史記 / 張儀列伝
大戰,楚大敗,於是楚割兩城以與秦平。秦要楚欲得黔中地,欲以武關外易之。楚王曰:「不願易地,願得張儀而獻黔中地。」秦王欲遣之,口弗忍言。張儀乃請行。惠王曰:「彼楚王怒子之負以商於之地,是且甘心於子。」張儀曰:「秦彊楚弱,臣善靳尚,尚得事楚夫人鄭袖,袖所言皆從。且臣奉王之節使楚,楚何敢加誅。假令誅臣而為秦得黔中之地,臣之上願。」遂使楚。楚懷王至則囚張儀,將殺之。靳尚謂鄭袖曰:「子亦知子之賤於王乎?」鄭袖曰:「何也?」靳尚曰:「秦王甚愛張儀而不欲出之,今將以上庸之地六縣賂楚,美人聘楚,以宮中善歌謳者為媵。楚王重地尊秦,秦女必貴而夫人斥矣。不若為言而出之。」於是鄭袖日夜言懷王曰:「人臣各為其主用。今地未入秦,秦使張儀來,至重王。王未有禮而殺張儀,秦必大怒攻楚。妾請子母俱遷江南,毋為秦所魚肉也。」懷王後悔,赦張儀,厚禮之如故。張儀既出,未去,聞蘇秦死,乃說楚王曰:「秦地半天下,兵敵四國,被險帶河,四塞以為固。虎賁之士百餘萬,車千乘,騎萬匹,積粟如丘山。法令既明,士卒安難樂死,主明以嚴,將智以武,雖無出甲,席卷常山之險,必折天下之脊,天下有後服者先亡。
新字:大戦,楚大敗,於是楚割両城以与秦平。秦要楚欲得黔中地,欲以武関外易之。楚王曰:「不願易地,願得張儀而献黔中地。」秦王欲遣之,口弗忍言。張儀乃請行。恵王曰:「彼楚王怒子之負以商於之地,是且甘心於子。」張儀曰:「秦彊楚弱,臣善靳尚,尚得事楚夫人鄭袖,袖所言皆従。且臣奉王之節使楚,楚何敢加誅。仮令誅臣而為秦得黔中之地,臣之上願。」遂使楚。楚懐王至則囚張儀,将殺之。靳尚謂鄭袖曰:「子亦知子之賤於王乎?」鄭袖曰:「何也?」靳尚曰:「秦王甚愛張儀而不欲出之,今将以上庸之地六県賂楚,美人聘楚,以宮中善歌謳者為媵。楚王重地尊秦,秦女必貴而夫人斥矣。不若為言而出之。」於是鄭袖日夜言懐王曰:「人臣各為其主用。今地未入秦,秦使張儀来,至重王。王未有礼而殺張儀,秦必大怒攻楚。妾請子母倶遷江南,毋為秦所魚肉也。」懐王後悔,赦張儀,厚礼之如故。張儀既出,未去,聞蘇秦死,乃説楚王曰:「秦地半天下,兵敵四国,被険帯河,四塞以為固。虎賁之士百余万,車千乗,騎万匹,積粟如丘山。法令既明,士卒安難楽死,主明以厳,将智以武,雖無出甲,席巻常山之険,必折天下之脊,天下有後服者先亡。
書き下し
大いに戦ひ、楚大いに敗る、是に於いて楚両城を割きて以て秦と平らぐ。秦楚に要めて黔中の地を得んと欲し、武関の外を以て之に易へんと欲す。楚王曰く、「地を易ふるを願はず、張儀を得て黔中の地を献ぜんことを願ふ」と。秦王之を遣らんと欲するも、口言ふに忍びず。張儀乃ち行かんことを請ふ。恵王曰く、「彼の楚王子の負くに商於の地を以てせしを怒る、是れ且に心を子に甘んぜんとす」と。張儀曰く、「秦彊く楚弱し、臣靳尚に善し、尚楚の夫人鄭袖に事ふるを得、袖の言ふ所は皆従はる。且つ臣王の節を奉じて楚に使ひす、楚何ぞ敢へて誅を加へん。仮令臣を誅して秦の為に黔中の地を得ば、臣の上願なり」と。遂に楚に使ひす。楚の懐王至れば則ち張儀を囚へ、将に之を殺さんとす。靳尚鄭袖に謂ひて曰く、「子も亦子の王に賤しまれんことを知るか」と。鄭袖曰く、「何ぞや」と。靳尚曰く、「秦王甚だ張儀を愛して之を出だすを欲せず、今将に上庸の地六県を以て楚に賂ひ、美人を楚に聘し、宮中の善く歌謳する者を以て媵と為さんとす。楚王地を重んじ秦を尊ばば、秦の女必ず貴くして夫人斥けられん。為に言ひて之を出だすに若かず」と。是に於いて鄭袖日夜懐王に言ひて曰く、「人臣は各々其の主の為に用ひらる。