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史記 / 魏世家

李克趨而出,過翟璜之家。翟璜曰:『今者聞君召先生而卜相,果誰爲之?』李克曰:『魏成子爲相矣。』翟璜忿然作色曰:『以耳目之所睹記,臣何負於魏成子?西河之守,臣之所進也。君内以鄴爲憂,臣進西門豹。君謀欲伐中山,臣進樂羊。中山以拔,无使守之,臣進先生。君之子无傅,臣進屈侯鮒。臣何以負於魏成子!』李克曰:『且子之言克於子之君者,豈將比周以求大官哉?君問而置相「非成則璜,二子何如」?克對曰:「君不察故也。居視其所親,富視其所與,達視其所舉,窮視其所不爲,貧視其所不取,五者足以定之矣,何待克哉!」是以知魏成子之爲相也。且子安得與魏成子比乎?魏成子以食祿千鐘,什九在外,什一在内,是以東得卜子夏、田子方、段干木。此三人者,君皆師之。子之所進五人者,君皆臣之。子惡得與魏成子比也?』翟璜逡巡再拜曰:『璜,鄙人也,失對,願卒爲弟子。』廿六年,虢山崩,壅河。卅二年,伐鄭。城酸棗。敗秦于注。卅五年,齊伐取我襄陵。卅六年,秦侵我陰晉。卅八年,伐秦,敗我武下,得其將識。是歳,文侯卒,子撃立,是爲武侯。魏武侯元年,趙敬侯初立,公子朔爲亂,不勝,奔魏,與魏襲邯鄲,魏敗而去。二年,城安邑、王垣。七年,伐齊,至桑丘。

新字:李克趨而出,過翟璜之家。翟璜曰:『今者聞君召先生而卜相,果誰為之?』李克曰:『魏成子為相矣。』翟璜忿然作色曰:『以耳目之所睹記,臣何負於魏成子?西河之守,臣之所進也。君内以鄴為憂,臣進西門豹。君謀欲伐中山,臣進楽羊。中山以抜,无使守之,臣進先生。君之子无傅,臣進屈侯鮒。臣何以負於魏成子!』李克曰:『且子之言克於子之君者,豈将比周以求大官哉?君問而置相「非成則璜,二子何如」?克対曰:「君不察故也。居視其所親,富視其所与,達視其所舉,窮視其所不為,貧視其所不取,五者足以定之矣,何待克哉!」是以知魏成子之為相也。且子安得与魏成子比乎?魏成子以食禄千鐘,什九在外,什一在内,是以東得卜子夏、田子方、段干木。此三人者,君皆師之。子之所進五人者,君皆臣之。子悪得与魏成子比也?』翟璜逡巡再拝曰:『璜,鄙人也,失対,願卒為弟子。』廿六年,虢山崩,壅河。卅二年,伐鄭。城酸棗。敗秦于注。卅五年,斉伐取我襄陵。卅六年,秦侵我陰晋。卅八年,伐秦,敗我武下,得其将識。是歳,文侯卒,子撃立,是為武侯。魏武侯元年,趙敬侯初立,公子朔為乱,不勝,奔魏,与魏襲邯鄲,魏敗而去。二年,城安邑、王垣。七年,伐斉,至桑丘。

書き下し

李克趨りて出で、翟璜の家に過る。翟璜曰く、『今者聞く、君先生を召して相を卜すと。果たして誰か之と為る』と。李克曰く、『魏成子相と為らん』と。翟璜忿然として色を作して曰く、『耳目の睹記する所を以てするに、臣何ぞ魏成子に負けん。西河の守は、臣の進むる所なり。君内に鄴を以て憂ひと為す、臣西門豹を進む。君謀りて中山を伐たんと欲す、臣楽羊を進む。中山以て抜けて、之を守らしむる無し、臣先生を進む。君の子に傅無し、臣屈侯鮒を進む。臣何を以てか魏成子に負けん』と。李克曰く、『且つ子の克を子の君に言ふ者は、豈に将に比周して以て大官を求めんとするか。君問ひて相を置かんとして「成に非ずんば則ち璜なり、二子何如」と。克対へて曰く、「君察せざるが故なり。居りては其の親しむ所を視、富みては其の与ふる所を視、達しては其の挙ぐる所を視、窮しては其の為さざる所を視、貧しくしては其の取らざる所を視る。五つの者以て之を定むるに足る。何ぞ克を待たん」と。是を以て魏成子の相と為るを知るなり。且つ子安んぞ魏成子と比ぶることを得んや。魏成子は食禄千鍾を以て、什の九は外に在り、什の一は内に在り。是を以て東のかた卜子夏・田子方・段干木を得たり。此の三人の者は、君皆之を師とす。子の進むる所の五人の者は、君皆之を臣とす。子悪んぞ魏成子と比ぶることを得んや』と。翟璜逡巡して再拝して曰く、『璜は鄙人なり。対を失へり。願はくは卒に弟子と為らん』と。廿六年、虢山崩れ、河を壅ぐ。卅二年、鄭を伐つ。酸棗に城く。秦を注に敗る。卅五年、斉伐ちて我が襄陵を取る。卅六年、秦我が陰晋を侵す。卅八年、秦を伐ち、我を武下に敗り、其の将識を得たり。是の歳、文侯卒し、子撃立つ、是を武侯と為す。魏の武侯の元年、趙の敬侯初めて立つ。公子朔乱を為し、勝たず、魏に奔り、魏と邯鄲を襲ふ。魏敗れて去る。二年、安邑・王垣に城く。七年、斉を伐ち、桑丘に至る。

