史記 / 陳丞相世家
臣聞平居家時,盜其嫂;事魏不容,亡歸楚;歸楚不中,又亡歸漢。今日大王尊官之,令護軍。臣聞平受諸將金,金多者得善處,金少者得惡處。平,反覆亂臣也,願王察之。」漢王疑之,召讓魏無知。無知曰:「臣所言者,能也;陛下所問者,行也。今有尾生、孝己之行而無益處於勝負之數,陛下何暇用之乎?楚漢相距,臣進奇謀之士,顧其計誠足以利國家不耳。且盜嫂受金又何足疑乎?」漢王召讓平曰:「先生事魏不中,遂事楚而去,今又從吾遊,信者固多心乎?」平曰:「臣事魏王,魏王不能用臣説,故去事項王。項王不能信人,其所任愛,非諸項即妻之昆弟,雖有奇士不能用,平乃去楚。聞漢王之能用人,故歸大王。臣躶身來,不受金無以爲資。誠臣計畫有可采者,顧大王用之;使無可用者,金具在,請封輸官,得請骸骨。」漢王乃謝,厚賜,拜爲護軍中尉,盡護諸將。諸將乃不敢復言。其後,楚急攻,絶漢甬道,圍漢王於滎陽城。久之,漢王患之,請割滎陽以西以和。項王不聽。漢王謂陳平曰:「天下紛紛,何時定乎?」陳平曰:「項王爲人,恭敬愛人,士之廉節好禮者多歸之。至於行功爵邑,重之,士亦以此不附。
新字:臣聞平居家時,盗其嫂;事魏不容,亡帰楚;帰楚不中,又亡帰漢。今日大王尊官之,令護軍。臣聞平受諸将金,金多者得善処,金少者得悪処。平,反覆乱臣也,願王察之。」漢王疑之,召譲魏無知。無知曰:「臣所言者,能也;陛下所問者,行也。今有尾生、孝己之行而無益処於勝負之数,陛下何暇用之乎?楚漢相距,臣進奇謀之士,顧其計誠足以利国家不耳。且盗嫂受金又何足疑乎?」漢王召譲平曰:「先生事魏不中,遂事楚而去,今又従吾遊,信者固多心乎?」平曰:「臣事魏王,魏王不能用臣説,故去事項王。項王不能信人,其所任愛,非諸項即妻之昆弟,雖有奇士不能用,平乃去楚。聞漢王之能用人,故帰大王。臣躶身来,不受金無以為資。誠臣計画有可采者,顧大王用之;使無可用者,金具在,請封輸官,得請骸骨。」漢王乃謝,厚賜,拝為護軍中尉,尽護諸将。諸将乃不敢復言。其後,楚急攻,絶漢甬道,囲漢王於滎陽城。久之,漢王患之,請割滎陽以西以和。項王不聴。漢王謂陳平曰:「天下紛紛,何時定乎?」陳平曰:「項王為人,恭敬愛人,士之廉節好礼者多帰之。至於行功爵邑,重之,士亦以此不附。
書き下し
臣聞く、平家に居りし時、其の嫂を盗む。魏に事へて容れられず、亡げて楚に帰す。楚に帰して中らず、又亡げて漢に帰す。今日大王官を尊くして、護軍せしむ。臣聞く、平諸将の金を受け、金多き者は善き処を得、金少なき者は悪しき処を得と。平は、反覆の乱臣なり、願はくは王之を察せよ」と。漢王之を疑ひ、魏無知を召して譲む。無知曰く、「臣の言ふ所の者は、能なり。陛下の問ふ所の者は、行なり。今尾生・孝己の行ひ有りて勝負の数に益無きは、陛下何の暇ありて之を用ひんや。楚漢相距ぐ、臣奇謀の士を進む、顧だ其の計誠に以て国家を利するに足るや不やのみ。且つ嫂を盗み金を受くるも又何ぞ疑ふに足らんや」と。漢王平を召して譲めて曰く、「先生魏に事へて中らず、遂に楚に事へて去る、今又吾に従ひて遊ぶ、信なる者は固より多心なるか」と。平曰く、「臣魏王に事ふ、魏王臣の説を用ふる能はず、故に去りて項王に事ふ。項王は人を信ずる能はず、其の任愛する所は、諸項に非ずんば即ち妻の昆弟なり、奇士有りと雖も用ふる能はず、平乃ち楚を去る。漢王の能く人を用ふるを聞く、故に大王に帰す。臣躶身にして来たる、金を受けずんば以て資と為す無し。誠に臣の計画に采るべき者有らば、顧だ大王之を用ひよ。用ふべき者無からしめば、金具に在り、請ふ封じて官に輸し、骸骨を請ふを得ん」と。漢王乃ち謝し、厚く賜ひ、拝して護軍中尉と為し、尽く諸将を護らしむ。諸将乃ち敢へて復た言はず。其の後、楚急に攻め、漢の甬道を絶ち、漢王を滎陽城に囲む。之を久しくして、漢王之を患ひ、滎陽以西を割きて以て和せんことを請ふ。項王聴かず。漢王陳平に謂ひて曰く、「天下紛紛たり、何れの時か定まらん」と。陳平曰く、「項王の人と為り、恭敬にして人を愛す、士の廉節にして礼を好む者多く之に帰す。行功爵邑に至りては、之を重んず、士も亦た此を以て附かず。
