史記 / 趙世家
官牛畜爲師,荀欣爲中尉,徐越爲内史,賜相國衣二襲。九年,烈侯卒,弟武公立。武公十三年卒,趙復立烈侯太子章,是爲敬侯。是歳,魏文侯卒。敬侯元年,武公子朝作亂,不克,出奔魏。趙始都邯鄲。二年,敗齊于靈丘。三年,救魏于廩丘,大敗齊人。四年,魏敗我兔臺。筑剛平以侵衞。五年,齊、魏爲衞攻趙,取我剛平。六年,借兵於楚伐魏,取棘蒲。八年,拔魏黃城。九年,伐齊。齊伐燕,趙救燕。十年,與中山戰于房子。十一年,魏、韓、趙共滅晉,分其地。伐中山,又戰於中人。十二年,敬侯卒,子成侯種立。成侯元年,公子勝與成侯爭立,爲亂。二年六月,雨雪。三年,太戊午爲相。伐衞,取鄕邑七十三。魏敗我藺。四年,與秦戰髙安,敗之。五年,伐齊于鄄。魏敗我懷。攻鄭,敗之,以與韓,韓與我長子。六年,中山筑長城。伐魏,敗湪澤,圍魏惠王。七年,侵齊,至長城。與韓攻周。八年,與韓分周以爲兩。九年,與齊戰阿下。十年,攻衞,取甄。十一年,秦攻魏,趙救之石阿。十二年,秦攻魏少梁,趙救之。十三年,秦獻公使庶長國伐魏少梁,虜其太子、痤。魏敗我澮,取皮牢。成侯與韓昭侯遇上黨。十四年,與韓攻秦。十五年,助魏攻齊。十六年,與韓、魏分晉,封晉君以端氏。十七年,成侯與魏惠王遇葛孽。
新字:官牛畜為師,荀欣為中尉,徐越為内史,賜相国衣二襲。九年,烈侯卒,弟武公立。武公十三年卒,趙復立烈侯太子章,是為敬侯。是歳,魏文侯卒。敬侯元年,武公子朝作乱,不克,出奔魏。趙始都邯鄲。二年,敗斉于霊丘。三年,救魏于廩丘,大敗斉人。四年,魏敗我兔台。筑剛平以侵衛。五年,斉、魏為衛攻趙,取我剛平。六年,借兵於楚伐魏,取棘蒲。八年,抜魏黄城。九年,伐斉。斉伐燕,趙救燕。十年,与中山戦于房子。十一年,魏、韓、趙共滅晋,分其地。伐中山,又戦於中人。十二年,敬侯卒,子成侯種立。成侯元年,公子勝与成侯争立,為乱。二年六月,雨雪。三年,太戊午為相。伐衛,取郷邑七十三。魏敗我藺。四年,与秦戦高安,敗之。五年,伐斉于鄄。魏敗我懐。攻鄭,敗之,以与韓,韓与我長子。六年,中山筑長城。伐魏,敗湪沢,囲魏恵王。七年,侵斉,至長城。与韓攻周。八年,与韓分周以為両。九年,与斉戦阿下。十年,攻衛,取甄。十一年,秦攻魏,趙救之石阿。十二年,秦攻魏少梁,趙救之。十三年,秦献公使庶長国伐魏少梁,虜其太子、痤。魏敗我澮,取皮牢。成侯与韓昭侯遇上党。十四年,与韓攻秦。十五年,助魏攻斉。十六年,与韓、魏分晋,封晋君以端氏。十七年,成侯与魏恵王遇葛孽。
書き下し
牛畜を官して師と為し、荀欣を中尉と為し、徐越を内史と為し、相国に衣二襲を賜ふ。九年、烈侯卒し、弟武公立つ。武公十三年に卒し、趙復た烈侯の太子章を立つ、是を敬侯と為す。是の歳、魏の文侯卒す。敬侯元年、武公の子朝乱を作すも、克たず、出でて魏に奔る。趙始めて邯鄲に都す。二年、斉を霊丘に敗る。三年、魏を廩丘に救ひ、大いに斉人を敗る。四年、魏我を兎台に敗る。剛平に築きて以て衛を侵す。五年、斉・魏衛の為に趙を攻め、我が剛平を取る。六年、兵を楚に借りて魏を伐ち、棘蒲を取る。八年、魏の黄城を抜く。九年、斉を伐つ。斉燕を伐つ。趙燕を救ふ。十年、中山と房子に戦ふ。十一年、魏・韓・趙共に晋を滅ぼし、其の地を分つ。中山を伐ち、又中人に戦ふ。十二年、敬侯卒し、子成侯種立つ。成侯元年、公子勝成侯と立つを争ひ、乱を為す。二年六月、雪雨る。三年、太戊午相と為る。衛を伐ち、郷邑七十三を取る。魏我を藺に敗る。四年、秦と高安に戦ひ、之を敗る。五年、斉を鄄に伐つ。魏我を懐に敗る。鄭を攻めて之を敗り、以て韓に与ふ。