今地未だ秦に入らざるに、秦張儀をして来たらしむ、至りて王を重んずるなり。王未だ礼有らずして張儀を殺さば、秦必ず大いに怒りて楚を攻めん。妾請ふ子母倶に江南に遷り、秦の魚肉とする所と為る毋からん」と。懐王後に悔い、張儀を赦し、厚く之を礼すること故の如し。張儀既に出で、未だ去らざるに、蘇秦の死するを聞き、乃ち楚王に説きて曰く、「秦の地は天下の半ばにして、兵は四国に敵し、険を被り河を帯び、四塞以て固めと為す。虎賁の士百余万、車千乗、騎万匹、粟を積むこと丘山の如し。法令既に明らかにして、士卒難に安んじ死を楽しみ、主は明にして以て厳、将は智にして以て武、甲を出だすこと無しと雖も、常山の険を席巻し、必ず天下の脊を折らん、天下に後れて服する者有らば先に亡びん。
現代語訳
(藍田で)大いに戦ったが、楚は大敗した。そこで楚は二つの城を割いて秦と和睦した。秦は楚に黔中の地を求め、武関の外の土地と交換しようとした。楚王は言った。「土地の交換は望まない。張儀を引き渡してくれれば、黔中の地を献上しよう。」秦王は張儀を行かせたいと思ったが、口に出すのは忍びなかった。すると張儀が自ら行きたいと願い出た。恵王は言った。「あの楚王は、あなたが商於の地で彼を欺いたことを怒っている。あなたを殺して恨みを晴らすつもりだ。」張儀は言った。「秦は強く楚は弱い。わたしは靳尚(きんしょう)と親しく、靳尚は楚の夫人鄭袖(ていしゅう)に仕えており、鄭袖の言うことは何でも聞き入れられる。それにわたしは王の使者の割符を奉じて楚に行くのだから、楚がどうして殺したりできようか。たとえわたしが殺されても、秦のために黔中の地が得られるなら、それはわたしの本望である。」こうして楚に使いした。楚の懐王は張儀が到着すると捕らえ、殺そうとした。靳尚が鄭袖に言った。「あなたは、ご自分が王に軽んじられるようになることをご存じか。」鄭袖は「なぜか」と言った。靳尚は言った。「秦王は張儀をたいへん大切にしていて、引き渡したくなかった。いま上庸の地六県を楚に贈り、美女を楚に嫁がせ、宮中で歌の上手な者を付き添いの侍女にしようとしている。楚王が土地を重んじ秦を尊べば、秦の女が必ず尊ばれて、あなたは退けられるだろう。王に口添えして張儀を釈放させる方がよい。」そこで鄭袖は日夜懐王に言った。「臣下はそれぞれ自分の主君のために働くもの。いま土地がまだ秦に渡ってもいないのに、秦が張儀をよこしたのは、王をたいへん重んじているからでしょう。王がまだ礼を尽くさないうちに張儀を殺せば、秦は必ず激怒して楚を攻めるでしょう。どうかわたしと子どもを江南に移らせてください。秦に魚や肉のように切り刻まれたくはない。」懐王は後悔し、張儀を赦して、以前のように手厚くもてなした。張儀は釈放されてまだ楚を去らないうちに、蘇秦が死んだと聞き、そこで楚王に説いた。「秦の領土は天下の半分を占め、兵は四か国に匹敵し、険しい山を背に黄河を帯のようにめぐらせ、四方を要害で固めている。勇猛な兵は百万余り、戦車千乗、騎馬一万匹、穀物は山のように積まれている。法令は明らかで、兵士は困難に甘んじ死をも恐れず、君主は明察で厳格、将軍は知恵があって勇ましい。兵を出さなくても、常山の険しい地を席巻し、必ず天下の背骨を折るだろう。天下で遅れて服従する者があれば、真っ先に滅ぶことになる。
解説
