史記 / 留侯世家
客有為我計橈楚權者。」具以酈生語告於子房,曰:「何如?」良曰:「誰為陛下畫此計者?陛下事去矣。」漢王曰:「何哉?」張良對曰:「臣請藉前箸為大王籌之。」曰:「昔者湯伐桀而封其後於杞者,度能制桀之死命也。今陛下能制項籍之死命乎?」曰:「未能也。」「其不可一也。武王伐紂封其後於宋者,度能得紂之頭也。今陛下能得項籍之頭乎?」曰:「未能也。」「其不可二也。武王入殷,表商容之閭,釋箕子之拘,封比干之墓。今陛下能封聖人之墓,表賢者之閭,式智者之門乎?」曰:「未能也。」「其不可三也。發鉅橋之粟,散鹿臺之錢,以賜貧窮。今陛下能散府庫以賜貧窮乎?」曰:「未能也。」「其不可四矣。殷事已畢,偃革為軒,倒置干戈,覆以虎皮,以示天下不復用兵。今陛下能偃武行文,不復用兵乎?」曰:「未能也。」「其不可五矣。休馬華山之陽,示以無所為。今陛下能休馬無所用乎?」曰:「未能也。」「其不可六矣。放牛桃林之陰,以示不復輸積。今陛下能放牛不復輸積乎?」曰:「未能也。」「其不可七矣。且天下游士離其親戚,棄墳墓,去故舊,從陛下游者,徒欲日夜望咫尺之地。今復六國,立韓、魏、燕、趙、齊、楚之後,天下游士各歸事其主,從其親戚,反其故舊墳墓,陛下與誰取天下乎?其不可八矣。
新字:客有為我計橈楚権者。」具以酈生語告於子房,曰:「何如?」良曰:「誰為陛下画此計者?陛下事去矣。」漢王曰:「何哉?」張良対曰:「臣請藉前箸為大王籌之。」曰:「昔者湯伐桀而封其後於杞者,度能制桀之死命也。今陛下能制項籍之死命乎?」曰:「未能也。」「其不可一也。武王伐紂封其後於宋者,度能得紂之頭也。今陛下能得項籍之頭乎?」曰:「未能也。」「其不可二也。武王入殷,表商容之閭,釈箕子之拘,封比干之墓。今陛下能封聖人之墓,表賢者之閭,式智者之門乎?」曰:「未能也。」「其不可三也。発鉅橋之粟,散鹿台之銭,以賜貧窮。今陛下能散府庫以賜貧窮乎?」曰:「未能也。」「其不可四矣。殷事已畢,偃革為軒,倒置干戈,覆以虎皮,以示天下不復用兵。今陛下能偃武行文,不復用兵乎?」曰:「未能也。」「其不可五矣。休馬華山之陽,示以無所為。今陛下能休馬無所用乎?」曰:「未能也。」「其不可六矣。放牛桃林之陰,以示不復輸積。今陛下能放牛不復輸積乎?」曰:「未能也。」「其不可七矣。且天下游士離其親戚,棄墳墓,去故旧,従陛下游者,徒欲日夜望咫尺之地。今復六国,立韓、魏、燕、趙、斉、楚之後,天下游士各帰事其主,従其親戚,反其故旧墳墓,陛下与誰取天下乎?其不可八矣。
書き下し
客に我が為に楚の権を橈めんことを計る者有り」と。具に酈生の語を以て子房に告げて、曰く、「何如」と。良曰く、「誰か陛下の為に此の計を画する者ぞ。陛下の事去らん」と。漢王曰く、「何ぞや」と。張良対へて曰く、「臣請ふ前の箸を藉りて大王の為に之を籌らん」と。曰く、「昔者湯桀を伐ちて其の後を杞に封ぜしは、能く桀の死命を制するを度ればなり。今陛下能く項籍の死命を制せんか」と。曰く、「未だ能はざるなり」と。「其の不可なる一なり。武王紂を伐ちて其の後を宋に封ぜしは、能く紂の頭を得るを度ればなり。今陛下能く項籍の頭を得んか」と。曰く、「未だ能はざるなり」と。「其の不可なる二なり。武王殷に入り、商容の閭を表し、箕子の拘を釈き、比干の墓を封ず。今陛下能く聖人の墓を封じ、賢者の閭を表し、智者の門に式せんか」と。曰く、「未だ能はざるなり」と。「其の不可なる三なり。鉅橋の粟を発し、鹿台の銭を散じ、以て貧窮に賜ふ。今陛下能く府庫を散じて以て貧窮に賜はんか」と。曰く、「未だ能はざるなり」と。「其の不可なる四なり。殷の事已に畢はり、革を偃せて軒と為し、干戈を倒置し、覆ふに虎皮を以てし、以て天下に復た兵を用ひざるを示す。今陛下能く武を偃せ文を行ひ、復た兵を用ひざらんか」と。曰く、「未だ能はざるなり」と。「其の不可なる五なり。馬を華山の陽に休め、以て為す所無きを示す。今陛下能く馬を休めて用ふる所無からんか」と。曰く、「未だ能はざるなり」と。「其の不可なる六なり。牛を桃林の陰に放ち、以て復た輸積せざるを示す。今陛下能く牛を放ちて復た輸積せざらんか」と。曰く、「未だ能はざるなり」と。「其の不可なる七なり。且つ天下の游士其の親戚を離れ、墳墓を棄て、故旧を去り、陛下に従ひて游ぶ者は、徒だ日夜咫尺の地を望まんと欲するのみ。今六国を復し、韓・魏・燕・趙・斉・楚の後を立てば、天下の游士各々帰りて其の主に事へ、其の親戚に従ひ、其の故旧墳墓に反らん、陛下誰と与にか天下を取らん。其の不可なる八なり。
