史記 / 越王句践世家
種還,以報句踐。句踐欲殺妻子,燔寶器,觸戰以死。種止句踐曰:「夫呉太宰嚭貪,可誘以利,請閒行言之。」於是句踐以美女寶器令種閒獻呉太宰嚭。嚭受,乃見大夫種於呉王。種頓首言曰:「願大王赦句踐之罪,盡入其寶器。不幸不赦,句踐將盡殺其妻子,燔其寶器,悉五千人觸戰,必有當也。」嚭因説呉王曰:「越以服爲臣,若將赦之,此國之利也。」呉王將許之。子胥進諫曰:「今不滅越,後必悔之。句踐賢君,種、蠡良臣,若反國,將爲亂。」呉王弗聽,卒赦越,罷兵而歸。句踐之困會稽也,喟然嘆曰:「吾終於此乎?」種曰:「湯系夏臺,文王囚羑里,晉重耳奔翟,齊小白奔莒,其卒王霸。由是觀之,何遽不爲福乎?」
新字:種還,以報句践。句践欲殺妻子,燔宝器,触戦以死。種止句践曰:「夫呉太宰嚭貪,可誘以利,請閒行言之。」於是句践以美女宝器令種閒献呉太宰嚭。嚭受,乃見大夫種於呉王。種頓首言曰:「願大王赦句践之罪,尽入其宝器。不幸不赦,句践将尽殺其妻子,燔其宝器,悉五千人触戦,必有当也。」嚭因説呉王曰:「越以服為臣,若将赦之,此国之利也。」呉王将許之。子胥進諫曰:「今不滅越,後必悔之。句践賢君,種、蠡良臣,若反国,将為乱。」呉王弗聴,卒赦越,罷兵而帰。句践之困会稽也,喟然嘆曰:「吾終於此乎?」種曰:「湯系夏台,文王囚羑里,晋重耳奔翟,斉小白奔莒,其卒王覇。由是観之,何遽不為福乎?」
書き下し
種還りて、以て句践に報ず。句践、妻子を殺し、宝器を燔き、戦ひに触れて以て死せんと欲す。種、句践を止めて曰く、「夫れ呉の太宰嚭は貪なり、誘ふに利を以てすべし。請ふ閒行して之に言はん」と。是に於て句践、美女宝器を以て種をして閒に呉の太宰嚭に献ぜしむ。嚭受けて、乃ち大夫種を呉王に見えしむ。種頓首して言ひて曰く、「願はくは大王、句践の罪を赦し、尽く其の宝器を入れん。不幸にして赦さずんば、句践将に尽く其の妻子を殺し、其の宝器を燔き、悉く五千人もて戦ひに触れんとす。必ず当たること有らん」と。嚭因りて呉王に説きて曰く、「越は服するを以て臣と為る。若し将に之を赦さば、此れ国の利なり」と。呉王将に之を許さんとす。子胥進み諫めて曰く、「今越を滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん。句践は賢君、種・蠡は良臣なり。若し国に反らば、将に乱を為さんとす」と。呉王聴かず、卒に越を赦し、兵を罷めて帰る。句践の会稽に困しむや、喟然として嘆じて曰く、「吾終に此に於てせんか」と。種曰く、「湯は夏台に系がれ、文王は羑里に囚はれ、晋の重耳は翟に奔り、斉の小白は莒に奔るも、其の卒に王霸たり。是に由りて之を観れば、何ぞ遽かに福と為らざらんや」と。
現代語訳
(呉への和議の使者に立った大夫)種(しょう、文種)が戻り、句践に(呉王が許さなかったことを)報告した。句践は妻子を殺し、宝物を焼き払い、敵陣に突っ込んで死のうとした。種は句践を止めて言った。「呉の太宰(宰相)嚭(ひ、伯嚭)は欲深い男ですから、利で誘うことができる。どうか私をひそかに行かせて、彼に話をつけさせてください」。そこで句践は美女と宝物を持たせて、種にひそかに太宰嚭へ献上させた。嚭はそれを受け取り、大夫種を呉王に引き合わせた。種は額を地につけて言った。「どうか大王、句践の罪をお赦しください。宝物はすべて差し上げる。もし不幸にしてお赦しいただけなければ、句践は妻子をことごとく殺し、宝物を焼き払い、五千人全員で死に物狂いで戦うでしょう。そうなれば必ず(呉にも)相応の損害が出ます」。嚭はこれに乗じて呉王に説いた。「越は服従して臣下になると言っている。もしこれを赦せば、それはわが国の利益です」。呉王は許そうとした。伍子胥(ごししょ)が進み出て諫めた。「今越を滅ぼさなければ、後で必ず悔やむことになる。句践は賢い君主で、種と范蠡はすぐれた臣下だ。もし彼らが国に帰れば、きっと乱を起こします」。呉王は聞き入れず、ついに越を赦し、兵を引き上げて帰った。句践は会稽で追い詰められていたとき、深くため息をついて「わたしはここで終わるのか」と嘆いた。種は言った。「殷の湯王は夏台に繋がれ、周の文王は羑里(ゆうり)に囚われ、晋の重耳(ちょうじ)は翟(てき)に逃れ、斉の小白(しょうはく)は莒(きょ)に逃れましたが、みな最後には王者・覇者となりました。こう考えれば、どうして今の苦境がたちまち福に転じないことがありましょうか」。
