史記 / 孔子世家
有荷蕢而過門者,曰:「有心哉,擊磬乎!硜硜乎,莫己知也夫而已矣!」孔子學鼓琴師襄子,十日不進。師襄子曰:「可以益矣。」孔子曰:「丘已習其曲矣,未得其數也。」有間,曰:「已習其數,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其志也。」有間,曰:「已習其志,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其為人也。」有間,有所穆然深思焉,有所怡然高望而遠志焉。曰:「丘得其為人,黯然而黑,幾然而長,眼如望羊,如王四國,非文王其誰能為此也!」師襄子辟席再拜,曰:「師蓋云文王操也。」孔子既不得用於衞,將西見趙簡子。至於河而聞竇鳴犢、舜華之死也,臨河而嘆曰:「美哉水,洋洋乎!丘之不濟此,命也夫!」子貢趨而進曰:「敢問何謂也?」孔子曰:「竇鳴犢,舜華,晉國之賢大夫也。趙簡子未得志之時,須此兩人而後從政;及其已得志,殺之乃從政。丘聞之也,刳胎殺夭則麒麟不至郊,竭澤涸漁則蛟龍不合陰陽,覆巢毀卵則鳳皇不翔。何則?君子諱傷其類也。夫鳥獸之於不義也尚知辟之,而況乎丘哉!」乃還息乎陬鄉,作為陬操以哀之。而反乎衞,入主蘧伯玉家。他日,靈公問兵陳。孔子曰:「俎豆之事則嘗聞之,軍旅之事未之學也。」明日,與孔子語,見蜚鴈,仰視之,色不在孔子。孔子遂行,復如陳。
新字:有荷蕢而過門者,曰:「有心哉,撃磬乎!硜硜乎,莫己知也夫而已矣!」孔子学鼓琴師襄子,十日不進。師襄子曰:「可以益矣。」孔子曰:「丘已習其曲矣,未得其数也。」有間,曰:「已習其数,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其志也。」有間,曰:「已習其志,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其為人也。」有間,有所穆然深思焉,有所怡然高望而遠志焉。曰:「丘得其為人,黯然而黒,幾然而長,眼如望羊,如王四国,非文王其誰能為此也!」師襄子辟席再拝,曰:「師蓋云文王操也。」孔子既不得用於衛,将西見趙簡子。至於河而聞竇鳴犢、舜華之死也,臨河而嘆曰:「美哉水,洋洋乎!丘之不済此,命也夫!」子貢趨而進曰:「敢問何謂也?」孔子曰:「竇鳴犢,舜華,晋国之賢大夫也。趙簡子未得志之時,須此両人而後従政;及其已得志,殺之乃従政。丘聞之也,刳胎殺夭則麒麟不至郊,竭沢涸漁則蛟竜不合陰陽,覆巣毀卵則鳳皇不翔。何則?君子諱傷其類也。夫鳥獣之於不義也尚知辟之,而況乎丘哉!」乃還息乎陬郷,作為陬操以哀之。而反乎衛,入主蘧伯玉家。他日,霊公問兵陳。孔子曰:「俎豆之事則嘗聞之,軍旅之事未之学也。」明日,与孔子語,見蜚鴈,仰視之,色不在孔子。孔子遂行,復如陳。
書き下し
蕢を荷ひて門を過ぐる者有り、曰く、「心有るかな、磬を撃つや。硜硜乎として、己を知る莫きなりや、而して已まんのみ」と。孔子鼓琴を師襄子に学ぶ、十日にして進まず。師襄子曰く、「以て益すべし」と。孔子曰く、「丘已に其の曲を習へり、未だ其の数を得ざるなり」と。間有りて、曰く、「已に其の数を習へり、以て益すべし」と。孔子曰く、「丘未だ其の志を得ざるなり」と。間有りて、曰く、「已に其の志を習へり、以て益すべし」と。孔子曰く、「丘未だ其の為人を得ざるなり」と。間有りて、穆然として深く思ふ所有り、怡然として高く望みて遠く志す所有り。曰く、「丘其の為人を得たり、黯然として黒く、幾然として長く、眼は望羊の如く、四国に王たるが如し、文王に非ずんば其れ誰か能く此を為さん」と。師襄子席を辟けて再拝して曰く、「師蓋し文王操と云へり」と。