史記 / 呂太后本紀
太尉復令酈寄與典客劉揭先說呂祿曰:「帝使太尉守北軍,欲足下之國,急歸將印辭去,不然,禍且起。」呂祿以為酈兄不欺己,遂解印屬典客,而以兵授太尉。太尉將之入軍門,行令軍中曰:「為呂氏右袒,為劉氏左袒。」軍中皆左袒為劉氏。太尉行至,將軍呂祿亦已解上將印去,太尉遂將北軍。然尚有南軍。平陽侯聞之,以呂產謀告丞相平,丞相平乃召朱虛侯佐太尉。太尉令朱虛侯監軍門。令平陽侯告衛尉:「毋入相國產殿門。」呂產不知呂祿已去北軍,乃入未央宮,欲為亂,殿門弗得入,裴回往來。平陽侯恐弗勝,馳語太尉。太尉尚恐不勝諸呂,未敢訟言誅之,乃遣朱虛侯謂曰:「急入宮衛帝。」朱虛侯請卒,太尉予卒千餘人。入未央宮門,遂見產廷中。日餔時,遂擊產。產走,天風大起,以故其從官亂,莫敢鬬。逐產,殺之郎中府吏廁中。朱虛侯已殺產,帝命謁者持節勞朱虛侯。朱虛侯欲奪節信,謁者不肯,朱虛侯則從與載,因節信馳走,斬長樂衛尉呂更始。還,馳入北軍,報太尉。太尉起,拜賀朱虛侯曰:「所患獨呂產,今已誅,天下定矣。」遂遣人分部悉捕諸呂男女,無少長皆斬之。辛酉,捕斬呂祿,而笞殺呂嬃。使人誅燕王呂通,而廢魯王偃。
新字:太尉復令酈寄与典客劉掲先説呂禄曰:「帝使太尉守北軍,欲足下之国,急帰将印辞去,不然,禍且起。」呂禄以為酈兄不欺己,遂解印属典客,而以兵授太尉。太尉将之入軍門,行令軍中曰:「為呂氏右袒,為劉氏左袒。」軍中皆左袒為劉氏。太尉行至,将軍呂禄亦已解上将印去,太尉遂将北軍。然尚有南軍。平陽侯聞之,以呂産謀告丞相平,丞相平乃召朱虚侯佐太尉。太尉令朱虚侯監軍門。令平陽侯告衛尉:「毋入相国産殿門。」呂産不知呂禄已去北軍,乃入未央宮,欲為乱,殿門弗得入,裴回往来。平陽侯恐弗勝,馳語太尉。太尉尚恐不勝諸呂,未敢訟言誅之,乃遣朱虚侯謂曰:「急入宮衛帝。」朱虚侯請卒,太尉予卒千余人。入未央宮門,遂見産廷中。日餔時,遂撃産。産走,天風大起,以故其従官乱,莫敢闘。逐産,殺之郎中府吏廁中。朱虚侯已殺産,帝命謁者持節労朱虚侯。朱虚侯欲奪節信,謁者不肯,朱虚侯則従与載,因節信馳走,斬長楽衛尉呂更始。還,馳入北軍,報太尉。太尉起,拝賀朱虚侯曰:「所患独呂産,今已誅,天下定矣。」遂遣人分部悉捕諸呂男女,無少長皆斬之。辛酉,捕斬呂禄,而笞殺呂嬃。使人誅燕王呂通,而廃魯王偃。
書き下し
太尉復た酈寄と典客劉掲とをして先づ呂禄に説かしめて曰く、「帝太尉をして北軍を守らしめ、足下の国に之かんことを欲す、急ぎ将の印を帰して辞し去れ、然らずんば、禍且に起こらんとす。」と。呂禄以為へらく酈兄己を欺かずと、遂に印を解きて典客に属し、而して兵を以て太尉に授く。太尉之を将ゐて軍門に入り、軍中に行令して曰く、「呂氏の為にする者は右袒せよ、劉氏の為にする者は左袒せよ。」と。軍中皆左袒して劉氏の為にす。太尉行きて至る、将軍呂禄も亦已に上将の印を解きて去る、太尉遂に北軍に将たり。然れども尚ほ南軍有り。平陽侯之を聞き、呂産の謀を以て丞相平に告ぐ、丞相平乃ち朱虚侯を召して太尉を佐けしむ。太尉朱虚侯をして軍門を監せしむ。平陽侯をして衛尉に告げしむ、「相国産を殿門に入るる毋かれ。」と。呂産呂禄の已に北軍を去るを知らず、乃ち未央宮に入り、乱を為さんと欲す、殿門入るを得ず、裴回(はいくわい)往来す。平陽侯勝たざらんことを恐れ、馳せて太尉に語る。太尉尚ほ諸呂に勝たざらんことを恐れ、未だ敢へて訟(おほやけ)に之を誅せんと言はず、乃ち朱虚侯を遣はして謂はしめて曰く、「急ぎ宮に入りて帝を衛れ。」と。朱虚侯卒を請ふ、太尉卒千余人を予ふ。