呂氏春秋 / 原亂②
晉獻公立驪姬以為夫人,以奚齊為太子,里克率國人以攻殺之。荀息立其弟公子卓,已葬,里克又率國人攻殺之。於是晉無君。公子夷吾重賂秦以地而求入,秦繆公率師以納之,晉人立以為君,是為惠公。惠公既定於晉,背秦德而不予地。秦繆公率師攻晉,晉惠公逆之,與秦人戰於韓原。晉師大敗,秦獲惠公以歸,囚之於靈臺。十月,乃與晉成,歸惠公而質太子圉。太子圉逃歸也。惠公死,圉立為君,是為懷公。秦繆公怒其逃歸也,起奉公子重耳以攻懷公,殺之於高梁,而立重耳,是為文公。文公施舍,振廢滯,匡乏困,救災患,禁淫慝,薄賦斂,宥罪戾,節器用,用民以時,敗荊人于城濮,定襄王,釋宋,出穀戍,外內皆服,而後晉亂止。故獻公聽驪姬,近梁五、優施,殺太子申生,而大難隨之者五,三君死,一君虜,大臣卿士之死者以百數,離咎二十年。自上世以來,亂未嘗一。而亂人之患也,皆曰一而已,此事慮不同情也。事慮不同情者,心異也。故凡作亂之人,禍希不及身。
新字:晋献公立驪姫以為夫人,以奚斉為太子,里克率国人以攻殺之。荀息立其弟公子卓,已葬,里克又率国人攻殺之。於是晋無君。公子夷吾重賂秦以地而求入,秦繆公率師以納之,晋人立以為君,是為恵公。恵公既定於晋,背秦徳而不予地。秦繆公率師攻晋,晋恵公逆之,与秦人戦於韓原。晋師大敗,秦獲恵公以帰,囚之於霊台。十月,乃与晋成,帰恵公而質太子圉。太子圉逃帰也。恵公死,圉立為君,是為懐公。秦繆公怒其逃帰也,起奉公子重耳以攻懐公,殺之於高梁,而立重耳,是為文公。文公施舎,振廃滞,匡乏困,救災患,禁淫慝,薄賦斂,宥罪戻,節器用,用民以時,敗荊人于城濮,定襄王,釈宋,出穀戍,外内皆服,而後晋乱止。故献公聴驪姫,近梁五、優施,殺太子申生,而大難随之者五,三君死,一君虜,大臣卿士之死者以百数,離咎二十年。自上世以来,乱未嘗一。而乱人之患也,皆曰一而已,此事慮不同情也。事慮不同情者,心異也。故凡作乱之人,禍希不及身。
書き下し
晉の獻公、驪姬を立てて以て夫人と為し、奚齊を以て太子と為す。里克、國人を率いて以て攻めて之を殺す。荀息、其の弟公子卓を立てて、已に葬る。里克又國人を率いて攻めて之を殺す。是に於いて晉に君無し。公子夷吾、重く秦に賂するに地を以てして入らんことを求む。秦の繆公、師を率いて以て之を納る。晉人立てて以て君と為す。是を惠公と為す。惠公既に晉に定まるや、秦の德に背きて地を予えず。秦の繆公、師を率いて晉を攻む。晉の惠公之を逆え、秦人と韓原に戰う。晉の師大敗し、秦、惠公を獲て以て歸り、之を靈臺に囚う。十月、乃ち晉と成らぎ、惠公を歸して太子圉を質とす。太子圉逃げ歸るや、惠公死し、圉立ちて君と為る。是を懷公と為す。秦の繆公、其の逃げて歸るを怒り、起ちて公子重耳を奉じて以て懷公を攻め、之を高梁に殺し、而して重耳を立つ。是を文公と為す。文公施舍し、廢滯を振るい、乏困を匡し、災患を救い、淫慝を禁じ、賦斂を薄くし、罪戻を宥し、器用を節し、民を用うるに時を以てし、荊人を城濮に敗り、襄王を定め、宋を釋きて、穀戍を出だし、外內皆服し、而る後晉の亂止む。故に獻公、驪姬に聽き、梁五・優施を近づけ、太子申生を殺し、而して大難之に隨う者五、三君死し、一君虜にせられ、大臣卿士の死する者百を以て數え、咎に離ること二十年なり。上世自り以來、亂は未だ嘗て一ならざるも、亂人の患いや、皆曰く一のみ。此れ事慮、情に同じからざるなり。事慮、情に同じからざるは、心異なればなり。故に凡そ亂を作すの人は、禍いの身に及ばざること希し。