孔子既に衛に用ひらるるを得ず、将に西して趙簡子に見えんとす。河に至りて竇鳴犢・舜華の死を聞き、河に臨みて嘆じて曰く、「美なるかな水、洋洋乎たり。丘の此を済らざるは、命なるかな」と。子貢趨りて進みて曰く、「敢へて問ふ、何の謂ぞや」と。孔子曰く、「竇鳴犢・舜華は、晋国の賢大夫なり。趙簡子未だ志を得ざるの時、此の両人を須ちて而る後に政に従ふ。其の已に志を得るに及び、之を殺して乃ち政に従ふ。丘之を聞く、胎を刳き夭を殺せば則ち麒麟郊に至らず、沢を竭くし漁を涸らせば則ち蛟龍陰陽を合はせず、巣を覆し卵を毀てば則ち鳳皇翔らず。何となれば則ち、君子は其の類を傷つくるを諱めばなり。夫れ鳥獣の不義に於けるすら尚ほ之を辟くるを知る、而るを況んや丘に於てをや」と。乃ち還りて陬郷に息ひ、陬操を作為して以て之を哀しむ。而して衛に反り、入りて蘧伯玉の家に主たり。他日、霊公兵陳を問ふ。孔子曰く、「俎豆の事は則ち嘗て之を聞けり、軍旅の事は未だ之を学ばざるなり」と。明日、孔子と語る、蜚鴈を見、仰ぎて之を視、色孔子に在らず。孔子遂に行き、復た陳に如く。
現代語訳
もっこを担いで門の前を通り過ぎる者がいて、言った。「思うところがあるのだな、磬を打つ音に。かたくなな音だ。自分を分かってくれる者がいないなら、やめてしまえばいいものを」。孔子は琴を師襄子(しじょうし)に習ったが、十日たっても先へ進まなかった。師襄子が言った。「次の曲に進んでよい」。孔子は言った。「私はもう曲は覚えたが、まだその奏法の理を会得していない」。しばらくして師襄子が言った。「もう奏法の理を会得した。次へ進んでよい」。孔子は言った。「私はまだその曲に込められた志を会得していない」。しばらくして師襄子が言った。「もう志を会得した。次へ進んでよい」。孔子は言った。「私はまだこの曲を作った人の人柄をつかんでいない」。しばらくすると、孔子は静かに深く思いにふけり、また晴れやかに高みを仰いで遠くを志すようであった。そして言った。「私はその人柄をつかんだ。色は黒く、背は高く、眼差しは遠くを望むようで、四方の国々に王として臨むかのようだ。文王でなくて誰がこの曲を作れようか」。師襄子は席を下りて再拝して言った。「私の師もこれを文王操(文王の曲)だと言っていた」。孔子は衛で用いられなかったので、西へ行って趙簡子に会おうとした。黄河まで来たところで、竇鳴犢(とうめいとく)と舜華(しゅんか)が殺されたと聞き、河を前にして嘆いた。「美しいな、この水は。なんと広々と流れていることか。私がこの河を渡れないのも、運命なのだろう」。子貢が小走りに進み出て言った。「どういう意味か、お尋ねしたい」。孔子は言った。「竇鳴犢と舜華は晋の賢い大夫だ。趙簡子はまだ志を得ていないときは、この二人の力を借りて政治を行った。ところが志を得ると、二人を殺して政治を行っている。私はこう聞いている。母の胎を裂いて幼い獣を殺せば麒麟は郊外に現れず、沢の水を干して魚を獲り尽くせば蛟龍は陰陽を和合させず、巣をひっくり返して卵を割れば鳳凰は飛んで来ない。なぜか。君子は自分の同類が傷つけられるのを忌むからだ。鳥や獣でさえ不義を避けることを知っている。まして私はなおさらだ」。そこで引き返して陬郷(すうきょう)で休み、陬操という曲を作って二人を哀悼した。そして衛に戻り、蘧伯玉の家に身を寄せた。ある日、霊公が軍隊の陣立てについて尋ねた。孔子は言った。「祭器の扱いについては聞いたことがあるが、軍隊のことはまだ学んだことがない」。翌日、霊公は孔子と語っていたが、飛んでいく雁を見上げて、心は孔子の上になかった。孔子はそこで去り、再び陳へ行った。
解説
関連する章句