韓我に長子を与ふ。六年、中山長城を築く。魏を伐ち、湪沢に敗り、魏の恵王を囲む。七年、斉を侵し、長城に至る。韓と周を攻む。八年、韓と周を分ちて以て両と為す。九年、斉と阿の下に戦ふ。十年、衛を攻め、甄を取る。十一年、秦魏を攻む。趙之を石阿に救ふ。十二年、秦魏の少梁を攻む。趙之を救ふ。十三年、秦の献公、庶長国をして魏の少梁を伐たしめ、其の太子・痤を虜にす。魏我を澮に敗り、皮牢を取る。成侯、韓の昭侯と上党に遇ふ。十四年、韓と秦を攻む。十五年、魏を助けて斉を攻む。十六年、韓・魏と晋を分ち、晋君を封ずるに端氏を以てす。十七年、成侯、魏の恵王と葛孽に遇ふ。
現代語訳
牛畜を官に就けて師(君主の教導役)とし、荀欣を中尉(人事担当の官)とし、徐越を内史(財政担当の官)とし、相国には衣服二揃いを賜った。九年、烈侯が死に、弟の武公が立った。武公は十三年に死に、趙は再び烈侯の太子の章(しょう)を立てた。これが敬侯である。この年、魏の文侯が死んだ。敬侯の元年、武公の子の朝(ちょう)が乱を起こしたが勝てず、魏に逃れた。趙は初めて邯鄲を都とした。二年、斉を霊丘(れいきゅう)で破った。三年、魏を廩丘(りんきゅう)で救い、斉軍を大いに破った。四年、魏がわが軍を兎台(とだい)で破った。剛平(ごうへい)に城を築いて衛を侵した。五年、斉と魏が衛のために趙を攻め、わが剛平を奪った。六年、楚から兵を借りて魏を討ち、棘蒲(きょくほ)を取った。八年、魏の黄城を攻め落とした。九年、斉を討った。斉が燕を討ち、趙は燕を救った。十年、中山と房子(ぼうし)で戦った。十一年、魏・韓・趙が共に晋を滅ぼし、その地を分けた。中山を討ち、また中人(ちゅうじん)で戦った。十二年、敬侯が死に、子の成侯種(しゅ)が立った。成侯の元年、公子勝(しょう)が成侯と君位を争って乱を起こした。二年六月、雪が降った。三年、太戊午(たいぼご)が宰相となった。衛を討ち、郷邑七十三を取った。魏がわが軍を藺(りん)で破った。四年、秦と高安(こうあん)で戦い、これを破った。五年、斉を鄄(けん)で討った。魏がわが軍を懐(かい)で破った。鄭を攻めて破り、その地を韓に与えた。韓はわが国に長子(ちょうし)の地を与えた。六年、中山が長城を築いた。魏を討ち、湪沢(たくたく)で破って、魏の恵王を包囲した。七年、斉を侵し、長城にまで至った。韓と共に周を攻めた。八年、韓と共に周を分けて二つにした。九年、斉と阿(あ)のふもとで戦った。十年、衛を攻め、甄(けん)を取った。十一年、秦が魏を攻め、趙は石阿(せきあ)で魏を救った。十二年、秦が魏の少梁(しょうりょう)を攻め、趙はこれを救った。十三年、秦の献公は庶長の国(こく)に魏の少梁を討たせ、魏の太子と痤(ざ)を捕虜にした。魏はわが軍を澮(かい)で破り、皮牢(ひろう)を取った。成侯は韓の昭侯と上党で会見した。十四年、韓と共に秦を攻めた。十五年、魏を助けて斉を攻めた。十六年、韓・魏と共に晋の残りの地を分け、晋君には端氏(たんし)の地を与えた。十七年、成侯は魏の恵王と葛孽(かつげつ)で会見した。
解説