現代語訳
晋の献公は驪姫を立てて夫人とし、その子奚斉を太子とした。里克は国人を率いて攻めて奚斉を殺した。荀息はその弟の公子卓を立て、献公を埋葬し終えた。里克はまた国人を率いて攻めて卓を殺した。こうして晋には君主がいなくなった。公子夷吾は手厚く土地を秦に賄賂として帰国即位を求めた。秦の繆公は軍を率いて夷吾を晋に入れた。晋人は夷吾を立てて君主とした。これが恵公である。恵公は晋で地位が定まると、秦の恩に背いて土地を与えなかった。秦の繆公は軍を率いて晋を攻めた。晋の恵公はこれを迎え撃ち、秦人と韓原で戦った。晋軍は大敗し、秦は恵公を捕らえて帰り、これを霊台に幽閉した。十月、そこで晋と和睦し、恵公を帰して太子圉を人質とした。太子圉が逃げ帰ると、恵公は死に、圉が立って君主となった。これが懐公である。秦の繆公はその圉が逃げ帰ったことを怒り、公子重耳を擁立して懐公を攻め、これを高梁で殺し、重耳を立てた。これが文公である。文公は施しを行い、埋もれた賢人を登用し、窮乏する者を救い、災難に遭う者を助け、みだらで邪悪なことを禁じ、税を軽くし、罪ある者を許し、器物の使用を節約し、民を使うのに農閑の時を選び、楚人を城濮で破り、襄王の位を定め、宋の囲みを解き、穀城の守備兵を退去させ、国の内外が皆服従して、その後に晋の乱は止んだ。だから献公が驪姫の言を聞き、梁五・優施を近づけ、太子申生を殺したことで、大きな災難が五つも続き、三人の君主が死に、一人の君主が捕虜となり、大臣・卿士で死んだ者は百を数え、災いに遭うこと二十年に及んだ。上古以来、乱は決して一つだけの単純なものであったことはないのに、乱を起こす者の弊害は、皆乱は一つきりだと言う。これは事の見通しが実情と合っていないのだ。事の見通しが実情と合わないのは、心が実際と異なっているからだ。だから、およそ乱を起こす者は、災いが我が身に及ばないことはめったにない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
国語・晋語一献公驪戎を伐ちて之に克ち、驪子を滅ぼし、驪姫を獲て以て帰り、立てて以て夫人と為し、奚斉(けいせい)を生む。其の娣(てい)卓子を生む。驪姫、申生をして曲沃を主(つかさど)りて以て懸(けん)を速やかにせしめ、重耳(ちょうじ)をして蒲城に処らしめ、夷吾をして屈に処らしめ、奚斉をして絳(こう)に処らしめ、以て辱め無きの故を儆(いまし)めんことを請う。公之を許す。 史蘇朝し、大夫に告げて曰く、「二三大夫其れ之を戒めよ。乱本生ぜり。日(さき)に、君驪姫を以て夫人と為す。民の疾心固より皆至る。昔の伐つや、百姓を興すに百姓の為にするを以てす。是を以て民能く之を欣び、故に忠を尽くし労を極めて以て死を致さざる莫きなり。今君百姓を起こして以て自ら封ず。民外には其の利を得ずして、内には其の貪を悪む。則ち上下既に判(わか)るる有り。