史記 / 平原君虞卿列伝
公孫龍聞之,夜駕見平原君曰:「龍聞虞卿欲以信陵君之存邯鄲爲君請封,有之乎?」平原君曰:「然。」龍曰:「此甚不可。且王舉君而相趙者,非以君之智能爲趙國無有也。割東武城而封君者,非以君爲有功也,而以國人無勳,乃以君爲親戚故也。君受相印不辭無能,割地不言無功者,亦自以爲親戚故也。今信陵君存邯鄲而請封,是親戚受城而國人計功也。此甚不可。且虞卿操其兩權,事成,操右券以責;事不成,以虛名德君。君必勿聽也。」平原君遂不聽虞卿。平原君以趙孝成王十五年卒。子孫代,後竟與趙俱亡。平原君厚待公孫龍。公孫龍善爲堅白之辯,及鄒衍過趙言至道,乃絀公孫龍。
新字:公孫竜聞之,夜駕見平原君曰:「竜聞虞卿欲以信陵君之存邯鄲為君請封,有之乎?」平原君曰:「然。」竜曰:「此甚不可。且王舉君而相趙者,非以君之智能為趙国無有也。割東武城而封君者,非以君為有功也,而以国人無勲,乃以君為親戚故也。君受相印不辞無能,割地不言無功者,亦自以為親戚故也。今信陵君存邯鄲而請封,是親戚受城而国人計功也。此甚不可。且虞卿操其両権,事成,操右券以責;事不成,以虚名徳君。君必勿聴也。」平原君遂不聴虞卿。平原君以趙孝成王十五年卒。子孫代,後竟与趙倶亡。平原君厚待公孫竜。公孫竜善為堅白之弁,及鄒衍過趙言至道,乃絀公孫竜。
書き下し
公孫竜これを聞き、夜駕して平原君に見えて曰く、「竜聞く、虞卿、信陵君の邯鄲を存するを以て君の為に封を請はんと欲すと、これ有るか」と。平原君曰く、「然り」と。竜曰く、「此れ甚だ不可なり。且つ王の君を挙げて趙に相たらしむる者は、君の智能を以て趙国に有ること無しと為すに非ざるなり。東武城を割きて君を封ずる者は、君を以て功有りと為すに非ざるなり、而して国人勲無きを以て、乃ち君を以て親戚と為すの故なり。君の相印を受けて無能を辞せず、地を割かれて無功を言はざる者も、また自ら以て親戚の故と為せばなり。今、信陵君邯鄲を存して封を請ふは、是れ親戚城を受けて国人功を計るなり。此れ甚だ不可なり。且つ虞卿はその両権を操る、事成らば、右券を操りて以て責め、事成らずんば、虚名を以て君に徳とせられん。君必ず聴くこと勿かれ」と。平原君遂に虞卿に聴かず。平原君、趙の孝成王の十五年を以て卒す。子孫代はり、後に竟に趙と倶に亡ぶ。平原君、公孫竜を厚く待す。公孫竜は善く堅白の弁を為す、鄒衍の趙を過ぎりて至道を言ふに及び、乃ち公孫竜を絀く。
現代語訳
公孫竜はこれを聞くと、夜に車を走らせて平原君に会いに来て言った。「虞卿が、信陵君が邯鄲を救ったことを理由に、あなたのために封地の加増を願い出ようとしていると聞いた。本当か。」平原君は言った。「そうだ。」公孫竜は言った。「それはまったくいけない。そもそも王があなたを抜擢して趙の宰相にしたのは、あなたほどの知恵と才能が趙の国にほかにいないからではない。東武城を割いてあなたを封じたのも、あなたに功があったからではなく、国の人々には功績がなく、あなたが王の親族だからだ。あなたが宰相の印綬を受けても無能を理由に辞退せず、土地を与えられても功がないとは言わなかったのも、自分が親族だからだと思っていたからだろう。いま信陵君が邯鄲を救ったのに、あなたが封地を願い出るのは、親族として城をもらっておきながら、国の人々と同じように功を数えることになる。これはまったくいけない。それに虞卿は両方に利く手を握っている。事が成れば、手形の片割れを握って貸しを取り立てるように恩を求め、事が成らなくても、あなたのために骨を折ったという空の名目であなたに恩を売ることになる。あなたは決して聞き入れてはならない。」平原君はそこで虞卿の言葉に従わなかった。平原君は趙の孝成王の十五年に亡くなった。子孫が跡を継いだが、後に結局趙と共に滅んだ。平原君は公孫竜を手厚くもてなしていた。公孫竜は「堅白」の弁論を得意としたが、鄒衍が趙に立ち寄って至高の道を説くと、平原君は公孫竜を退けた。