現代語訳
聞くところでは、陳平は家にいたころ兄嫁と密通した。魏に仕えては受け入れられず、逃げて楚に身を寄せた。楚に身を寄せてもうまくいかず、また逃げて漢に身を寄せた。今日、大王は彼に高い官職を与え、諸将の監督をさせている。聞くところでは、陳平は諸将から金を受け取り、金を多く出した者は良い持ち場を得て、金の少ない者は悪い持ち場に回されているという。陳平は寝返りを繰り返す乱臣だ。どうか王はよくお調べいただきたい」。漢王は陳平を疑い、魏無知を呼んで責めた。魏無知は言った。「私が申し上げたのは能力のことだ。陛下がお尋ねなのは品行のことだ。いま尾生や孝己のような信義や孝行の行いがあっても、勝ち負けの帰趨に何の役にも立たない者を、陛下はどうして用いている暇があろうか。楚と漢が対峙しているいま、私は奇策の士を推挙したのであって、問題はただ、その策が本当に国家の利益になるかどうかだけだ。兄嫁と密通したとか、金を受け取ったとかいうことに、何の疑う必要があろうか」。漢王は陳平を呼んで責めた。「先生は魏に仕えてうまくいかず、楚に仕えては去り、今またわしに従っている。信義のある者とは、もともとこんなに移り気なものか」。陳平は言った。「私は魏王に仕えたが、魏王は私の献策を用いることができなかった。だから去って項王に仕えた。項王は人を信じることができず、信任し寵愛するのは項氏の一族でなければ妻の兄弟ばかりで、優れた人物がいても用いることができない。だから私は楚を去った。漢王は人をうまく用いると聞いた。だから大王に身を寄せたのだ。私は裸一貫でやって来た。金を受け取らなければ、元手にするものがなかった。もし私の策に採るべきものがあるなら、ぜひ大王はお用いいただきたい。もし用いるべきものがないなら、金はすべてここにある。封をして官に納めさせていただき、お暇をいただきたい」。漢王はそこで詫び、手厚く褒美を与え、護軍中尉に任じて諸将をすべて監督させた。諸将はそれ以上何も言えなくなった。その後、楚は激しく攻撃し、漢の補給路である甬道(両側を壁で囲った道)を断ち、漢王を滎陽城に包囲した。包囲は長引き、漢王はこれを憂えて、滎陽より西の地を割いて和睦したいと申し入れたが、項王は聞き入れなかった。漢王は陳平に言った。「天下は乱れに乱れている。いつになったら定まるのか」。陳平は言った。「項王の人となりは、恭しく人を愛するので、清廉で節操があり礼を好む士の多くは彼のもとに集まる。しかし手柄を立てた者に爵位や領地を与える段になると、惜しんで出し渋るので、士もそのために心から従わない。
解説
関連する章句
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史記 陳丞相世家魏王に説くも聴かれず、人或いは之を讒す、陳平亡げ去る。之を久しくして、項羽地を略して河上に至る、陳平往きて之に帰し、従ひて入りて秦を破る、平に爵卿を賜ふ。項羽の東のかた彭城に王たるや、漢王還りて三秦を定めて東す、殷王楚に反く。項羽乃ち平を以て信武君と為し、魏王咎の客の楚に在る者を将ゐて以て往かしめ、殷王を撃ち降して還る。項王項悍をして平を拝して都尉と為さしめ、金二十溢を賜ふ。居ること何くも無く、漢王攻めて殷を下す。項王怒り、将に殷を定めし者の将吏を誅せんとす。陳平誅せらるるを懼れ、乃ち其の金と印とを封じ、使をして項王に帰さしめ、而して平身づから間行して剣を杖つきて亡ぐ。河を渡る、船人其の美丈夫の独り行くを見、其の亡将にして、要中に当に金玉宝器有るべしと疑ひ、之を目し、平を殺さんと欲す。平恐れ、乃ち衣を解き躶にして刺船を佐く。