史記 / 田敬仲完世家
於是威王召即墨大夫而語之曰:「自子之居即墨也,毀言日至。然吾使人視即墨,田野闢,民人給,官無留事,東方以寧。是子不事吾左右以求譽也。」封之萬家。召阿大夫語曰:「自子之守阿,譽言日聞。然使使視阿,田野不闢,民貧苦。昔日趙攻甄,子弗能救。衞取薛陵,子弗知。是子以幣厚吾左右以求譽也。」是日,烹阿大夫,及左右嘗譽者皆并烹之。遂起兵西擊趙、衞,敗魏於濁澤而圍惠王。惠王請獻觀以和解,趙人歸我長城。於是齊國震懼,人人不敢飾非,務盡其誠。齊國大治。
新字:於是威王召即墨大夫而語之曰:「自子之居即墨也,毀言日至。然吾使人視即墨,田野闢,民人給,官無留事,東方以寧。是子不事吾左右以求誉也。」封之万家。召阿大夫語曰:「自子之守阿,誉言日聞。然使使視阿,田野不闢,民貧苦。昔日趙攻甄,子弗能救。衛取薛陵,子弗知。是子以幣厚吾左右以求誉也。」是日,烹阿大夫,及左右嘗誉者皆并烹之。遂起兵西撃趙、衛,敗魏於濁沢而囲恵王。恵王請献観以和解,趙人帰我長城。於是斉国震懼,人人不敢飾非,務尽其誠。斉国大治。
書き下し
威王即墨大夫を召して之に語りて曰く、「子の即墨に居りしより、毀言日に至る。然れども吾人をして即墨を視しむるに、田野辟け、民人給し、官に留事無く、東方以て寧し。是れ子吾が左右に事へて以て誉を求めざればなり」と。之を萬家に封ず。阿大夫を召して語りて曰く、「子の阿を守りしより、誉言日に聞こゆ。然れども使をして阿を視しむるに、田野辟けず、民貧苦す。是れ子幣を以て吾が左右を厚くして以て誉を求むればなり」と。是の日、阿大夫を烹、及び左右の嘗て誉めし者皆并せて之を烹る。人人敢へて非を飾らず、務めて其の誠を尽くす。齊国大いに治まる。
現代語訳
威王は即墨の大夫を召して言った。「そなたが即墨に赴任して以来、そなたを悪く言う声が日々届いた。しかし私が人をやって即墨を視察させたところ、田野は開かれ、民は満ち足り、役所に滞った案件はなく、東方は安泰であった。これはそなたが、私の側近に取り入って評判を求めなかったからだ」。そして彼を一万戸に封じた。次に阿の大夫を召して言った。「そなたが阿を守って以来、そなたを褒める声が日々聞こえてきた。しかし使者をやって阿を視察させたところ、田野は開かれず、民は貧しく苦しんでいた。これはそなたが賄賂で私の側近を手厚くもてなし、評判を買ったからだ」。その日、阿の大夫を釜ゆでにし、あわせて、これまで彼を褒めていた側近たちも、みな釜ゆでにした。以後、誰も過ちを取り繕おうとせず、みな誠実に力を尽くした。齊の国は大いに治まった。
解説

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『長短経』息弁何をか事迹と為す。昔、斉の威王、即墨大夫を召して之に語りて曰く「子の即墨に居りしより、毀り日に至る。然れども吾人をして即墨を視しむるに、田野闢け、人民給り、官に留事無く、東方以て寧し。是れ子の吾が左右に事えて以て誉れを求めざればなり」と。之を万家に封ず。阿大夫を召して之に語りて曰く「夫子の阿を守りしより、誉れ日に聞こゆ。然れども吾人をして阿を視しむるに、田野闢けず、人貧苦す。趙、甄を攻むるも、子救うこと能わず。衛、薛陵を取るも、子知ること能わず。是れ子の常に幣を以て吾が左右に事えて以て誉れを求むればなり」と。是の日、阿大夫及び左右の常に之を誉むる者を烹る。斉国大いに理まる。
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『淮南子』氾論訓齊の威王 大鼎を庭中に設けて、無鹽の令を數えて曰く、「子の譽、日々に吾が耳に聞こゆ。子の事を察するに、田野 蕪れ、倉廩 虛しく、囹圄 實つ。子 姦を以て我に事うる者なり」と。乃ち之を烹る。齊 此を以て三十二歳、道路に遺を拾わず。此れ刑 省にして姦 禁ぜらるる者なり。
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
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史記 田敬仲完世家襄王莒に在ること五年、田単即墨を以て燕軍を攻破し、襄王を莒に迎へ、臨菑に入る。齊の故地尽く復た齊に属す。齊田単を封じて安平君と為す。