然り而して又男を生む。其れ天道なるか。天其の毒を彊くし、民其の態を疾む。其れ乱生ぜんかな。吾聞く、君の好を好みて悪を悪み、楽を楽しみて安を安んず、是を以て能く常有りと。木を伐りて其の本よりせずんば、必ず復た生ず。水を塞ぎて其の源よりせずんば、必ず復た流る。禍を滅ぼして其の基よりせずんば、必ず復た乱る。今君其の父を滅ぼして其の子を畜(やしな)う。禍の基なり。其の子を畜い、又其の欲に従う。子は父の恥に報いんことを思いて其の欲を信(の)ぶ。色を好むと雖も、必ず心を悪む。好むと謂うべからず。其の色を好めば、必ず之に情を授く。彼其の情を得て以て其の欲を厚くし、其の悪心に従わば、必ず国を敗りて且つ深く乱れん。乱は必ず女戎よりす。三代皆然り」と。驪姫果たして難を作し、太子を殺して二公子を逐う。君子曰く、「難の本を知れり」と。
-
史記 晋世家病甚だしく、乃ち荀息に謂ひて曰く、「吾奚斉を以て後と為す。年少くして、諸大臣服せず、乱の起こらんことを恐る。子能く之を立てんか」と。荀息曰く、「能くせん」と。献公曰く、「何を以て験と為す」と。対へて曰く、「死者をして復た生かしめ、生者慚ぢざる、之が験と為さん」と。是に於て遂に奚斉を荀息に属す。荀息相と為り、国政を主る。秋九月、献公卒す。里克・邳鄭重耳を内れんと欲し、三公子の徒を以て乱を作さんとし、荀息に謂ひて曰く、「三怨将に起こらんとし、秦・晋之を輔く。子将に何如せんとす」と。荀息曰く、「吾先君の言に負くべからず」と。十月、里克奚斉を喪次に殺す。献公未だ葬られざるなり。荀息将に之に死せんとす。或ひと曰く、奚斉の弟悼子を立てて之に傅たるに如かずと。荀息悼子を立てて献公を葬る。十一月、里克悼子を朝に弑す。荀息之に死す。君子曰く、「詩に所謂『白珪の玷(か)けたるは、猶ほ磨くべし。斯の言の玷けたるは、為(をさ)むべからず』とは、其れ荀息の謂ひか。其の言に負かず」と。初め、献公将に驪戎を伐たんとす。卜して曰く「歯牙禍を為す」と。驪戎を破り、驪姫を獲るに及び、之を愛し、竟に以て晋を乱す。里克等已に奚斉・悼子を殺し、人をして公子重耳を翟に迎へしめ、之を立てんと欲す。重耳謝して曰く、「父の命に負きて出奔し、父死して人子の礼を修めて喪に侍するを得ず。重耳何ぞ敢て入らん。大夫其れ更に他子を立てよ」と。還りて里克に報ず。里克をして夷吾を梁に迎へしむ。夷吾往かんと欲す。呂省・郤芮曰く、「内に猶ほ公子の立つべき者有りて外に求むるは、信じ難し。計るに秦に之き、彊国の威を輔として以て入るに非ずんば、恐らくは危ふからん」と。乃ち郤芮をして厚く秦に賂はしめ、約して曰く、「即し入るを得ば、請ふ晋の河西の地を以て秦に与へん」と。及び里克に書を遺りて曰く、「誠に立つを得ば、請ふ遂に子を汾陽の邑に封ぜん」と。秦の繆公乃ち兵を発して夷吾を晋に送る。斉の桓公晋の内乱を聞き、亦た諸侯を率ゐて晋に如く。
-