未央宮の門に入り、遂に産を廷中に見る。日餔(にちほ)の時、遂に産を撃つ。産走る、天風大いに起こる、故を以て其の従官乱れ、敢へて鬬ふ莫し。産を逐ひ、之を郎中府の吏の廁中に殺す。朱虚侯已に産を殺す、帝謁者をして節を持して朱虚侯を労はしむ。朱虚侯節信を奪はんと欲す、謁者肯ぜず、朱虚侯則ち従ひて与に載り、節信に因りて馳走し、長楽の衛尉呂更始を斬る。還り、馳せて北軍に入り、太尉に報ず。太尉起ち、朱虚侯を拝賀して曰く、「患ふる所は独り呂産のみ、今已に誅す、天下定まれり。」と。遂に人を遣はして部を分かちて悉く諸呂の男女を捕へ、少長と無く皆之を斬る。辛酉、呂禄を捕へて斬り、而して呂嬃を笞殺す。人をして燕王呂通を誅せしめ、而して魯王偃を廃す。
現代語訳
太尉(周勃)はさらに酈寄と典客(外交担当の長官)の劉掲を先に行かせ、呂禄に説かせた。「帝は太尉に北軍を守らせ、あなたには自国に赴いてほしいとお考えだ。急いで将軍の印を返して立ち去りなさい。そうしなければ禍が起こるだろう」。呂禄は酈兄(酈寄)が自分をだますはずがないと思い、とうとう印を解いて典客に預け、兵を太尉に引き渡した。太尉は兵を率いて軍門に入り、軍中に号令して言った。「呂氏に味方する者は右肩を脱げ。劉氏に味方する者は左肩を脱げ」。軍中の者は皆左肩を脱いで劉氏に味方した。太尉が軍に到着した頃には、将軍呂禄もすでに上将軍の印を解いて立ち去っていたので、太尉はついに北軍を率いることになった。しかしまだ南軍が残っていた。平陽侯はこれを聞くと、呂産の謀略を丞相陳平に告げた。丞相陳平は朱虚侯を呼び寄せて太尉を補佐させた。太尉は朱虚侯に軍門を監督させた。平陽侯には衛尉(宮門の警備長官)に「相国呂産を宮殿の門に入れてはならない」と伝えさせた。呂産は呂禄がすでに北軍を去ったことを知らず、未央宮に入って乱を起こそうとしたが、宮殿の門に入ることができず、あたりを行ったり来たりしていた。平陽侯は勝てないのではないかと恐れ、馬を走らせて太尉に告げた。太尉はなお呂氏一族に勝てないのではないかと恐れ、まだ公然と呂氏を誅すると口にすることはできなかった。そこで朱虚侯を遣わして、「急いで宮中に入って帝をお守りせよ」と言わせた。朱虚侯が兵を求めると、太尉は兵千余人を与えた。朱虚侯は未央宮の門に入り、ついに呂産を宮廷の中で見つけた。日暮れ時、ついに呂産を攻撃した。呂産は逃げたが、そのとき大風が吹き起こったので、呂産の従者たちは混乱し、誰も戦おうとしなかった。呂産を追いかけ、郎中府の役人の厠の中で殺した。朱虚侯が呂産を殺すと、帝は謁者(取次ぎ役)に符節を持たせて朱虚侯をねぎらわせた。朱虚侯はその符節を奪おうとしたが、謁者が承知しなかったので、朱虚侯は謁者と同じ車に乗り込み、その符節を頼りに馬を走らせ、長楽宮の衛尉の呂更始を斬った。引き返して北軍に馬で駆け込み、太尉に報告した。太尉は立ち上がって朱虚侯に拝礼して祝い、「心配していたのは呂産だけだった。いまそれを誅したから、天下は定まった」と言った。そこで人を遣わして手分けし、呂氏一族の男女をことごとく捕らえ、年の若い者も年長の者も皆斬った。辛酉の日、呂禄を捕らえて斬り、呂嬃を鞭で打ち殺した。人をやって燕王呂通を誅殺し、魯王張偃を廃した。
解説
関連する章句