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史記 趙世家十九年、斉・宋と平陸に会し、燕と阿に会す。二十年、魏栄椽を献ず。因りて以て檀台と為す。二十一年、魏我が邯鄲を囲む。二十二年、魏の恵王我が邯鄲を抜く。斉も亦魏を桂陵に敗る。二十四年、魏我に邯鄲を帰し、魏と漳水の上に盟ふ。秦我が藺を攻む。二十五年、成侯卒す。公子紲、太子粛侯と立つを争ふ。紲敗れて亡げて韓に奔る。粛侯元年、晋君の端氏を奪ひ、徙して屯留に処らしむ。二年、魏の恵王と陰晋に遇ふ。三年、公子范邯鄲を襲ふも、勝たずして死す。四年、天子に朝す。六年、斉を攻め、高唐を抜く。七年、公子刻魏の首垣を攻む。十一年、秦の孝公、商君をして魏を伐たしめ、其の将公子卬を虜にす。趙魏を伐つ。十二年、秦の孝公卒し、商君死す。十五年、寿陵を起こす。魏の恵王卒す。十六年、粛侯大陵に游び、鹿門より出づ。大戊午馬を扣へて曰く、「耕事方に急なり。一日作さずんば、百日食らはず」と。粛侯車を下りて謝す。十七年、魏の黄を囲むも、克たず。長城を築く。十八年、斉・魏我を伐つ。我河水を決して之に灌ぐ。兵去る。二十二年、張儀秦に相たり。趙疵秦と戦ひ、敗る。秦疵を河西に殺し、我が藺・離石を取る。二十三年、韓挙斉・魏と戦ひ、桑丘に死す。二十四年、粛侯卒す。秦・楚・燕・斉・魏、鋭師各々万人を出だして来りて葬に会す。子武霊王立つ。武霊王元年、陽文君趙豹相たり。梁の襄王と太子嗣、韓の宣王と太子倉、来りて信宮に朝す。武霊王少く、未だ政を聴くこと能はず。博聞の師三人、左右の司過三人あり。政を聴くに及び、先づ先王の貴臣肥義に問ひ、其の秩を加ふ。国の三老の年八十なるものには、月ごとに其の礼を致す。三年、鄗に城く。四年、韓と区鼠に会す。
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史記 趙世家泄鈞之が為に文信侯に謂ひて曰く、「春平君は、趙王甚だ之を愛して之を郎中とす。故に相与に謀りて曰く『春平君秦に入らば、秦必ず之を留めん』と。故に相与に謀りて之を秦に内るるなり。今君之を留むるは、是れ趙を絶ちて郎中の計中るなり。君春平君を遣りて平都を留むるに如かず。春平君は言行王に信ぜらる。王必ず厚く趙を割きて平都を贖はん」と。文信侯曰く、「善し」と。因りて之を遣る。韓皋に城く。三年、龐煖将として、燕を攻め、其の将劇辛を禽にす。四年、龐煖、趙・楚・魏・燕の鋭師に将として、秦の蕞を攻むるも、抜かず。移りて斉を攻め、饒安を取る。五年、傅抵将として、平邑に居る。慶舍、東陽河外の師に将として、河梁を守る。六年、長安君を封ずるに饒を以てす。魏趙に鄴を与ふ。九年、趙燕を攻め、貍・陽城を取る。兵未だ罷まず、秦鄴を攻め、之を抜く。悼襄王卒し、子幽繆王遷立つ。幽繆王遷元年、柏人に城く。二年、秦武城を攻む。扈輒師を率ゐて之を救ふも、軍敗れ、焉に死す。三年、秦赤麗・宜安を攻む。李牧師を率ゐて与に肥の下に戦ひ、之を卻く。牧を封じて武安君と為す。四年、秦番吾を攻む。李牧之と戦ひ、之を卻く。五年、代の地大いに動く。楽徐より以西、北は平陰に至るまで、台屋牆垣太半壊れ、地坼くること東西百三十歩。六年、大いに饑う。民訛言して曰く、「趙は号を為し、秦は笑ひを為す。以て信ぜずと為さば、地の毛を生ずるを視よ」と。七年、秦人趙を攻む。趙の大将李牧・将軍司馬尚将として、之を撃つ。李牧誅せられ、司馬尚免ぜらる。趙怱及び斉の将顔聚之に代はる。趙怱の軍破れ、顔聚亡げ去る。王遷を以て降る。八年十月、邯鄲秦と為る。太史公曰く、吾馮王孫に聞く、曰く、「趙王遷は、其の母倡なり。悼襄王に嬖せらる。悼襄王適子嘉を廃して遷を立つ。遷素より行ひ無く、讒を信ず。故に其の良将李牧を誅し、郭開を用ふ」と。豈に繆ならずや。秦既に遷を虜にす。趙の亡大夫共に嘉を立てて王と為す。代に王たること六歳、秦兵を進めて嘉を破り、遂に趙を滅ぼして以て郡と為す。
