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史記 / 平原君虞卿列伝

毛遂左手持槃血而右手招十九人曰:「公相與歃此血於堂下。公等錄錄,所謂因人成事者也。」平原君已定從而歸,歸至於趙,曰:「勝不敢復相士。勝相士多者千人,寡者百數,自以爲不失天下之士,今乃於毛先生而失之也。毛先生一至楚,而使趙重於九鼎大呂。毛先生以三寸之舌,彊於百萬之師。勝不敢復相士。」遂以爲上客。平原君既返趙,楚使春申君將兵赴救趙,魏信陵君亦矯奪晉鄙軍往救趙,皆未至。秦急圍邯鄲,邯鄲急,且降,平原君甚患之。邯鄲傳舍吏子李同説平原君曰:「君不憂趙亡邪?」平原君曰:「趙亡則勝爲虜,何爲不憂乎?」李同曰:「邯鄲之民,炊骨易子而食,可謂急矣,而君之後宮以百數,婢妾被綺縠,餘粱肉,而民褐衣不完,糟糠不厭。民困兵盡,或剡木爲矛矢,而君器物鐘磬自若。使秦破趙,君安得有此?使趙得全,君何患無有?今君誠能令夫人以下編於士卒之閒,分功而作,家之所有盡散以饗士,士方其危苦之時,易德耳。」於是平原君從之,得敢死之士三千人。李同遂與三千人赴秦軍,秦軍爲之卻三十里。亦會楚、魏救至,秦兵遂罷,邯鄲復存。李同戰死,封其父爲李侯。虞卿欲以信陵君之存邯鄲爲平原君請封。

新字:毛遂左手持槃血而右手招十九人曰:「公相与歃此血於堂下。公等録録,所謂因人成事者也。」平原君已定従而帰,帰至於趙,曰:「勝不敢復相士。勝相士多者千人,寡者百数,自以為不失天下之士,今乃於毛先生而失之也。毛先生一至楚,而使趙重於九鼎大呂。毛先生以三寸之舌,彊於百万之師。勝不敢復相士。」遂以為上客。平原君既返趙,楚使春申君将兵赴救趙,魏信陵君亦矯奪晋鄙軍往救趙,皆未至。秦急囲邯鄲,邯鄲急,且降,平原君甚患之。邯鄲伝舎吏子李同説平原君曰:「君不憂趙亡邪?」平原君曰:「趙亡則勝為虜,何為不憂乎?」李同曰:「邯鄲之民,炊骨易子而食,可謂急矣,而君之後宮以百数,婢妾被綺縠,余粱肉,而民褐衣不完,糟糠不厭。民困兵尽,或剡木為矛矢,而君器物鐘磬自若。使秦破趙,君安得有此?使趙得全,君何患無有?今君誠能令夫人以下編於士卒之閒,分功而作,家之所有尽散以饗士,士方其危苦之時,易徳耳。」於是平原君従之,得敢死之士三千人。李同遂与三千人赴秦軍,秦軍為之却三十里。亦会楚、魏救至,秦兵遂罷,邯鄲復存。李同戦死,封其父為李侯。虞卿欲以信陵君之存邯鄲為平原君請封。

書き下し

毛遂、左手に槃血を持して右手に十九人を招きて曰く、「公相与にこの血を堂下に歃れ。公等は録録たり、所謂人に因りて事を成す者なり」と。平原君已に従を定めて帰り、帰りて趙に至りて曰く、「勝は敢へてまた士を相せず。勝の士を相すること多き者は千人、寡き者は百数、自ら以為へらく天下の士を失はずと。今乃ち毛先生に於いてこれを失へり。毛先生一たび楚に至りて、趙をして九鼎大呂より重からしむ。毛先生は三寸の舌を以て、百万の師より彊し。勝は敢へてまた士を相せず」と。遂に以て上客と為す。平原君既に趙に返る、楚は春申君をして兵を将ゐて赴きて趙を救はしめ、魏の信陵君もまた矯りて晋鄙の軍を奪ひて往きて趙を救ふも、皆未だ至らず。秦急に邯鄲を囲む、邯鄲急にして、且に降らんとす、平原君甚だこれを患ふ。邯鄲の伝舎の吏の子李同、平原君に説きて曰く、「君は趙の亡ぶるを憂へざるか」と。平原君曰く、「趙亡ぶれば則ち勝は虜と為る、何為れぞ憂へざらん」と。李同曰く、「邯鄲の民は、骨を炊き子を易へて食らふ、急と謂ふべし。而るに君の後宮は百を以て数へ、婢妾は綺縠を被り、粱肉を余す。而して民は褐衣完からず、糟糠に厭かず。民困しみ兵尽き、或いは木を剡りて矛矢と為す、而るに君の器物鐘磬は自若たり。秦をして趙を破らしめば、君安んぞ此れ有るを得ん。趙をして全きを得しめば、君何ぞ有ること無きを患へん。今、君誠に能く夫人以下をして士卒の閒に編せしめ、功を分けて作さしめ、家の有る所を尽く散じて以て士に饗せば、士は其の危苦の時に方たりて、徳とし易きのみ」と。是に於いて平原君これに従ひ、敢死の士三千人を得たり。李同遂に三千人と秦の軍に赴く、秦の軍これが為に卻くこと三十里。また会々楚・魏の救ひ至り、秦の兵遂に罷め、邯鄲また存す。李同戦死す、その父を封じて李侯と為す。虞卿、信陵君の邯鄲を存するを以て平原君の為に封を請はんと欲す。