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史記 呂太后本紀列侯群臣自ら其の命を堅くする莫し。太尉絳侯勃軍中に入りて兵を主るを得ず。曲周侯酈商老い病み、其の子寄呂禄と善し。絳侯乃ち丞相陳平と謀り、人をして酈商を劫かさしむ。其の子寄をして往きて紿(あざむ)きて呂禄に説かしめて曰く、「高帝呂后と共に天下を定む、劉氏の立つる所の九王、呂氏の立つる所の三王、皆大臣の議なり、事已に諸侯に布告し、諸侯皆以て宜しと為す。今太后崩じ、帝少し、而して足下趙王の印を佩び、急ぎ国に之きて藩を守らず、乃ち上将と為り、兵を将ゐて此に留まる、大臣諸侯の疑ふ所と為る。足下何ぞ印を帰し、兵を以て太尉に属せざる。請ふ梁王をして相国の印を帰し、大臣と盟ひて国に之かしめば、斉の兵必ず罷め、大臣安んずるを得、足下枕を高くして千里に王たらん、此れ万世の利なり。」と。呂禄信に其の計を然りとし、将の印を帰し、兵を以て太尉に属せんと欲す。人をして呂産及び諸呂の老人に報ぜしむ、或いは以て便と為し、或いは便ならずと曰ひ、計猶予して未だ決する所有らず。呂禄酈寄を信じ、時に与に出でて游猟す。其の姑呂嬃を過ぐ、嬃大いに怒りて、曰く、「若将と為りて軍を棄つ、呂氏今に処無からん。」と。乃ち悉く珠玉宝器を出だして堂下に散じて、曰く、「他人の為に守る毋からん。」と。左丞相食其免ぜらる。八月庚申の旦、平陽侯窋御史大夫の事を行ひ、相国産に見えて事を計る。郎中令賈寿使ひして斉より来り、因りて産を数めて曰く、「王蚤く国に之かず、今行かんと欲すと雖も、尚ほ得べけんや。」と。具に灌嬰の斉楚と合従し、諸呂を誅せんと欲するを以て産に告げ、乃ち産を趣して急ぎ宮に入らしむ。平陽侯頗る其の語を聞き、乃ち馳せて丞相・太尉に告ぐ。太尉北軍に入らんと欲す、入るを得ず。襄平侯通符節を尚(つかさど)る。乃ち節を持して矯りて太尉を北軍に内(い)れしむ。
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史記 呂太后本紀朱虚侯中より大臣と応を為さんと欲す。斉王兵を発せんと欲す、其の相聴かず。八月丙午、斉王人をして相を誅せしめんと欲す、相召平乃ち反し、兵を挙げて王を囲まんと欲す、王因りて其の相を殺し、遂に兵を発して東し、詐りて瑯邪王の兵を奪ひ、并せて之に将として西す。語は斉王の語中に在り。斉王乃ち諸侯王に書を遺りて曰く、「高帝天下を平定し、諸子弟を王とし、悼恵王斉に王たり。悼恵王薨ず、孝恵帝留侯良をして臣を立てて斉王と為さしむ。孝恵崩じ、高后事を用ゐ、春秋高く、諸呂に聴き、擅に帝を廃して更に立て、又比(しき)りに三趙王を殺し、梁・趙・燕を滅ぼして以て諸呂を王とし、斉を分かちて四と為す。忠臣進諫するも、上惑乱して聴かず。今高后崩じ、而して帝春秋富み、未だ天下を治むる能はず、固より大臣諸侯を恃む。而るに諸呂又擅に自ら官を尊くし、兵を聚めて威を厳しくし、列侯忠臣を劫かし、制を矯めて以て天下に令す、宗廟の危ふき所以なり。寡人兵を率ゐて入りて当に王たるべからざる者を誅せん。」と。漢之を聞き、相国呂産等乃ち潁陰侯灌嬰を遣はして兵を将ゐて之を撃たしむ。灌嬰滎陽に至り、乃ち謀りて曰く、「諸呂兵を関中に権(にぎ)り、劉氏を危ふくして自立せんと欲す。今我斉を破りて還り報ぜば、此れ呂氏の資を益すなり。」と。乃ち留まりて滎陽に屯し、使をして斉王及び諸侯に諭さしめ、与に連和し、以て呂氏の変を待ちて、共に之を誅せんとす。斉王之を聞き、乃ち兵を還して西界に約を待つ。呂禄・呂産乱を関中に発せんと欲す、内には絳侯・朱虚等を憚り、外には斉・楚の兵を畏れ、又灌嬰の之に畔(そむ)かんことを恐れ、灌嬰の兵の斉と合するを待ちて発せんと欲し、猶予して未だ決せず。是の時に当たりて、済川王太・淮陽王武・常山王朝は名づけて少帝の弟と為し、及び魯元王は呂后の外孫にして、皆年少くして未だ国に之かず、長安に居る。趙王禄・梁王産各々兵を将ゐて南北軍に居る、皆呂氏の人なり。