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史記 趙世家是に於て趙乃ち輟め、秦に謝して斉を撃たず。王燕王と遇ふ。廉頗将として、斉の昔陽を攻め、之を取る。十七年、楽毅趙の師に将として魏の伯陽を攻む。而して秦、趙の己と斉を撃たざるを怨み、趙を伐ち、我が両城を抜く。十八年、秦我が石城を抜く。王再び衛の東陽に之き、河水を決し、魏氏を伐つ。大いに潦し、漳水出づ。魏冉来りて趙に相たり。十九年、秦我が二城を取る。趙魏に伯陽を与ふ。趙奢将として、斉の麦丘を攻め、之を取る。二十年、廉頗将として斉を攻む。王秦の昭王と西河の外に遇ふ。二十一年、趙漳水を武平の西に徙す。二十二年、大いに疫す。公子丹を置きて太子と為す。二十三年、楼昌将として、魏の幾を攻むるも、取ること能はず。十二月、廉頗将として、幾を攻め、之を取る。二十四年、廉頗将として、魏の房子を攻め、之を抜き、因りて城きて還る。又安陽を攻め、之を取る。二十五年、燕周将として、昌城・高唐を攻め、之を取る。魏と共に秦を撃つ。秦の将白起我を華陽に破り、一将軍を得たり。二十六年、東胡の代を欧ひし地を取る。二十七年、漳水を武平の南に徙す。趙豹を封じて平陽君と為す。河水出で、大いに潦す。二十八年、藺相如斉を伐ち、平邑に至る。城北の九門の大城を罷む。燕の将成安君公孫操其の王を弑す。二十九年、秦・韓相攻めて、閼与を囲む。趙、趙奢をして将として秦を撃たしめ、大いに秦軍を閼与の下に破り、号を賜ひて馬服君と為す。三十三年、恵文王卒し、太子丹立つ、是を孝成王と為す。孝成王元年、秦我を伐ち、三城を抜く。趙王新たに立ち、太后事を用ふ。秦急に之を攻む。趙氏救ひを斉に求む。斉曰く、「必ず長安君を以て質と為さば、兵乃ち出でん」と。太后肯ぜず。大臣彊く諫む。
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史記 晋世家是の時に当たりて、晋国の政は皆知伯に決し、晋の哀公制する所有るを得ず。知伯遂に范・中行の地を有ち、最も彊し。哀公の四年、趙襄子・韓康子・魏桓子共に知伯を殺し、尽く其の地を并す。十八年、哀公卒し、子の幽公柳立つ。幽公の時、晋畏れ、反って韓・趙・魏の君に朝す。独り絳・曲沃のみを有ち、余は皆三晋に入る。十五年、魏の文侯初めて立つ。十八年、幽公婦人に淫し、夜窃かに邑中に出づ。盗幽公を殺す。魏の文侯兵を以て晋の乱を誅し、幽公の子止を立つ。是を烈公と為す。烈公の十九年、周の威烈王趙・韓・魏に賜ひて皆命じて諸侯と為す。二十七年、烈公卒し、子の孝公頎立つ。孝公の九年、魏の武侯初めて立ち、邯鄲を襲ふも、勝たずして去る。十七年、孝公卒し、子の静公倶酒立つ。是の歳、斉の威王の元年なり。静公の二年、魏の武侯・韓の哀侯・趙の敬侯晋の後を滅ぼして其の地を三分す。静公遷されて家人と為り、晋絶えて祀られず。
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史記 趙世家襄子、伯魯の立たざるが為に、子を立つるを肯ぜず、且つ必ず位を伯魯の子代の成君に伝へんと欲す。成君先に死す。乃ち代の成君の子浣を取りて立てて太子と為す。襄子立ちて三十三年にして卒し、浣立つ、是を献侯と為す。献侯少くして位に即き、中牟に治す。襄子の弟桓子、献侯を逐ひ、自ら代に立つ。一年にして卒す。国人曰く、桓子の立つは襄子の意に非ずと。乃ち共に其の子を殺して復た献侯を迎へ立つ。