史記 / 魏公子列伝
公子與魏王博,而北境傳舉烽,言「趙寇至,且入界」。魏王釋博,欲召大臣謀。公子止王曰:「趙王田獵耳,非為寇也。」復博如故。王恐,心不在博。居頃,復從北方來傳言曰:「趙王獵耳,非為寇也。」魏王大驚,曰:「公子何以知之?」公子曰:「臣之客有能深得趙王陰事者,趙王所為,客輒以報臣,臣以此知之。」是後魏王畏公子之賢能,不敢任公子以國政。
新字:公子与魏王博,而北境伝舉烽,言「趙寇至,且入界」。魏王釈博,欲召大臣謀。公子止王曰:「趙王田猟耳,非為寇也。」復博如故。王恐,心不在博。居頃,復従北方来伝言曰:「趙王猟耳,非為寇也。」魏王大驚,曰:「公子何以知之?」公子曰:「臣之客有能深得趙王陰事者,趙王所為,客輒以報臣,臣以此知之。」是後魏王畏公子之賢能,不敢任公子以国政。
書き下し
公子、魏王と博す、而して北境伝へて烽を挙げ、「趙の寇至る、且に界に入らんとす」と言ふ。魏王博を釈き、大臣を召して謀らんと欲す。公子、王を止めて曰く、「趙王田猟するのみ、寇を為すに非ざるなり」と。また博すること故の如し。王恐れ、心博に在らず。居ること頃くして、また北方より来たりて伝へ言ひて曰く、「趙王猟するのみ、寇を為すに非ざるなり」と。魏王大いに驚きて曰く、「公子何を以てこれを知る」と。公子曰く、「臣の客に能く深く趙王の陰事を得る者有り、趙王の為す所、客輒ち以て臣に報ず、臣此を以てこれを知る」と。是の後、魏王公子の賢能を畏れ、敢へて公子に任ずるに国政を以てせず。
現代語訳
公子が魏王と双六をしていると、北の国境から烽火が上がったとの知らせが届き、「趙の軍が攻めてきて、国境に入ろうとしている」と伝えてきた。魏王は双六をやめ、大臣を呼んで相談しようとした。公子は王を止めて言った。「趙王が狩りをしているだけで、攻めてきたのではない。」そして元どおり双六を続けた。王は恐ろしくて、心は双六どころではなかった。しばらくすると、また北から知らせが来て、「趙王は狩りをしているだけで、攻めてきたのではない」と伝えた。魏王はたいへん驚いて言った。「公子はどうしてそれを知っていたのか。」公子は言った。「私の食客に、趙王の内々の事情を深く探り出せる者がいて、趙王のすることはすぐに私に知らせてくる。それで私にはわかったのだ。」この後、魏王は公子の賢さと能力を恐れ、国の政治を任せようとはしなかった。
解説
関連する章句
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史記 魏公子列伝公子趙に留まること十年帰らず。秦公子の趙に在るを聞き、日夜兵を出だして東のかた魏を伐つ。魏王之を患ひ、使をして往きて公子を請はしむ。公子其の之を怒るを恐れ、乃ち門下を誡む、「敢て魏王の使の為に通ずる者有らば死せしむ」と。賓客皆魏に背きて趙に之き、敢て公子に帰るを勧むる莫し。毛公・薛公両人往きて公子に見えて曰く、「公子の趙に重んぜられ、名諸侯に聞こゆる所以は、徒だ魏有るを以てなり。今秦魏を攻め、魏急にして公子恤へずんば、秦をして大梁を破りて先王の宗廟を夷がしめば、公子当に何の面目ありて天下に立つべきか」と。語未だ卒ふるに及ばず、公子立ちどころに色を変じ、車を告げて駕を趣し帰りて魏を救ふ。
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史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
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史記 魏公子列伝公子、五国の兵を率ゐて秦の軍を河外に破り、蒙驁を走らす。遂に勝ちに乗じて秦の軍を逐ひて函谷関に至り、秦の兵を抑へ、秦の兵敢へて出でず。是の時に当たりて、公子の威天下に振ひ、諸侯の客兵法を進む、公子皆これに名づく、故に世俗魏公子兵法と称す。秦王これを患へ、乃ち金万斤を魏に行ひ、晋鄙の客を求め、公子を魏王に毀らしめて曰く、「公子亡げて外に在ること十年なり、今魏の将と為り、諸侯の将皆属す。諸侯は徒だ魏の公子を聞きて、魏王を聞かず。公子もまた此の時に因りて南面を定めて王たらんと欲す、諸侯は公子の威を畏れ、方に共にこれを立てんと欲す」と。秦数々反間を使ひ、偽りて公子の立ちて魏王と為るを得たるや未だしやを賀す。魏王日にその毀りを聞き、信ぜざる能はず、後果たして人をして公子に代はりて将たらしむ。公子自ら再び毀りを以て廃せらるるを知り、乃ち病と謝して朝せず、賓客と長夜の飲を為し、醇酒を飲み、多く婦女に近づく。日夜楽飲を為すこと四歳、竟に酒に病みて卒す。
