史記 / 宋微子世家
見箕子諫不聽而爲奴,則曰:「君有過而不以死爭,則百姓何辜!」乃直言諫紂。紂怒曰:「吾聞聖人之心有七竅,信有諸乎?」乃遂殺王子比干,刳視其心。微子曰:「父子有骨肉,而臣主以義屬。故父有過,子三諫不聽,則隨而號之;人臣三諫不聽,則其義可以去矣。」於是太師、少師乃勸微子去,遂行。周武王伐紂克殷,微子乃持其祭器造於軍門,肉袒面縛,左牽羊,右把茅,膝行而歬以告。於是武王乃釋微子,復其位如故。武王封紂子武庚祿父以續殷祀,使管叔、蔡叔傅相之。武王既克殷,訪問箕子。武王曰:「於乎!維天陰定下民,相和其居,我不知其常倫所序。」箕子對曰:「在昔鯀陻鴻水,汨陳其五行,帝乃震怒,不從鴻範九等,常倫所斁。鯀則殛死,禹乃嗣興。天乃錫禹鴻範九等,常倫所序。「初一曰五行;二曰五事;三曰八政;四曰五紀;五曰皇極;六曰三德;七曰稽疑;八曰庶徵;九曰嚮用五福,畏用六極。「五行:一曰水,二曰火,三曰木,四曰金,五曰土。水曰潤下,火曰炎上,木曰曲直,金曰從革,土曰稼穡。潤下作鹹,炎上作苦,曲直作酸,從革作辛,稼穡作甘。「五事:一曰貌,二曰言,三曰視,四曰聽,五曰思。貌曰恭,言曰從,視曰明,聽曰聰,思曰睿。
新字:見箕子諫不聴而為奴,則曰:「君有過而不以死争,則百姓何辜!」乃直言諫紂。紂怒曰:「吾聞聖人之心有七竅,信有諸乎?」乃遂殺王子比干,刳視其心。微子曰:「父子有骨肉,而臣主以義属。故父有過,子三諫不聴,則随而号之;人臣三諫不聴,則其義可以去矣。」於是太師、少師乃勧微子去,遂行。周武王伐紂克殷,微子乃持其祭器造於軍門,肉袒面縛,左牽羊,右把茅,膝行而歬以告。於是武王乃釈微子,復其位如故。武王封紂子武庚禄父以続殷祀,使管叔、蔡叔傅相之。武王既克殷,訪問箕子。武王曰:「於乎!維天陰定下民,相和其居,我不知其常倫所序。」箕子対曰:「在昔鯀陻鴻水,汨陳其五行,帝乃震怒,不従鴻範九等,常倫所斁。鯀則殛死,禹乃嗣興。天乃錫禹鴻範九等,常倫所序。「初一曰五行;二曰五事;三曰八政;四曰五紀;五曰皇極;六曰三徳;七曰稽疑;八曰庶徴;九曰嚮用五福,畏用六極。「五行:一曰水,二曰火,三曰木,四曰金,五曰土。水曰潤下,火曰炎上,木曰曲直,金曰従革,土曰稼穡。潤下作鹹,炎上作苦,曲直作酸,従革作辛,稼穡作甘。「五事:一曰貌,二曰言,三曰視,四曰聴,五曰思。貌曰恭,言曰従,視曰明,聴曰聰,思曰睿。
書き下し
箕子の諫めて聴かれずして奴と為るを見て、則ち曰く、「君過ち有りて死を以て争はずんば、則ち百姓何の辜(つみ)かあらん」と。乃ち直言して紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心には七竅有りと。信に諸れ有りや」と。乃ち遂に王子比干を殺し、刳(えぐ)りて其の心を視る。微子曰く、「父子は骨肉有りて、臣主は義を以て属す。故に父過ち有らば、子三たび諫めて聴かれずんば、則ち随ひて之に号す。人臣三たび諫めて聴かれずんば、則ち其の義以て去るべし」と。是に於て太師・少師乃ち微子に去らんことを勧め、遂に行く。周の武王紂を伐ちて殷に克つ。微子乃ち其の祭器を持して軍門に造(いた)り、肉袒面縛し、左に羊を牽き、右に茅を把り、膝行して前みて以て告ぐ。是に於て武王乃ち微子を釈し、其の位を復すること故の如くす。武王紂の子武庚禄父を封じて以て殷の祀を続がしめ、管叔・蔡叔をして之に傅相たらしむ。武王既に殷に克ち、箕子を訪問す。武王曰く、「於乎(ああ)、維れ天陰かに下民を定め、其の居を相和す。我其の常倫の序づる所を知らず」と。箕子対へて曰く、「在昔鯀(こん)鴻水を陻(ふさ)ぎ、其の五行を汨陳す。帝乃ち震怒し、鴻範九等に従はず、常倫の斁(やぶ)るる所となる。鯀則ち殛(きょく)せられて死し、禹乃ち嗣ぎて興る。天乃ち禹に鴻範九等を錫ひ、常倫の序づる所となる。初めの一を五行と曰ひ、二を五事と曰ひ、三を八政と曰ひ、四を五紀と曰ひ、五を皇極と曰ひ、六を三徳と曰ひ、七を稽疑と曰ひ、八を庶徴と曰ひ、九を嚮ふるに五福を用ひ、畏るるに六極を用ふと曰ふ。五行。一を水と曰ひ、二を火と曰ひ、三を木と曰ひ、四を金と曰ひ、五を土と曰ふ。水を潤下と曰ひ、火を炎上と曰ひ、木を曲直と曰ひ、金を従革と曰ひ、土を稼穡と曰ふ。潤下は鹹を作し、炎上は苦を作し、曲直は酸を作し、従革は辛を作し、稼穡は甘を作す。五事。一を貌と曰ひ、二を言と曰ひ、三を視と曰ひ、四を聴と曰ひ、五を思と曰ふ。貌を恭と曰ひ、言を従と曰ひ、視を明と曰ひ、聴を聡と曰ひ、思を睿と曰ふ。
