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史記 / 田敬仲完世家

願王孰慮之。」於是齊去帝復爲王,秦亦去帝位。三十八年,伐宋。秦昭王怒曰:「吾愛宋與愛新城、陽晉同。韓聶與吾友也,而攻吾所愛,何也?」蘇代爲齊謂秦王曰:「韓聶之攻宋,所以爲王也。齊彊,輔之以宋,楚魏必恐,恐必西事秦,是王不煩一兵,不傷一士,無事而割安邑也,此韓聶之所禱於王也。」秦王曰:「吾患齊之難知。一從一衡,其説何也?」對曰:「天下國令齊可知乎?齊以攻宋,其知事秦以萬乘之國自輔,不西事秦則宋治不安。中國白頭游敖之士皆積智欲離齊秦之交,伏式結軼西馳者,未有一人言善齊者也,伏式結軼東馳者,未有一人言善秦者也。何則?皆不欲齊秦之合也。何晉楚之智而齊秦之愚也!晉楚合必議齊秦,齊秦合必圖晉楚,請以此決事。」秦王曰:「諾。」於是齊遂伐宋,宋王出亡,死於温。齊南割楚之淮北,西侵三晉,欲以并周室,爲天子。泗上諸侯鄒魯之君皆稱臣,諸侯恐懼。三十九年,秦來伐,拔我列城九。四十年,燕、秦、楚、三晉合謀,各出鋭師以伐,敗我濟西。王解而卻。燕將樂毅遂入臨淄,盡取齊之寶藏器。湣王出亡,之衞。衞君辟宮捨之,稱臣而共具。湣王不遜,衞人侵之。湣王去,走鄒、魯,有驕色,鄒、魯君弗内,遂走莒。

新字:願王孰慮之。」於是斉去帝復為王,秦亦去帝位。三十八年,伐宋。秦昭王怒曰:「吾愛宋与愛新城、陽晋同。韓聶与吾友也,而攻吾所愛,何也?」蘇代為斉謂秦王曰:「韓聶之攻宋,所以為王也。斉彊,輔之以宋,楚魏必恐,恐必西事秦,是王不煩一兵,不傷一士,無事而割安邑也,此韓聶之所祷於王也。」秦王曰:「吾患斉之難知。一従一衡,其説何也?」対曰:「天下国令斉可知乎?斉以攻宋,其知事秦以万乗之国自輔,不西事秦則宋治不安。中国白頭游敖之士皆積智欲離斉秦之交,伏式結軼西馳者,未有一人言善斉者也,伏式結軼東馳者,未有一人言善秦者也。何則?皆不欲斉秦之合也。何晋楚之智而斉秦之愚也!晋楚合必議斉秦,斉秦合必図晋楚,請以此決事。」秦王曰:「諾。」於是斉遂伐宋,宋王出亡,死於温。斉南割楚之淮北,西侵三晋,欲以并周室,為天子。泗上諸侯鄒魯之君皆称臣,諸侯恐懼。三十九年,秦来伐,抜我列城九。四十年,燕、秦、楚、三晋合謀,各出鋭師以伐,敗我済西。王解而却。燕将楽毅遂入臨淄,尽取斉之宝蔵器。湣王出亡,之衛。衛君辟宮捨之,称臣而共具。湣王不遜,衛人侵之。湣王去,走鄒、魯,有驕色,鄒、魯君弗内,遂走莒。

書き下し

願はくは王孰く之を慮れ」と。是に於て斉帝を去りて復た王と為る。秦も亦帝位を去る。三十八年、宋を伐つ。秦の昭王怒りて曰く、「吾の宋を愛するは新城・陽晋を愛すると同じ。韓聶は吾と友なり。而るに吾の愛する所を攻む。何ぞや」と。蘇代斉の為に秦王に謂ひて曰く、「韓聶の宋を攻むるは、王の為にする所以なり。斉彊くして、之を輔くるに宋を以てせば、楚・魏必ず恐れん。恐るれば必ず西のかた秦に事へん。是れ王一兵を煩はさず、一士を傷つけずして、事無くして安邑を割くなり。此れ韓聶の王に禱る所なり」と。秦王曰く、「吾斉の知り難きを患ふ。一は従し一は衡す。其の説何ぞや」と。対へて曰く、「天下の国斉をして知るべからしめんや。斉以て宋を攻むるは、其の秦に事ふるに万乗の国を以て自ら輔くるを知ればなり。西のかた秦に事へずんば則ち宋治安からず。中国の白頭游敖の士、皆智を積みて斉・秦の交はりを離さんと欲す。式に伏し軼を結びて西に馳する者、未だ一人も斉を善しと言ふ者有らざるなり。式に伏し軼を結びて東に馳する者、未だ一人も秦を善しと言ふ者有らざるなり。何となれば、皆斉・秦の合するを欲せざればなり。何ぞ晋・楚の智にして斉・秦の愚なるや。晋・楚合せば必ず斉・秦を議し、斉・秦合せば必ず晋・楚を図らん。請ふ此を以て事を決せよ」と。秦王曰く、「諾」と。是に於て斉遂に宋を伐つ。宋王出でて亡げ、温に死す。斉南のかた楚の淮北を割き、西のかた三晋を侵し、以て周室を并せて天子と為らんと欲す。泗上の諸侯鄒・魯の君皆臣と称す。諸侯恐懼す。三十九年、秦来り伐ち、我が列城九を抜く。四十年、燕・秦・楚・三晋合謀し、各々鋭師を出だして以て伐ち、我を済西に敗る。王解けて卻く。燕の将楽毅遂に臨淄に入り、尽く斉の宝蔵器を取る。湣王出でて亡げ、衛に之く。衛君宮を辟けて之を捨らしめ、臣と称して具を共す。湣王遜らず。衛人之を侵す。湣王去り、鄒・魯に走る。驕色有り。鄒・魯の君内れず。遂に莒に走る。