『春秋左氏伝』荘公二十八年 驪姫、二五を賂う二十八年春、齊侯衛を伐つ。戰ひて、衛の師を敗る。之を數むるに王命を以ってし、賂を取りて還る。晉の獻公賈に娶りて、子無し。齊姜に烝して、秦の穆夫人及び大子申生を生む。又二女を戎に娶る。大戎の狐姬重耳を生み、小戎子夷吾を生む。晉驪戎を伐ち、驪戎の男、女はすに驪姬を以ってす。歸りて、奚齊を生む。其の娣卓子を生む。驪姬嬖せられ、其の子を立てんと欲し、外嬖梁五と、東關嬖五とに賂ひ、公に言はしめて曰く、「曲沃は、君の宗なり。蒲と二屈とは、君の疆なり。以って主無かる可からず。宗邑に主無ければ則ち民威れず、疆埸に主無ければ則ち戎心を啟く。戎の心を生じ、民其の政を慢るは、國の患ひなり。若し大子をして曲沃に主たらしめ、而して重耳・夷吾をして蒲と屈とに主たらしめば、則ち以って民を威し戎を懼れしめ、且つ君の伐を旌す可し」と。俱に曰はしむ、「狄の廣莫、晉に于いて都と爲る。晉の土を啟く、亦た宜ならずや」と。晉侯之を說ぶ。夏、大子をして曲沃に居らしめ、重耳は蒲城に居り、夷吾は屈に居る。羣公子皆鄙にあり、唯だ二姬の子のみ絳に在り。二五卒に驪姬と羣公子を譖して奚齊を立つ。晉人之を二耦と謂ふ。
-
史記 晋世家献公太子を廃するに意有り。乃ち曰く、「曲沃は吾が先祖の宗廟の在る所にして、蒲は秦に辺し、屈は翟に辺す。諸子をして之に居らしめずんば、我懼る」と。是に於て太子申生をして曲沃に居らしめ、公子重耳をして蒲に居らしめ、公子夷吾をして屈に居らしむ。献公驪姫の子奚斉と絳に居る。晋国此を以て太子の立たざるを知る。太子申生は、其の母は斉の桓公の女なり、斉姜と曰ひ、早く死す。申生の同母の女弟は秦の穆公の夫人為り。重耳の母は、翟の狐氏の女なり。夷吾の母は、重耳の母の女弟なり。献公の子八人、而して太子申生・重耳・夷吾は皆賢行有り。驪姫を得るに及びて、乃ち此の三子を遠ざく。十六年、晋の献公二軍を作る。公上軍に将たり、太子申生下軍に将たり。趙夙戎に御し、畢万右と為り、伐ちて霍を滅ぼし、魏を滅ぼし、耿を滅ぼす。還りて、太子の為に曲沃に城き、趙夙に耿を賜ひ、畢万に魏を賜ひ、以て大夫と為す。士蒍曰く、「太子立つを得ざらん。之に都城を分かち、而して位するに卿を以てし、先づ之が極を為す。又安んぞ立つを得ん。之を逃れて、罪をして至らしむること無きに如かず。呉の太伯と為るも、亦た可ならずや。猶ほ令名有らん」と。太子従はず。卜偃曰く、「畢万の後必ず大ならん。万は、盈数なり。魏は、大名なり。是を以て始めて賞す。天之を開けり。天子を兆民と曰ひ、諸侯を万民と曰ふ。今之に大を命じ、以て盈数に従ふ。其れ必ず衆有らん」と。初め、畢万晋国に仕ふることを卜し、屯の比に之くに遇ふ。辛廖之を占ひて曰く、「吉なり。屯は固く比は入る。吉孰れか焉より大ならん。其の後必ず蕃昌せん」と。十七年、晋侯太子申生をして東山を伐たしむ。里克献公を諫めて曰く、「太子は冢祀社稷の粢盛を奉じ、以て朝夕君の膳を視る者なり。故に冢子と曰ふ。君行けば則ち守り、守有れば則ち従ふ。従ふを撫軍と曰ひ、守るを監国と曰ふ。古の制なり。
-
