史記 / 呉太伯世家
壽夢子四人有り、季札賢にして、壽夢之を立てんと欲す、季札譲りて可かず。諸樊喪を除き、位を季札に譲る。季札謝して曰、国を有つは、吾が節に非ざるなり。札不材と雖も、願はくは子臧の義に附かんと。呉人固く季札を立てんとす、季札其の室を棄てて耕す、乃ち之を捨つ。王餘眛卒し、弟季札に授けんと欲す。季札譲りて、逃げ去る。
新字:寿夢子四人有り、季札賢にして、寿夢之を立てんと欲す、季札譲りて可かず。諸樊喪を除き、位を季札に譲る。季札謝して曰、国を有つは、吾が節に非ざるなり。札不材と雖も、願はくは子臧の義に附かんと。呉人固く季札を立てんとす、季札其の室を棄てて耕す、乃ち之を捨つ。王余眛卒し、弟季札に授けんと欲す。季札譲りて、逃げ去る。
書き下し
壽夢子四人有り、季札賢にして、壽夢之を立てんと欲す、季札譲りて可かず。諸樊喪を除き、位を季札に譲る。季札謝して曰く、「国を有つは、吾が節に非ざるなり。札不材と雖も、願はくは子臧の義に附かん」と。呉人固く季札を立てんとす、季札其の室を棄てて耕す、乃ち之を捨つ。王餘眛卒し、弟季札に授けんと欲す。季札譲りて、逃げ去る。
現代語訳
「何度、地位を勧められても、自らの信じる筋を曲げず、断固として、受けない」——呉の賢者・季札の、生涯を貫いた、地位への潔癖を描いた一段です。呉王・壽夢には、四人の息子がおり、末子の季札が、最も賢明でした。父・壽夢は、(長幼の順を破ってでも、)この季札を、後継の君主に立てたいと望みます。しかし、季札は、これを固辞して、受けませんでした。父の死後、長兄の諸樊が、(父の遺志を汲んで、)喪が明けると、改めて、君主の位を、季札に譲ろうとします。ここでも季札は、辞退して、こう述べました。「(かつて曹の国で、)子臧という人物は、(諸侯が、彼を君主に立てようとしたとき、)国を去って、それを避け、(正統な)曹の君主の位を、全うさせました。君子は、これを『よく節を守った』と、称えています。あなた(諸樊)は、(長子として、)正統な後継者です。誰が、あえて、あなたの位を、犯しましょうか。国を持つ(君主となる)ことは、私の、守るべき節(信念)では、ありません(有國、非吾節也)。私は、才なき者ですが、どうか、あの子臧の、(節を守った)義に、ならわせてください」と。それでも、呉の人々が、なおも強引に、季札を君主に立てようとすると——季札は、なんと、自分の家屋敷を、すべて捨てて、(田舎に隠れて、)自ら田を耕し始めたのです。ここまでされて、ようやく、人々は、あきらめました。さらに後年、兄の餘眛が亡くなり、(兄弟継承の順で、)またしても、季札に、位が回ってきたときも——季札は、これを譲って、(国から)逃げ去ってしまったのです。生涯を通じて、何度、地位を勧められても、断固として、受けませんでした。ここに、信念と地位についての教訓があります。第一に、どれほど、地位や権力を、勧められ、押しつけられても、それが、自らの信じる筋(節)に、合わないのであれば、断固として、受けない、その、揺るがぬ信念。季札にとって、「国を持つこと」は、自らの守るべき節では、なかった。地位は、望めば得られるものではなく、自らの信念に、照らして、受けるべきかを、判断するもの。第二に、そして、その信念を貫くためには、(家屋敷を捨てて耕し、国から逃げ去るという、)実際の、身を切る行動を、伴わせること。口先だけの辞退ではなく、退路を断つほどの、徹底さ。第三に、多くの人が、追い求める地位を、あえて求めない、という生き方も、また、一つの、気高い筋であるということ。組織や人生で、地位や権力が信じる筋に合わないなら断固として受けない信念を持つこと、その信念を実際の身を切る行動で示すこと、そして地位を求めない生き方もまた気高い筋だと理解すること——季札の生涯の辞退は、信念を貫くことの気高さを教えます。