史記 / 孟嘗君列伝
人人各自以爲孟嘗君親己。秦昭王聞其賢,乃先使涇陽君爲質於齊,以求見孟嘗君。孟嘗君將入秦,賓客莫欲其行,諫,不聽。蘇代謂曰:「今旦代從外來,見木禺人與土禺人相與語。木禺人曰:『天雨,子將敗矣。』土禺人曰:『我生於土,敗則歸土。今天雨,流子而行,未知所止息也。』今秦,虎狼之國也,而君欲往,如有不得還,君得無爲土禺人所笑乎?」孟嘗君乃止。齊湣王二十五年,
新字:人人各自以為孟嘗君親己。秦昭王聞其賢,乃先使涇陽君為質於斉,以求見孟嘗君。孟嘗君将入秦,賓客莫欲其行,諫,不聴。蘇代謂曰:「今旦代従外来,見木禺人与土禺人相与語。木禺人曰:『天雨,子将敗矣。』土禺人曰:『我生於土,敗則帰土。今天雨,流子而行,未知所止息也。』今秦,虎狼之国也,而君欲往,如有不得還,君得無為土禺人所笑乎?」孟嘗君乃止。斉湣王二十五年,
書き下し
人人各々自ら以為へらく孟嘗君己に親しむと。秦の昭王その賢を聞き、乃ち先づ涇陽君をして斉に質たらしめ、以て孟嘗君に見えんことを求む。孟嘗君将に秦に入らんとす、賓客その行くことを欲する莫く、諫むるも、聴かず。蘇代謂ひて曰く、「今旦、代外より来たり、木禺人と土禺人と相与に語るを見る。木禺人曰く、『天雨ふらば、子将に敗れんとす』と。土禺人曰く、『我は土に生まる、敗るれば則ち土に帰す。今天雨ふらば、子を流して行かしめ、止息する所を知らざらん』と。今、秦は虎狼の国なり、而るに君往かんと欲す。如し還るを得ざること有らば、君、土禺人の笑ふ所と為ること無きを得んや」と。孟嘗君乃ち止む。斉の湣王の二十五年、
現代語訳
(孟嘗君の食客は)一人一人がみな、孟嘗君は自分と親しくしてくれていると思っていた。秦の昭王は孟嘗君が賢者だと聞き、まず涇陽君を人質として斉に送り、孟嘗君に会いたいと求めた。孟嘗君は秦に入ろうとしたが、食客は誰もその旅を望まず、諫めたけれども聞き入れなかった。蘇代が言った。「今朝、私は外から来る途中、木の人形と土の人形が語り合っているのを見た。木の人形が『雨が降ったら、おまえは崩れてしまうぞ』と言うと、土の人形は『私は土から生まれたから、崩れれば土に帰るだけだ。だが雨が降れば、おまえは流されていって、どこで止まるかもわからないぞ』と言った。いま秦は虎狼のような国なのに、あなたは行こうとしている。もし帰れなくなったら、あなたは土の人形に笑われることになりはしないか。」孟嘗君はそこで思いとどまった。斉の湣王の二十五年、
解説
関連する章句
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説苑・正諫孟嘗君将に西のかた秦に入らんとす。賓客之を諫むること百通なるも、則ち聴かざるなり。曰わく、「人事を以て我を諫めば、我尽く之を知る。若し鬼道を以て我を諫めば、我則ち之を殺さん」と。謁者入りて曰わく、「客有り、鬼道を以て聞えんとす」と。曰わく、「客を請じ入れよ」と。客曰わく、「臣の来たるや、淄水の上を過ぎて、一の土耦人の方に木梗人と語るを見たり。木梗、土耦人に謂いて曰わく、『子は先んず、土なり。子を持して以て耦人と為す。天の大雨に遇い、水潦並び至らば、子必ず沮壊せん』と。応えて曰わく、『我沮すれば乃ち吾が真に反るのみ。今子は東園の桃なり。子を刻みて以て梗と為す。天の大雨に遇い、水潦並び至らば、必ず子を浮かべ、泛泛乎として止まる所を知らざらん』と。今秦は四塞の国にして、虎狼の心有り。恐らくは木梗の患有らん」と。是に於て孟嘗君逡巡して退き、以て応うる無く、卒に敢えて西のかた秦に嚮わず。
