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史記 / 呉太伯世家

秋,吳伐楚,楚敗我師。四年,晉平公初立。十三年,王諸樊卒。有命授弟餘祭,欲傳以次,必致國於季札而止,以稱先王壽夢之意,且嘉季札之義,兄弟皆欲致國,令以漸至焉。季札封於延陵,故號曰延陵季子。王餘祭三年,齊相慶封有罪,自齊來犇吳。吳予慶封硃方之縣,以爲奉邑,以女妻之,富於在齊。四年,吳使季札聘於魯,請觀周樂。爲歌《周南》、《召南》,曰:「美哉,始基之矣,猶未也。然勤而不怨。」歌《邶》、《鄘》、《衞》,曰:「美哉,淵乎,憂而不困者也。吾聞衞康叔、武公之德如是,是其《衞風》乎?」歌《王》,曰:「美哉,思而不懼,其周之東乎?」歌《鄭》,曰:「其細已甚,民不堪也,是其先亡乎?」歌《齊》,曰:「美哉,泱泱乎大風也哉。表東海者,其太公乎?國未可量也。」歌《豳》,曰:「美哉,蕩蕩乎,樂而不淫,其周公之東乎?」歌《秦》,曰:「此之謂夏聲。夫能夏則大,大之至也,其周之舊乎?」歌《魏》,曰:「美哉,渢渢乎,大而婉,儉而易,行以德輔,此則盟主也。」歌《唐》,曰:「思深哉,其有陶唐氏之遺風乎?不然,何憂之遠也?非令德之後,誰能若是!」歌《陳》,曰:「國無主,其能久乎?」自《鄶》以下,無譏焉。歌《小雅》,曰:「美哉,思而不貳,怨而不言,其周德之衰乎?猶有先王之遺民也。」歌《大雅》,曰:「廣哉,熙熙乎,曲而有直體,其文王之德乎?」

新字:秋,呉伐楚,楚敗我師。四年,晋平公初立。十三年,王諸樊卒。有命授弟余祭,欲伝以次,必致国於季札而止,以称先王寿夢之意,且嘉季札之義,兄弟皆欲致国,令以漸至焉。季札封於延陵,故号曰延陵季子。王余祭三年,斉相慶封有罪,自斉来犇呉。呉予慶封硃方之県,以為奉邑,以女妻之,富於在斉。四年,呉使季札聘於魯,請観周楽。為歌《周南》、《召南》,曰:「美哉,始基之矣,猶未也。然勤而不怨。」歌《邶》、《鄘》、《衛》,曰:「美哉,淵乎,憂而不困者也。吾聞衛康叔、武公之徳如是,是其《衛風》乎?」歌《王》,曰:「美哉,思而不懼,其周之東乎?」歌《鄭》,曰:「其細已甚,民不堪也,是其先亡乎?」歌《斉》,曰:「美哉,泱泱乎大風也哉。表東海者,其太公乎?国未可量也。」歌《豳》,曰:「美哉,蕩蕩乎,楽而不淫,其周公之東乎?」歌《秦》,曰:「此之謂夏声。夫能夏則大,大之至也,其周之旧乎?」歌《魏》,曰:「美哉,渢渢乎,大而婉,倹而易,行以徳輔,此則盟主也。」歌《唐》,曰:「思深哉,其有陶唐氏之遺風乎?不然,何憂之遠也?非令徳之後,誰能若是!」歌《陳》,曰:「国無主,其能久乎?」自《鄶》以下,無譏焉。歌《小雅》,曰:「美哉,思而不貳,怨而不言,其周徳之衰乎?猶有先王之遺民也。」歌《大雅》,曰:「広哉,熙熙乎,曲而有直体,其文王之徳乎?」

書き下し

秋、呉、楚を伐つ。楚、我が師を敗る。四年、晋の平公初めて立つ。十三年、王諸樊卒す。命有りて弟余祭に授け、次を以て伝へ、必ず国を季札に致して止め、以て先王寿夢の意に称ひ、且つ季札の義を嘉せんと欲す。兄弟皆国を致さんと欲し、漸を以て至らしむ。季札は延陵に封ぜらる、故に号して延陵季子と曰ふ。王余祭の三年、斉の相慶封罪有り、斉より来りて呉に犇る。呉、慶封に朱方の県を予へて以て奉邑と為し、女を以て之に妻はす。斉に在りしより富めり。四年、呉、季札をして魯に聘せしむ。周の楽を観んことを請ふ。為に周南・召南を歌ふ。曰く、「美なるかな。始めて之を基せり、猶ほ未だしきなり。然れども勤めて怨みず」と。邶・鄘・衛を歌ふ。曰く、「美なるかな、淵なるかな、憂ふれども困しまざる者なり。吾聞く、衛の康叔・武公の徳是の如しと。是れ其れ衛風か」と。王を歌ふ。曰く、「美なるかな。思ひて懼れず、其れ周の東せしか」と。鄭を歌ふ。曰く、「其の細なること已だ甚だし、民堪へざるなり。是れ其れ先づ亡びんか」と。斉を歌ふ。曰く、「美なるかな、泱泱乎として大風なるかな。東海に表たる者は、其れ太公か。国未だ量る可からざるなり」と。豳を歌ふ。曰く、「美なるかな、蕩蕩乎として、楽しみて淫せず、其れ周公の東せしか」と。秦を歌ふ。曰く、「此れ之を夏声と謂ふ。夫れ能く夏なれば則ち大、大の至りなり。其れ周の旧か」と。魏を歌ふ。曰く、「美なるかな、渢渢乎として、大にして婉、倹にして易、行ふに徳を以て輔くれば、此れ則ち盟主なり」と。唐を歌ふ。曰く、「思ひ深きかな。其れ陶唐氏の遺風有るか。然らずんば、何ぞ憂ひの遠きや。令徳の後に非ずんば、誰か能く是の若くならん」と。陳を歌ふ。曰く、「国に主無し、其れ能く久しからんや」と。鄶より以下は、譏る無し。小雅を歌ふ。曰く、「美なるかな。思ひて弐かず、怨みて言はず、其れ周の徳の衰へたるか。猶ほ先王の遺民有るなり」と。大雅を歌ふ。曰く、「広きかな、熙熙乎として、曲にして直体有り、其れ文王の徳か」と。

