史記 / 管蔡世家
管叔鮮、蔡叔度者,周文王子而武王弟也。
書き下し
管叔鮮・蔡叔度は、周の文王の子にして武王の弟なり。
現代語訳
管叔鮮と蔡叔度は、周の文王の子であり、武王の弟である。
解説
管蔡世家の書き出しの一文です。管叔鮮と蔡叔度は、周の文王の子で武王の弟にあたります。二人は武王の死後、幼い成王を補佐した兄の周公旦を疑い、殷の遺民を率いる武庚と組んで反乱を起こしたことで知られています。この世家は、反乱を起こして滅びた管叔と、罪を許された蔡叔の子孫が立てた蔡、さらに同じ文王の子である曹叔振鐸の曹の歴史をまとめたものです。司馬遷は冒頭で、まず二人が王族の兄弟であることを確認し、身内同士の争いがこの物語の出発点であることを示しています。この後に文王の十人の子の名が並べられ、兄弟それぞれの行く末が語られていきます。身内や近しい間柄だからこそ、疑いが生じたときに深刻な対立に発展しやすいことは、同族経営の企業でもよく見られる構図だと言えるでしょう。
関連する章句
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史記 管蔡世家伯邑考は、其の後封ぜらるる所を知らず。武王発は、其の後周と為り、本紀有りて言ふ。管叔鮮は乱を作して誅死し、後無し。周公旦は、其の後魯と為り、世家有りて言ふ。蔡叔度は、其の後蔡と為り、世家有りて言ふ。曹叔振鐸は、後有りて曹と為り、世家有りて言ふ。成叔武は、其の後世見ゆる所無し。霍叔処は、其の後晋の献公の時霍を滅ぼす。康叔封は、其の後衛と為り、世家有りて言ふ。冉季載は、其の後世見ゆる所無し。太史公曰く、管蔡乱を作し、載するに足る者無し。然れども周の武王崩じ、成王少く、天下既に疑ふ。同母の弟成叔・冉季の属十人の輔拂(ほひつ)と為るに頼り、是を以て諸侯卒に周を宗とす。故に之を世家に附して言ふ。曹叔振鐸は、周の武王の弟なり。武王已に殷の紂に克ち、叔振鐸を曹に封ず。叔振鐸卒し、子の太伯脾立つ。太伯卒し、子の仲君平立つ。仲君平卒し、子の宮伯侯立つ。宮伯侯卒し、子の孝伯云立つ。孝伯云卒し、子の夷伯喜立つ。夷伯の二十三年、周の厲王彘に奔る。三十年にして卒し、弟の幽伯彊立つ。幽伯の九年、弟の蘇幽伯を殺して代はり立つ。是を戴伯と為す。戴伯の元年、周の宣王已に立ちて三歳なり。三十年、戴伯卒し、子の恵伯兕立つ。恵伯の二十五年、周の幽王犬戎の殺す所と為る。因りて東に徙り、益々卑く、諸侯之に畔く。秦始めて列して諸侯と為る。三十六、恵伯卒し、子の石甫立つ。其の弟武之を殺して代はり立つ。是を繆公と為す。繆公三年にして卒し、子の桓公終生立つ。桓公の三十五年、魯の隠公立つ。四十五年、魯其の君隠公を弑す。四十六年、宋の華父督其の君殤公及び孔父を弑す。五十五年、桓公卒し、子の荘公夕姑立つ。
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史記 管蔡世家武王既に崩じ、成王少し、周公旦王室を専らにす。管叔・蔡叔周公の成王に利あらざらんとするを疑ひ、乃ち武庚を挟みて以て乱を作す。周公旦成王の命を承けて武庚を伐ち誅し、管叔を殺し、而して蔡叔を放つ。康叔封・冉季載皆馴行有り、是に於て周公康叔を挙げて周の司寇と為し、冉季を司空と為し、以て成王を佐けて治めしむ、皆天下に令名有り。
