史記 / 李斯列伝
高自知權重,乃獻鹿,謂之馬。二世問左右:「此乃鹿也?」左右皆曰「馬也」。二世驚,自以為惑,乃召太卜,令卦之,太卜曰:「陛下春秋郊祀,奉宗廟鬼神,齋戒不明,故至于此。可依盛德而明齋戒。」於是乃入上林齋戒。日游弋獵,有行人入上林中,二世自射殺之。趙高教其女婿咸陽令閻樂劾不知何人賊殺人移上林。高乃諫二世曰:「天子無故賊殺不辜人,此上帝之禁也,鬼神不享,天且降殃,當遠避宮以禳之。」二世乃出居望夷之宮。留三日,趙高詐詔衛士,令士皆素服持兵內鄉,入告二世曰:「山東群盜兵大至!」二世上觀而見之,恐懼,高既因劫令自殺。引璽而佩之,左右百官莫從;上殿,殿欲壞者三。高自知天弗與,群臣弗許,乃召始皇弟,授之璽。子嬰既位,患之,乃稱疾不聽事,與宦者韓談及其子謀殺高。高上謁,請病,因召入,令韓談刺殺之,夷其三族。子嬰立三月,沛公兵從武關入,至咸陽,羣臣百官皆畔,不適。子嬰與妻子自系其頸以組,降軹道旁。沛公因以屬吏。項王至而斬之。遂以亡天下。
新字:高自知権重,乃献鹿,謂之馬。二世問左右:「此乃鹿也?」左右皆曰「馬也」。二世驚,自以為惑,乃召太卜,令卦之,太卜曰:「陛下春秋郊祀,奉宗廟鬼神,斎戒不明,故至于此。可依盛徳而明斎戒。」於是乃入上林斎戒。日游弋猟,有行人入上林中,二世自射殺之。趙高教其女婿咸陽令閻楽劾不知何人賊殺人移上林。高乃諫二世曰:「天子無故賊殺不辜人,此上帝之禁也,鬼神不享,天且降殃,当遠避宮以禳之。」二世乃出居望夷之宮。留三日,趙高詐詔衛士,令士皆素服持兵内郷,入告二世曰:「山東群盗兵大至!」二世上観而見之,恐懼,高既因劫令自殺。引璽而佩之,左右百官莫従;上殿,殿欲壊者三。高自知天弗与,群臣弗許,乃召始皇弟,授之璽。子嬰既位,患之,乃称疾不聴事,与宦者韓談及其子謀殺高。高上謁,請病,因召入,令韓談刺殺之,夷其三族。子嬰立三月,沛公兵従武関入,至咸陽,羣臣百官皆畔,不適。子嬰与妻子自系其頸以組,降軹道旁。沛公因以属吏。項王至而斬之。遂以亡天下。
書き下し
高自ら権の重きを知り、乃ち鹿を献じて、之を馬と謂ふ。二世左右に問ふ、「此れ乃ち鹿なるか」と。左右皆曰く「馬なり」と。二世驚き、自ら以て惑へりと為し、乃ち太卜を召して之を卦せしむ。太卜曰く、「陛下春秋に郊祀し、宗廟鬼神を奉ずるに、斎戒明らかならず。故に此に至る。盛徳に依りて斎戒を明らかにすべし」と。是に於て乃ち上林に入りて斎戒す。日に游弋猟す。行人の上林中に入る有り。二世自ら射て之を殺す。趙高其の女婿咸陽の令閻楽をして、何人かの人を賊殺して上林に移せしを知らずと劾せしむ。高乃ち二世を諫めて曰く、「天子故無くして不辜の人を賊殺するは、此れ上帝の禁なり。鬼神享けず、天且に殃を降さんとす。当に宮を遠く避けて以て之を禳ふべし」と。二世乃ち出でて望夷の宮に居る。留まること三日、趙高詐りて衛士に詔し、士をして皆素服して兵を持ちて内に郷はしめ、入りて二世に告げて曰く、「山東の群盗の兵大いに至る」と。二世上りて観て之を見、恐懼す。高既に因りて劫かして自殺せしむ。璽を引きて之を佩ぶ。左右百官従ふ莫し。殿に上れば、殿壊れんと欲する者三たび。高自ら天の与せず、群臣の許さざるを知り、乃ち始皇の弟を召し、之に璽を授く。子嬰既に位につき、之を患へ、乃ち疾と称して事を聴かず、宦者韓談及び其の子と高を殺さんことを謀る。高上謁して、病を請ふ。因りて召し入れ、韓談をして刺して之を殺さしめ、其の三族を夷す。子嬰立ちて三月、沛公の兵武関より入り、咸陽に至る。群臣百官皆畔き、適はず。子嬰妻子と自ら其の頸に系くるに組を以てし、軹道の旁に降る。沛公因りて以て吏に属す。項王至りて之を斬る。遂に以て天下を亡ふ。
現代語訳