解説
関連する章句
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史記 越王句践世家句踐大夫種をして呉に行成せしめ、膝行頓首して曰く、「君王の亡臣句踐、陪臣種をして敢へて下執事に告げしむ、句踐請ふ臣と為り、妻は妾と為らん」と。呉王将に之を許さんとす。
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史記 仲尼弟子列伝句践頓首再拝して曰く、「孤嘗て力を料らず、乃ち呉と戦ひ、会稽に困しみ、痛み骨髄に入り、日夜唇を焦がし舌を乾かし、徒だ呉王と踵を接して死せんと欲す、孤の願ひなり」と。遂に子貢に問ふ。子貢曰く、「呉王は人と為り猛暴にして、群臣堪へず。国家は数々戦ふを以て敝れ、士卒忍びず。百姓上を怨み、大臣内に変ず。子胥諫むるを以て死し、太宰嚭事を用ひ、君の過ちに順ひて以て其の私を安んず。是れ国を残ふの治なり。今王誠に士卒を発して之を佐けて其の志を徼め、重宝以て其の心を説ばしめ、卑辞以て其の礼を尊ばば、其の斉を伐つこと必せり。彼戦ひて勝たずんば、王の福なり。戦ひて勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん、臣請ふ北のかた晋君に見え、共に之を攻めしめん、呉を弱むること必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しみ、而して王其の敝を制せば、此れ呉を滅ぼすこと必せり」と。越王大いに説び、許諾す。子貢に金百鎰、剣一、良矛二を送る。子貢受けず、遂に行く。呉王に報じて曰く、「臣敬んで大王の言を以て越王に告ぐ、越王大いに恐れて、曰く、『孤不幸にして、少くして先人を失ひ、内に自ら量らず、罪を呉に抵し、軍敗れ身辱められ、会稽に棲み、国は虚莽と為る、大王の賜に頼りて、俎豆を奉じて祭祀を修むるを得しむ、死すとも敢へて忘れず、何の謀か之れ敢へて慮らん』と」と。後五日、越大夫種をして頓首して呉王に言はしめて曰く、「東海の役臣孤句践の使者臣種、敢へて下吏を修めて左右に問ふ。今竊かに聞く大王将に大義を興し、彊を誅し弱を救ひ、暴斉を困しめて周室を撫せんとすと、請ふ悉く境内の士卒三千人を起こさん、孤請ふ自ら堅を被り鋭を執りて、以て先づ矢石を受けん。因りて越の賤臣種先人の蔵器、甲二十領、鈇、屈盧の矛、歩光の剣を奉じて、以て軍吏を賀せしむ」と。呉王大いに説び、以て子貢に告げて曰く、「越王身ら寡人に従ひて斉を伐たんと欲す、可なるか」と。子貢曰く、「不可なり。夫れ人の国を空しくし、人の衆を悉くし、又其の君を従へるは、不義なり。君其の幣を受け、其の師を許して、其の君を辞せよ」と。呉王許諾し、乃ち越王に謝す。是に於いて呉王乃ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
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史記 越王句践世家二歳にして呉、蠡を帰す。句践、会稽より帰りて七年、其の士民を拊循し、用ひて以て呉に報いんと欲す。大夫逢同諫めて曰く、「国新たに流亡し、今乃ち復た殷給す。繕飾して利を備へば、呉必ず懼れん。懼るれば則ち難必ず至らん。且つ鷙鳥の撃つや、必ず其の形を匿す。今夫れ呉は兵を斉・晋に加へ、怨みは楚・越に深く、名は天下に高く、実は周室を害す。徳少なくして功多く、必ず淫して自ら矜らん。越の為に計るに、斉に結び、楚に親しみ、晋に附きて、以て呉を厚くするに若くは莫し。呉の志広ければ、必ず戦ひを軽んぜん。是れ我其の権を連ね、三国之を伐ち、越其の弊に承ずれば、克つべきなり」と。句践曰く、「善し」と。居ること二年、呉王将に斉を伐たんとす。子胥諫めて曰く、「未だ可ならず。臣聞く、句践は食に味を重ねず、百姓と苦楽を同じくすと。此の人死せずんば、必ず国の患と為らん。呉に越有るは、腹心の疾なり。斉の呉に与けるは、疥癬なり。願はくは王、斉を釈きて越を先にせよ」と。呉王聴かず、遂に斉を伐ち、之を艾陵に敗り、斉の高・国を虜にして以て帰る。子胥を譲む。子胥曰く、「王喜ぶ毋かれ」と。王怒り、子胥自殺せんと欲す。王聞きて之を止む。越の大夫種曰く、「臣、呉王の政を観るに驕れり。