現代語訳
客人の中に、わしのために楚の勢いを削ぐ策を立てた者がいる」。そして酈生(酈食其)の言葉を詳しく子房に告げて言った。「どう思うか」。張良は言った。「誰が陛下のためにこんな策を立てたのか。陛下の大事はこれでおしまいだ」。漢王は言った。「なぜだ」。張良は答えた。「どうか目の前の箸をお借りして、大王のために数え上げさせていただきたい」。そして言った。「昔、湯王が桀を討ってその子孫を杞に封じたのは、桀の生死を握れると見通していたからだ。いま陛下は項籍の生死を握ることができるか」。漢王は言った。「まだできない」。「それが不可の一つ目だ。武王が紂を討ってその子孫を宋に封じたのは、紂の首を取れると見通していたからだ。いま陛下は項籍の首を取れるか」。漢王は言った。「まだできない」。「それが不可の二つ目だ。武王は殷に入ると、賢人商容の村の門に旗を立ててその徳を顕彰し、箕子の拘禁を解き、比干の墓に土を盛った。いま陛下は聖人の墓に土を盛り、賢者の村を顕彰し、智者の門の前で車上から敬礼することができるか」。漢王は言った。「まだできない」。「それが不可の三つ目だ。武王は鉅橋の倉の穀物を放出し、鹿台の銭を散じて、貧しい者たちに与えた。いま陛下は府庫の財を散じて貧しい者に与えることができるか」。漢王は言った。「まだできない」。「それが不可の四つ目だ。殷を討つ事業が終わると、武王は兵車を伏せて普通の車に改め、矛や盾を逆さに置いて虎の皮で覆い、天下に二度と兵を用いないことを示した。いま陛下は武を伏せて文を行い、二度と兵を用いないでいられるか」。漢王は言った。「まだできない」。「それが不可の五つ目だ。武王は馬を華山の南に放して休ませ、もう戦に用いることはないと示した。いま陛下は馬を休ませて用いないでいられるか」。漢王は言った。「まだできない」。「それが不可の六つ目だ。武王は牛を桃林の北に放ち、もう物資を運ばせることはないと示した。いま陛下は牛を放って物資を運ばせないでいられるか」。漢王は言った。「まだできない」。「それが不可の七つ目だ。それに天下の遊説の士たちが、親族と離れ、先祖の墓を捨て、古なじみのもとを去って陛下に従っているのは、ただ日夜わずかな土地でも得たいと願っているからにすぎない。いま六国を復興し、韓・魏・燕・趙・斉・楚の子孫を王に立てれば、天下の遊説の士はそれぞれ帰ってその主君に仕え、親族のもとへ戻り、古なじみや先祖の墓のある故郷へ帰ってしまう。陛下はいったい誰とともに天下を取るのか。それが不可の八つ目だ。
解説
関連する章句
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『新序』善謀第十漢の三年、項羽急に漢王を滎陽に圍む。漢王恐れ憂え、酈生と楚の權を撓ませんことを謀る。酈生曰く、昔湯桀を伐ち、其の後を杞に封ず。武王紂を伐ち、其の後を宋に封ず。今秦德無く義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六國の後を滅ぼし、立錐の地無からしむ。陛下誠に復た六國の後を立て、畢く印を授け已らば、此の君臣百姓、必ず皆な陛下の德を戴き、風に嚮かい義を慕いて、臣妾と爲らんことを願わざる莫からん。德義已に行われ、陛下南嚮して覇と稱せば、楚必ず衽を歛めて朝せん、と。漢王曰く、善し。趣かに印を刻め。先生因りて行きて之を佩びよ、と。酈先生未だ行かず。張良外より謁を求む。漢王方に食す。曰く、子房前め。