現代語訳
(比干は)箕子が諫めて聞き入れられず奴隷になったのを見て言った。「主君に過ちがあるのに、命をかけて争わなければ、民に何の罪があって苦しまねばならないのか」。そして率直な言葉で紂を諫めた。紂は怒って言った。「聖人の心臓には七つの穴があると聞く。本当にそうなのか」。そしてついに王子比干を殺し、胸を裂いてその心臓を見た。微子は言った。「父と子は骨肉の関係でつながり、臣と君は義によってつながっている。だから父に過ちがあれば、子は三度諫めて聞き入れられなくても、父に付き従って泣いて訴え続ける。しかし臣下は三度諫めて聞き入れられなければ、義として去ってよいのだ」。そこで太師と少師も微子に去るよう勧め、微子はついに去った。周の武王が紂を討って殷に勝つと、微子は殷の祭器を持って周の陣営の門を訪れ、上半身をあらわにし、両手を後ろに縛り、左手で羊を引き、右手に茅を持ち、膝をついて進み出て降伏を告げた。武王は微子を許し、元どおりの地位に戻した。武王は紂の子の武庚禄父を封じて殷の祭祀を続けさせ、管叔と蔡叔を補佐役とした。武王は殷に勝ったのち、箕子を訪ねて問うた。「ああ、天はひそかに民を定め、その暮らしを和らげ助けている。だが私は、その変わらぬ道理がどのような順序で成り立っているのかを知らない」。箕子は答えた。「昔、鯀(こん)が洪水を土でせき止めようとして、五行(万物を成す五つの要素)の秩序を乱した。天帝はひどく怒り、洪範九等(天下を治める九つの大法)を授けなかったので、変わらぬ道理は崩れてしまった。鯀は流されて死に、禹がその後を継いで立ち上がった。天はそこで禹に洪範九等を授け、変わらぬ道理が秩序立てられた。第一は五行、第二は五事(五つの身の振る舞い)、第三は八政(八つの政務)、第四は五紀(五つの時の基準)、第五は皇極(君主の立てる至上の基準)、第六は三徳、第七は稽疑(疑いを占って決めること)、第八は庶徴(さまざまな天候の兆し)、第九は五福をもって人を勧め、六極(六つの不幸)をもって人を戒めること、である。五行とは、一に水、二に火、三に木、四に金、五に土である。水は潤して下へ流れ、火は燃えて上へ昇り、木は曲がりもし真っすぐにもなり、金は形を変えて従い、土は種をまき収穫をさせる。潤して下るものは塩辛さを生み、燃え上がるものは苦さを生み、曲直するものは酸っぱさを生み、形を変えるものは辛さを生み、稼穡するものは甘さを生む。五事とは、一に容貌、二に言葉、三に見ること、四に聴くこと、五に思うことである。容貌は恭しく、言葉は道理に従い、見ることは明らかで、聴くことは聡く、思うことは深く通じていなければならない。
解説
関連する章句
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尚書・洪範惟れ十有三祀、王箕子を訪ふ。王乃ち言ひて曰く、「嗚呼(ああ)、箕子よ。惟れ天陰かに下民を騭(さだ)め、厥の居を相け協(かな)へしむ、我其の彝倫(いりん)の敘(つい)づる攸を知らず。」箕子乃ち言ひて曰く、「我聞く、在昔、鯀洪水を陻(ふさ)ぎ、其の五行を汩陳(こつちん)す。帝乃ち震怒し、洪范九疇を畀(あた)へず、彝倫の斁(やぶ)るる攸なり。鯀則ち殛(きょく)せられて死し、禹乃ち嗣ぎ興る、天乃ち禹に洪范九疇を錫ひ、彝倫の敘づる攸なり。」「初一に曰く五行、次二に曰く五事を敬用す、次三に曰く八政を農用す、次四に曰く五紀を協用す、次五に曰く皇極を建用す、次六に曰く三徳を乂用す、次七に曰く稽疑を明用す、次八に曰く庶徴を念用す、次九に曰く五福を嚮用し、六極を威用す。」「一、五行。一に曰く水、二に曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土。水を潤下と曰ひ、火を炎上と曰ひ、木を曲直と曰ひ、金を従革と曰ひ、土は爰に稼穡す。潤下は鹹を作し、炎上は苦を作し、曲直は酸を作し、従革は辛を作し、稼穡は甘を作す。」「二、五事。一に曰く貌、二に曰く言、三に曰く視、四に曰く聴、五に曰く思。