現代語訳

毛遂は左手に血の入った盆を持ち、右手で十九人を招いて言った。「あなたがたも一緒に堂の下でこの血をすすりなさい。あなたがたは凡庸で、いわゆる人の力に頼って事を成し遂げる者たちだ。」平原君は合従を決めて帰り、趙に着くと言った。「私はもう二度と人物を鑑定するなどとは言うまい。私が士を見てきた数は、多いときで千人、少なくても百人を数え、自分では天下の士を見落としたことはないと思っていた。ところがいま毛先生を見落としていた。毛先生はひとたび楚へ行くと、趙を九鼎や大呂(周の宝器と大鐘)よりも重く見られるようにした。毛先生は三寸の舌で、百万の軍よりも強い力を示した。私はもう二度と人物を鑑定するなどとは言うまい。」こうして毛遂を上客とした。平原君が趙に帰ると、楚は春申君に兵を率いて趙の救援に向かわせ、魏の信陵君も王命と偽って晋鄙の軍を奪い取り救援に向かったが、どちらもまだ到着しなかった。秦は邯鄲を激しく攻め囲み、邯鄲は危急に陥って、いまにも降伏しそうになった。平原君はたいへん憂えた。邯鄲の宿駅の役人の子で李同という者が平原君に説いた。「あなたは趙が滅びるのを心配しないのか。」平原君は言った。「趙が滅びれば私は捕虜になる。どうして心配しないことがあろう。」李同は言った。「邯鄲の民は骨を焚きつけにし、子を取り替えて食べている。危急の極みと言ってよい。それなのにあなたの後宮の女は百人を数え、侍女や妾は薄絹をまとい、上等の穀物や肉を食べ残している。民は粗末な衣さえそろわず、酒かすや糠さえ満足に食べられない。民は困窮し、武器も尽きて、木を削って矛や矢にしている者もいるのに、あなたの器物や鐘・磬(石の楽器)は元のままだ。秦が趙を破れば、あなたはどうしてこれらを持っていられよう。趙が無事であれば、あなたは物がないことを心配する必要などない。いまあなたが本当に夫人以下を兵士たちの間に組み入れ、仕事を分担させ、家の財産をすべて分け与えて兵士をもてなせば、兵士たちはちょうど危険と苦しみのさなかにあるのだから、恩を感じやすいはずだ。」そこで平原君はこれに従い、決死の兵三千人を得た。李同はそのまま三千人と共に秦軍に向かって突撃し、秦軍はそのために三十里退いた。ちょうどそこへ楚と魏の救援軍が到着し、秦の兵はついに引き上げ、邯鄲は滅びずにすんだ。李同は戦死したので、その父を李侯に封じた。虞卿は、信陵君が邯鄲を救ったことを理由に、平原君のために封地の加増を願い出ようとした。

解説

合従の成立後、毛遂が上客となり、邯鄲が救われるまでを描いた段です。毛遂は十九人に「人に因りて事を成す者」と言い放ち、平原君は「もう人を見る目があるなどとは言わない。毛先生の三寸の舌は百万の兵より強い」と自らの不明を認めて毛遂を上客にしました。しかし楚の春申君、魏の信陵君の援軍はなかなか届かず、邯鄲は民が子を取り替えて食べるほどの惨状に陥ります。ここで宿駅の役人の子李同が、後宮の女性が絹をまとい肉を食べ残しているのに民は糠も食べられない、財を惜しまず兵に分け与えよと平原君を諫めました。平原君がこれに従うと三千の決死隊が集まり、秦軍を三十里退けて援軍の到着まで持ちこたえます。上に立つ者が危機に自らの持ち物を差し出すと、人は命をかけて応えるという話で、非常時のリーダーの姿勢を考えさせます。

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