船人其の有ること無きを知り、乃ち止む。平遂に修武に至りて漢に降り、魏無知に因りて漢王に見えんことを求む、漢王召し入る。是の時万石君奮漢王の中涓為り、平の謁を受け、平を入れ見えしむ。平等七人俱に進み、食を賜ふ。王曰く、「罷めよ、舎に就け」と。平曰く、「臣事の為に来たる、言ふ所は以て今日を過ぐべからず」と。是に於て漢王与に語りて之を説び、問ひて曰く、「子の楚に居りしときは何の官ぞ」と。曰く、「都尉為り」と。是の日乃ち平を拝して都尉と為し、参乗為らしめ、護軍を典らしむ。諸将尽く讙しくして、曰く、「大王一日にして楚の亡卒を得、未だ其の高下を知らず、而して即ち与に同載し、反りて長者を監護せしむ」と。漢王之を聞き、愈々益々平を幸す。遂に与に東のかた項王を伐つ。彭城に至り、楚の敗る所と為る。引きて還り、散兵を収めて滎陽に至り、平を以て亜将と為し、韓王信に属せしめ、広武に軍す。絳侯・灌嬰等咸陳平を讒して曰く、「平は美丈夫なりと雖も、冠玉の如きのみ、其の中未だ必ずしも有らざるなり。
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『長短経』論士語に云う「瓊艘瑤楫は川を渉るの用無く、金弧玉弦は矢を激するの能無し。是を以て分絜にして政事無き者は、乱を撥むるの器に非ず。儒雅にして治理に乏しき者は、翼亮の士に非ず」と。何を以て之を明らかにせん。魏無知、陳平を漢王に見えしめ、漢王之を用う。絳・灌等、平を讒して曰く「平は嫂を盗み金を受く」と。漢王、魏無知を譲む。無知曰く「臣の言う所の者は能なり。陛下の聞く所の者は行なり。今、尾生・孝己の行有りて、勝負の数に益無くんば、陛下仮に之を用いんか。今、楚漢相い距る。臣は奇謀の士を進む。顧だ其の計、誠に以て国家を利するに足るのみ。嫂を盗み金を受くること、又た安くんぞ疑うに足らんや」と。漢王曰く「善し」と。黄石公曰く「清白の士有る者は、爵禄を以て得可からず。守節の士は、威を以て脅す可からず。
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史記 陳丞相世家上曰く、「吾先生の謀計を用ひ、戦ひ勝ち敵に剋つ、功に非ずして何ぞ」と。平曰く、「魏無知に非ずんば臣安んぞ進むを得ん」と。上曰く、「子の若きは本に背かずと謂ふべし」と。乃ち復た魏無知を賞す。其の明年、護軍中尉を以て従ひて反者韓王信を代に攻む。卒に平城に至り、匈奴の囲む所と為り、七日食を得ず。高帝陳平の奇計を用ひ、単于の閼氏に使ひせしめ、囲み以て開くを得たり。高帝既に出づ、其の計秘にして、世聞くを得る莫し。高帝南のかた曲逆を過ぎ、其の城に上り、其の屋室の甚だ大なるを望見して、曰く、「壮なるかな県。吾天下を行くに、独り洛陽と是とを見るのみ」と。顧みて御史に問ひて曰く、「曲逆の戸口は幾何ぞ」と。対へて曰く、「始め秦の時三万余戸、間者兵数々起こり、多く亡げ匿れ、今見に五千戸なり」と。是に於て乃ち御史に詔し、更めて陳平を以て曲逆侯と為し、尽く之を食ましめ、前に食む所の戸牖を除く。其の後常に護軍中尉を以て従ひて陳豨及び黥布を攻む。凡そ六たび奇計を出だし、輒ち邑を益し、凡そ六たび封を益す。奇計或いは頗る秘にして、世聞く能ふ莫きなり。高帝布の軍を破るに従ひて還り、創を病み、徐行して長安に至る。燕王盧綰反く、上樊噲をして相国を以て兵を将ゐて之を攻めしむ。既に行く、人の噲を短悪する者有り。高帝怒りて曰く、「噲吾が病むを見て、乃ち我が死を冀ふなり」と。陳平の謀を用ひて絳侯周勃を召して詔を牀下に受けしめて、曰く、「陳平亟やかに馳伝して勃を載せて噲に代はりて将たらしめ、平軍中に至らば即ち噲の頭を斬れ」と。二人既に詔を受け、馳伝して未だ軍に至らず、行くゆく之を計りて曰く、「樊噲は、帝の故人なり、功多く、且つ又乃ち呂后の弟呂嬃の夫なり、親有り且つ貴し、帝忿怒の故を以て、之を斬らんと欲す、則ち恐らくは後に悔いん。寧ろ囚へて上に致し、上自ら之を誅せしめん」と。未だ軍に至らず、壇を為り、節を以て樊噲を召す。