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史記 楚世家因りて之に一名都を賂ひ、之と斉を伐つに如かず。是れ我秦に亡ひて、償ひを斉に取るなり。吾が国尚ほ全うすべし。今王已に斉に絶ちて欺きを秦に責む。是れ吾秦・斉の交はりを合はせて天下の兵を来たすなり。国必ず大いに傷つかん」と。楚王聴かず、遂に和を秦に絶ち、兵を発して西のかた秦を攻む。秦も亦た兵を発して之を撃つ。十七年春、秦と丹陽に戦ふ。秦大いに我が軍を敗り、甲士八万を斬り、我が大将軍屈匄・裨将軍逢侯丑等七十余人を虜にし、遂に漢中の郡を取る。楚の懐王大いに怒り、乃ち悉く国の兵もて復た秦を襲ひ、藍田に戦ふ。大いに楚の軍を敗る。韓・魏楚の困しむを聞き、乃ち南のかた楚を襲ひ、鄧に至る。楚聞きて、乃ち兵を引きて帰る。十八年、秦使ひをして約して復た楚と親しみ、漢中の半ばを分かちて以て楚に和せんとす。楚王曰く、「願はくは張儀を得ん。地を得んことを願はず」と。張儀之を聞き、楚に之かんことを請ふ。秦王曰く、「楚且に子に甘心せんとす。奈何」と。張儀曰く、「臣其の左右靳尚に善し。靳尚又能く楚王の幸姫鄭袖に事ふるを得たり。袖の言ふ所従はざる者無し。且つ儀前に使ひして楚に負くに商於の約を以てす。今秦・楚大いに戦ひ、悪有り。臣面自ら楚に謝するに非ずんば解けず。且つ大王在り。楚宜しく敢て儀を取らざるべし。誠に儀を殺して以て国に便ならば、臣の願ひなり」と。儀遂に楚に使ひす。至る。懐王見えず。因りて張儀を囚へ、之を殺さんと欲す。儀靳尚に私す。靳尚為に懐王に請ひて曰く、「張儀を拘へば、秦王必ず怒らん。天下楚の秦無きを見て、必ず王を軽んぜん」と。又夫人鄭袖に謂ひて曰く、「秦王甚だ張儀を愛す。而して王之を殺さんと欲す。今将に上庸の地六県を以て楚に賂ひ、美人を以て楚王に聘し、宮中の善く歌ふ者を以て之が媵と為さんとす。楚王地を重んじ、秦の女必ず貴ばれん。而して夫人必ず斥けられん。夫人言ひて之を出だすに若かず」と。
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戦国策・楚懷王拘張儀楚の懐王張儀を拘え、将に之を殺さんとす。靳尚、儀の為に楚王に謂いて曰わく、「張儀を拘うれば、秦王必ず怒らん。天下楚の秦無きを見れば、楚必ず軽んぜらる。」又王の幸夫人鄭袖に謂いて曰わく、「子亦た自ら王に賤しめられんことを知るか。」鄭袖曰わく、「何ぞや。」尚曰わく、「張儀なる者は、秦王の忠信有功の臣なり。今楚之を拘う、秦王之を出ださんと欲す。秦王愛女の美なる有り、又宮中の佳翫麗好にして音を翫ぶ者を簡択し、以て懽びて之に従わしめ、之に金玉宝器を資け、上庸六県を奉じて以て湯沐の邑と為し、張儀に因りて之を楚王に内れんと欲す。楚王必ず愛し、秦女強秦に依るを以て重と為し、宝地を挟むを以て資と為し、勢い王の妻と為りて以て楚に臨まん。王虞楽に惑い、必ず厚く之を尊敬親愛して子を忘れん、子益々賤しくして日々に疏からん。」鄭袖曰わく、「願わくは之を公に委ねん、之を為すこと奈何。」曰わく、「子何ぞ急ぎて王に言い、張子を出ださざる。張子出づるを得ば、子に徳とすること已む時無からん、秦女必ず来たらず、而して秦必ず子を重んぜん。子内は楚の貴を擅にし、外は秦の交わりを結び、張子を畜えて以て用と為さば、子の子孫必ず楚の太子と為らん、此れ布衣の利に非ざるなり。」鄭袖遽かに楚王に説きて張子を出ださしむ。