解説
関連する章句
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戦国策・秦攻趙平原君使人請救於魏秦、趙を攻め、平原君人をして救いを魏に請わしむ。信陵君兵を発して邯鄲城下に至り、秦兵罷る。虞卿平原君の為に地を益さんことを請い、趙王に謂いて曰く、「夫れ一卒を闘わさず、一戟を頓せずして、二国の患を解く者は、平原君の力なり。人の力を用いて、人の功を忘るるは、不可なり」と。趙王曰く、「善し」と。将に之に地を益さんとす。公孫龍之を聞き、平原君に見えて曰く、「君に覆軍殺将の功無くして、封ずるに東武城を以てす。趙国の豪傑の士、多く君の右に在るも、君相国たる者は親を以ての故なり。夫れ君東武城に封ぜられて功無きを譲らず、趙国の相印を佩びて無能を辞せず、一たび国患を解きて、地を益さんことを求む、是れ親戚は封を受け、而して国人は功を計るなり。君の為に計る者は、受けざるに便ならんには如かず」と。平原君曰く、「謹んで令を受く」と。乃ち封を受けず。
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史記 平原君虞卿列伝平原君趙勝は、趙の諸公子なり。諸子の中にて勝最も賢にして、賓客を喜み、賓客蓋し至る者数千人。平原君、趙の恵文王及び孝成王に相たり、三たび相を去り、三たび位に復し、東武城に封ぜらる。平原君の家の楼は民家に臨む。民家に躄者有り、槃散として行きて汲む。平原君の美人楼上に居り、臨み見て、大いにこれを笑ふ。明日、躄者平原君の門に至り、請ひて曰く、「臣聞く、君の士を喜むや、士の千里を遠しとせずして至る者は、君の能く士を貴びて妾を賤しむを以てなり。臣不幸にして罷癃の病有り、而るに君の後宮臨みて臣を笑ふ。臣願はくは臣を笑ふ者の頭を得ん」と。平原君笑ひて応へて曰く、「諾」と。躄者去る、平原君笑ひて曰く、「此の豎子を観よ、乃ち一笑の故を以て吾が美人を殺さんと欲す、亦甚だしからずや」と。終に殺さず。居ること歳余、賓客門下の舎人稍稍引き去る者半ばを過ぐ。平原君これを怪しみて曰く、「勝の諸君を待する所以の者、未だ嘗て敢へて礼を失はず、而るに去る者何ぞ多きや」と。門下の一人前みて対へて曰く、「君の躄者を笑ひしものを殺さざるを以て、君を以て色を愛して士を賤しむと為す、士即ち去るのみ」と。是に於いて平原君乃ち躄者を笑ひし美人の頭を斬り、自ら門に造りて躄者に進め、因りて謝す。その後門下乃ちまた稍稍来たる。
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史記 平原君虞卿列伝毛遂、左手に槃血を持して右手に十九人を招きて曰く、「公相与にこの血を堂下に歃れ。公等は録録たり、所謂人に因りて事を成す者なり」と。平原君已に従を定めて帰り、帰りて趙に至りて曰く、「勝は敢へてまた士を相せず。勝の士を相すること多き者は千人、寡き者は百数、自ら以為へらく天下の士を失はずと。今乃ち毛先生に於いてこれを失へり。毛先生一たび楚に至りて、趙をして九鼎大呂より重からしむ。毛先生は三寸の舌を以て、百万の師より彊し。勝は敢へてまた士を相せず」と。遂に以て上客と為す。平原君既に趙に返る、楚は春申君をして兵を将ゐて赴きて趙を救はしめ、魏の信陵君もまた矯りて晋鄙の軍を奪ひて往きて趙を救ふも、皆未だ至らず。秦急に邯鄲を囲む、邯鄲急にして、且に降らんとす、平原君甚だこれを患ふ。邯鄲の伝舎の吏の子李同、平原君に説きて曰く、「君は趙の亡ぶるを憂へざるか」と。