史記 / 晋世家
病甚,乃謂荀息曰:「吾以奚齊爲後,年少,諸大臣不服,恐亂起,子能立之乎?」荀息曰:「能。」獻公曰:「何以爲驗?」對曰:「使死者復生,生者不慚,爲之驗。」於是遂屬奚齊於荀息。荀息爲相,主國政。秋九月,獻公卒。裏克、邳鄭欲内重耳,以三公子之徒作亂,謂荀息曰:「三怨將起,秦、晉輔之,子將何如?」荀息曰:「吾不可負先君言。」十月,裏克殺奚齊于喪次,獻公未葬也。荀息將死之,或曰不如立奚齊弟悼子而傅之,荀息立悼子而葬獻公。十一月,裏克弒悼子于朝,荀息死之。君子曰:「詩所謂『白珪之玷,猶可磨也,斯言之玷,不可爲也』,其荀息之謂乎!不負其言。」初,獻公將伐驪戎,卜曰「齒牙爲禍」。及破驪戎,獲驪姬,愛之,竟以亂晉。裏克等已殺奚齊、悼子,使人迎公子重耳於翟,欲立之。重耳謝曰:「負父之命出奔,父死不得修人子之禮侍喪,重耳何敢入!大夫其更立他子。」還報裏克,裏克使迎夷吾於梁。夷吾欲往,呂省、郤芮曰:「内猶有公子可立者而外求,難信。計非之秦,輔彊國之威以入,恐危。」乃使郤芮厚賂秦,約曰:「卽得入,請以晉河西之地與秦。」及遺裏克書曰:「誠得立,請遂封子於汾陽之邑。」秦繆公乃發兵送夷吾於晉。齊桓公聞晉内亂,亦率諸侯如晉。
新字:病甚,乃謂荀息曰:「吾以奚斉為後,年少,諸大臣不服,恐乱起,子能立之乎?」荀息曰:「能。」献公曰:「何以為験?」対曰:「使死者復生,生者不慚,為之験。」於是遂属奚斉於荀息。荀息為相,主国政。秋九月,献公卒。裏克、邳鄭欲内重耳,以三公子之徒作乱,謂荀息曰:「三怨将起,秦、晋輔之,子将何如?」荀息曰:「吾不可負先君言。」十月,裏克殺奚斉于喪次,献公未葬也。荀息将死之,或曰不如立奚斉弟悼子而傅之,荀息立悼子而葬献公。十一月,裏克弒悼子于朝,荀息死之。君子曰:「詩所謂『白珪之玷,猶可磨也,斯言之玷,不可為也』,其荀息之謂乎!不負其言。」初,献公将伐驪戎,卜曰「歯牙為禍」。及破驪戎,獲驪姫,愛之,竟以乱晋。裏克等已殺奚斉、悼子,使人迎公子重耳於翟,欲立之。重耳謝曰:「負父之命出奔,父死不得修人子之礼侍喪,重耳何敢入!大夫其更立他子。」還報裏克,裏克使迎夷吾於梁。夷吾欲往,呂省、郤芮曰:「内猶有公子可立者而外求,難信。計非之秦,輔彊国之威以入,恐危。」乃使郤芮厚賂秦,約曰:「即得入,請以晋河西之地与秦。」及遺裏克書曰:「誠得立,請遂封子於汾陽之邑。」秦繆公乃発兵送夷吾於晋。斉桓公聞晋内乱,亦率諸侯如晋。
書き下し
病甚だしく、乃ち荀息に謂ひて曰く、「吾奚斉を以て後と為す。年少くして、諸大臣服せず、乱の起こらんことを恐る。子能く之を立てんか」と。荀息曰く、「能くせん」と。献公曰く、「何を以て験と為す」と。対へて曰く、「死者をして復た生かしめ、生者慚ぢざる、之が験と為さん」と。是に於て遂に奚斉を荀息に属す。荀息相と為り、国政を主る。秋九月、献公卒す。里克・邳鄭重耳を内れんと欲し、三公子の徒を以て乱を作さんとし、荀息に謂ひて曰く、「三怨将に起こらんとし、秦・晋之を輔く。子将に何如せんとす」と。荀息曰く、「吾先君の言に負くべからず」と。十月、里克奚斉を喪次に殺す。献公未だ葬られざるなり。荀息将に之に死せんとす。或ひと曰く、奚斉の弟悼子を立てて之に傅たるに如かずと。荀息悼子を立てて献公を葬る。十一月、里克悼子を朝に弑す。荀息之に死す。君子曰く、「詩に所謂『白珪の玷(か)けたるは、猶ほ磨くべし。斯の言の玷けたるは、為(をさ)むべからず』とは、其れ荀息の謂ひか。