現代語訳

秋、呉は楚を討ったが、楚が我が軍(呉軍)を破った。四年、晋の平公が即位した。十三年、王諸樊が亡くなった。諸樊は遺命によって弟の余祭に位を授け、兄弟の順に伝えていって、最後には必ず国を季札に渡して終わるようにし、それによって先王寿夢の意志にかない、また季札の義をたたえようとした。兄弟はみな国を季札に渡したいと望み、順々に季札にまで至るようにしたのである。季札は延陵に封じられたので、延陵季子と号した。王余祭の三年、斉の宰相慶封が罪を犯し、斉から逃げて呉に来た。呉は慶封に朱方の県を与えて領地とし、娘を妻とさせた。慶封は斉にいたときよりも富裕になった。四年、呉は季札を魯に使者として遣わした。季札は周の音楽を見たいと願い出た。魯の人々は季札のために「周南」「召南」を歌った。季札は言った。「美しい。周の王業の基礎を築き始めた歌だが、まだ完成してはいない。しかし民は勤勉に働いて恨んではいない」。「邶(はい)」「鄘(よう)」「衛」を歌った。季札は言った。「美しい。深みがある。憂えてはいても行き詰まってはいない歌だ。衛の康叔や武公の徳はこのようであったと聞いている。これは衛の国風であろうか」。「王(周の王畿の歌)」を歌った。季札は言った。「美しい。思い悩んでも恐れてはいない。周が東へ遷った後の歌であろうか」。「鄭」を歌った。季札は言った。「あまりにも細々としている。民は耐えられまい。この国が真っ先に滅びるのではないか」。「斉」を歌った。季札は言った。「美しい。広々として大国の風格がある。東海の諸国の手本となるのは、太公望の国であろうか。この国の将来は計り知れない」。「豳(ひん)」を歌った。季札は言った。「美しい。大らかで、楽しんでも度を越さない。周公が東征したときの歌であろうか」。「秦」を歌った。季札は言った。「これこそ夏声(中華の正しい音)というものだ。夏声を体得できれば大きくなる。大きさの極みである。周の旧地の歌であろうか」。「魏」を歌った。季札は言った。「美しい。ゆったりとして、大きくてしなやか、倹約でありながら平易である。これを徳によって補って行えば、盟主となれるだろう」。「唐(晋)」を歌った。季札は言った。「思いが深い。陶唐氏(堯)の遺風があるのだろうか。そうでなければ、どうしてこれほど遠い先まで憂えることができようか。立派な徳を持った者の子孫でなければ、誰がこのようにできるだろう」。「陳」を歌った。季札は言った。「国に主がいない。長続きできるだろうか」。「鄶(かい)」より後の歌には、季札は何も批評しなかった。「小雅」を歌った。季札は言った。「美しい。思い悩んでも心は背かず、恨んでも口には出さない。周の徳が衰えた時代の歌であろうか。それでもまだ先王の遺民がいるのだ」。「大雅」を歌った。季札は言った。「広々としている。和やかで、抑揚があっても本筋はまっすぐだ。文王の徳であろうか」。

解説

諸樊は死に際して兄弟の順に位を伝え、最後は必ず季札に渡すよう遺命しました。兄弟そろって末弟に国を譲ろうとした、呉の兄弟の美談です。後半は、季札が魯を訪れて周の音楽を聴き、国ごとの歌を批評する名場面で、『春秋左氏伝』にも見える話です。季札は歌の響きから、その国の政治と将来を見抜きます。鄭の歌は細かすぎて民が耐えられず真っ先に滅ぶ、斉の歌は大国の風があって将来が計り知れない、陳は国に主がいない、と一つずつ言い当てていきます。音楽はその国の民の心と政治の姿を映すという、儒家の音楽観がよく表れています。組織の雰囲気や言葉づかい、何気ない会話にも、その組織の健全さはにじみ出るものです。数字だけでなく、そうした兆しを読み取る感性が上に立つ人には求められます。

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