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戦国策・孟嘗君將入秦孟嘗君將に秦に入らんとす、止むる者千數なるも聽かず。蘇秦之を止めんと欲す、孟嘗曰く、「人事は、吾已に盡く之を知る。吾未だ聞かざる所の者は、獨り鬼事のみ。」蘇秦曰く、「臣の來るや、固より敢へて人事を言はず、固より且に鬼事を以て君に見えんとす。」孟嘗君之に見ゆ。孟嘗君に謂ひて曰く、「今者臣來たるに、淄上を過ぐるに、土偶人と桃梗と相與に語る有り。桃梗、土偶人に謂ひて曰く、『子は西岸の土なり、子を挺(こ)ねて以て人と爲す、歳八月に至り、雨降り下り、淄水至らば、則ち汝殘なはれん。』土偶曰く、『然らず。吾は西岸の土なり、土なれば則ち復た西岸に復せんのみ。今子は東國の桃梗なり、子を刻削して以て人と爲す、雨降り下り、淄水至らば、子を流して去らん、則ち子漂漂として將に何如とせん。』今秦は四塞の國、譬へば虎口のごとし、而して君之に入らば、則ち臣君の出づる所を知らず。」孟嘗君乃ち止む。
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史記 孟嘗君列伝孟嘗君趙を過ぐ、趙の平原君これを客とす。趙人孟嘗君の賢を聞き、出でてこれを観、皆笑ひて曰く、「始め薛公を以て魁然たりと為す、今これを視れば、乃ち眇小の丈夫のみ」と。孟嘗君これを聞きて怒る。客の与に倶にする者下り、斫撃して数百人を殺し、遂に一県を滅ぼして以て去る。斉の湣王自ら得ず、その孟嘗君を遣りしを以てなり。孟嘗君至る、則ち以て斉の相と為し、政を任ず。孟嘗君秦を怨み、将に斉を以て韓・魏の為に楚を攻めんとし、因りて韓・魏と秦を攻めんとして、兵食を西周に借らんとす。蘇代、西周の為に謂ひて曰く、「君、斉を以て韓・魏の為に楚を攻むること九年、宛・葉以北を取りて以て韓・魏を彊くし、今また秦を攻めて以てこれを益さんとす。韓・魏、南に楚の憂ひ無く、西に秦の患ひ無くんば、則ち斉危ふし。韓・魏必ず斉を軽んじて秦を畏れん、臣君の為にこれを危ぶむ。君は敝邑をして深く秦に合せしめ、而して君は攻むること無く、また兵食を借ること無きに如かず。君、函谷に臨みて攻むること無く、敝邑をして君の情を以て秦の昭王に謂はしめて曰はしめよ、『薛公は必ず秦を破りて以て韓・魏を彊くせず。その秦を攻むるや、王の楚王をして東国を割きて以て斉に与へしめ、而して秦の楚の懐王を出だして以て和を為さんことを欲するなり』と。君、敝邑をして此を以て秦に恵ましめば、秦は破らるること無くして東国を以て自ら免るるを得、秦必ずこれを欲せん。楚王出づるを得ば、必ず斉を徳とせん。斉、東国を得て益々彊く、而して薛は世世患ひ無からん。秦大いに弱らずして、三晋の西に処らば、三晋必ず斉を重んぜん」と。薛公曰く、「善し」と。因りて韓・魏をして秦を賀せしめ、三国をして攻むること無からしめ、而して兵食を西周に借らず。是の時、楚の懐王秦に入り、秦これを留む、故に必ずこれを出ださんと欲す。秦果たして楚の懐王を出ださず。孟嘗君斉に相たり、その舎人魏子、孟嘗君の為に邑の入を収むるに、三たび反りて一入をも致さず。孟嘗君これを問ふ、対へて曰く、「賢者有り、竊かに仮してこれに与ふ、故を以て入を致さず」と。孟嘗君怒りて魏子を退く。