其の言に負かず」と。初め、献公将に驪戎を伐たんとす。卜して曰く「歯牙禍を為す」と。驪戎を破り、驪姫を獲るに及び、之を愛し、竟に以て晋を乱す。里克等已に奚斉・悼子を殺し、人をして公子重耳を翟に迎へしめ、之を立てんと欲す。重耳謝して曰く、「父の命に負きて出奔し、父死して人子の礼を修めて喪に侍するを得ず。重耳何ぞ敢て入らん。大夫其れ更に他子を立てよ」と。還りて里克に報ず。里克をして夷吾を梁に迎へしむ。夷吾往かんと欲す。呂省・郤芮曰く、「内に猶ほ公子の立つべき者有りて外に求むるは、信じ難し。計るに秦に之き、彊国の威を輔として以て入るに非ずんば、恐らくは危ふからん」と。乃ち郤芮をして厚く秦に賂はしめ、約して曰く、「即し入るを得ば、請ふ晋の河西の地を以て秦に与へん」と。及び里克に書を遺りて曰く、「誠に立つを得ば、請ふ遂に子を汾陽の邑に封ぜん」と。秦の繆公乃ち兵を発して夷吾を晋に送る。斉の桓公晋の内乱を聞き、亦た諸侯を率ゐて晋に如く。
現代語訳
献公は病が重くなり、荀息に言った。「私は奚斉を跡継ぎにした。しかしまだ幼く、大臣たちが服さずに乱が起こるのではないかと心配だ。おまえは奚斉を立ててくれるか」。荀息は言った。「やり遂げてみせる」。献公は言った。「何をその証とするのか」。荀息は答えた。「たとえ亡くなった君が生き返られても、生き残った私が恥じることのないようにする。それを証としよう」。こうして献公は奚斉を荀息に託した。荀息は宰相となり、国政を取り仕切った。秋九月、献公が亡くなった。里克と邳鄭は重耳を迎え入れようとし、三人の公子(申生・重耳・夷吾)の支持者たちとともに乱を起こそうとして、荀息に言った。「三人の公子への恨みが噴き出そうとしており、秦と晋の人々もそれを支えている。あなたはどうするつもりか」。荀息は言った。「私は先君との約束に背くことはできない」。十月、里克は喪中の仮屋で奚斉を殺した。献公はまだ葬られていなかった。荀息は奚斉に殉じて死のうとしたが、ある人が、奚斉の弟の悼子を立てて補佐するほうがよいと言った。荀息は悼子を立てて献公を葬った。十一月、里克は朝廷で悼子を殺した。荀息は悼子に殉じて死んだ。君子は言った。「『詩経』に『白い玉の傷はなお磨けば消せるが、言葉の傷は取り繕えない』とあるのは、荀息のことを言っているのだろうか。彼は自分の言葉に背かなかった」。これより前、献公が驪戎を攻めようとしたとき、占いに「口と歯(言葉)が災いとなる」と出た。驪戎を破って驪姫を手に入れると、献公は驪姫を寵愛し、ついにそのために晋は乱れたのである。里克らは奚斉と悼子を殺すと、人を翟へ送って公子重耳を迎え、君主に立てようとした。重耳は辞退して言った。「私は父の命令に背いて国を逃げ出し、父が亡くなっても子として喪に服する礼を尽くせなかった。どうして帰国などできよう。大夫たちは別の公子を立ててほしい」。使者は戻って里克に報告した。里克は人を梁に送って夷吾を迎えさせた。夷吾は行こうとしたが、呂省と郤芮が言った。「国内にもまだ立てるべき公子がいるのに、わざわざ外に求めてくるのは信用できない。秦へ行き、強国の威勢を後ろ盾にして帰国するのでなければ、危ないだろう」。そこで郤芮に秦へ手厚く贈り物をさせ、「もし帰国できたら、晋の河西の地を秦に差し上げる」と約束した。また里克にも手紙を送り、「もし君主に立てたなら、あなたを汾陽の邑に封じよう」と約束した。秦の繆公は兵を出して夷吾を晋に送った。斉の桓公も晋の内乱を聞き、諸侯を率いて晋に向かった。