平原君曰く、「趙亡ぶれば則ち勝は虜と為る、何為れぞ憂へざらん」と。李同曰く、「邯鄲の民は、骨を炊き子を易へて食らふ、急と謂ふべし。而るに君の後宮は百を以て数へ、婢妾は綺縠を被り、粱肉を余す。而して民は褐衣完からず、糟糠に厭かず。民困しみ兵尽き、或いは木を剡りて矛矢と為す、而るに君の器物鐘磬は自若たり。秦をして趙を破らしめば、君安んぞ此れ有るを得ん。趙をして全きを得しめば、君何ぞ有ること無きを患へん。今、君誠に能く夫人以下をして士卒の閒に編せしめ、功を分けて作さしめ、家の有る所を尽く散じて以て士に饗せば、士は其の危苦の時に方たりて、徳とし易きのみ」と。是に於いて平原君これに従ひ、敢死の士三千人を得たり。李同遂に三千人と秦の軍に赴く、秦の軍これが為に卻くこと三十里。また会々楚・魏の救ひ至り、秦の兵遂に罷め、邯鄲また存す。李同戦死す、その父を封じて李侯と為す。虞卿、信陵君の邯鄲を存するを以て平原君の為に封を請はんと欲す。
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史記 平原君虞卿列伝虞卿は、遊説の士なり。蹻を躡み簦を檐ひて趙の孝成王に説く。一たび見えて、黄金百鎰・白璧一双を賜はる。再び見えて、趙の上卿と為る、故に号して虞卿と為す。秦・趙、長平に戦ひ、趙勝たず、一都尉を亡ふ。趙王、楼昌と虞卿とを召して曰く、「軍戦ひて勝たず、尉また死す。寡人、甲を束ねてこれに趨かしめんとす、何如」と。楼昌曰く、「益無きなり。重使を発して媾を為すに如かず」と。虞卿曰く、「昌の媾を言ふ者は、以為へらく媾せずんば軍必ず破れんと。而して媾を制する者は秦に在り。且つ王の秦を論ずるや、趙の軍を破らんと欲するか、不や」と。王曰く、「秦は余力を遺さず、必ず且に趙の軍を破らんと欲す」と。虞卿曰く、「王、臣に聴き、使ひを発し重宝を出だして以て楚・魏に附けよ。楚・魏は王の重宝を得んと欲し、必ず吾が使ひを内れん。趙の使ひ楚・魏に入らば、秦必ず天下の合従を疑ひ、且つ必ず恐れん。此くの如くんば、則ち媾乃ち為すべきなり」と。趙王聴かず、平陽君と媾を為し、鄭朱を発して秦に入れしむ。秦これを内る。趙王、虞卿を召して曰く、「寡人、平陽君をして媾を秦に為さしむ、秦已に鄭朱を内れたり、卿の為は奚如」と。虞卿対へて曰く、「王、媾を得ずして、軍必ず破れん。天下の戦ひを賀する者は皆秦に在り。鄭朱は貴人なり、秦に入らば、秦王と応侯と必ず顕重して以て天下に示さん。楚・魏は趙を以て媾を為すと為し、必ず王を救はず。秦、天下の王を救はざるを知らば、則ち媾は得て成るべからざるなり」と。応侯果たして鄭朱を顕かにして以て天下の戦勝を賀する者に示し、終に媾を肯んぜず。長平大いに敗れ、遂に邯鄲を囲まれ、天下の笑ひと為る。秦既に邯鄲の囲みを解き、而して趙王入朝し、趙郝をして事を秦に約せしめ、六県を割きて媾せんとす。
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史記 范雎蔡沢列伝范君の仇は君の家に在り、願はくは人をして帰りてその頭を取りて来たらしめよ。然らずんば、吾君を関より出ださず」と。平原君曰く、「貴くして交はりを為すは、賤しきが為なり。富みて交はりを為すは、貧しきが為なり。夫れ魏斉は勝の友なり、在るとも固より出ださざるなり、今また臣の所に在らず」と。昭王乃ち趙王に書を遺りて曰く、「王の弟秦に在り、范君の仇魏斉は平原君の家に在り。王、人をして疾くその頭を持ちて来たらしめよ。然らずんば、吾兵を挙げて趙を伐ち、また王の弟を関より出ださず」と。趙の孝成王乃ち卒を発して平原君の家を囲む。急なり、魏斉夜亡げ出で、趙の相虞卿に見ゆ。