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史記 斉悼恵王世家章曰く、「深く耕し穊く種ゑ、苗を立つるは疏らならんことを欲す、其の種に非ざる者は、鉏きて之を去る」と。呂后默然たり。頃之くして、諸呂に一人酔ひて、酒を亡るる有り、章追ひ、剣を抜きて之を斬り、而して還りて報じて曰く、「酒を亡るる者一人有り、臣謹んで法を行ひて之を斬る」と。太后の左右皆大いに驚く。業已に其の軍法を許す、以て罪する無きなり。因りて罷む。是より後、諸呂朱虚侯を憚り、大臣と雖も皆朱虚侯に依る、劉氏益々彊しと為す。其の明年、高后崩ず。趙王呂禄上将軍と為り、呂王産相国と為り、皆長安中に居り、兵を聚めて以て大臣を威し、乱を為さんと欲す。朱虚侯章呂禄の女を以て婦と為し、其の謀を知り、乃ち人をして陰かに出でて其の兄斉王に告げしめ、兵を発して西せしめんと欲す、朱虚侯・東牟侯は内応を為し、以て諸呂を誅し、因りて斉王を立てて帝と為さんとす。斉王既に此の計を聞き、乃ち其の舅父駟鈞・郎中令祝午・中尉魏勃と陰かに兵を発せんと謀る。斉の相召平之を聞き、乃ち卒を発して王宮を衛る。魏勃召平を紿きて曰く、「王兵を発せんと欲するも、漢の虎符の験有るに非ざるなり。而して相君王を囲むは、固より善し。勃請ふ君の為に兵を将ゐて衛りて王を衛らん」と。召平之を信じ、乃ち魏勃をして兵を将ゐて王宮を囲ましむ。勃既に兵を将ゐ、相府を囲ましむ。召平曰く、「嗟乎、道家の言に『当に断ずべくして断ぜざれば、反りて其の乱を受く』と、乃ち是なり」と。遂に自殺す。是に於て斉王駟鈞を以て相と為し、魏勃を将軍と為し、祝午を内史と為し、悉く国中の兵を発す。祝午をして東のかた瑯邪王を詐らしめて曰く、「呂氏乱を作す、斉王兵を発して西して之を誅せんと欲す。斉王自ら児子にして、年少く、兵革の事に習はざるを以て、国を挙げて大王に委ねんことを願ふ。大王は高帝より将たり、戦事に習ふ。斉王敢へて兵を離れず、臣をして大王に請ひて臨菑に幸して斉王に見えて事を計り、并せて斉の兵を将ゐて以て西のかた関中の乱を平らげしめんとす」と。
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史記 呂太后本紀高后已に葬る、左丞相審食其を以て帝の太傅と為す。朱虚侯劉章気力有り、東牟侯興居は其の弟なり。皆斉の哀王の弟にして、長安に居る。是の時に当たりて、諸呂事を用ゐて権を擅にし、乱を為さんと欲す、高帝の故の大臣絳・灌等を畏れ、未だ敢へて発せず。朱虚侯の婦は、呂禄の女なり、陰かに其の謀を知る。誅せられんことを恐れ、乃ち陰かに人をして其の兄斉王に告げしめ、兵を発して西せしめ、諸呂を誅して立たしめんと欲す。
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史記 呂太后本紀十一月、太后王陵を廃せんと欲し、乃ち拝して帝の太傅と為し、之が相権を奪ふ。王陵遂に病みて免ぜられて帰る。乃ち左丞相平を以て右丞相と為し、辟陽侯審食其を以て左丞相と為す。左丞相事を治めず、宮中を監せしむること、郎中令の如し。食其故より太后に幸せらるるを得て、常に事を用ゐ、公卿皆因りて事を決す。乃ち酈侯の父を追尊して悼武王と為し、以て諸呂を王とする漸と為さんと欲す。