解説
関連する章句
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史記 晋世家秦の兵と夷吾も亦た晋に至る。斉乃ち隰朋をして秦に会して倶に夷吾を入れしめ、立てて晋君と為す。是を恵公と為す。斉の桓公晋の高梁に至りて還帰す。恵公夷吾の元年、邳鄭をして秦に謝せしめて曰く、「始め夷吾河西の地を以て君に許す。今幸ひに入りて立つを得たり。大臣曰く、『地は先君の地なり。君亡げて外に在り。何を以て擅に秦に許すを得たる者ぞ』と。寡人之を争ふも得ること能はず。故に秦に謝す」と。亦た里克に汾陽の邑を与へず、而して之が権を奪ふ。四月、周の襄王周公忌父をして斉・秦の大夫に会して共に晋の恵公に礼せしむ。恵公重耳の外に在るを以て、里克の変を為さんことを畏れ、里克に死を賜ふ。謂ひて曰く、「里子微(な)かりせば寡人立つを得ず。然りと雖も、子も亦た二君一大夫を殺す。子の君為る者も亦た難からずや」と。里克対へて曰く、「廃する所有らずんば、君何を以て興らん。之を誅せんと欲す。其れ辞無からんや。乃ち此を為すと言ふ。臣命を聞けり」と。遂に剣に伏して死す。是に於て邳鄭秦に謝せんとして使ひし未だ還らず。故に難に及ばず。晋の君恭太子申生を改葬す。秋、狐突下国に之き、申生に遇ふ。申生与に載せて之に告げて曰く、「夷吾無礼なり。余帝に請ふを得たり。将に晋を以て秦に与へんとす。秦将に余を祀らんとす」と。狐突対へて曰く、「臣聞く、神は其の宗に非ざるを食らはずと。君の祀は乃ち絶ゆること毋からんや。君其れ之を図れ」と。申生曰く、「諾。吾将に復た帝に請はんとす。後十日、新城の西偏に将に巫者有りて我を見んとす」と。之を許すや、遂に見えず。期に及びて往き、復た見ゆ。申生之に告げて曰く、「帝有罪を罰することを許せり。韓に弊れん」と。児乃ち謡ひて曰く、「恭太子更に葬らる。後十四年、晋も亦た昌えず。昌ゆるは乃ち兄に在り」と。邳鄭秦に使ひし、里克の誅せらるるを聞き、乃ち秦の繆公に説きて曰く、「呂省・郤称・冀芮実に従はざるを為す。若し重く賂ひて与に謀り、晋君を出だして、重耳を入るれば、事必ず就らん」と。
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呂氏春秋・原亂②晉の獻公、驪姬を立てて以て夫人と為し、奚齊を以て太子と為す。里克、國人を率いて以て攻めて之を殺す。荀息、其の弟公子卓を立てて、已に葬る。里克又國人を率いて攻めて之を殺す。是に於いて晉に君無し。公子夷吾、重く秦に賂するに地を以てして入らんことを求む。秦の繆公、師を率いて以て之を納る。晉人立てて以て君と為す。是を惠公と為す。惠公既に晉に定まるや、秦の德に背きて地を予えず。秦の繆公、師を率いて晉を攻む。晉の惠公之を逆え、秦人と韓原に戰う。晉の師大敗し、秦、惠公を獲て以て歸り、之を靈臺に囚う。十月、乃ち晉と成らぎ、惠公を歸して太子圉を質とす。太子圉逃げ歸るや、惠公死し、圉立ちて君と為る。是を懷公と為す。秦の繆公、其の逃げて歸るを怒り、起ちて公子重耳を奉じて以て懷公を攻め、之を高梁に殺し、而して重耳を立つ。是を文公と為す。文公施舍し、廢滯を振るい、乏困を匡し、災患を救い、淫慝を禁じ、賦斂を薄くし、罪戻を宥し、器用を節し、民を用うるに時を以てし、荊人を城濮に敗り、襄王を定め、宋を釋きて、穀戍を出だし、外內皆服し、而る後晉の亂止む。故に獻公、驪姬に聽き、梁五・優施を近づけ、太子申生を殺し、而して大難之に隨う者五、三君死し、一君虜にせられ、大臣卿士の死する者百を以て數え、咎に離ること二十年なり。上世自り以來、亂は未だ嘗て一ならざるも、亂人の患いや、皆曰く一のみ。此れ事慮、情に同じからざるなり。事慮、情に同じからざるは、心異なればなり。故に凡そ亂を作すの人は、禍いの身に及ばざること希し。
