説苑 / 臣術
田子方渡西河,造翟黃,翟黃乘軒車,載華蓋黃金之勒,約鎮簟席,如此者其駟八十乘,子方望之以為人君也,道狹下抵車而待之,翟黃至而睹其子方也,下車而趨,自投下風,曰:「觸」,田子方曰:「子與!吾向者望子疑以為人君也,子至而人臣也,將何以至此乎?」翟黃對曰:「此皆君之所以賜臣也,積三十歲故至於此,時以間暇祖之曠野,正逢先生。」子方曰:「何子賜車轝之厚也?」翟黃對曰:「昔者西河無守,臣進吳起;而西河之外,寧鄴無令,臣進西門豹;而魏無趙患,酸棗無令,臣進北門可;而魏無齊憂,魏欲攻中山,臣進樂羊而中山拔;魏無使治之臣,臣進李克而魏國大治。是以進此五大夫者,爵祿倍以故至於此。」子方曰:「可,子勉之矣,魏國之相不去子而之他矣。」翟黃對曰:「君母弟有公孫季成者,進子夏而君師之,進段干木而君友之,進先生而君敬之,彼其所進,師也,友也,所敬者也,臣之所進者,皆守職守祿之臣也,何以至魏國相乎?」子方曰:「吾聞身賢者賢也,能進賢者亦賢也,子之五舉者盡賢,子勉之矣,子終其次也。」齊威王游於瑤台,成侯卿來奏事,從車羅綺甚眾,王望之謂左右曰:「來者何為者也?」左右曰:「成侯卿也。」王曰:「國至貧也,何出之盛也?」左右曰:「與人者有以責之也,受人者有以易之也。」王試問其說,成侯卿至,上謁曰:「忌也。」王不應。又曰:「忌也。」王不應。又曰:「忌也。」王曰:「國至貧也,何出之盛也?」成侯卿曰:「赦其死罪,使臣得言其說。」王曰:「諾」。對曰:「忌舉田居子為西河而秦梁弱,忌舉田解子為南城,而楚人抱羅綺而朝,忌舉黔涿子為冥州,而燕人給牲,趙人給盛,忌舉田種首子為即墨,而於齊足究,忌舉北郭刁勃子為大士,而九族益親,民益富,舉此數良人者,王枕而臥耳,何患國之貧哉?」
新字:田子方渡西河,造翟黄,翟黄乗軒車,載華蓋黄金之勒,約鎮簟席,如此者其駟八十乗,子方望之以為人君也,道狭下抵車而待之,翟黄至而睹其子方也,下車而趨,自投下風,曰:「触」,田子方曰:「子与!吾向者望子疑以為人君也,子至而人臣也,将何以至此乎?」翟黄対曰:「此皆君之所以賜臣也,積三十歲故至於此,時以間暇祖之曠野,正逢先生。」子方曰:「何子賜車轝之厚也?」翟黄対曰:「昔者西河無守,臣進吳起;而西河之外,寧鄴無令,臣進西門豹;而魏無趙患,酸棗無令,臣進北門可;而魏無斉憂,魏欲攻中山,臣進楽羊而中山抜;魏無使治之臣,臣進李克而魏国大治。是以進此五大夫者,爵禄倍以故至於此。」子方曰:「可,子勉之矣,魏国之相不去子而之他矣。」翟黄対曰:「君母弟有公孫季成者,進子夏而君師之,進段干木而君友之,進先生而君敬之,彼其所進,師也,友也,所敬者也,臣之所進者,皆守職守禄之臣也,何以至魏国相乎?」子方曰:「吾聞身賢者賢也,能進賢者亦賢也,子之五舉者尽賢,子勉之矣,子終其次也。」斉威王游於瑤台,成侯卿来奏事,従車羅綺甚眾,王望之謂左右曰:「来者何為者也?」左右曰:「成侯卿也。」王曰:「国至貧也,何出之盛也?」左右曰:「与人者有以責之也,受人者有以易之也。」王試問其説,成侯卿至,上謁曰:「忌也。」王不応。又曰:「忌也。」王不応。又曰:「忌也。」王曰:「国至貧也,何出之盛也?」成侯卿曰:「赦其死罪,使臣得言其説。」王曰:「諾」。対曰:「忌舉田居子為西河而秦梁弱,忌舉田解子為南城,而楚人抱羅綺而朝,忌舉黔涿子為冥州,而燕人給牲,趙人給盛,忌舉田種首子為即墨,而於斉足究,忌舉北郭刁勃子為大士,而九族益親,民益富,舉此数良人者,王枕而臥耳,何患国之貧哉?」
書き下し