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史記 魏公子列伝無忌は大梁に在りし時より、常にこの両人の賢なるを聞き、趙に至りて、見ゆるを得ざらんことを恐る。無忌の従ひて游ぶを以てするも、尚ほその我を欲せざるを恐る、今平原君は乃ち以て羞と為す、それ従ひて遊ぶに足らず」と。乃ち装して去らんと為す。夫人具に以て平原君に語る。平原君乃ち冠を免ぎて謝し、固く公子を留む。平原君の門下これを聞き、半ば平原君を去りて公子に帰し、天下の士また往きて公子に帰す、公子は平原君の客を傾く。
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史記 魏公子列伝魏王、公子のその兵符を盗み、矯めて晋鄙を殺せしを怒る、公子もまた自ら知るなり。已に秦を卻けて趙を存し、将をしてその軍を将ゐて魏に帰らしめ、而して公子は独り客と趙に留まる。趙の孝成王、公子の晋鄙の兵を矯め奪ひて趙を存せしを徳とし、乃ち平原君と計り、五城を以て公子を封ぜんとす。公子これを聞き、意驕矜して自ら功とするの色有り。客に公子に説く有りて曰く、「物に忘るべからざる有り、或いは忘れざるべからざる有り。夫れ人の公子に徳有るは、公子忘るべからざるなり。公子の人に徳有るは、願はくは公子これを忘れよ。且つ魏王の令を矯め、晋鄙の兵を奪ひて以て趙を救ふは、趙に於いては則ち功有り、魏に於いては則ち未だ忠臣たらざるなり。公子乃ち自ら驕りてこれを功とす、竊かに公子の為に取らざるなり」と。是に於いて公子立ちどころに自ら責め、容るる所無きが若きに似たり。趙王、埽除して自ら迎へ、主人の礼を執り、公子を引きて西階に就かしむ。公子側行して辞譲し、東階より上る。自ら罪過を言ひ、以て魏に負き、趙に功無しとす。趙王侍酒して暮れに至るも、口に五城を献ずるに忍びず、公子の退譲するを以てなり。公子竟に趙に留まる。趙王、鄗を以て公子の湯沐の邑と為し、魏もまた信陵を以て復た公子に奉ず。公子趙に留まる。公子聞く、趙に処士毛公の博徒に蔵れ、薛公の売漿の家に蔵るる有りと。公子両人に見えんと欲す、両人自ら匿れて公子に見ゆるを肯んぜず。公子所在を聞き、乃ち閒歩して往きて此の両人に従ひて遊び、甚だ歓ぶ。平原君これを聞き、その夫人に謂ひて曰く、「始め吾、夫人の弟公子は天下に双び無しと聞く。今吾これを聞くに、乃ち妄りに博徒・売漿者に従ひて游ぶ、公子は妄人なるのみ」と。夫人以て公子に告ぐ。公子乃ち夫人に謝して去らんとして曰く、「始め吾、平原君の賢なるを聞く、故に魏王に負きて趙を救ひ、以て平原君に称ふ。平原君の遊ぶや、徒だ豪挙のみ、士を求めざるなり。
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史記 魏公子列伝軍を留めて鄴に壁し、名は趙を救ふと為し、実は両端を持して以て観望す。平原君の使者の冠蓋魏に相属し、魏の公子を譲めて曰く、「勝の自ら附きて婚姻を為す所以の者は、公子の高義を以て、能く人の困しみに急にすと為せばなり。今、邯鄲旦暮に秦に降らんとして魏の救ひ至らず、安くにか公子の能く人の困しみに急にするに在らん。且つ公子縦ひ勝を軽んじ、これを棄てて秦に降らしむとも、独り公子の姊を憐れまざるか」と。公子これを患へ、数々魏王に請ひ、及び賓客辯士の王に説くこと万端なり。魏王秦を畏れ、終に公子に聴かず。公子自ら度るに終にこれを王に得る能はず、計るに独り生きて趙をして亡ばしめず、乃ち賓客に請ひ、車騎百余乗を約し、客を以て往きて秦の軍に赴き、趙と倶に死せんと欲す。行きて夷門を過ぎ、侯生に見え、具に秦の軍に死せんと欲する所以の状を告ぐ。辞決して行く、侯生曰く、「公子これを勉めよ、老臣は従ふ能はず」と。公子行くこと数里、心快からず、曰く、「吾の侯生を待する所以の者は備はれり、天下聞かざる莫し。今、吾且に死せんとして侯生曾ち一言半辞の我を送る無し、我豈に失ふ所有らんや」と。また車を引きて還り、侯生に問ふ。侯生笑ひて曰く、「臣固より公子の還るを知るなり」と。曰く、「公子士を喜み、名天下に聞こゆ。今難有り、他の端無くして秦の軍に赴かんと欲す、譬へば肉を以て餒虎に投ずるが若し、何の功かこれ有らん。尚ほ安んぞ客を事とせん。然れども公子臣を遇すること厚し、公子往きて臣送らず、是を以て公子これを恨みて復た返るを知るなり」と。公子再拝し、因りて問ふ。侯生乃ち人を屏けて閒語して曰く、「嬴聞く、晋鄙の兵符は常に王の臥内に在り、而して如姫最も幸せられ、王の臥内に出入す、力能くこれを竊まん。嬴聞く、如姫の父は人の殺す所と為り、如姫これを資すること三年、王より以下その父の仇に報ゆることを求めんと欲するも、能く得る莫し。如姫、公子の為に泣く、公子、客をしてその仇の頭を斬らしめ、敬んで如姫に進む。
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