十年、中山の武公初めて立つ。十三年、平邑に城く。十五年、献侯卒し、子烈侯籍立つ。烈侯元年、魏の文侯中山を伐ち、太子撃をして之を守らしむ。六年、魏・韓・趙皆相立ちて諸侯と為る。献子を追尊して献侯と為す。烈侯音を好む。相国公仲連に謂ひて曰く、「寡人愛する有り、以て之を貴くすべきか」と。公仲曰く、「之を富ますは可なり。之を貴くするは則ち否なり」と。烈侯曰く、「然り。夫の鄭の歌者槍・石の二人、吾之に田を賜はん、人ごとに万畝」と。公仲曰く、「諾」と。与へず。居ること一月、烈侯代より来り、歌者の田を問ふ。公仲曰く、「求むれども、未だ可なる者有らず」と。頃有りて、烈侯復た問ふ。公仲終に与へず、乃ち疾と称して朝せず。番吾君代より来り、公仲に謂ひて曰く、「君実に善を好めども、未だ持する所を知らず。今公仲趙に相たること、今に於て四年、亦士を進むること有るか」と。公仲曰く、「未だし」と。番吾君曰く、「牛畜・荀欣・徐越皆可なり」と。公仲乃ち三人を進む。朝するに及び、烈侯復た問ふ、「歌者の田何如」と。公仲曰く、「方に其の善き者を択ばしむ」と。牛畜、烈侯に侍するに仁義を以てし、約するに王道を以てす。烈侯逌然たり。明日、荀欣侍し、選練して賢を挙げ、官に任じて能を使ふを以てす。明日、徐越侍し、財を節し用を倹にし、功徳を察度するを以てす。与する所充たざる無し。君説ぶ。烈侯使をして相国に謂はしめて曰く、「歌者の田は且く止めよ」と。
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史記 魏世家九年、翟我を澮に敗る。呉起をして斉を伐たしめ、霊丘に至る。斉の威王初めて立つ。十一年、韓・趙と三たび晋の地を分ち、其の後を滅ぼす。十三年、秦の献公櫟陽を県とす。十五年、趙を北藺に敗る。十六年、楚を伐ち、魯陽を取る。武侯卒し、子罃立つ、是を恵王と為す。恵王元年、初め、武侯の卒するや、子罃、公中緩と争ひて太子と為らんとす。公孫頎宋より趙に入り、趙より韓に入り、韓の懿侯に謂ひて曰く、『魏罃、公中緩と争ひて太子と為らんとす。君も亦之を聞くか。今魏罃王錯を得て、上党を挟む。固より半国なり。因りて之を除かば、魏を破ること必せり。失ふべからざるなり』と。懿侯説び、乃ち趙の成侯と軍を合し兵を并せて以て魏を伐ち、濁沢に戦ふ。魏氏大いに敗れ、魏君囲まる。趙韓に謂ひて曰く、『魏君を除き、公中緩を立て、地を割きて退かば、我且に利あらん』と。韓曰く、『不可なり。魏君を殺さば、人必ず暴と曰はん。地を割きて退かば、人必ず貪と曰はん。両つながら之を分つに如かず。魏分れて両と為らば、宋・衛より彊からず。則ち我終に魏の患ひ無からん』と。趙聴かず。韓説ばず、其の少卒を以て夜去る。恵王の身死せず、国分れざる所以の者は、二家の謀和せざればなり。若し一家の謀に従はば、則ち魏必ず分れん。故に曰く『君終に適子無くんば、其の国破るべきなり』と。二年、魏韓を馬陵に敗り、趙を懐に敗る。三年、斉我を観に敗る。五年、韓と宅陽に会す。武堵に城く。秦の敗る所と為る。六年、伐ちて宋の儀台を取る。九年、伐ちて韓を澮に敗る。秦と少梁に戦ひ、我が将公孫痤を虜にし、龐を取る。秦の献公卒し、子孝公立つ。十年、伐ちて趙の皮牢を取る。彗星見はる。十二年、星昼に墜ち、声有り。十四年、趙と鄗に会す。十五年、魯・衛・宋・鄭の君来朝す。十六年、秦の孝公と杜平に会す。
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