客に我が爲に楚の權を撓ますを計る者有り、と。俱に食其の言を以て之に吿ぐ。曰く、其れ子房の意に於いて如何、と。良曰く、誰か陛下の爲に此の計を畫きし者ぞ。陛下の事去らん、と。漢王曰く、何ぞや、と。良對えて曰く、臣請う前箸を借りて之を籌らん、と。曰く、昔湯桀を伐ちて其の後を杞に封ぜしは、斯れ能く桀の死命を制すればなり。陛下能く項籍の死命を制するか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる一なり。武王紂を伐ちて其の後を宋に封ぜしは、斯れ能く紂の頭を得ればなり。今陛下能く項籍の頭を得るか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる二なり。武王殷に入り、商容の閭に表し、箕子の門に軾し、比干の墓を封ず。今陛下能く聖人の墓を封じ、賢人の閭に表し、智者の門に軾するか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる三なり。鉅橋の粟を發し、鹿臺の錢を散じ、以て貧羸に賜う。今陛下能く府庫を散じて以て貧羸に賜うか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる四なり。
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『新序』善謀第十殷の事已に畢わり、革を偃せて軒と爲し、干戈を倒載して、以て天下に復た兵を用いざるを示す。今陛下能く革を偃せ、干戈を倒載するか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる五なり。馬を華山の陽に休め、以て用うる所無きを示す。今陛下能く馬を休めて用うる所無からしむるか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる六なり。牛を桃林に休め以て復た糧を輸さざるを示す。今陛下能く牛を休めて復た糧を輸さざるか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる七なり。且つ夫れ天下の游士、其の親戚を捐て、墳墓を棄て、故舊を去りて、陛下に從いて游ぶ者は、皆な日夜尺寸の地を望む。今復た韓・魏・燕・趙・齊・楚の後を立て、其の王皆な復た立たば、游士各ミ歸りて其の主に事え、其の親戚に從い、其の故舊墳墓に反らん。陛下誰と與に天下を取らんや、と。其の不可なる八なり。且つ夫れ楚惟だ强き無くんば、六國復た撓みて之に從わん。陛下焉くんぞ得て之を臣とせんや。誠に客の計を用いば、陛下の事去らん、と。漢王食を輟め哺を吐きて、罵りて曰く、豎儒幾ど乃公の事を敗らんとす、と。趣かに印を銷さしめ、止めて使いせしめず。遂に天下の兵を并せ、項籍を誅し、海内を定む。張子房の謀なり。
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『長短経』時宜馬を華山の陽に放ちて、為す所無きを示す。今、陛下能く馬を放ちて復た用いざらんか。其の不可なる五なり。牛を桃林の野に休めて、天下に復た輸積せざるを示す。今、陛下能くせんか。其の不可なる六なり。且つ天下の遊士、親戚を離れ、墳墓を棄て、故旧を去りて、陛下に従う者は、日夜咫尺の地を望む。今、六国を復し、韓・魏・燕・趙・斉・楚の後を立てば、余は復た立つる者無し。天下の遊士は各々帰りて其の主に事え、親戚に従い、故旧に反らん。陛下誰と与にか天下を取らん。其の不可なる七なり。且つ楚は惟だ強きこと無からしめんのみ。六国の去る者は復た撓みて之に従わん〔惟だ当に楚をして強きこと無からしむべし。強ければ則ち六国之に従うなり〕。陛下安んぞ得て之を臣とせんや。其の不可なる八なり。誠に客の謀を用いば、則ち大事去らん」と。時に王方に食す。哺を吐きて、酈生を罵りて曰く「豎儒、幾ど我が事を敗らんとす」と。趣やかに印を銷さしむ。此れ形を異にする者なり。