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孔子家語・辯樂解孔子琴を師襄子に學ぶ。襄子曰く、「吾磬を擊つを以て官と為すと雖も、然れども琴に能くす。今子琴に於て已に習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の數を得ざるなり。」間有りて、曰く、「已に其の數を習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の志を得ざるなり。」間有りて、曰く、「已に其の志を習えり、以て益すべし。」孔子曰く、「丘未だ其の為人を得ざるなり。」間有りて、孔子謬然として思う所有り。睪然として、高く望みて遠く眺むる所有り。曰く、「丘迨に其の為人を得たり。黮に近くして黑く、頎然として長く、曠として望羊のごとく、奄然として四方を有す。文王に非ざれば其れ孰か此れを為さんや。」師襄子席を避け、葉拱して對えて曰く、「君子、聖人なり。其の傳に曰う『文王操』と。」
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孔子家語・困誓孔子衛自り将に晋に入らんとし、河に至り、趙簡子の竇犨鳴犢及び舜華を殺せるを聞く。乃ち河に臨みて嘆じて曰わく、「美しいかな水、洋洋乎たり。丘の済らざるは、此れ命なるかな。」子貢趍りて進みて曰わく、「敢えて何の謂いぞやと問う。」孔子曰わく、「竇犨鳴犢、舜華は、晋の賢大夫なり。趙簡子未だ志を得ざるの時、此の二人を須ちて而る後之に従う。其の已に志を得るに及びて、而して之を殺す。丘之を聞く、胎を刳き夭を殺せば、則ち麒麟其の郊に至らず。沢を竭くして漁すれば、則ち蛟竜其の淵に処らず。巣を覆し卵を破らば、則ち凰凰其の邑に翔らず。何となれば則ち、君子は其の類を傷るを違うる者なり。鳥獣すら不義に於て、尚お之を避くるを知る、況んや人に於てをや。」遂に還りて鄒に息い、盤琴を作りて以て之を哀しむ。
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史記 孔子世家夫人帷中より再拝す、環珮の玉声璆然たり。孔子曰く、「吾郷に見えずと為す、之を見るに礼もて答ふ」と。子路説ばず。孔子之に矢ひて曰く、「予が否なる所の者は、天之を厭たん、天之を厭たん」と。衛に居ること月余、霊公夫人と車を同じくし、宦者雍渠参乗し、出で、孔子をして次乗為らしめ、招揺して市に之を過ぐ。孔子曰く、「吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と。是に於て之を醜とし、衛を去り、曹を過ぐ。是の歳、魯の定公卒す。孔子曹を去りて宋に適き、弟子と礼を大樹の下に習ふ。宋の司馬桓魋孔子を殺さんと欲し、其の樹を抜く。孔子去る。弟子曰く、「以て速やかにすべし」と。孔子曰く、「天徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何せん」と。孔子鄭に適き、弟子と相失ひ、孔子独り郭の東門に立つ。鄭人或ひと子貢に謂ひて曰く、「東門に人有り、其の顙は堯に似、其の項は皋陶に類し、其の肩は子産に類す、然れども要より以下は禹に及ばざること三寸。纍纍として喪家の狗の若し」と。子貢実を以て孔子に告ぐ。孔子欣然として笑ひて曰く、「形状は末なり。而るに喪家の狗に似たりと謂ふは、然るかな、然るかな」と。孔子遂に陳に至り、司城貞子の家に主たり。歳余にして、呉王夫差陳を伐ち、三邑を取りて去る。趙鞅朝歌を伐つ。楚蔡を囲み、蔡呉に遷る。呉、越王句践を会稽に敗る。隼有り陳の廷に集まりて死す、楛矢之を貫く、石砮にして、矢の長さ尺有咫。陳の湣公使をして仲尼に問はしむ。仲尼曰く、「隼の来たること遠し、此れ粛慎の矢なり。昔武王商に克ち、道を九夷百蛮に通じ、各々其の方賄を以て来貢せしめ、職業を忘るること無からしむ。是に於て粛慎楛矢石砮を貢す、長さ尺有咫。先王其の令徳を昭らかにせんと欲し、粛慎の矢を以て大姫に分かち、虞の胡公に配して諸を陳に封ず。同姓に分かつに珍玉を以てし、親を展ぶ。異姓に分かつに遠職を以てし、服を忘るること無からしむ。