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史記 秦本紀百里傒譲りて曰く、「臣は臣の友蹇叔に及ばず。蹇叔は賢にして世知る莫し。臣常に游びて斉に困しみ、食を銍人に乞ふ。蹇叔臣を収む。臣因りて斉君無知に事へんと欲す。蹇叔臣を止む。臣斉の難を脱るるを得て、遂に周に之く。周の王子穨牛を好む。臣牛を養ふを以て之に干む。穨臣を用ゐんと欲するに及び、蹇叔臣を止む。臣去りて、誅せられざるを得たり。虞君に事ふ。蹇叔臣を止む。臣虞君の臣を用ゐざるを知るも、臣誠に禄爵を私利し、且く留まる。再び其の言を用ゐて、脱るるを得、一たび用ゐずして、虞君の難に及ぶ。是を以て其の賢を知る」と。是に於て繆公人をして幣を厚くして蹇叔を迎へしめ、以て上大夫と為す。秋、繆公自ら将として晋を伐ち、河曲に戦ふ。晋の驪姫乱を作し、太子申生新城に死し、重耳・夷吾出奔す。九年、斉の桓公諸侯を葵丘に会す。晋の献公卒す。驪姫の子奚斉を立つ。其の臣里克奚斉を殺す。荀息卓子を立つ。克又卓子及び荀息を殺す。夷吾人をして秦に請はしめ、晋に入らんことを求む。是に於て繆公之を許し、百里傒をして兵を将ゐて夷吾を送らしむ。夷吾謂ひて曰く、「誠に立つを得ば、請ふ晋の河西の八城を割きて秦に与へん」と。至るに及び、已に立ちて、丕鄭をして秦に謝せしめ、約に背きて河西の城を与へず、而して里克を殺す。丕鄭之を聞き、恐れ、因りて繆公と謀りて曰く、「晋人夷吾を欲せず、実は重耳を欲す。今秦の約に背きて里克を殺すは、皆呂甥・郤芮の計なり。願はくは君利を以て急ぎ呂・郤を召せ。呂・郤至らば、則ち更めて重耳を入るること便ならん」と。繆公之を許し、人をして丕鄭と帰り、呂・郤を召さしむ。呂・郤等丕鄭に間有るを疑ひ、乃ち夷吾に言ひて丕鄭を殺す。丕鄭の子丕豹秦に奔り、繆公に説きて曰く、「晋君無道にして、百姓親しまず、伐つ可し」と。繆公曰く、「百姓苟も便ならずんば、何の故に能く其の大臣を誅せんや。能く其の大臣を誅す、此れ其の調ふなり」と。
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史記 晋世家地に祭れば、地墳(ふく)る。犬に与ふれば、犬死す。小臣に与ふれば、小臣死す。驪姫泣きて曰く、「太子何ぞ忍びなるや。其の父にして弑して之に代はらんと欲す。況んや他人をや。且つ君老いたり。旦暮の人なり。曾ち待つこと能はずして之を弑せんと欲す」と。献公に謂ひて曰く、「太子の然る所以は、妾及び奚斉の故を以てするに過ぎず。妾願はくは子母之を他国に辟けん。若しくは早く自殺せん。徒らに母子をして太子の魚肉とする所と為らしむること毋からん。始め君之を廃せんと欲するや、妾猶ほ之を恨む。今に至りて、妾殊に此に自失す」と。太子之を聞き、新城に奔る。献公怒り、乃ち其の傅杜原款を誅す。或ひと太子に謂ひて曰く、「此の薬を為る者は乃ち驪姫なり。