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史記 管蔡世家文王崩じて発立つに及ぶ。是を武王と為す。伯邑考既已に前に卒す。武王已に殷の紂に克ち、天下を平らげ、功臣昆弟を封ず。是に於て叔鮮を管に封じ、叔度を蔡に封ず。二人、紂の子武庚禄父に相として、殷の遺民を治む。叔旦を魯に封じて周に相たらしめ、周公と為す。叔振鐸を曹に封じ、叔武を成に封じ、叔処を霍に封ず。康叔封・冉季載は皆少くして、未だ封を得ず。
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史記 衛康叔世家衛の康叔、名は封、周の武王の同母の少弟なり。其の次に尚ほ冉季有り、冉季最も少し。武王已に殷の紂に克ち、復た殷の余民を以て紂の子武庚禄父を封じ、諸侯に比し、以て其の先祀を奉じて絶ゆること勿からしむ。武庚未だ集まらざるが為に、其の賊心有らんことを恐れ、武王乃ち其の弟管叔・蔡叔をして武庚禄父に傅相として、以て其の民を和せしむ。武王既に崩じ、成王少し。周公旦成王に代はりて治め、国に当たる。管叔・蔡叔周公を疑ひ、乃ち武庚禄父と乱を作し、成周を攻めんと欲す。周公旦成王の命を以て師を興して殷を伐ち、武庚禄父・管叔を殺し、蔡叔を放ち、武庚の殷の余民を以て康叔を封じて衛君と為し、河・淇の間の故の商墟に居らしむ。
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史記 管蔡世家武王の同母兄弟十人。其の長子を伯邑考と曰ひ、次を武王発と曰ひ、次を管叔鮮と曰ひ、次を周公旦と曰ふ。同母の昆弟十人、唯だ発・旦のみ賢にして、文王を左右輔く。故に文王伯邑考を舍きて発を以て太子と為す。
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史記 管蔡世家蔡叔度既に遷されて死す。其の子を胡と曰ふ。胡乃ち行ひを改め、徳に率ひ善に馴る。周公之を聞きて、胡を挙げて以て魯の卿士と為す。魯国治まる。是に於て周公成王に言ひ、復た胡を蔡に封じ、以て蔡叔の祀を奉ぜしむ。是を蔡仲と為す。余の五叔は皆国に就き、天子の吏と為る者無し。蔡仲卒し、子の蔡伯荒立つ。蔡伯荒卒し、子の宮侯立つ。宮侯卒し、子の厲侯立つ。厲侯卒し、子の武侯立つ。武侯の時、周の厲王国を失ひ、彘に奔り、共和政を行ひ、諸侯多く周に叛く。武侯卒し、子の夷侯立つ。夷侯の十一年、周の宣王即位す。二十八年、夷侯卒し、子の釐侯所事立つ。釐侯の三十九年、周の幽王犬戎の殺す所と為り、周室卑くして東に徙る。秦始めて列して諸侯と為るを得。四十八年、釐侯卒し、子の共侯興立つ。共侯二年にして卒し、子の戴侯立つ。戴侯十年にして卒し、子の宣侯措父立つ。宣侯の二十八年、魯の隠公初めて立つ。三十五年、宣侯卒し、子の桓侯封人立つ。桓侯の三年、魯其の君隠公を弑す。二十年、桓侯卒し、弟の哀侯献舞立つ。哀侯の十一年、初め、哀侯陳に娶り、息侯も亦た陳に娶る。息夫人将に帰(とつ)がんとして、蔡を過ぐ。蔡侯敬せず。息侯怒り、楚の文王に請ふ、「来たりて我を伐て。我救ひを蔡に求めん。蔡必ず来たらん。楚因りて之を撃たば、以て功有るべし」と。楚の文王之に従ひ、蔡の哀侯を虜にして以て帰る。哀侯留まること九歳、楚に死す。凡そ立ちて二十年にして卒す。蔡人其の子肸(きつ)を立つ。是を繆侯と為す。繆侯其の女弟を以て斉の桓公の夫人と為す。十八年、斉の桓公蔡女と船中に戯る。夫人舟を蕩(うご)かす。桓公之を止むるも止まず。公怒り、蔡女を帰すも、絶たざるなり。蔡侯怒り、其の弟を嫁がしむ。
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