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史記 孔子世家桓子卒に斉の女楽を受け、三日政を聴かず。郊して、又膰俎を大夫に致さず。孔子遂に行き、屯に宿す。而して師己送りて曰く、「夫子は則ち罪に非ず」と。孔子曰く、「吾歌はんこと可ならんか」と。歌ひて曰く、「彼の婦の口、以て出走すべし。彼の婦の謁、以て死敗すべし。蓋し優なるかな游なるかな、維れ以て歳を卒へん」と。師己反る、桓子曰く、「孔子亦た何をか言へる」と。師己実を以て告ぐ。桓子喟然として嘆じて曰く、「夫子我を罪するに羣婢の故を以てするなるかな」と。孔子遂に衛に適き、子路の妻の兄顔濁鄒の家に主たり。衛の霊公孔子に問ふ、「魯に居りて禄を得ること幾何ぞ」と。対へて曰く、「粟六万を奉ず」と。衛人も亦た粟六万を致す。居ること之を頃くして、或ひと孔子を衛の霊公に譖す。霊公、公孫余仮をして一たび出で一たび入らしむ。孔子罪を獲んことを恐れ、居ること十月にして、衛を去る。将に陳に適かんとし、匡を過ぐ、顔刻僕為り、其の策を以て之を指して曰く、「昔吾此に入りしは、彼の缺けたるに由るなり」と。匡人之を聞き、以て魯の陽虎と為す。陽虎嘗て匡人に暴す、匡人是に於て遂に孔子を止む。孔子の状陽虎に類す、拘へらるること五日。顔淵後る、子曰く、「吾汝を以て死せりと為す」と。顔淵曰く、「子在す、回何ぞ敢へて死せん」と。匡人孔子を拘ふること益々急なり、弟子懼る。孔子曰く、「文王既に没す、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん」と。孔子、従者をして甯武子の臣と為りて衛に於てせしめ、然る後に去るを得たり。去りて即ち蒲を過ぐ。月余にして、衛に反り、蘧伯玉の家に主たり。霊公の夫人に南子なる者有り、人をして孔子に謂はしめて曰く、「四方の君子の辱くも寡君と兄弟為らんと欲する者は、必ず寡小君に見ゆ。寡小君見えんことを願ふ」と。孔子辞謝するも、已むを得ずして之に見ゆ。夫人絺帷の中に在り。孔子門に入り、北面して稽首す。
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史記 孔子世家「徳の脩まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙る能はざる、不善改むる能はざる、是れ吾が憂ひなり」と。人をして歌はしめ、善なれば、則ち之を復せしめ、然る後に之に和す。子は怪・力・乱・神を語らず。子貢曰く、「夫子の文章は、得て聞くべきなり。夫子の天道と性命とを言ふは、得て聞くべからざるのみ」と。顔淵喟然として嘆じて曰く、「之を仰げば弥々高く、之を鑽れば弥々堅し。之を瞻れば前に在り、忽焉として後に在り。夫子は循循然として善く人を誘ふ、我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす、罷めんと欲すれども能はず。既に我が才を竭くすに、立つ所有りて、卓爾たるが如し。之に従はんと欲すと雖も、由る蔑きのみ」と。達巷党の人童子曰く、「大なるかな孔子、博く学びて名を成す所無し」と。