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史記 / 楽書

著不息者天也,著不動者地也。一動一靜者,天地之閒也。故聖人曰「禮云樂云」。昔者舜作五弦之琴,以歌南風;夔始作樂,以賞諸侯。故天子之為樂也,以賞諸侯之有德者也。德盛而教尊,五穀時孰,然後賞之以樂。故其治民勞者,其舞行級遠;其治民佚者,其舞行級短。故觀其舞而知其德,聞其謚而知其行。大章,章之也;咸池,備也;韶,繼也;夏,大也;殷周之樂盡也。天地之道,寒暑不時則疾,風雨不節則饑。教者,民之寒暑也,教不時則傷世。事者,民之風雨也,事不節則無功。然則先王之為樂也,以法治也,善則行象德矣。夫豢豕為酒,非以為禍也;而獄訟益煩,則酒之流生禍也。是故先王因為酒禮,一獻之禮,賓主百拜,終日飲酒而不得醉焉,此先王之所以備酒禍也。故酒食者,所以合歡也。樂者,所以象德也;禮者,所以閉淫也。是故先王有大事,必有禮以哀之;有大福,必有禮以樂之:哀樂之分,皆以禮終。樂也者,施也;禮也者,報也。樂,樂其所自生;而禮,反其所自始。樂章德,禮報情反始也。所謂大路者,天子之輿也;龍旂九旒,天子之旌也;青黑緣者,天子之葆龜也;從之以牛羊之群,則所以贈諸侯也。

新字:著不息者天也,著不動者地也。一動一静者,天地之閒也。故聖人曰「礼云楽云」。昔者舜作五弦之琴,以歌南風;夔始作楽,以賞諸侯。故天子之為楽也,以賞諸侯之有徳者也。徳盛而教尊,五穀時孰,然後賞之以楽。故其治民労者,其舞行級遠;其治民佚者,其舞行級短。故観其舞而知其徳,聞其謚而知其行。大章,章之也;咸池,備也;韶,継也;夏,大也;殷周之楽尽也。天地之道,寒暑不時則疾,風雨不節則饑。教者,民之寒暑也,教不時則傷世。事者,民之風雨也,事不節則無功。然則先王之為楽也,以法治也,善則行象徳矣。夫豢豕為酒,非以為禍也;而獄訟益煩,則酒之流生禍也。是故先王因為酒礼,一献之礼,賓主百拝,終日飲酒而不得酔焉,此先王之所以備酒禍也。故酒食者,所以合歓也。楽者,所以象徳也;礼者,所以閉淫也。是故先王有大事,必有礼以哀之;有大福,必有礼以楽之:哀楽之分,皆以礼終。楽也者,施也;礼也者,報也。楽,楽其所自生;而礼,反其所自始。楽章徳,礼報情反始也。所謂大路者,天子之輿也;竜旂九旒,天子之旌也;青黒縁者,天子之葆亀也;従之以牛羊之群,則所以贈諸侯也。

書き下し

著れて息まざる者は天なり、著れて動かざる者は地なり。一動一静する者は、天地の間なり。故に聖人曰く「礼と云ひ楽と云ふ」と。昔者舜は五弦の琴を作り、以て南風を歌ふ。夔始めて楽を作り、以て諸侯を賞す。故に天子の楽を為すや、以て諸侯の徳有る者を賞するなり。徳盛んにして教へ尊く、五穀時に孰して、然る後に之を賞するに楽を以てす。故に其の民を治めて労する者は、其の舞行の級遠し。其の民を治めて佚する者は、其の舞行の級短し。故に其の舞を観て其の徳を知り、其の謚を聞きて其の行ひを知る。大章は、之を章かにするなり。咸池は、備はるなり。韶は、継ぐなり。夏は、大なり。殷周の楽は尽くすなり。天地の道は、寒暑時ならざれば則ち疾み、風雨節ならざれば則ち饑う。教へは、民の寒暑なり、教へ時ならざれば則ち世を傷る。事は、民の風雨なり、事節ならざれば則ち功無し。然らば則ち先王の楽を為すや、以て治に法るなり、善ければ則ち行ひ徳に象る。夫れ豕を豢ひ酒を為るは、以て禍を為すに非ざるなり。而るに獄訟益々煩しきは、則ち酒の流れの禍を生ずるなり。是の故に先王因りて酒礼を為り、一献の礼に、賓主百拝し、終日酒を飲めども酔ふを得ず、此れ先王の酒禍に備ふる所以なり。故に酒食は、歓を合する所以なり。楽は、徳に象る所以なり。礼は、淫を閉づる所以なり。是の故に先王は大事有れば、必ず礼有りて以て之を哀しみ、大福有れば、必ず礼有りて以て之を楽しむ。哀楽の分、皆礼を以て終はる。楽なる者は、施すなり。礼なる者は、報ゆるなり。楽は、其の自りて生ずる所を楽しみ、礼は、其の自りて始まる所に反る。楽は徳を章かにし、礼は情に報い始めに反るなり。所謂大路とは、天子の輿なり。龍旂九旒は、天子の旌なり。青黒の縁ある者は、天子の葆亀なり。之に従ふに牛羊の群れを以てするは、則ち諸侯に贈る所以なり。