現代語訳

李克は小走りに退出し、翟璜(てきこう)の家に立ち寄った。翟璜は言った。『先ほど、君が先生を呼んで宰相を誰にするか相談されたと聞いた。結局、誰が宰相になるのか』。李克は言った。『魏成子(ぎせいし)が宰相になるだろう』。翟璜はむっとして顔色を変えて言った。『人々が見聞きしてきたことからして、わたしのどこが魏成子に劣るというのか。西河の守(呉起)はわたしが推挙した者だ。君が国内で鄴のことを憂えておられたとき、わたしは西門豹を推挙した。君が中山を討とうと計画されたとき、わたしは楽羊(がくよう)を推挙した。中山を攻め落としたものの、守らせる者がいなかったとき、わたしは先生を推挙した。君のお子に守り役がいなかったとき、わたしは屈侯鮒(くつこうふ)を推挙した。わたしのどこが魏成子に劣るというのか』。李克は言った。『そもそもあなたがわたしをあなたの君に推薦したのは、徒党を組んで高い官職を求めようとしてのことだったのか。君は宰相を置くにあたって「魏成でなければ翟璜だが、二人のうちどちらがよいか」と尋ねられた。わたしはこうお答えした。「君がよくご覧になっていないからである。普段はその人が誰と親しくしているかを見、富んでいるときはその人が誰に与えているかを見、高い地位にあるときはその人が誰を推挙しているかを見、困窮しているときはその人が何をしないかを見、貧しいときはその人が何を受け取らないかを見る。この五つで十分に決められる。どうしてわたしの意見を待つ必要があろう」と。それで魏成子が宰相になると分かったのだ。それに、あなたがどうして魏成子と比べものになろう。魏成子は千鍾の俸禄のうち、九割を外に使い、一割だけを家に入れている。だから東方から卜子夏(ぼくしか)・田子方・段干木(だんかんぼく)を招くことができた。この三人を、君はみな師としておられる。あなたが推挙した五人を、君はみな臣下としておられる。あなたがどうして魏成子と比べられよう』。翟璜はためらい、再拝して言った。『わたしは田舎者で、とんだ受け答えをしてしまった。どうか生涯先生の弟子にさせていただきたい』。二十六年、虢山(かくざん)が崩れて黄河をふさいだ。三十二年、鄭を討った。酸棗(さんそう)に城を築いた。秦を注(ちゅう)で破った。三十五年、斉がわが襄陵を攻め取った。三十六年、秦がわが陰晋を侵した。三十八年、秦を討ったが、秦はわが軍を武下で破り、わが将の識(しき)を捕らえた。この年、文侯が死に、子の撃が立った。これが武侯である。魏の武侯の元年、趙の敬侯が即位した。趙の公子朔(さく)が乱を起こしたが勝てず、魏に逃れ、魏と共に邯鄲を襲ったが、魏は敗れて退いた。二年、安邑と王垣に城を築いた。七年、斉を討って桑丘に至った。

解説

人物鑑定の名言として知られる、李克の「五視」の段です。宰相に選ばれなかった翟璜は、自分が推挙した呉起・西門豹・楽羊・李克・屈侯鮒の実績を並べて不満をぶつけます。李克は、人を見るには、普段誰と親しむか、富んで誰に与えるか、出世して誰を推すか、困窮して何をしないか、貧しくて何を取らないかの五つを見よと君に答えたと明かし、魏成子は俸禄の九割を外に使って子夏・田子方・段干木という君主が師と仰ぐ賢人を招いたが、翟璜の推した人々は君の臣下にとどまると指摘しました。推挙した人の格の違いが、推挙した人自身の器の違いを示すという論理です。翟璜が素直に非を認めて弟子入りを願う結末も清々しいものです。人の評価は実績の数だけでなく、その人がお金と人脈をどう使うかに表れるという視点は、今の人事にも鋭く通じます。

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