『春秋左氏伝』僖公四年 申生、新城に縊る冬、叔孫戴伯師を帥ゐて、諸侯の師に會して陳を侵す。陳成ぎ、轅濤塗を歸す。初め、晉の獻公驪姬を以って夫人と爲さんと欲し、之を卜するに吉ならず、之を筮するに吉なり。公曰く、「筮に從はん」と。卜人曰く、「筮は短く龜は長し、長きに從ふに如かず。且つ其の繇に曰く、『專らにすれば之れ渝り、公の羭を攘む。一薰一蕕、十年にして尚ほ猶ほ臭有り』と。必ず不可なり」と。聽かずして、之を立つ。奚齊を生み、其の娣卓子を生む。將に奚齊を立てんとするに及び、既に中大夫と謀を成す。姬大子に謂ひて曰く、「君齊姜を夢む。必ず速やかに之を祭れ」と。大子曲沃に祭り、胙を公に歸る。公田す。姬諸を宮に寘くこと六日。公至る。毒して之を獻ず。公之を地に祭れば、地墳る。犬に與ふれば、犬斃る。小臣に與ふれば、小臣も亦た斃る。姬泣きて曰く、「賊は大子に由る」と。大子新城に奔る。公其の傅杜原款を殺す。或ひと大子に謂ふ、「子辭せば、君必ず辯かん」と。大子曰く、「君は姬氏に非ざれば、居安からず、食飽かず。我辭せば、姬必ず罪有らん。君老いたり、吾又樂しまず」と。曰く、「子其れ行かんか」と。大子曰く、「君實に其の罪を察せず。此の名を被りて以って出づれば、人誰か我を納れん」と。十二月、戊申、新城に縊る。姬遂に二公子を譖して曰く、「皆之を知る」と。重耳蒲に奔り、夷吾屈に奔る。
-
史記 晋世家二月辛丑、咎犯秦・晋の大夫と郇に盟ふ。壬寅、重耳晋の師に入る。丙午、曲沃に入る。丁未、武宮に朝し、即位して晋君と為る。是を文公と為す。群臣皆往く。懐公圉高梁に奔る。戊申、人をして懐公を殺さしむ。懐公の故の大臣呂省・郤芮本より文公に附かず。文公立ち、誅せられんことを恐れ、乃ち其の徒と謀りて公宮を焼き、文公を殺さんと欲す。文公知らず。始め嘗て文公を殺さんと欲せし宦者履鞮其の謀を知り、以て文公に告げて、前の罪を解かんと欲し、文公に見えんことを求む。文公見えず、人をして譲めしめて曰く、「蒲城の事、女予が袪を斬る。其の後我狄君に従ひて猟す。女恵公の為に来たりて我を殺さんことを求む。恵公女と期するに三日にして至れとす。而るに女一日にして至る。何ぞ速やかなるや。女其れ之を念へ」と。宦者曰く、「臣は刀鋸の余なり。敢て二心を以て君に事へ主に倍かず。故に罪を君に得たり。君已に国に反る。其れ蒲・翟無からんや。且つ管仲鉤を射て、桓公以て覇たり。今刑余の人事を以て告ぐるも君見えずんば、禍又且に及ばんとす」と。是に於て之に見ゆ。遂に呂・郤等を以て文公に告ぐ。文公呂・郤を召さんと欲す。呂・郤等は党多し。文公初めて国に入り、国人の己を売らんことを恐れ、乃ち微行を為し、秦の繆公に王城に会す。国人知る莫し。三月己丑、呂・郤等果たして反し、公宮を焚くも、文公を得ず。文公の衛徒与に戦ふ。呂・郤等兵を引きて奔らんと欲す。秦の繆公呂・郤等を誘ひ、之を河上に殺す。晋国復して文公帰るを得たり。夏、夫人を秦に迎ふ。秦の文公に妻す所の者卒に夫人と為る。秦三千人を送りて衛と為し、以て晋の乱に備ふ。文公政を修め、恵みを百姓に施す。従亡の者及び功臣を賞し、大なる者は邑を封じ、小なる者は爵を尊くす。未だ尽くは賞を行はざるに、周の襄王弟帯の難を以て出でて鄭の地に居り、来たりて急を晋に告ぐ。晋初めて定まり、兵を発せんと欲するも、他の乱の起こらんことを恐る。是を以て従亡を賞するに未だ隠者介子推に至らず。推も亦た禄を言はず、禄も亦た及ばず。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る