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史記 孟嘗君列伝居ること数年、人或ひと孟嘗君を斉の湣王に毀りて曰く、「孟嘗君将に乱を為さんとす」と。田甲の湣王を劫かすに及び、湣王意に孟嘗君を疑ふ、孟嘗君乃ち奔る。魏子の粟を与へし所の賢者これを聞き、乃ち上書して孟嘗君の乱を作さざるを言ひ、身を以て盟と為さんことを請ひ、遂に宮門に自剄して以て孟嘗君を明らかにす。湣王乃ち驚き、而して蹤跡験問す、孟嘗君果たして反謀無し、乃ちまた孟嘗君を召す。孟嘗君因りて病を謝し、帰りて薛に老せんとす。湣王これを許す。その後、秦の亡将呂礼斉に相たり、蘇代を困しめんと欲す。代乃ち孟嘗君に謂ひて曰く、「周最の斉に於けるや、至って厚し、而るに斉王これを逐ひ、而して親弗の呂礼を相とするを聴くは、秦を取らんと欲すればなり。斉・秦合せば、則ち親弗と呂礼と重からん。用ひらるる有らば、斉・秦必ず君を軽んぜん。君は急ぎ兵を北し、趙に趨きて以て秦・魏と和し、周最を収めて以て行ひを厚くし、且つ斉王の信を反し、また天下の変を禁ずるに如かず。斉に秦無くんば、則ち天下斉に集まり、親弗必ず走らん、則ち斉王孰と与にその国を為めん」と。是に於いて孟嘗君その計に従ふ、而して呂礼孟嘗君を嫉み害せんとす。孟嘗君懼れ、乃ち秦の相穣侯魏冉に書を遺りて曰く、「吾聞く、秦は呂礼を以て斉を収めんと欲すと。斉は天下の彊国なり、子必ず軽んぜられん。斉・秦相取りて以て三晋に臨まば、呂礼必ず并せて相たらん、是れ子は斉に通じて以て呂礼を重くするなり。若し斉天下の兵を免れば、その子を讎とすること必ず深からん。子は秦王に勧めて斉を伐たしむるに如かず。斉破れなば、吾請ふ得る所を以て子を封ぜん。斉破れなば、秦は晋の彊きを畏れ、秦必ず子を重んじて以て晋を取らん。晋国は斉に敝れて秦を畏れ、晋必ず子を重んじて以て秦を取らん。是れ子は斉を破りて以て功と為し、晋を挟みて以て重きを為すなり。是れ子は斉を破りて封を定め、秦・晋交々子を重んずるなり。若し斉破れずして、呂礼また用ひらるれば、子必ず大いに窮せん」と。
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史記 孟嘗君列伝今、臣竊かに聞く、秦は使車十乗を遣り、黄金百鎰を載せて以て孟嘗君を迎ふと。孟嘗君西せずんば則ち已む、西して秦に入りて相たらば則ち天下これに帰し、秦は雄と為りて斉は雌と為らん。雌ならば則ち臨淄・即墨危ふし。王何ぞ秦の使ひの未だ到らざるに先だち、孟嘗君を復し、而して益々これに邑を与へて以てこれに謝せざる。孟嘗君必ず喜びてこれを受けん。秦は彊国と雖も、豈に以て人の相を請ひてこれを迎ふべけんや。秦の謀を折きて、その霸彊の略を絶たん」と。斉王曰く、「善し」と。乃ち人をして境に至りて秦の使ひを候はしむ。秦の使車適々斉の境に入る、使ひ還り馳せてこれを告ぐ。王、孟嘗君を召してその相位を復し、而してその故邑の地を与へ、また益すに千戸を以てす。秦の使者、孟嘗君のまた斉に相たるを聞き、車を還して去る。斉王の孟嘗君を毀り廃してより、諸客皆去る。