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史記 屈原賈生列伝屈平既に絀けらる。其の後秦斉を伐たんと欲す。斉と楚と従親す。恵王之を患ふ。乃ち張儀をして詳りて秦を去り、厚幣もて質を委ねて楚に事へしめて曰く、「秦は甚だ斉を憎む。斉と楚と従親す。楚誠に能く斉と絶たば、秦は商・於の地六百里を献ぜんことを願ふ」と。楚の懐王貪りて張儀を信じ、遂に斉と絶ち、使をして秦に如きて地を受けしむ。張儀之を詐りて曰く、「儀は王と六里を約せり。六百里を聞かず」と。楚の使怒りて去り、帰りて懐王に告ぐ。懐王怒り、大いに師を興して秦を伐つ。秦兵を発して之を撃ち、大いに楚の師を丹・淅に破り、首を斬ること八万、楚将屈丐を虜にし、遂に楚の漢中の地を取る。懐王乃ち悉く国中の兵を発して以て深く入りて秦を撃ち、藍田に戦ふ。魏之を聞き、楚を襲ひて鄧に至る。楚兵懼れ、秦より帰る。而して斉竟に怒りて楚を救はず。楚大いに困しむ。明年、秦漢中の地を割きて楚に与へ以て和す。楚王曰く、「地を得るを願はず。張儀を得て心を甘んぜんことを願ふ」と。張儀聞き、乃ち曰く、「一儀を以て漢中の地に当つ。臣請ふ往きて楚に如かん」と。楚に如き、又因りて厚幣もて事を用ふる者の臣靳尚に用ひ、而して詭弁を懐王の寵姫鄭袖に設く。懐王竟に鄭袖に聴き、復た張儀を釈し去らしむ。是の時屈平既に疏んぜられ、復た位に在らず。斉に使ひし、顧反し、懐王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を殺さざる」と。懐王悔い、張儀を追へども及ばず。其の後諸侯共に楚を撃ち、大いに之を破り、其の将唐眛を殺す。時に秦の昭王楚と婚し、懐王と会せんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、「秦は虎狼の国なり。信ずべからず。行くこと毋きに如かず」と。懐王の稚子子蘭、王に行くを勧む。「奈何ぞ秦の歓を絶たん」と。懐王卒に行く。武関に入る。秦伏兵もて其の後を絶ち、因りて懐王を留め、以て地を割かんことを求む。懐王怒り、聴かず。亡げて趙に走る。趙内れず。復た秦に之き、竟に秦に死して帰葬せらる。
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史記 張儀列伝夫れ易危の功を守りて彊秦の心に逆ふ、臣竊かに大王の為に之を危ぶむ。且つ夫れ秦の兵を函谷より出だして以て斉・趙を攻めざること十五年なる所以の者は、陰かに天下を合するの心有るを謀ればなり。楚嘗て秦と難を構へ、漢中に戦ひ、楚人勝たず、列侯執珪の死する者七十余人、遂に漢中を亡ふ。楚王大いに怒り、兵を興して秦を襲ひ、藍田に戦ふ。此れ所謂両虎相搏つ者なり。夫れ秦楚相敝れて韓魏全きを以て其の後を制す、計此れより危ふき者無し。願はくは大王孰々之を計れ。秦甲を下して衛の陽晋を攻めば、必ず大いに天下の匈を関さん。大王悉く兵を起こして以て宋を攻めば、数月に至らずして宋挙ぐべし、宋を挙げて東に指さば、則ち泗上の十二諸侯尽く王の有なり。凡そ天下にして信約を以て従親し相堅むる者は蘇秦なり、武安君に封ぜられ、燕に相たり、即ち陰かに燕王と謀りて斉を伐破して其の地を分かたんとす。乃ち詳りて罪有りとして出で走りて斉に入る、斉王因りて受けて之を相とす。居ること二年にして覚る、斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲す、其の成るべからざるも亦明らかなり。今秦と楚とは境を接し界を壌にし、固より形親の国なり。大王誠に能く臣に聴かば、臣請ふ秦の太子をして入りて楚に質たらしめ、楚の太子をして入りて秦に質たらしめ、請ふ秦の女を以て大王の箕帚の妾と為し、万室の都を効して以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、終身相攻伐すること無からん。