田子方西河を渡り、翟黄に造く。翟黄軒車に乗り、華蓋黄金の勒を載せ、鎮簟の席を約し、此くの如き者其の駟八十乗なり。子方之を望みて以て人君と為すなり。道狭くして車を下りて之を待つ。翟黄至りて其の子方を睹る。車を下りて趨り、自ら下風に投じて曰く、「触」と。田子方曰く、「子か、吾向に子を望みて疑うらくは以て人君と為すかと。子至りて人臣なり、将た何を以て此に至るか」と。翟黄対えて曰く、「此れ皆君の以て臣に賜う所なり、三十歳を積みて故に此に至る。時に間暇を以て曠野に祖し、正に先生に逢う」と。子方曰く、「何ぞ子の車轝を賜うことの厚きや」と。翟黄対えて曰く、「昔者西河守無く、臣呉起を進む。而して西河の外、寧鄴令無く、臣西門豹を進む。而して魏に趙の患無し、酸棗令無く、臣北門可を進む。而して魏に斉の憂無し、魏中山を攻めんと欲す、臣楽羊を進めて中山抜く。魏之を治むる臣使わす無く、臣李克を進めて魏国大いに治まる。是を以て此の五大夫を進むるを以て、爵禄倍して故に此に至る」と。子方曰く、「可なり、子之を勉めよ、魏国の相子を去りて他に之かず」と。翟黄対えて曰く、「君の母弟に公孫季成なる者有り、子夏を進めて君之を師とし、段干木を進めて君之を友とし、先生を進めて君之を敬す。彼其の進むる所は師なり、友なり、敬する所なり。臣の進むる所は、皆職を守り禄を守るの臣なり、何を以て魏国の相に至らんや」と。子方曰く、「吾聞く、身賢なる者は賢なり、能く賢を進むる者も亦た賢なりと。子の五挙する者尽く賢なり、子之を勉めよ、子は其の次を終えん」と。斉の威王瑤台に遊び、成侯卿来りて事を奏す、従う車羅綺甚だ衆し。王之を望みて左右に謂いて曰く、「来る者は何を為す者ぞや」と。左右曰く、「成侯卿なり」と。王曰く、「国至って貧しきに、何ぞ出づること之盛んなるや」と。左右曰く、「人に与うる者は以て之に責むる有り、人より受くる者は以て之に易うる有り」と。王試みに其の説を問う。成侯卿至り、上謁して曰く、「忌なり」と。王応ぜず。又曰く、「忌なり」と。王応ぜず。又曰く、「忌なり」と。王曰く、「国至って貧しきに、何ぞ出づること之盛んなるや」と。成侯卿曰く、「其の死罪を赦し、臣をして其の説を言うを得しめよ」と。王曰く、「諾」と。対えて曰く、「忌田居子を挙げて西河と為して秦梁弱し、忌田解子を挙げて南城と為して楚人羅綺を抱きて朝す、忌黔涿子を挙げて冥州と為して燕人牲を給し趙人盛を給す、忌田種首子を挙げて即墨と為して斉に於いて足究す、忌北郭刁勃子を挙げて大士と為して九族益々親しみ、民益々富む、此の数良人を挙ぐれば、王枕して臥するのみ、何ぞ国の貧しきを患えんや」と。
現代語訳
田子方が西河を渡り、翟黄のもとを訪ねようとした。翟黄は軒車に乗り、華やかな車蓋と黄金の轡を付け、敷物を整え、供の四頭立ての車が八十台にも及んでいた。子方はこれを遠くから見て人君(諸侯)だろうと思い、道が狭かったので車を降りて待った。翟黄が到着して子方を見ると、車を降りて走り寄り、自ら風下に身を投げ出すようにして「触(私)です」と言った。田子方は言った。「あなたか。先ほど遠くから見て、あなたを人君かと疑った。しかしあなたは臣下だったのか。どうしてこのようになったのか。」翟黄は答えた。「これはすべて君が臣下である私に賜ったものです。三十年を積み重ねてこのようになりました。たまたま暇があったので野外に出かけたところ、ちょうど先生にお会いしたのです。」子方は「なぜこれほど手厚く車を賜っているのか」と尋ねた。翟黄は答えた。「昔、西河に守がいなかったとき、私は呉起を推挙しました。西河の外側、寧鄴に令がいなかったとき、私は西門豹を推挙しました。それで魏には趙の脅威がなくなりました。酸棗に令がいなかったとき、私は北門可を推挙しました。それで魏には斉の憂いがなくなりました。魏が中山を攻めようとしたとき、私は楽羊を推挙して中山を陥落させました。