯之意,乃下令国中:「有敢言鄭安平事者,以其罪罪之。」而加賜相国応侯食物日益厚,以順適其意。後二歳,王稽為河東守,与諸侯通,坐法誅。而応侯日益以不懌。昭王臨朝嘆息,応侯進曰:「臣聞『主憂臣辱,主辱臣死』。今大王中朝而憂,臣敢請其罪。」昭王曰:「吾聞楚之鉄剣利而倡優拙。夫鉄剣利則士勇,倡優拙則思慮遠。夫以遠思慮而御勇士,吾恐楚之図秦也。夫物不素具,不可以応卒,今武安君既死,而鄭安平等畔,内無良将而外多敵国,吾是以憂。」欲以激励応侯。応侯懼,不知所出。蔡沢聞之,往入秦也。蔡沢者,燕人也。游学干諸侯小大甚衆,不遇。而従唐舉相,曰:「吾聞先生相李兌,曰『百日之内持国秉』,有之乎?」曰:「有之。」曰:「若臣者何如?」唐舉孰視而笑曰:「先生曷鼻,巨肩,魋顔,蹙齃,膝攣。吾聞聖人不相,殆先生乎?」蔡沢知唐舉戯之,乃曰:「富貴吾所自有,吾所不知者寿也,願聞之。」唐舉曰:「先生之寿,従今以往者四十三歳。」

書き下し

秦大いに趙を長平に破り、遂に邯鄲を囲む。已にして武安君白起と隙有り、言ひてこれを殺す。鄭安平を任じ、趙を撃たしむ。鄭安平、趙の囲む所と為り、急にして、兵二万人を以て趙に降る。応侯、槁に席して罪を請ふ。秦の法、人を任じて任ずる所の善からざる者は、各々その罪を以てこれを罪す。是に於いて応侯の罪は当に三族を収むべし。秦の昭王、応侯の意を傷つけんことを恐れ、乃ち令を国中に下す、「敢へて鄭安平の事を言ふ者有らば、その罪を以てこれを罪せん」と。而して相国応侯に食物を加へ賜ふこと日に益々厚く、以てその意に順適せしむ。後二歳、王稽河東の守と為り、諸侯と通じ、法に坐して誅せらる。而して応侯日に益々以て懌ばず。昭王朝に臨みて嘆息す、応侯進みて曰く、「臣聞く『主憂ふれば臣辱められ、主辱めらるれば臣死す』と。今、大王中朝にして憂ふ、臣敢へてその罪を請ふ」と。昭王曰く、「吾聞く、楚の鉄剣は利にして倡優は拙なりと。夫れ鉄剣利なれば則ち士勇に、倡優拙なれば則ち思慮遠し。夫れ遠き思慮を以て勇士を御す、吾楚の秦を図らんことを恐る。夫れ物素より具はらずんば、以て卒に応ずべからず。今、武安君既に死し、而して鄭安平等畔く、内に良将無くして外に敵国多し、吾是を以て憂ふ」と。以て応侯を激励せんと欲す。応侯懼れ、出づる所を知らず。蔡沢これを聞き、往きて秦に入る。蔡沢は燕人なり。游学して諸侯の小大に干むること甚だ衆きも、遇はれず。而して唐挙に従ひて相せしめて曰く、「吾聞く、先生李兌を相して、曰く『百日の内に国秉を持せん』と、これ有るか」と。曰く、「これ有り」と。曰く、「臣の若き者は何如」と。唐挙孰視して笑ひて曰く、「先生は曷鼻、巨肩、魋顔、蹙齃、膝攣なり。吾聞く、聖人は相せずと、殆ど先生か」と。蔡沢、唐挙のこれに戯るるを知り、乃ち曰く、「富貴は吾の自ら有する所なり、吾の知らざる所の者は寿なり、願はくはこれを聞かん」と。唐挙曰く、「先生の寿は、今より以往四十三歳なり」と。