請ふ試みに之に粟を貸らんことを嘗み、以て其の事を卜せん」と。貸らんことを請ふ。呉王与へんと欲し、子胥与ふる勿かれと諫む。王遂に之に与ふ。越乃ち私かに喜ぶ。子胥言ひて曰く、「王諫めを聴かず、後三年にして呉其れ墟とならんか」と。太宰嚭之を聞き、乃ち数々子胥と越の議を争ひ、因りて子胥を讒して曰く、「伍員は貌は忠なれども実は忍人なり。其の父兄をすら顧みず、安んぞ能く王を顧みんや。王前に斉を伐たんと欲するや、員彊く諫む。已にして功有り、是を用て反りて王を怨む。王、伍員に備へずんば、員必ず乱を為さん」と。逢同と共に謀り、之を王に讒す。王始め従はず。乃ち子胥を斉に使はす。其の子を鮑氏に託するを聞き、王乃ち大いに怒りて曰く、「伍員果たして寡人を欺けり」と。役より反り、人をして子胥に属鏤の剣を賜ひて以て自殺せしむ。
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史記 伍子胥列伝後五年、越を伐つ。越王句踐迎へ撃ち、呉を姑蘇に敗り、闔廬の指を傷つく。軍卻く。闔廬創に病み将に死せんとして、太子夫差に謂ひて曰く、「爾、句踐の爾の父を殺ししを忘るるか」と。夫差対へて曰く、「敢て忘れじ」と。是の夕、闔廬死す。夫差既に立ちて王と為り、伯嚭を以て太宰と為し、戦射を習ふ。二年の後、越を伐ち、越を夫湫に敗る。越王句踐乃ち余兵五千人を以て会稽の上に棲み、大夫種をして幣を厚くし呉の太宰嚭に遺りて以て和を請ひ、国を委ねて臣妾と為らんことを求めしむ。呉王将に之を許さんとす。伍子胥諫めて曰く、「越王の人と為りは能く辛苦す。今王滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん」と。呉王聴かず、太宰嚭の計を用ゐ、越と平らぐ。
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史記 越王句践世家越王句践は、其の先は禹の苗裔にして、夏后帝少康の庶子なり。会稽に封ぜられ、以て禹の祀を奉守す。文身断髪し、草萊を披きて邑す。後二十余世にして、允常に至る。允常の時、呉王闔廬と戦ひて相怨み伐つ。允常卒し、子の句践立つ、是を越王と為す。元年、呉王闔廬、允常の死せるを聞き、乃ち師を興して越を伐つ。越王句践、死士をして戦ひを挑ましむ。三行にして呉の陳に至り、呼びて自剄す。呉の師之を観る。越因りて呉の師を襲撃し、呉の師檇李に敗れ、呉王闔廬を射傷つく。闔廬且に死せんとし、其の子夫差に告げて曰く、「必ず越を忘るる毋かれ」と。三年、句践、呉王夫差日夜兵を勒し、且に以て越に報いんとすと聞き、越、呉の未だ発せざるに先んじて往きて之を伐たんと欲す。范蠡諫めて曰く、「不可なり。臣聞く、兵は凶器なり、戦ひは逆徳なり、争ひは事の末なりと。陰かに逆徳を謀り、好んで凶器を用ひ、身を末とする所に試みるは、上帝之を禁ず、行ふ者は利あらず」と。越王曰く、「吾已に之を決せり」と。遂に師を興す。呉王之を聞き、悉く精兵を発して越を撃ち、之を夫椒に敗る。越王乃ち余兵五千人を以て会稽に保棲す。呉王追ひて之を囲む。越王、范蠡に謂ひて曰く、「子に聴かざるを以ての故に此に至る。之を為すこと奈何」と。蠡対へて曰く、「満を持する者は天と与にし、傾くを定むる者は人と与にし、事を節する者は地を以てす。辞を卑くし礼を厚くして以て之に遺れ。許さずんば、身づから之と市せよ」と。
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『長短経』釣情呉、越を伐つ。越は会稽に棲む。勾践喟然として嘆じて曰く「吾此に終わらんか」と。大夫種曰く「湯は夏台に繋がれ、文王は羑里に囚われ、重耳は翟に奔り、斉の小白は莒に奔るも、其の卒に霸王たり。是に由りて之を観れば、何ぞ遽かに福と為らざらんや」と。勾践既に免るるを得て、務めて呉に報いんとす。大夫種曰く「臣、呉王の政を観るに驕れり。請う、之を嘗みん」と。乃ち粟を貸して以て其の事を卜う。子胥諫めて与うること勿からしむるも、王遂に之を与う。子胥曰く「王諫めを聴かず。後三年、呉其れ墟とならん」と。太宰嚭之を聞き、讒して曰く「伍員は貌は忠にして実は忍人なり」と。呉遂に子胥を殺す。此れ情は事を以て釣るべきなり。
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