趙高は自分の権力が重いことを知ると、鹿を献上して、これは馬だと言った。二世は側近たちに「これは鹿ではないのか」と尋ねたが、側近たちはみな「馬だ」と答えた。二世は驚き、自分の頭がおかしくなったのだと思って、太卜(占いの長官)を呼んで占わせた。太卜は言った。「陛下は春と秋に郊外で天地を祭り、宗廟や鬼神にお仕えする際、斎戒が十分でなかった。だからこうなったのだ。盛んな徳に頼って、斎戒をきちんとなさるべきだ」。そこで二世は上林苑に入って斎戒したが、毎日のように狩りをして遊んだ。あるとき旅人が上林苑に入り込み、二世は自ら射殺した。趙高は娘婿である咸陽の県令閻楽に、何者かが人を殺して死体を上林苑に移した、犯人は不明だ、と訴えさせた。そのうえで趙高は二世を諫めて言った。「天子がわけもなく罪のない人を殺すのは、天帝の禁じるところだ。鬼神は祭りを受けず、天は災いを下そうとしている。宮殿から遠く離れて、おはらいをなさるべきだ」。二世はそこで出て望夷宮に移った。三日とどまったとき、趙高はいつわりの詔で衛兵たちに命じ、みな白い喪服を着て武器を持ち、宮殿の内に向かわせ、自ら入って二世に告げた。「山東の群盗の大軍がやって来た」。二世が高殿に上って見ると兵が迫っており、恐れおののいた。趙高はそこに乗じて二世を脅し、自害させた。趙高は玉璽を取って身に帯びたが、側近も百官も誰も従わなかった。趙高が殿に上ると、殿が崩れそうになることが三度あった。趙高は、天も味方せず群臣も許さないことを悟り、始皇帝の弟を呼んで玉璽を授けた。子嬰は即位すると趙高を危ぶみ、病と称して政務を執らず、宦官の韓談とその子とともに趙高を殺そうと謀った。趙高が見舞いの謁見を願い出ると、子嬰は彼を呼び入れ、韓談に刺し殺させて、その三族を皆殺しにした。子嬰が即位して三か月、沛公(劉邦)の兵が武関から入って咸陽に迫った。群臣百官はみな背き、迎え撃とうとしなかった。子嬰は妻子とともに自ら首に組み紐をかけ、軹道のほとりで降伏した。沛公は子嬰を役人に引き渡した。項王(項羽)がやって来ると子嬰を斬った。こうして秦は天下を失った。
解説
関連する章句
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史記 秦始皇本紀禹龍門を鑿ち、大夏に通じ、河を決して水を亭め、之を海に放ち、身自ら築臿を持し、脛に毛毋し。臣虜の労も此より烈しからず』と。凡そ天下を有つことを貴ぶ所以の者は、意を肆にし欲を極むることを得、主は明法を重んじ、下は敢へて非を為さず、以て海内を制御すればなり。夫れ虞・夏の主は、貴きこと天子為るも、親ら窮苦の実に処りて、以て百姓に徇ふ。尚ほ何ぞ法に於てせん。朕は万乗を尊ぶも、其の実毋し。吾千乗の駕、万乗の属を造り、吾が号名を充たさんと欲す。且つ先帝は諸侯より起こり、天下を兼ね、天下已に定まり、外は四夷を攘ひて以て辺竟を安んじ、宮室を作りて以て意を得たるを章らかにす。而して君は先帝の功業の緒有るを観る。今朕位に即きて二年の間、群盗并び起こるも、君禁ずる能はず、又先帝の為す所を罷めんと欲す。是れ上は以て先帝に報ゆる毋く、次は朕の為に忠力を尽くさず。何を以て位に在らんや」と。去疾・斯・劫を吏に下し、他罪を案責す。去疾・劫曰く、「将相は辱められず」と。自殺す。斯卒に囚はれ、五刑に就く。三年、章邯等其の卒を将ゐて鉅鹿を囲む。楚の上将軍項羽楚の卒を将ゐて往きて鉅鹿を救ふ。冬、趙高丞相と為り、竟に李斯を案じて之を殺す。夏、章邯等戦ひて数却く。二世人をして邯を譲めしむ。邯恐れ、長史欣をして事を請はしむ。趙高見ず、又信ぜず。欣恐れ、亡げ去る。高人をして捕追せしむるも及ばず。欣邯に見えて曰く、「趙高中に事を用ゐる。将軍功有るも亦誅せられ、功無きも亦誅せられん」と。項羽急に秦の軍を撃ち、王離を虜にす。邯等遂に兵を以て諸侯に降る。八月己亥、趙高乱を為さんと欲するも、群臣の聴かざらんことを恐れ、乃ち先づ験を設け、鹿を持ちて二世に献じ、曰く、「馬なり」と。二世笑ひて曰く、「丞相誤れるか、鹿を謂ひて馬と為す」と。左右に問ふ。左右或いは默し、或いは馬と言ひて以て趙高に阿順す。或いは鹿と言ふ。高因りて陰かに諸の鹿と言ふ者を中つるに法を以てす。後群臣皆高を畏る。