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戦国策・鄒忌脩八尺有餘鄒忌脩八尺有餘、身體昳麗なり。朝に衣冠を服して鏡を窺ひ、其の妻に謂ひて曰く、「我孰與れぞ城北の徐公と美なる。」其の妻曰く、「君美なること甚だし、徐公何ぞ能く公に及ばんや。」城北の徐公は、齊國の美麗なる者なり。忌自ら信ぜずして、復た其の妾に問ひて曰く、「吾孰與れぞ徐公と美なる。」妾曰く、「徐公何ぞ能く君に及ばんや。」旦日客外より來る、與に坐して談じ、之に問ひて客に曰く、「吾徐公と孰與れぞ美なる。」客曰く、「徐公は君の美に若かざるなり。」明日、徐公來る。孰視して、自ら以て如かずと爲す。鏡を窺ひて自ら視れば、又如かざること遠く甚だし。暮に、寢ねて之を思ひて曰く、「吾が妻の我を美とするは、私するなり。妾の我を美とするは、我を畏るるなり。客の我を美とするは、我に求むる有らんと欲すればなり。」是に於て朝に入りて威王に見えて曰く、「臣誠に徐公に如かざるを知る。臣の妻は臣を私し、臣の妾は臣を畏れ、臣の客は臣に求むる有らんと欲す。皆な以て徐公より美とす。今齊は地方千里、百二十城、宮婦左右、私せざる莫し。朝廷の臣、畏れざる莫し。四境の內、求むる有らざる莫し。此に由りて之を觀れば、王の蔽はるること甚だし。」王曰く、「善し。」乃ち令を下して曰く、「群臣吏民、能く面ら寡人の過ちを刺す者は、上賞を受けん。書を上りて寡人を諫むる者は、中賞を受けん。能く市朝に謗議して、寡人の耳に聞かしむる者は、下賞を受けん。」令初めて下るや、群臣諫めを進め、門庭市の若し。數月の後、時時にして間ま進む。期年の後、言はんと欲すと雖も、進むべき無し。燕・趙・韓・魏之を聞き、皆な齊に朝す。此れ所謂朝廷に戰ひ勝つといふなり。
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史記 田敬仲完世家諸侯之を聞き、敢へて兵を斉に致すもの莫きこと二十余年。騶忌子琴を鼓するを以て威王に見ゆ。威王説びて之を右室に舎らしむ。須臾にして、王琴を鼓す。騶忌子戸を推して入りて曰く、「善いかな琴を鼓すること」と。王勃然として説ばず、琴を去りて剣を按じて曰く、「夫子容を見て未だ察せず。何を以てか其の善きを知る」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深く、之を醳つこと愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。吾是を以て其の善きを知る」と。王曰く、「善く音を語る」と。騶忌子曰く、「何ぞ独り音を語るのみならん。夫れ国家を治めて人民を弭むること皆其の中に在り」と。王又勃然として説ばずして曰く、「夫の五音の紀を語るが若きは、信に未だ夫子の如き者有らざるなり。夫の国家を治めて人民を弭むるが若きは、又何為れぞ糸桐の閒に乎てせん」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深くして之を捨つること愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。夫れ復して乱れざる者は、治昌なる所以なり。連なりて径なる者は、亡を存する所以なり。故に曰く琴音調ひて天下治まると。夫れ国家を治めて人民を弭むる者は、五音に若くは無し」と。王曰く、「善し」と。騶忌子見えて三月にして相印を受く。淳于髡之に見えて曰く、「善く説くかな。髡に愚志有り、願はくは諸を前に陳べん」と。騶忌子曰く、「謹んで教へを受けん」と。淳于髡曰く、「全きを得れば全く昌え、全きを失へば全く亡ぶ」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで前を離るる毋からん」と。淳于髡曰く、「狶膏棘軸は、滑らかと為す所以なり。然れども方穿を運らすこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで左右に事へん」と。