太子何ぞ自ら辞して之を明らかにせざる」と。太子曰く、「吾が君老いたり。驪姫に非ずんば、寝ぬるも安からず、食らふも甘からず。即し之を辞せば、君且に之を怒らんとす。不可なり」と。或ひと太子に謂ひて曰く、「他国に奔るべし」と。太子曰く、「此の悪名を被りて以て出づれば、人誰か我を内れん。我自殺せんのみ」と。十二月戊申、申生新城に自殺す。此の時重耳・夷吾来朝す。人或いは驪姫に告げて曰く、「二公子驪姫の太子を譖殺せしを怨む」と。驪姫恐れ、因りて二公子を譖す、「申生の薬胙は、二公子之を知れり」と。二子之を聞きて恐れ、重耳は蒲に走り、夷吾は屈に走り、其の城を保ちて、自ら備へ守る。初め、献公士蒍をして二公子の為に蒲・屈の城を築かしむるも、就らず。夷吾以て公に告ぐ。公士蒍を怒る。士蒍謝して曰く、「辺城は寇少なし。安んぞ之を用ひん」と。退きて歌ひて曰く、「狐裘蒙茸たり、一国に三公あり、吾誰にか適従せん」と。卒に城を就す。申生の死するに及びて、二子も亦た帰りて其の城を保つ。二十二年、献公二子の辞せずして去るを怒り、果たして謀有りとし、乃ち兵をして蒲を伐たしむ。蒲人の宦者勃鞮重耳に命じて促して自殺せしめんとす。重耳垣を踰ゆ。宦者追ひて其の衣袪を斬る。重耳遂に翟に奔る。人をして屈を伐たしむ。屈の城守りて、下すべからず。
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史記 晋世家献公太子を廃するに意有り。乃ち曰く、「曲沃は吾が先祖の宗廟の在る所にして、蒲は秦に辺し、屈は翟に辺す。諸子をして之に居らしめずんば、我懼る」と。是に於て太子申生をして曲沃に居らしめ、公子重耳をして蒲に居らしめ、公子夷吾をして屈に居らしむ。献公驪姫の子奚斉と絳に居る。晋国此を以て太子の立たざるを知る。太子申生は、其の母は斉の桓公の女なり、斉姜と曰ひ、早く死す。申生の同母の女弟は秦の穆公の夫人為り。重耳の母は、翟の狐氏の女なり。夷吾の母は、重耳の母の女弟なり。献公の子八人、而して太子申生・重耳・夷吾は皆賢行有り。驪姫を得るに及びて、乃ち此の三子を遠ざく。十六年、晋の献公二軍を作る。公上軍に将たり、太子申生下軍に将たり。趙夙戎に御し、畢万右と為り、伐ちて霍を滅ぼし、魏を滅ぼし、耿を滅ぼす。還りて、太子の為に曲沃に城き、趙夙に耿を賜ひ、畢万に魏を賜ひ、以て大夫と為す。士蒍曰く、「太子立つを得ざらん。之に都城を分かち、而して位するに卿を以てし、先づ之が極を為す。又安んぞ立つを得ん。之を逃れて、罪をして至らしむること無きに如かず。呉の太伯と為るも、亦た可ならずや。猶ほ令名有らん」と。太子従はず。卜偃曰く、「畢万の後必ず大ならん。万は、盈数なり。魏は、大名なり。是を以て始めて賞す。天之を開けり。天子を兆民と曰ひ、諸侯を万民と曰ふ。今之に大を命じ、以て盈数に従ふ。其れ必ず衆有らん」と。初め、畢万晋国に仕ふることを卜し、屯の比に之くに遇ふ。辛廖之を占ひて曰く、「吉なり。屯は固く比は入る。吉孰れか焉より大ならん。其の後必ず蕃昌せん」と。十七年、晋侯太子申生をして東山を伐たしむ。里克献公を諫めて曰く、「太子は冢祀社稷の粢盛を奉じ、以て朝夕君の膳を視る者なり。故に冢子と曰ふ。君行けば則ち守り、守有れば則ち従ふ。従ふを撫軍と曰ひ、守るを監国と曰ふ。古の制なり。
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