史記 / 孟子荀卿列伝
故武王以仁義伐紂而王,伯夷餓不食周粟;衛靈公問陳,而孔子不答;梁惠王謀欲攻趙,孟軻稱大王去邠。此豈有意阿世俗茍合而已哉!持方枘欲內圜鑿,其能入乎?或曰,伊尹負鼎而勉湯以王,百里奚飯牛車下而繆公用霸,作先合,然後引之大道。騶衍其言雖不軌,儻亦有牛鼎之意乎?自騶衍與齊之稷下先生,如淳于髡、慎到、環淵、接子、田駢、騶奭之徒,各著書言治亂之事,以干世主,豈可勝道哉!
新字:故武王以仁義伐紂而王,伯夷餓不食周粟;衛霊公問陳,而孔子不答;梁恵王謀欲攻趙,孟軻称大王去邠。此豈有意阿世俗苟合而已哉!持方枘欲内圜鑿,其能入乎?或曰,伊尹負鼎而勉湯以王,百里奚飯牛車下而繆公用覇,作先合,然後引之大道。騶衍其言雖不軌,儻亦有牛鼎之意乎?自騶衍与斉之稷下先生,如淳于髡、慎到、環淵、接子、田駢、騶奭之徒,各著書言治乱之事,以干世主,豈可勝道哉!
書き下し
故に武王は仁義を以て紂を伐ちて王たり、伯夷は餓ゑて周の粟を食まず。衛の霊公陳を問ひて、孔子答へず。梁の恵王謀りて趙を攻めんと欲し、孟軻は大王の邠を去るを称す。此れ豈に意有りて世俗に阿りて茍合せんとするのみならんや。方枘を持して圜鑿に内れんと欲す、それ能く入らんや。或ひと曰く、伊尹は鼎を負ひて湯を勉めて以て王たらしめ、百里奚は牛を車下に飯ひて繆公用ひて霸たり、先づ合ふことを作して、然る後にこれを大道に引く。騶衍はその言軌せずと雖も、儻しくはまた牛鼎の意有らんか。騶衍と斉の稷下の先生、淳于髡・慎到・環淵・接子・田駢・騶奭の徒の如きより、各々書を著して治乱の事を言ひ、以て世主に干む、豈に勝げて道ふべけんや。
現代語訳
だから、周の武王は仁義によって紂王を討って天下の王となったが、伯夷は飢えても周の穀物を食べなかった。衛の霊公が戦陣の布き方を尋ねても、孔子は答えなかった。梁の恵王が趙を攻めようと謀ると、孟子は(周の祖の)大王(古公亶父)が戦を避けて邠の地を去った故事を説いた。これがどうして、わざわざ世俗におもねって、かりそめに気に入られようとするだけのことであろうか。四角いほぞを丸い穴に入れようとしても、入るはずがあろうか。ある人はこう言う。伊尹は(料理人として)鼎を背負って湯王に近づき、励まして天下の王とし、百里奚は車の下で牛を飼っていたところから秦の繆公に用いられて覇者とさせた。まず相手に合わせて気に入られ、そのうえで大道に導いたのだ。騶衍の言葉は常軌を外れているとはいえ、もしかすると、この牛と鼎(のように、まず相手の懐に入る)という意図もあったのではなかろうか。騶衍と斉の稷下の先生たち、たとえば淳于髡・慎到・環淵・接子・田駢・騶奭らは、それぞれ書物を著して世の治乱について論じ、それをもって時の君主に用いられようとした。その数はとても数え上げられるものではない。
解説
関連する章句
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『塩鉄論』論儒篇御史曰く、伊尹は割烹を以て湯に事え、百里は牛を飯いて穆公に要む、始めは茍合を為すも、信に然く之と霸王たり。此くの如くんば、何の言か從われざらん、何の道か行われざらん。故に商君は王道を以て孝公に說き、用いられず、即ち強國の道を以てし、卒に以て功を就す。鄒子は儒術を以て世主に干め、用いられず、即ち變化始終の論を以てし、卒に以て名を顯らかにす。故に馬の千里を效すは、必ずしも胡・代ならず、士の成功を貴ぶは、必ずしも文辭ならず。孟軻は舊術を守り、世務を知らず、故に梁・宋に困しむ。孔子は方なる能うも圓なる能わず、故に黎丘に饑う。今晚世の儒は德に勤むるも、時に乏匱有り、言以て非と為す、此に困しみて行われず。周室より以來、千有餘歲、獨り文・武・成・康有るのみ、如し言うに必ず一を參えば、及ぶ能わざる所を取りて之を稱するは、猶お躄者の能く遠きを言いて行く能わざるがごときなり。聖人は塗を異にして歸を同じくす、或いは行き或いは止まるも、其の趣は一なり。商君は法を革め教を改むと雖も、志は國を強くし民を利するに存す。鄒子の作、變化の術も、亦た仁義に歸す。祭仲の自ら貶損して以て權を行うは、時なり。故に小しく枉げて大いに直きは、君子之を為す。今硁硁然として一道を守り、尾生の意を引かば、即ち晉文の諸侯を譎きて以て周室を尊ぶも道うに足らず、而して管仲の恥辱を蒙りて以て亡を存するも稱するに足らざるなり。
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史記 孟子荀卿列伝孟軻は、騶の人なり。業を子思の門人に受く。道既に通じ、游びて斉の宣王に事ふるも、宣王用ふる能はず。梁に適くも、梁の恵王言ふ所を果たさず、則ち以て迂遠にして事情に闊しと見なさる。是の時に当り、秦は商君を用ひて国を富まし兵を彊くし、楚魏は呉起を用ひて戦勝し敵を弱くし、斉の威王・宣王は孫子・田忌の徒を用ひて、諸侯東面して斉に朝す。天下方に合従連衡に務め、攻伐を以て賢と為す。而して孟軻乃ち唐・虞・三代の徳を述ぶ、是を以て如く所の者合はず。退きて万章の徒と詩書を序し、仲尼の意を述べ、孟子七篇を作る。