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史記 陳丞相世家今大王は慢にして礼少なし、士の廉節なる者来たらず。然れども大王能く人に饒かにするに爵邑を以てす、士の頑鈍にして利を嗜み恥無き者も亦た多く漢に帰す。誠に各々其の両短を去り、其の両長を襲はば、天下指麾すれば則ち定まらん。然れども大王恣に人を侮る、廉節の士を得る能はず。顧ふに楚に乱すべき者有り、彼の項王の骨鯁の臣亜父・鍾離眛・龍且・周殷の属、数人に過ぎざるのみ。大王誠に能く数万斤の金を出捐し、反間を行ひ、其の君臣を間し、以て其の心を疑はしめば、項王の人と為り意忌にして讒を信ず、必ず内に相誅せん。漢因りて兵を挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王以て然りと為し、乃ち黄金四万斤を出だして、陳平に与へ、為す所を恣にせしめ、其の出入を問はず。陳平既に多く金を以て反間を楚軍に縦ち、宣言すらく諸将鍾離眛等項王の将と為り、功多し、然り而して終に地を裂きて王たるを得ず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼして其の地を分かちて王たらんと欲すと。項羽果たして意に鍾離眛等を信ぜず。項王既に之を疑ひ、使をして漢に至らしむ。漢王太牢の具を為り、挙げて進む。楚の使を見るや、即ち詳り驚きて曰く、「吾以為へらく亜父の使ならんと、乃ち項王の使なり」と。復た持ち去り、更に悪草の具を以て楚の使に進む。楚の使帰り、具に以て項王に報ず。項王果たして大いに亜父を疑ふ。亜父急に滎陽城を攻め下さんと欲す、項王信ぜず、肯へて聴かず。亜父項王の之を疑ふを聞き、乃ち怒りて曰く、「天下の事大いに定まれり、君王自ら之を為せ。願はくは骸骨を請ひて帰らん」と。帰りて未だ彭城に至らずして、疽背に発して死す。陳平乃ち夜女子二千人を滎陽城の東門より出だす、楚因りて之を撃つ、陳平乃ち漢王と城の西門より夜出でて去る。遂に関に入り、散兵を収めて復た東す。其の明年、淮陰侯斉を破り、自ら立ちて斉王と為り、使をして之を漢王に言はしむ。
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史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
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『長短経』覇図漢、遂に楚と滎陽に相い距る。楚、漢王を囲む。陳平の計を用い、間もなく出づるを得たり。〈漢王、急に陳平に問う「策、安くに出でん」と。陳平曰く「彼の項王の骨鯁の臣、亜父・鍾離末の属は、数人に過ぎず。大王、能く数万金を出捐し、反間を行い、其の君臣を間て、以て其の心を疑わしめば、項王の人と為り、意忌にして讒を信ず。必ず内に相い誅せん。漢、因りて挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王乃ち四万斤の金を以て平に与え、其の為す所を恣にし、出入を問わず。平、既に多く金を以て反間を楚軍に縦つ。宣言すらく、諸将の鍾離末等は項王の将と為りて功多し、然れども終に地を裂きて封ぜらるる能わず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼし、其の地を分かちて王たらんと欲す、と。項王果たして疑う。
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