現代語訳

どうか王にはよくお考えいただきたい」。そこで斉は帝の称号をやめて再び王となり、秦もまた帝位をやめた。三十八年、斉は宋を討った。秦の昭王は怒って言った。「わたしが宋を大切に思うのは、新城や陽晋を大切に思うのと同じだ。韓聶(かんじょう)はわたしの友であるのに、わたしの大切なものを攻めるとは、どういうことか」。蘇代は斉のために秦王に言った。「韓聶が宋を攻めたのは、王のためである。斉が強くなり、そのうえ宋を手に入れれば、楚と魏は必ず恐れる。恐れれば必ず西の秦に仕えるだろう。これは王が一人の兵も煩わせず、一人の士も傷つけず、何事もなく(魏から)安邑を割き取れるということだ。これこそ韓聶が王のために願っていることである」。秦王は言った。「わたしは斉の本心が分からないのが気がかりだ。合従したかと思えば連衡する。その理屈はどういうことか」。蘇代は答えた。「天下の国々が斉の本心をたやすく知ることができるようでは困る。斉が宋を攻めたのは、万乗の大国である秦に仕えることで自らの支えにできると知っているからである。西の秦に仕えなければ、手に入れた宋の統治も安定しない。中原の白髪の遊説家たちは、みな知恵を絞って斉と秦の交わりを裂こうとしている。車の横木に手をかけ、車の跡を連ねて西の秦へ駆けつける者のうち、斉をよく言う者は一人もいない。車の横木に手をかけ、車の跡を連ねて東の斉へ駆けつける者のうち、秦をよく言う者は一人もいない。なぜか。みな斉と秦が手を結ぶことを望んでいないからである。三晋と楚はなんと賢く、斉と秦はなんと愚かなことか。三晋と楚が手を結べば必ず斉・秦の攻撃を議論し、斉と秦が手を結べば必ず三晋・楚を攻略しようとする。どうかこの道理で事を決められよ」。秦王は「分かった」と言った。こうして斉はついに宋を討ち、宋王は国外へ逃れて温で死んだ。斉は南では楚の淮水の北を割き取り、西では三晋を侵し、周王室を併合して天子になろうとした。泗水のほとりの諸侯や鄒・魯の君主はみな斉に臣従を称した。諸侯は恐れおののいた。三十九年、秦が攻めて来て、わが城九つを攻め落とした。四十年、燕・秦・楚・三晋が共謀し、それぞれ精鋭を出して斉を討ち、済水の西でわが軍を破った。王の軍は崩れて退いた。燕の将楽毅はついに都の臨淄に入り、斉の宝物や財宝をことごとく奪った。湣王は国外へ逃れて衛に行った。衛君は宮殿を明け渡して湣王を住まわせ、臣と称して必要なものを供した。しかし湣王は尊大な態度を改めなかったので、衛の人々は彼を侵した。湣王は衛を去り、鄒・魯へ逃れたが、なおも驕った様子を見せたので、鄒・魯の君主は受け入れなかった。そこでついに莒へ逃れた。

解説

斉の湣王の絶頂と転落を描く段です。蘇代の説得で帝号を返上した斉は、宋を攻め滅ぼし、怒る秦王には、斉が強くなれば楚・魏が恐れて秦に従うので秦も得をする、遊説家たちが斉秦の仲を裂こうとするのは斉秦が組むのを恐れるからだと説いて納得させました。こうして斉は淮北や三晋の地を奪い、周を併せて天子になろうとするまで膨張します。しかしその驕りが諸国の警戒を招き、燕の楽毅を中心とする五か国連合に攻められて都臨淄は陥落しました。逃亡した湣王は、衛君が宮殿を明け渡して臣下の礼を尽くしても尊大な態度を改めず、衛にも鄒・魯にも受け入れられず、莒へ落ちのびます。急激な拡大が周囲すべてを敵に回すこと、そして落ちぶれても態度を変えられない者は助けを得られないことを、容赦なく描いた段です。

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