後に召してこれを復するや、馮驩これを迎ふ。未だ到らざるに、孟嘗君太息して嘆じて曰く、「文は常に客を好み、客を遇するに敢へて失ふ所無し、食客三千有余人、先生の知る所なり。客、文の一日廃せらるるを見て、皆文に背きて去り、文を顧みる者莫し。今、先生に頼りてその位に復するを得たり、客もまた何の面目ありてまた文に見えんや。如しまた文に見ゆる者あらば、必ずその面に唾してこれを大いに辱めん」と。馮驩、轡を結びて下拝す。孟嘗君車を下りてこれを接して曰く、「先生は客の為に謝するか」と。馮驩曰く、「客の為に謝するに非ざるなり、君の言の失の為なり。夫れ物には必ず至る有り、事には固より然る有り、君これを知るか」と。孟嘗君曰く、「愚にして謂ふ所を知らざるなり」と。曰く、「生ある者は必ず死有り、物の必ず至るなり。富貴なれば士多く、貧賤なれば友寡し、事の固より然るなり。君独り夫の(朝)市[朝]に趣く者を見ずや。明旦には、肩を側てて門を争ひて入る。日暮るるの後は、市朝を過ぐる者も臂を掉ひて顧みず。朝を好みて暮れを悪むに非ず、期する所の物その中に忘るればなり。今、君位を失ひ、賓客皆去る、以て士を怨みて徒らに賓客の路を絶つに足らず。願はくは君、客を遇すること故の如くせよ」と。孟嘗君再拝して曰く、「敬んで命に従はん。
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史記 孟嘗君列伝斉王、秦・楚の毀りに惑ひ、以為へらく孟嘗君は名その主より高くして斉国の権を擅にすと。遂に孟嘗君を廃す。諸客孟嘗君の廃せらるるを見て、皆去る。馮驩曰く、「臣に車一乗を借せ、以て秦に入るべき者、必ず君をして国に重くして奉邑益々広からしめん、可なるか」と。孟嘗君乃ち車幣を約してこれを遣る。馮驩乃ち西して秦王に説きて曰く、「天下の游士の軾に馮り靷を結びて西して秦に入る者は、秦を彊くして斉を弱めんと欲せざるは無し。軾に馮り靷を結びて東して斉に入る者は、斉を彊くして秦を弱めんと欲せざるは無し。此れ雄雌の国なり、勢ひ両立して雄たらず、雄たる者は天下を得ん」と。秦王跽きてこれに問ひて曰く、「何を以てせば秦をして雌と為ること無からしめて可ならん」と。馮驩曰く、「王もまた斉の孟嘗君を廃せるを知るか」と。秦王曰く、「これを聞く」と。馮驩曰く、「斉をして天下に重からしむる者は、孟嘗君なり。今、斉王毀りを以てこれを廃す、その心怨み、必ず斉に背かん。斉に背きて秦に入らば、則ち斉国の情、人事の誠、尽くこれを秦に委ね、斉の地得べきなり、豈に直だに雄たるのみならんや。君、急ぎ使ひをして幣を載せて陰かに孟嘗君を迎へしめよ、時を失ふべからざるなり。如し斉覚悟する有りて、また孟嘗君を用ひば、則ち雌雄の在る所未だ知るべからざるなり」と。秦王大いに悦び、乃ち車十乗・黄金百鎰を遣りて以て孟嘗君を迎へしむ。馮驩辞して以て先に行き、斉に至り、斉王に説きて曰く、「天下の游士の軾に馮り靷を結びて東して斉に入る者は、斉を彊くして秦を弱めんと欲せざる者は無し。軾に馮り靷を結びて西して秦に入る者は、秦を彊くして斉を弱めんと欲せざる者は無し。夫れ秦・斉は雄雌の国なり、秦彊ければ則ち斉弱し、此れ勢ひ両雄ならず。
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