臣以為へらく計此れより便なる者無しと」と。是に於いて楚王已に張儀を得て、黔中の地を出だして秦に与ふるを重り、之を許さんと欲す。屈原曰く、「前に大王張儀に欺かる、張儀至らば、臣以為へらく大王之を烹んと。今縦ひ之を殺すに忍びずとも、又其の邪説を聴くは、不可なり」と。懐王曰く、「儀を許して黔中を得るは、美利なり。後にして之に倍くは、不可なり」と。故に卒に張儀を許し、秦と親しむ。張儀楚を去り、
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史記 張儀列伝張儀帰りて、復た秦に相たり。三歳にして魏復た秦に背きて従を為す。秦魏を攻め、曲沃を取る。明年、魏復た秦に事ふ。秦斉を伐たんと欲す、斉楚従親す、是に於いて張儀往きて楚に相たり。楚の懐王張儀の来たるを聞き、上舎を虚しくして自ら之を館す。曰く、「此れ僻陋の国なり、子何を以て之に教へん」と。儀楚王に説きて曰く、「大王誠に能く臣に聴き、関を閉ぢ約を斉に絶たば、臣請ふ商於の地六百里を献じ、秦の女をして大王の箕帚の妾たるを得しめ、秦楚婦を娶り女を嫁し、長く兄弟の国と為らん。此れ北のかた斉を弱めて西のかた秦を益すなり、計此れより便なる者無し」と。
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史記 楚世家鄭袖卒に張儀を王に言ひて之を出だす。儀出づ。懐王因りて善く儀を遇す。儀因りて楚王に説きて以て従約に叛きて秦と合親し、婚姻を約せしむ。張儀已に去る。屈原使ひして斉より来たり、王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を誅せざる」と。懐王悔い、人をして儀を追はしむるも、及ばず。是の歳、秦の恵王卒す。二十年、斉の湣王従長と為らんと欲し、楚の秦と合するを悪み、乃ち使ひをして楚王に書を遺らしめて曰く、「寡人楚の尊名を察せざるを患ふ。今秦の恵王死し、武王立ち、張儀魏に走り、樗里疾・公孫衍用ひらる。而して楚秦に事ふ。夫れ樗里疾は韓に善く、而して公孫衍は魏に善し。楚必ず秦に事へば、韓・魏恐れ、必ず二人に因りて秦に合はんことを求めん。則ち燕・趙も亦た宜しく秦に事ふべし。四国争ひて秦に事へば、則ち楚は郡県と為らん。王何ぞ寡人と力を并せて韓・魏・燕・趙を収め、与に従を為して周室を尊び、以て兵を案じ民を息め、天下に令せざる。敢て楽しみて聴かざる莫くんば、則ち王の名成らん。王諸侯を率ゐて并せ伐たば、秦を破ること必せり。王武関・蜀・漢の地を取り、呉・越の富を私して江海の利を擅にし、韓・魏上党を割き、西のかた函谷に薄らば、則ち楚の彊百万ならん。且つ王張儀に欺かれ、地を漢中に亡ひ、兵を藍田に銼かる。天下王に代はりて怒りを懐かざる莫し。今乃ち先づ秦に事へんと欲す。願はくは大王之を孰計せよ」と。楚王業已に秦に和せんと欲す。斉王の書を見て、猶予して決せず、其の議を群臣に下す。群臣或いは秦に和せんと言ひ、或いは斉に聴かんと曰ふ。昭雎曰く、「王東のかた地を越に取ると雖も、以て恥を刷ふに足らず。必ず且に地を秦に取るべし。而る後に以て恥を諸侯に刷ふに足らん。王深く斉・韓に善くして以て樗里疾を重んずるに如かず。是の如くせば則ち王韓・斉の重きを得て以て地を求めん。
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