現代語訳

はっきり現れてやむことがないのが天であり、はっきり現れて動かないのが地である。動いたり静まったりするのが天地の間(人の世)である。だから聖人は「礼といい、楽という」と言ったのだ。昔、舜は五弦の琴を作って「南風」の歌を歌った。夔ははじめて楽を作り、それで諸侯を褒賞した。だから天子が楽を作るのは、徳ある諸侯を褒賞するためである。徳が盛んで教化が尊ばれ、五穀が時節どおりに実ってから、楽によって褒賞するのである。だから民を治めて苦労させている者は、その舞の列の間隔が遠く(人数が少なく)、民を治めて安楽にさせている者は、その舞の列の間隔が短い(人数が多い)。だからその舞を見ればその徳が分かり、その諡を聞けばその行いが分かる。(堯の楽の)「大章」は徳を明らかにするという意味、(黄帝の楽の)「咸池」は備わるという意味、(舜の楽の)「韶」は継ぐという意味、(禹の楽の)「夏」は大きいという意味であり、殷・周の楽は(人事を)尽くすという意味である。天地の道では、寒暑が時節に合わなければ病気が起こり、風雨が適度でなければ飢饉になる。教化は民にとっての寒暑であり、教化が時にかなわなければ世を損なう。事業は民にとっての風雨であり、事業に節度がなければ成果は上がらない。そうであれば、先王が楽を作ったのは、治世の手本とするためであり、よければ行いが徳にかなうのである。そもそも豚を飼い酒を造るのは、災いを起こすためではない。ところが訴訟がますます増えるのは、酒の流れ(飲み過ぎ)が災いを生むからである。そこで先王は酒の礼を作った。一献の礼では主客が百回も拝礼し、一日中酒を飲んでも酔えないようにした。これが先王が酒の災いに備えたやり方である。だから酒や食事は喜びを共にするためのものである。楽は徳をかたどるためのものであり、礼はみだらさを閉ざすためのものである。こういうわけで先王は、大きな不幸(喪)があれば必ず礼によってこれを悲しみ、大きな幸せがあれば必ず礼によってこれを喜んだ。悲しみも喜びも、その分け方はみな礼によって締めくくられる。楽は施すものであり、礼は報いるものである。楽は、自分を生み出したもの(徳)を楽しみ、礼は、自分の始まったところ(祖先)に立ち返る。楽は徳を明らかにし、礼は恩に報いて始まりに立ち返るのである。いわゆる大路とは天子の車であり、龍を描いた九つの吹き流しの旗は天子の旗であり、青黒い縁取りのあるものは天子の宝の亀甲である。これに牛や羊の群れを添えるのは、諸侯に贈り物をするためである。

解説

『礼記』楽記篇の続きです。舜が五弦の琴で「南風」を歌い、夔が楽を作って諸侯を褒賞したという伝承を引き、楽は徳ある者への褒美であり、舞の人数でその君主の治績が分かると説きます。教化は民にとっての寒暑、事業は民にとっての風雨であり、どちらも時節と節度を誤れば害になるという比喩はとても分かりやすいものです。後半の酒の礼の話は特に身近で、豚を飼い酒を造るのは本来災いのためではないのに、飲み過ぎから争いや訴訟が増えるので、先王は百回も拝礼する酒礼を作って、一日飲んでも酔えないようにしたといいます。楽しみそのものを禁じるのではなく、作法で自然に節度をかける工夫です。宴席の乱れを規則で縛るより、場の作法で整えるほうがうまくいくことは、今の職場の懇親会にも当てはまります。

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