子之を聞きて曰く、「我何をか執らん。御を執らんか、射を執らんか。我は御を執らん」と。牢曰く、「子云ふ『試ひられず、故に芸あり』と」。春、大野に狩す。叔孫氏の車子鉏商獣を獲たり、以て不祥と為す。仲尼之を視て曰く、「麟なり」と。之を取る。曰く、「河図を出さず、雒書を出さず、吾已んぬるかな」と。顔淵死す、孔子曰く、「天予を喪ぼせり」と。西狩して麟を見るに及び、曰く、「吾が道窮まれり」と。喟然として嘆じて曰く、「我を知る莫きかな」と。子貢曰く、「何為れぞ子を知る莫からん」と。子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す、我を知る者は其れ天か」と。「其の志を降さず、其の身を辱めざるは、伯夷・叔斉か」と。「柳下恵・少連は志を降し身を辱めたり」と謂ふ。「虞仲・夷逸は隠居して放言し、行ひ清に中り、廃権に中る」と謂ふ。「我は則ち是に異なり、可も無く不可も無し」と。子曰く、「弗なるかな弗なるかな、君子は世を没して名の称せられざるを病む。吾が道行はれず、吾何を以てか自ら後世に見はさんや」と。乃ち史記に因りて春秋を作る、上は隠公に至り、下は哀公十四年に訖る、十二公なり。魯に拠り、周を親とし、殷を故とし、之を三代に運らす。其の文辞を約にして指博し。
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史記 孔子世家斉の太師と楽を語り、韶の音を聞きて之を学ぶ、三月肉の味を知らず、斉人之を称す。景公政を孔子に問ふ、孔子曰く、「君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり」と。景公曰く、「善いかな。信に如し君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟有りと雖も、吾豈に得て諸を食はんや」と。他日又復た政を孔子に問ふ、孔子曰く、「政は財を節するに在り」と。景公説び、将に尼谿の田を以て孔子を封ぜんと欲す。晏嬰進みて曰く、「夫れ儒者は滑稽にして軌法とすべからず。倨傲にして自ら順ひ、以て下と為すべからず。喪を崇び哀を遂げ、産を破りて葬を厚くす、以て俗と為すべからず。游説して乞貸す、以て国を為むべからず。大賢の息みしより、周室既に衰へ、礼楽缺くること間有り。今孔子は容飾を盛んにし、登降の礼、趨詳の節を繁くす、累世も其の学を殫くす能はず、当年も其の礼を究むる能はず。君之を用ひて以て斉の俗を移さんと欲するは、細民に先んずる所以に非ざるなり」と。後、景公敬して孔子に見ゆるも、其の礼を問はず。異日、景公孔子を止めて曰く、「子を奉ずるに季氏を以てするは、吾能はず」と。季・孟の間を以て之を待す。斉の大夫孔子を害せんと欲す、孔子之を聞く。景公曰く、「吾老いたり、用ふる能はざるなり」と。孔子遂に行き、魯に反る。孔子年四十二、魯の昭公乾侯に卒し、定公立つ。定公立ちて五年、夏、季平子卒し、桓子嗣ぎて立つ。季桓子井を穿ちて土缶を得たり、中に羊の若きもの有り、仲尼に問ひて「狗を得たり」と云ふ。仲尼曰く、「丘の聞く所を以てすれば、羊なり。丘之を聞く、木石の怪は夔・罔閬、水の怪は龍・罔象、土の怪は墳羊なりと」と。呉越を伐ち、会稽を墮ち、骨節の車を専らにするを得たり。呉、使をして仲尼に問はしむ、「骨は何者か最も大なる」と。仲尼曰く、「禹、羣神を会稽山に致す、防風氏後れて至る、禹殺して之を戮す、其の節車を専らにす、此を大と為す」と。呉の客曰く、「誰をか神と為す」と。
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