史記 / 魏世家
任西門豹守鄴,而河内稱治。魏文侯謂李克曰:『先生嘗教寡人曰「家貧則思良妻,國亂則思良相」。
新字:任西門豹守鄴,而河内称治。魏文侯謂李克曰:『先生嘗教寡人曰「家貧則思良妻,国乱則思良相」。
書き下し
西門豹を任じて鄴を守らしめ、而して河内治まると称せらる。魏の文侯、李克に謂ひて曰く、『先生嘗て寡人に教へて曰く「家貧しければ則ち良妻を思ひ、国乱るれば則ち良相を思ふ」と。
現代語訳
(文侯は)西門豹(せいもんひょう)を任じて鄴を守らせたところ、河内の地はよく治まったとたたえられた。魏の文侯は李克(りこく)に言った。『先生はかつてわたしにこう教えてくださった。「家が貧しいときは良い妻を思い、国が乱れたときは良い宰相を思う」と。(今、宰相を置こうと思うが、魏成子と翟璜のどちらがよいだろうか。)
解説
魏の文侯が人材登用に力を注いだことを示す短い段です。西門豹は鄴の長官として、河の神に娘を嫁がせるという迷信の儀式をやめさせ、灌漑用の水路を開いて地域を豊かにした人物として、『史記』滑稽列伝の補筆でも知られています。続いて文侯は、師の李克に宰相選びについて相談を持ちかけます。「家貧しければ良妻を思い、国乱るれば良相を思う」は、困難なときにこそ伴侶や補佐役の真価が問われるという意味で、今もよく引かれる名言です。この後、文侯は魏成子と翟璜という二人の候補のどちらを宰相にすべきかを尋ね、李克は人を見る五つの基準を示します。組織の要となる人選を、信頼できる相談相手に率直に諮る文侯の姿勢そのものが、名君の条件を物語っています。
関連する章句
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戦国策・西門豹為鄴令西門豹鄴の令と為り、魏文侯に辞す。文侯曰わく、「子往け、必ず子の功を就(な)し、子の名を成さん。」西門豹曰わく、「敢えて問う、功を就し名を成すに、亦術有りや。」文侯曰わく、「之有り。夫れ郷邑の老者にして先ず坐を受くるの士は、子入りて其の賢良の士を問いて之に師事し、其の人の美を掩(おお)い人の醜を揚ぐるを好む者を求めて之を参験せよ。夫れ物相類して非なる者多し、幽莠(ゆうゆう)の幼きや禾(か)に似、驪牛(りぎゅう)の黄なるや虎に似、白骨は象に疑われ、武夫は玉に類す、此れ皆似て非なる者なり。」
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史記 魏世家魏文侯李克に謂ひて曰く、「今置く所は成に非ずんば則ち璜なり、二子何如」と。李克対へて曰く、「君察せざるが故なり。居りては其の親しむ所を視、富みては其の与ふる所を視、達しては其の挙ぐる所を視、窮しては其の為さざる所を視、貧しくては其の取らざる所を視る。五者以て之を定むるに足れり、何ぞ克を待たんや」と。文侯曰く、「先生舍に就け、寡人の相定まれり」と。
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説苑・政理魏の文侯、西門豹をして往きて鄴を治めしむ。之に告げて曰く、「必ず功を全うし名を成し義を布け。」豹曰く、「敢えて問う、功を全うし名を成し義を布くこと、之を為すこと奈何。」文侯曰く、「子往け。是れ邑として賢豪辨博なる者有らざるは無く、邑として人の惡を揚げ人の善を蔽うを好む者有らざるは無し。往かば必ず豪賢なる者を問いて、因りて之に親しめ。其の辨博なる者は、因りて之を師とせよ。其の人の惡を揚げ人の善を蔽うを好む者を問いて、因りて之を察せよ。特聞を以て事に從うべからず。夫れ耳に之を聞くは目に之を見るに如かず、目に之を見るは足に之を踐むに如かず、足に之を踐むは手に之を辨ずるに如かず。人始めて官に入るは、晦室に入るが如し。久しくして愈々明らかなり。明らかにして乃ち治まり、治まりて乃ち行わる。」
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史記 魏世家李克趨りて出で、翟璜の家に過る。翟璜曰く、『今者聞く、君先生を召して相を卜すと。果たして誰か之と為る』と。李克曰く、『魏成子相と為らん』と。翟璜忿然として色を作して曰く、『耳目の睹記する所を以てするに、臣何ぞ魏成子に負けん。西河の守は、臣の進むる所なり。君内に鄴を以て憂ひと為す、臣西門豹を進む。君謀りて中山を伐たんと欲す、臣楽羊を進む。中山以て抜けて、之を守らしむる無し、臣先生を進む。君の子に傅無し、臣屈侯鮒を進む。臣何を以てか魏成子に負けん』と。李克曰く、『且つ子の克を子の君に言ふ者は、豈に将に比周して以て大官を求めんとするか。君問ひて相を置かんとして「成に非ずんば則ち璜なり、二子何如」と。克対へて曰く、「君察せざるが故なり。居りては其の親しむ所を視、富みては其の与ふる所を視、達しては其の挙ぐる所を視、窮しては其の為さざる所を視、貧しくしては其の取らざる所を視る。五つの者以て之を定むるに足る。何ぞ克を待たん」と。是を以て魏成子の相と為るを知るなり。且つ子安んぞ魏成子と比ぶることを得んや。魏成子は食禄千鍾を以て、什の九は外に在り、什の一は内に在り。是を以て東のかた卜子夏・田子方・段干木を得たり。此の三人の者は、君皆之を師とす。子の進むる所の五人の者は、君皆之を臣とす。子悪んぞ魏成子と比ぶることを得んや』と。翟璜逡巡して再拝して曰く、『璜は鄙人なり。対を失へり。願はくは卒に弟子と為らん』と。廿六年、虢山崩れ、河を壅ぐ。卅二年、鄭を伐つ。酸棗に城く。秦を注に敗る。卅五年、斉伐ちて我が襄陵を取る。卅六年、秦我が陰晋を侵す。卅八年、秦を伐ち、我を武下に敗り、其の将識を得たり。是の歳、文侯卒し、子撃立つ、是を武侯と為す。魏の武侯の元年、趙の敬侯初めて立つ。公子朔乱を為し、勝たず、魏に奔り、魏と邯鄲を襲ふ。魏敗れて去る。二年、安邑・王垣に城く。七年、斉を伐ち、桑丘に至る。
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史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
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『新序』雜事第四魏の文侯の弟を季成と曰い、友を翟黄と曰う。文侯之を相とせんと欲するも未だ决する能わず。以て李克に問う。克對えて曰く、君若し相を置かば、則ち樂商と王孫苟端と孰れか賢なるかを問え、と。文侯曰く、善し、と。王孫苟端を以て不肖と爲す。翟黄之を進めたり。樂商を賢と爲す。季成之を進めたり。故に季成を相とす。故に人を知れば則ち哲なり。賢を進むれば上賞を受く。季成は賢を知るを以て、故に文侯以て相と爲す。季成・翟黄は、皆な近臣親屬なり。進むる所の者の賢を以て之を別つ。故に李克の言は是なり。
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