現代語訳

秦は長平で趙を大いに破り、そのまま邯鄲を包囲した。やがて応侯は武安君白起と仲たがいし、讒言して白起を死に追いやった。応侯は鄭安平を推して趙を攻めさせた。鄭安平は趙軍に包囲されて窮地に陥り、兵二万人と共に趙に降伏した。応侯は藁の敷物の上に座って(罪人として)処罰を願い出た。秦の法では、人を推薦して、推薦した者が不始末をしでかせば、推薦者もそれぞれその罪によって罰せられることになっていた。そうなると応侯の罪は三族(父母・妻子・兄弟)を捕らえられるに当たる。秦の昭王は応侯の心を傷つけるのを恐れ、国中に命令を下した。「鄭安平の件をあえて口にする者があれば、その者を鄭安平と同じ罪で罰する。」そして相国応侯に下賜する食べ物を日ごとにますます手厚くして、応侯の気持ちをなだめた。二年後、河東の太守となっていた王稽が諸侯と内通し、法に触れて処刑された。応侯は日ごとにますますふさぎ込むようになった。昭王が朝廷に臨んでため息をつくと、応侯が進み出て言った。「私は『主君が憂えれば臣下の恥であり、主君が辱められれば臣下は死ぬべきだ』と聞いている。いま大王が朝廷で憂えておられるのは、私の罪だ。どうか処罰を願いたい。」昭王は言った。「楚の鉄の剣は鋭いが、芸人は下手だと聞く。鉄の剣が鋭ければ兵は勇敢になり、芸人が下手なら(君主は遊びにふけらず)考えが遠くまで及ぶ。遠くまで考える君主が勇敢な兵を率いているのだから、わしは楚が秦を狙うのではないかと心配なのだ。物事はふだんから備えておかなければ、急な事態に対応できない。いま武安君はもう死に、鄭安平らは背いた。国内に良い将はおらず、国外には敵国が多い。だからわしは憂えているのだ。」昭王はそう言って応侯を奮い立たせようとした。応侯は恐れて、どうしてよいかわからなかった。蔡沢はこれを聞いて、秦に入った。蔡沢は燕の人である。諸国を遊学して、大小さまざまな諸侯に仕官を求めたが、どこでも用いられなかった。そこで人相見の唐挙に人相を見てもらって言った。「先生は李兌の人相を見て『百日のうちに国の権力を握るだろう』と言ったと聞くが、本当か。」唐挙は言った。「本当だ。」蔡沢は言った。「では私のような者はどうか。」唐挙はじっと見て笑って言った。「先生は鼻が蠍のように上を向き、肩はいかり、額は突き出て、鼻筋はつぶれ、膝は曲がっている。聖人は人相では測れないと聞くが、先生はまさにそれではないか。」蔡沢は唐挙がからかっているとわかったので、言った。「富貴はもともと私が持っているものだ。私にわからないのは寿命だ。それを聞きたい。」唐挙は言った。「先生の寿命は、今から四十三年だ。」

解説

范雎の栄華に陰りが差し、蔡沢が登場する段です。長平で大勝した後、范雎は白起と対立してこれを死に追いやり、恩人の鄭安平を将に推しましたが、鄭安平は趙に包囲されて二万の兵ごと降伏します。秦の法では推薦者も同罪で、范雎は三族皆殺しに当たる罪を負いましたが、昭王は「この件を口にした者は同罪」と命じて范雎をかばいました。さらに二年後、もう一人の恩人王稽も諸侯と通じて処刑されます。恩に報いるために取り立てた二人が、ともに范雎の足元を崩したのです。昭王が「良将はなく敵は多い」と嘆くのを聞き、范雎は進退に窮しました。そこへ、どこの国でも用いられなかった燕の蔡沢が、人相見に醜いと笑われながらも「富貴は自分で手に入れる。知りたいのは寿命だけだ」と言い放つ自信家として登場します。恩義で選んだ人事が、推薦者自身を追い詰めることになるという教訓は、今の組織の人事にも重く響きます。

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