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『長短経』是非〔非に曰く〕史記に曰く「藺相如は宦者繆賢に因りて趙王に見ゆ」と。又た曰く「鄒衍、談天論を作る。其の語は閎大にして経ならず。然れども王公大人之を尊礼す。梁に適けば、梁の恵王は郊迎して賓主の礼を執る。燕に如けば、昭王は篲を擁して先駆す。豈に仲尼の菜色して陳・蔡し、孟軻の斉・梁に困しむと同じからんや」と。衛の霊公、陳を孔子に問う。孔子答えず。梁の恵王、趙を攻むるを謀る。孟軻は太王の邠を去るを称す。方枘を持ちて円鑿に納れんと欲す。其れ能く入らんや。或るひと曰く、伊尹は鼎を負いて湯を輔けて以て王たり、百里奚は牛を飯いて繆公用いて霸たり。先ず合するを作して、然る後に之を大道に引く。鄒衍、其の言は軌ならずと雖も、亦た将に牛鼎の意有らんか、と。
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孟子・梁惠王章句下斉の宣王問ひて曰く、「湯桀を放ち、武王紂を伐つ、諸れ有りや。」孟子対へて曰く、「伝に於て之有り。」曰く、「臣其の君を弑す、可ならんや。」曰く、「仁を賊ふ者之を『賊』と謂ひ、義を賊ふ者之を『残』と謂ふ。残賊の人之を『一夫』と謂ふ。一夫紂を誅するを聞くも、未だ君を弑するを聞かざるなり。」孟子斉の宣王に見えて曰く、「巨室を為らんとすれば、則ち必ず工師をして大木を求めしむ。工師大木を得れば、則ち王喜び、以て能く其の任に勝ふと為す。匠人斫りて之を小さくすれば、則ち王怒り、以て其の任に勝へずと為す。夫れ人幼にして之を学び、壮にして之を行はんと欲す。王曰く、『姑く女の学ぶ所を捨てて我に従へ』と。則ち何如。今璞玉此に有らば、万鎰なりと雖も、必ず玉人をして之を雕琢せしめん。国家を治むるに至りては、則ち曰く、『姑く女の学ぶ所を捨てて我に従へ』と。則ち何を以て玉人に教へて玉を雕琢せしむるに異ならんや。」
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荘子・譲王昔、周の興るや、士二人有りて孤竹(こちく)に処る。伯夷・叔斉と曰う。二人相謂いて曰く、「吾聞く、西方に人有り、有道者に似たりと。試みに往きて観ん」と。岐陽に至る。武王之を聞き、叔旦(しゅくたん)をして往きて之に見えしめ、与に盟いて曰く、「富を加うること二等、官に就くこと一列」と。牲を血ぬりて之を埋む。二人相視て笑いて曰く、「嘻(ああ)、異なるかな。此れ吾が所謂道に非ざるなり。昔者、神農の天下を有つや、時祀(じし)に敬を尽くして喜を祈らず。其の人に於けるや、忠信にして治を尽くして求むる無し。政を与にするを楽しみて政を為し、治を与にするを楽しみて治を為す。人の壊るるを以て自ら成らず、人の卑しきを以て自ら高からず、時に遭うを以て自ら利せず。今、周は殷の乱るるを見て遽(にわ)かに政を為す。上は謀り下は貨を行う。兵を阻(たの)みて威を保ち、牲を割きて盟いて以て信と為し、行を揚げて以て衆を説(よろこ)ばせ、殺伐して以て利を要(もと)む。是れ乱を推して以て暴に易(か)うるなり。吾聞く、古の士は治世に遭えば其の任を避けず、乱世に遇えば苟(いやしく)も存するを為さずと。今、天下は闇く、周の徳は衰えたり。其の周に並びて以て吾が身を塗(けが)さんよりは、之を避けて以て吾が行を絜(きよ)くするに如かず」と。
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『塩鉄論』論儒篇文學曰く、伊尹の湯に於けるは、聖主を知ればなり。百里の秦に歸するは、明君を知ればなり。二君の能く霸主を知るは、其の冊素より己に形わる、暗くして冥冥を以て事を決するに非ざるなり。孔子曰く、『名正しからざれば則ち言順わず、言順わざれば則ち事成らず』と。如何ぞ其れ茍合して以て霸王を成さんや。君子は德を執り義を秉りて行う、故に造次にも必ず是に於いてし、顛沛にも必ず是に於いてす。孟子曰く、『今の朝に居りて、其の俗を易えずして、千乘の勢を成すは、一朝も居る能わざるなり』と。寧ろ窮饑して陋巷に居らんも、安んぞ能く己を變じて俗化に從わんや。闔廬僚を殺し、公子劄は去りて延陵に之き、終身吳國に入らず。魯公子赤を殺し、叔眄は退きて隱處し、其の祿を食まず。義を虧きて尊を得、道を枉げて容を取るは、死を效すとも為さざるなり。正道の行われざるを聞かば、事を釋てて退く、未だ道を枉げて以て容を求むるを聞かざるなり。
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