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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尚書・微子微子若(かく)のごとく曰く、「父師・少師よ、殷其れ四方を乱(をさ)め正すこと或る弗からん。我が祖厎(いた)し遂げて上に陳(つら)なる。我用て酒に沈酗(ちんく)し、用て厥の徳を下に乱敗す。殷小大と罔く、草竊奸宄を好み、卿士師師として度に非ず、凡そ辜罪有るも、乃ち恒に獲らるる罔し。小民方に興り、相為に敵讎たり。今殷其れ淪喪すること、大水を渉るに、其れ津涯無きが若し。殷遂に喪び、越(ここ)に今に至る。」曰く、「父師・少師よ、我其れ狂を発出せんか。吾が家耄(おい)て荒に遜(のが)れんか。今爾指し告ぐること無くんば、予顛隮(てんせい)せん、之を若何せん。」父師若のごとく曰く、「王子よ、天毒(あつ)く災を降して殷の邦を荒らし、方に興りて酒に沈酗し、乃ち畏るべきを畏れず、其の耇長(こうちょう)・旧有位の人に咈(もと)る。今殷の民乃ち神祇の犧牷牲(ぎせんせい)の用を攘竊し、以て容れて将ひ食らふも、災無し。降りて殷の民を監るに、用て乂(をさ)むるに讎あり、敵讎を斂め召して怠らず。罪一に合し、多く瘠すれども詔(つ)ぐる罔し。商今其れ災有らば、我興りて其の敗を受けん。商其れ淪喪せば、我臣僕と為る罔し。王子に詔(つ)ぐ、出でよ。我が旧云(い)ひしを迪(ふ)めば、子を刻(そこな)ふ。王子出でずんば、我乃ち顛隮せん。自ら靖(やす)んぜよ、人自ら先王に献ぜよ、我行遯を顧みず。」
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史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
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尚書・武成惟れ一月壬辰、旁死魄、越(ここ)に翼日癸巳、王朝に周より歩み、于(ゆ)きて商を征伐す。厥の四月哉生明、王商より来り豊に至る。乃ち武を偃(ふ)せて文を修む。馬を華山の陽に帰し、牛を桃林の野に放ち、天下に服せざるを示す。丁未、周廟に祀る、邦甸・侯・衛、駿(すみや)かに奔走し、豆籩を執る。越に三日庚戌、柴望して大いに武の成るを告ぐ。既生魄、庶邦の冢君、百工と暨に、命を周に受く。王若(かく)のごとく曰く、「嗚呼(ああ)、群后よ、惟れ先王邦を建て土を啓く。公劉克く前烈を篤くし、大王に至りて、肇めて王跡を基し、王季其れ王家に勤む。我が文考文王、克く厥の勛を成し、誕いに天命を膺(う)け、以て方夏を撫す。大邦は其の力を畏れ、小邦は其の徳を懐く。惟れ九年、大統未だ集(な)らず。予小子其れ厥の志を承く。商の罪を厎(いた)し、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告げて、曰く、『惟れ有道の曾孫周王発、将に大いに商を正すこと有らんとす』と。今商王受無道にして、天物を暴殄し、烝民を害虐し、天下逋逃の主と為り、淵藪に萃(あつ)まる。予小子既に仁人を獲たり、敢て祇みて上帝を承け、以て乱略を遏(とど)めん。華夏蛮貊、率ひ俾(したが)はざる罔く、天の成命を恭しむ。肆に予東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女、厥の玄黄を篚(ひ)にして、我が周王を昭らかにす。天休震動し、用て我が大邑周に附く。惟れ爾神有り、尚はくは克く予を相け、以て兆民を済ひ、神の羞を作すこと無かれ。」既に戊午、師孟津を逾え、癸亥、商の郊に陳し、天の休命を俟つ。甲子昧爽、受其の旅を率ゐること林の若く、牧野に会す。我が師に敵する有る罔く、前徒戈を倒にし、後を攻めて以て北(に)ぐ、血流れて杵を漂はす。一たび戎衣して、天下大いに定まる。乃ち商の政を反し、政旧に由る。箕子の囚を釈き、比干の墓に封し、商容の閭に式す。鹿台の財を散じ、鉅橋の粟を発す。大いに四海に賚(たま)ひて、万姓悦服す。爵を列ぬること惟れ五、土を分かつこと惟れ三。官を建つること惟れ賢、事に位すること惟れ能。民の五教を重んじ、惟れ食・喪・祭。信を惇くし義を明らかにし、徳を崇び功に報い、垂拱して天下治まる。
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