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『長短経』時宜漢王曰く「何ぞや」と。良因りて八難を発す。其の略に曰く「昔者、湯の桀を伐ちて其の後を杞に封ぜしは、能く桀の死命を制するを度ればなり。今、陛下能く項籍の死命を制せんか。其の不可なる一なり。武王殷に入り、商容の閭を表し、箕子の囚を釈き、比干の墓を封ず。今、陛下能く聖人の墓を封じ、賢者の閭を褒めんか。其の不可なる二なり。鉅橋の粟を発き、鹿台の財を散じて、以て貧民を賑わす。今、陛下能く府庫を散じて以て貧窮に賜わんか。其の不可なる三なり。殷の事已に畢わり、革を偃せて軒と為し、干戈を倒載して、天下に復た武を用いざるを示す。今、陛下能く武を偃せ文を修めて、復た兵を用いざらんか。其の不可なる四なり。
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『長短経』時宜楚漢の時に及びて、酈食其、漢の為に楚の権を撓めんことを謀りて曰く「昔、湯は桀を伐ちて、其の後を杞に封じ、武王は紂を伐ちて、其の後を宋に封ず。今、秦は徳を失い義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六国の後を滅亡し、立錐の地無からしむ。陛下誠に能く復た六国の後を立てば、此れ其の君臣百姓、必ず皆陛下の徳を戴き、風に向かい義を慕い、臣妾と為らんことを願わざるは莫からん。徳義以て行わるれば、陛下は南面して霸を称し、楚は必ず衽を斂めて朝せん」と。漢王曰く「善し」と。張良曰く「誠に客の謀を用いば、陛下の事去らん」と。
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史記 留侯世家良項王に説きて曰く、「漢王桟道を焼絶す、還る心無し」と。乃ち斉王田栄の反くを以て、項王に書告す。項王此を以て西に漢を憂ふる心無く、而して兵を発して北のかた斉を撃つ。項王竟に肯へて韓王を遣はさず、乃ち以て侯と為し、又之を彭城に殺す。良亡げ、間行して漢王に帰す、漢王も亦た已に還りて三秦を定む。復た良を以て成信侯と為し、従ひて東のかた楚を撃つ。彭城に至り、漢敗れて還る。下邑に至り、漢王馬を下り鞍に踞して問ひて曰く、「吾関以東を捐てて等しく之を棄てんと欲す、誰か与に功を共にすべき者ぞ」と。良進みて曰く、「九江王黥布は、楚の梟将なり、項王と郄有り。彭越は斉王田栄と梁の地に反く。此の両人急ぎ使ふべし。而して漢王の将は独り韓信のみ大事を属し、一面に当たらしむべし。即し之を捐てんと欲せば、之を此の三人に捐てよ、則ち楚破るべきなり」と。漢王乃ち隨何をして九江王布に説かしめ、而して人をして彭越に連ならしむ。魏王豹の反くに及び、韓信をして兵を将ゐて之を撃たしめ、因りて燕・代・斉・趙を挙ぐ。然れども卒に楚を破る者は、此の三人の力なり。張良多病にして、未だ嘗て特に将たらず、常に画策を為し、時時漢王に従ふ。漢三年、項羽急に漢王を滎陽に囲む、漢王恐憂し、酈食其と楚の権を橈めんことを謀る。食其曰く、「昔湯桀を伐ち、其の後を杞に封ず。武王紂を伐ち、其の後を宋に封ず。今秦徳を失ひ義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六国の後を滅ぼし、錐を立つるの地無からしむ。陛下誠に能く復た六国の後世を立て、畢く已に印を受けしめば、此れ其の君臣百姓必ず皆陛下の徳を戴き、風に郷ひ義を慕ひ、臣妾と為らんことを願はざる莫からん。徳義已に行はれ、陛下南郷して霸を称せば、楚必ず衽を斂めて朝せん」と。漢王曰く、「善し。趣やかに印を刻せ、先生因りて行きて之を佩ばしめよ」と。食其未だ行かず、張良外より来たりて謁す。漢王方に食す、曰く、「子房前め。
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