史記 / 燕召公世家
謂郭隗曰:「齊因孤之國亂而襲破燕,孤極知燕小力少,不足以報。然誠得賢士以共國,以雪先王之恥,孤之願也。先生視可者,得身事之。」郭隗曰:「王必欲致士,先從隗始。況賢於隗者,豈遠千里哉!」於是昭王爲隗改筑宮而師事之。樂毅自魏往,鄒衍自齊往,劇辛自趙往,士爭趨燕。
新字:謂郭隗曰:「斉因孤之国乱而襲破燕,孤極知燕小力少,不足以報。然誠得賢士以共国,以雪先王之恥,孤之願也。先生視可者,得身事之。」郭隗曰:「王必欲致士,先従隗始。況賢於隗者,豈遠千里哉!」於是昭王為隗改筑宮而師事之。楽毅自魏往,鄒衍自斉往,劇辛自趙往,士争趨燕。
書き下し
燕昭王郭隗に謂ひて曰く、「誠に賢士を得て以て国を共にし、以て先王の恥を雪がんこと、孤の願ひなり。先生可なる者を視よ、身を得て之に事へん」と。郭隗曰く、「王必ず士を致さんと欲せば、先づ隗より始めよ。況んや隗より賢なる者、豈に千里を遠しとせんや」と。是に於て昭王隗の為に改めて宮を筑き之に師事す。楽毅魏より往き、鄒衍齊より往き、劇辛趙より往く、士争ひて燕に趨る。
現代語訳
燕の昭王は郭隗に言った。「まことに賢士を得て、国を共に治め、先王の恥をすすぎたい。それが私の願いだ。先生、適任者を見つけてくれ。その人を得て、私が仕えよう」。郭隗は言った。「王がどうしても士を招きたいとお思いなら、まずこの隗から始めてください。まして隗より賢い者ならば、千里の道を遠しとせず、やって来るでしょう」。そこで昭王は郭隗のために新しく屋敷を建て、師として仕えた。すると楽毅が魏から、鄒衍が齊から、劇辛が趙からやって来た。士たちは争って燕へ集まった。
解説
「まず、目の前にいる、この私を、厚く遇してください——そうすれば、私より優れた者が、千里の道も遠しとせず、集まってきます」——燕の昭王と、郭隗の、有名な「隗より始めよ」の逸話です。燕の昭王は、(齊に攻め込まれ、)国が、壊滅的に、破壊された、その後に、即位しました。国は、疲弊しきっており、彼には、亡き父王の、恥を雪ぐという、悲願がありました。そのために、何より必要なのは——優れた人材でした。そこで、昭王は、「身を低くし、厚い謝礼を用意して、賢者を、招こうと(卑身厚幣以招賢者)」しました。そして、賢者・郭隗に、こう、率直に、相談したのです。「(齊は、我が国の内乱に乗じて、燕を、打ち破った。)私は、燕が、小国で、力が乏しく、(とても、齊に)報復できる状態ではないことを、よく、承知している。しかし——それでも、なんとしても、優れた人材を得て、共に、国を治め、亡き先王の恥を、雪ぎたい。それが、私の、願いなのだ。先生、(どうか、)ふさわしい人物を、見つけてください。私は、(その人に、)身を尽くして、お仕えしよう」と。すると、郭隗の答えは、意表を突くものでした。「王が、本当に、優れた人材を、招き寄せたいと、お望みなら——まずは、(この)私、隗(=たいした人物ではない、目の前にいる、この私)から、(厚く遇することを、)始めてください(先從隗始)。——(そうすれば、天下の人々は、こう思うでしょう。)『あの、(たいしたことのない)郭隗ですら、あれほど、厚く遇されるのか。ならば、(郭隗よりも、)優れた自分は、もっと、厚く遇されるに違いない』と。——そうなれば、私より、賢明な人材たちが、千里の道のりを、遠いなどとは、思わずに、(こぞって、)やって来ることでしょう(豈遠千里哉)」と。昭王は、この、みごとな知恵に、従いました。郭隗のために、(わざわざ、)新しい宮殿を建て直し、彼を、師として、うやうやしく、仕えたのです。——すると、その効果は、絶大でした。(名将)楽毅が、魏から。(大学者)鄒衍が、齊から。(賢者)劇辛が、趙から。——天下の、優れた人材たちが、「われ先にと、燕へ、駆けつけた(士爭趨燕)」のです。(そして、この人材の力で、燕は、後に、齊を、打ち破ることになります。)ここに、人材を集めることについての教訓があります。第一に、優れた人材を、集めたいなら——「まだ見ぬ、遠くの、優秀な人材」を、追い求める前に、まず、「今、目の前にいる、(さほど、優秀でもないかもしれない)人材」を、心から、大切に、厚く、遇すること(先從隗始)。第二に、なぜなら——人々は、「あの組織は、(普通の)人材を、どう扱っているか」を、見ているからです。目の前の人を、粗末に扱う組織に、優れた人材が、来るはずが、ない。逆に、目の前の人を、大切にする組織には、「自分も、大切にされるだろう」と、優れた人材が、集まってくる。第三に、そして、その扱いは、(口先ではなく、)宮殿を建て、師として仕えるほどの、目に見える、本気の形で、示すこと。組織や採用で、遠くの優秀な人材を追う前にまず目の前の人材を心から大切に厚く遇すること、人々は「その組織が普通の人材をどう扱うか」を見ていると知ること、そしてその厚遇を口先でなく目に見える本気の形で示すこと——「隗より始めよ」は、人材が集まる組織の作り方を教えます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
燕昭王郭隗先従隗始隗より始めよ目の前の人材をまず厚く遇する豈遠千里哉
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