四月、太后諸呂を侯とせんと欲し、乃ち先づ高祖の功臣郎中令無択を封じて博城侯と為す。魯元公主薨ず、謚を賜ひて魯元太后と為す。子偃を魯王と為す。魯王の父は、宣平侯張敖なり。斉の悼恵王の子章を封じて朱虚侯と為し、呂禄の女を以て之に妻はす。斉の丞相寿を平定侯と為す。少府延を梧侯と為す。乃ち呂種を封じて沛侯と為し、呂平を扶柳侯と為し、張買を南宮侯と為す。太后呂氏を王とせんと欲し、先づ孝恵の後宮の子彊を立てて淮陽王と為し、子不疑を常山王と為し、子山を襄城侯と為し、子朝を軹侯と為し、子武を壺関侯と為す。太后大臣に風す、大臣酈侯呂台を立てて呂王と為さんことを請ふ、太后之を許す。建成の康侯釈之卒す、嗣子罪有り、廃す、其の弟呂禄を立てて胡陵侯と為し、康侯の後を続がしむ。二年、常山王薨ず、其の弟襄城侯山を以て常山王と為し、名を義と更む。十一月、呂王台薨ず、謚して粛王と為す、太子嘉代はり立ちて王と為る。三年、事無し。四年、呂嬃を封じて臨光侯と為し、呂他を兪侯と為し、呂更始を贅其侯と為し、呂忿を呂城侯と為し、及び諸侯の丞相五人を封ず。宣平侯の女孝恵の皇后為りし時、子無し、詳りて身有りと為し、美人の子を取りて之に名づけ、其の母を殺し、名づくる所の子を立てて太子と為す。孝恵崩じ、太子立ちて帝と為る。
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史記 絳侯周勃世家勃は人と為り木彊敦厚にして、高帝以為へらく大事を属すべしと。勃は文学を好まず、諸生説士を召す毎に、東郷して坐して之を責む、「趣やかに我が為に語れ」と。其の椎にして文少なきこと此くの如し。勃既に燕を定めて帰るに、高祖已に崩ぜり、列侯を以て孝恵帝に事ふ。孝恵帝の六年、太尉の官を置き、勃を以て太尉と為す。十歳にして、高后崩ず。呂禄趙王を以て漢の上将軍と為り、呂産呂王を以て漢の相国と為り、漢の権を秉り、劉氏を危うくせんと欲す。勃太尉たれども、軍門に入るを得ず。陳平丞相たれども、事に任ずるを得ず。是に於いて勃平と謀り、卒に諸呂を誅して孝文皇帝を立つ。其の語は呂后・孝文の事の中に在り。文帝既に立ち、勃を以て右丞相と為し、金五千斤を賜ひ、食邑万戸なり。居ること月余、人或ひと勃に説きて曰く、「君既に諸呂を誅し、代王を立て、威天下を震はす、而して君厚賞を受け、尊位に処り、寵を以てす、之を久しくせば即ち禍身に及ばん」と。勃懼れ、亦自ら危ぶみ、乃ち謝して相印を帰さんことを請ふ。上之を許す。歳余にして、丞相平卒し、上復た勃を以て丞相と為す。十余月にして、上曰く、「前日吾列侯に詔して国に就かしむるに、或いは未だ行く能はず、丞相は吾が重んずる所なり、其れ之に率先せよ」と。乃ち相を免ぜられて国に就く。歳余、河東の守尉県を行りて絳に至る毎に、絳侯勃自ら誅せらるるを畏れ恐れ、常に甲を被り、家人をして兵を持たしめて以て之に見ゆ。其の後人上書して勃反せんと欲すと告ぐる有り、廷尉に下す。廷尉其の事を長安に下し、勃を逮捕して之を治む。勃恐れ、辞を置くを知らず。吏稍く之を侵辱す。勃千金を以て獄吏に与ふ、獄吏乃ち牘の背に書して之に示して曰く、「公主を以て証と為せ」と。公主は、孝文帝の女なり、勃の太子勝之之を尚る、故に獄吏引きて証と為さしむ。勃の益封受賜は、尽く以て薄昭に予ふ。係ること急なるに及び、薄昭為に薄太后に言ひ、太后も亦以為へらく反事無しと。
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