虞卿度るに趙王は終に説くべからず、乃ちその相印を解き、魏斉と亡げ、閒行し、諸侯の以て急に抵るべき者莫きを念ひ、乃ちまた大梁に走り、信陵君に因りて以て楚に走らんと欲す。信陵君これを聞き、秦を畏れ、猶予して未だ見ゆるを肯んぜずして曰く、「虞卿は何如なる人ぞ」と。時に侯嬴旁らに在りて曰く、「人は固より未だ知り易からず、人を知ることもまた未だ易からざるなり。夫れ虞卿は屩を躡み簦を檐ひ、一たび趙王に見えて、白璧一双・黄金百鎰を賜はる。再び見えて、拝して上卿と為る。三たび見えて、卒に相印を受け、万戸侯に封ぜらる。此の時に当たりて、天下争ひてこれを知る。夫れ魏斉は窮困して虞卿に過る、虞卿は敢へて爵禄の尊きを重んぜず、相印を解き、万戸侯を捐てて閒行す。士の窮に急にして公子に帰す、公子曰く『何如なる人ぞ』と。人は固より知り易からず、人を知ることもまた未だ易からざるなり」と。信陵君大いに慚ぢ、駕して野に如きてこれを迎ふ。魏斉、信陵君の初めこれに見ゆるを難るを聞き、怒りて自剄す。趙王これを聞き、卒にその頭を取りて秦に予ふ。秦の昭王乃ち平原君を出だして趙に帰す。昭王の四十三年、秦韓の汾陘を攻め、これを抜き、因りて河上の広武に城く。後五年、昭王、応侯の謀を用ひ、反閒を縦にして趙を売る。趙その故を以て、馬服子をして廉頗に代はりて将たらしむ。
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史記 平原君虞卿列伝今、郝曰く『秦の韓・魏を善くして趙を攻むる者は、必ず(以て韓・魏の趙を救はずと為して王の軍必ず孤なるも以て有り)王の秦に事ふること韓・魏に如かざればなり』と。是れ王をして歳に六城を以て秦に事へしむるなり、即ち坐して城尽きん。来年秦また地を割かんことを求めば、王将にこれに与へんとするか。与へずんば、是れ前功を棄てて秦の禍を挑むなり。これを与へば、則ち地無くしてこれに給せん。語に曰く『彊き者は善く攻め、弱き者は守る能はず』と。今、坐して秦に聴かば、秦の兵は獘れずして多く地を得、是れ秦を彊くして趙を弱むるなり。益々彊き秦を以て愈々弱き趙を割く、その計は故より止まざらん。且つ王の地は尽くること有りて秦の求むるは已むこと無し。尽くること有るの地を以て已むこと無きの求めに給せば、その勢ひ必ず趙無からん」と。趙王の計未だ定まらず、楼緩秦より来たる。趙王、楼緩とこれを計りて曰く、「秦に地を予ふると予ふること毋きと、孰れか吉なる」と。緩辞譲して曰く、「此れ臣の能く知る所に非ざるなり」と。王曰く、「然りと雖も、試みに公の私を言へ」と。楼緩対へて曰く、「王もまた夫の公甫文伯の母を聞けるか。公甫文伯、魯に仕へ、病みて死す。女子の為に房中に自殺する者二人。その母これを聞き、哭せざるなり。その相室曰く、『焉んぞ子死して哭せざる者有らんや』と。その母曰く、『孔子は賢人なり、魯に逐はれしに、是の人随はざるなり。今死して婦人これが為に自殺する者二人、是くの若き者は必ずその長者に於いて薄くして婦人に於いて厚きなり』と。故に母よりこれを言はば、是れ賢母と為す。妻よりこれを言はば、是れ必ず妒妻たるを免れず。故にその言は一なるも、言ふ者異なれば則ち人心変ず。今、臣新たに秦より来たりて予ふること勿かれと言はば、則ち計に非ざるなり。これに予へよと言はば、恐らくは王、臣を以て秦の為にすと為さん。故に敢へて対へず。臣をして大王の為に計るを得しめば、これに予ふるに如かず」と。王曰く、「諾」と。虞卿これを聞き、入りて王に見えて曰く、「此れ飾説なり、王慎みて予ふること勿かれ」と。
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