魏を治める臣下がいなかったとき、私は李克を推挙して魏国は大いに治まりました。この五人の大夫を推挙したことで、爵位と俸禄が倍増してこのようになったのです。」子方は「よろしい、あなたはこのまま励みなさい。魏国の宰相の座はあなたを措いて他に行かないだろう」と言った。翟黄は答えた。「君の異母弟に公孫季成という者がいます。彼は子夏を推挙して君の師とし、段干木を推挙して君の友とし、あなた(田子方)を推挙して君の敬う相手としました。彼が推挙したのは師であり、友であり、敬うべき人でした。私が推挙したのは、皆職務を守り俸禄を守るだけの臣下にすぎません。どうして魏国の宰相にまでなれましょうか。」子方は言った。「私が聞くところでは、自身が賢い者は賢者であり、賢者を推挙できる者もまた賢者であるという。あなたが推挙した五人はすべて賢者だ。あなたはこのまま励みなさい。あなたはその次席で終えるだろう。」斉の威王が瑤台に遊びに出ていたとき、成侯卿がやってきて政務を報告した。従う車は綾絹をまとった者が非常に多かった。王はこれを見て左右の者に「来るのは何者か」と尋ねた。左右は「成侯卿です」と言った。王は「国はこれほど貧しいのに、なぜこれほど盛んな行列を出せるのか」と言った。左右は「人に与える者は人にそれを求める権利があり、人から受け取る者は人にそれを返す義務があります」と言った。王は試しにその説明を求めた。成侯卿がやってきて謁見し「忌(私)です」と言った。王は応えなかった。また「忌です」と言った。王は応えなかった。また「忌です」と言った。王は「国はこれほど貧しいのに、なぜこれほど盛んな行列を出せるのか」と言った。成侯卿は「その死罪をお赦しいただければ、私にその理由を申し上げさせてください」と言った。王は「よい」と言った。成侯卿は答えた。「私は田居子を推挙して西河の長官とし、それで秦と梁は弱くなりました。私は田解子を推挙して南城の長官とし、それで楚の人は綾絹を抱えて朝貢するようになりました。私は黔涿子を推挙して冥州の長官とし、それで燕の人は家畜を献上し趙の人は物資を献上するようになりました。私は田種首子を推挙して即墨の長官とし、それで斉の国庫は十分に満ちました。私は北郭刁勃子を推挙して大士とし、それで王族はますます親しみ、民はますます豊かになりました。これらの立派な人材を推挙したことで、王は枕をして眠っているだけでよいのです。どうして国の貧しさを心配することがありましょうか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』老第二十一知の難きは、人を見るに在らず、自ら見るに在り。故に曰く、「自ら見るを之れ明と謂う。」
-
『韓非子』觀行第二十四古の人、目は自ら見るに短なり、故に鏡を以て面を觀、智は自ら知るに短なり、故に道を以て己を正す。
-
論語 雍也篇子曰わく、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。
-
老子 第33章人を知る者は智、自らを知る者は明。人に勝つ者は力有り、自らに勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強行する者は志有り。その所を失わざる者は久し。
-
論語 里仁篇子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。
-
葉隠・聞書第二少し眼(め)見え候者は、我が長(た)けを知り、非を知りたりと思ふゆゑ、尚々(なおなお)自慢になるものなり。実(じつ)に我が長け、我が非を知る事成り難(がた)きものの由。海音和尚(かいおんおしょう)御話(おはなし)なり。