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史記 秦始皇本紀二世曰く、「丞相見るを得可きや否や」と。楽曰く、「不可なり」と。二世曰く、「吾願はくは一郡を得て王と為らん」と。許さず。又曰く、「願はくは万戸侯と為らん」と。許さず。曰く、「願はくは妻子と黔首と為り、諸公子に比せん」と。閻楽曰く、「臣命を丞相に受け、天下の為に足下を誅す。足下多言すと雖も、臣敢へて報ぜず」と。其の兵を麾きて進む。二世自殺す。閻楽帰りて趙高に報ず。趙高乃ち悉く諸大臣公子を召し、告ぐるに二世を誅せし状を以てす。曰く、「秦は故王国なり。始皇天下に君たり、故に帝と称す。今六国復た自ら立ち、秦の地益小なり。乃ち空名を以て帝と為すは、不可なり。宜しく王と為ること故の如くすべし、便なり」と。二世の兄の子公子嬰を立てて秦王と為す。黔首を以て二世を杜南の宜春苑中に葬る。子嬰をして斎し、当に廟見して、王璽を受けしめんとす。斎すること五日、子嬰其の子二人と謀りて曰く、「丞相高二世を望夷宮に殺し、群臣の之を誅せんことを恐れ、乃ち詳りて義を以て我を立つ。我聞く、趙高乃ち楚と約し、秦の宗室を滅ぼして関中に王たらんとすと。今我をして斎して廟に見えしむるは、此れ廟中に因りて我を殺さんと欲するなり。我病と称して行かずんば、丞相必ず自ら来たらん。来たらば則ち之を殺さん」と。高人をして子嬰を請はしむること数輩、子嬰行かず。高果たして自ら往きて、曰く、「宗廟は重事なり、王柰何ぞ行かざる」と。子嬰遂に高を斎宮に刺殺し、高の家を三族して以て咸陽に徇ふ。子嬰秦王為ること四十六日、楚の将沛公秦の軍を破りて武関に入り、遂に霸上に至り、人をして子嬰に降を約せしむ。子嬰即ち頸に系くるに組を以てし、白馬素車にて、天子の璽符を奉じて、軹道の旁らに降る。沛公遂に咸陽に入り、宮室府庫を封じ、還りて霸上に軍す。居ること月余にして、諸侯の兵至る。項籍従長と為り、子嬰及び秦の諸公子・宗族を殺す。遂に咸陽を屠り、其の宮室を焼き、其の子女を虜にし、其の珍宝貨財を収め、諸侯共に之を分かつ。
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史記 秦始皇本紀高前に数「関東の盗は能く為す毋し」と言ふ。項羽の秦の将王離等を鉅鹿の下に虜にして前むに及び、章邯等の軍数却き、上書して益助を請ふ。燕・趙・斉・楚・韓・魏皆立ちて王と為る。関より以東、大氐尽く秦の吏に畔きて諸侯に応じ、諸侯咸其の衆を率ゐて西に郷ふ。沛公数万人を将ゐて已に武関を屠り、人をして私かに高に通ぜしむ。高二世の怒りて、誅其の身に及ばんことを恐れ、乃ち病と謝して朝見せず。二世夢に白虎其の左驂の馬を齧みて之を殺す。心楽しまず、怪しみて占夢に問ふ。卜して曰く、「涇水祟りを為す」と。二世乃ち望夷宮に斎し、涇を祠りて、四白馬を沈めんと欲す。使ひをして高を責譲するに盗賊の事を以てせしむ。高懼れ、乃ち陰かに其の婿の咸陽令閻楽・其の弟趙成と謀りて曰く、「上諫めを聴かず。今事急にして、禍を吾が宗に帰せんと欲す。吾上を易置して、更に公子嬰を立てんと欲す。子嬰は仁倹にして、百姓皆其の言を載く」と。郎中令をして内応を為さしめ、詐りて大賊有りと為し、楽をして吏を召し卒を発せしめ、追ひて楽の母を劫して高の舎に置く。楽をして吏卒千余人を将ゐて望夷宮の殿門に至らしめ、衛令僕射を縛りて、曰く、「賊此に入る、何ぞ止めざる」と。衛令曰く、「周廬に卒を設くること甚だ謹めり、安んぞ賊の敢へて宮に入るを得ん」と。楽遂に衛令を斬り、直ちに吏を将ゐて入り、行きながら射る。郎・宦者大いに驚き、或いは走り或いは格ふ。格ふ者は輒ち死し、死する者数十人。郎中令楽と倶に入り、上の幄坐の幃を射る。二世怒り、左右を召すも、左右皆惶擾して闘はず。旁らに宦者一人有り、侍して敢へて去らず。二世内に入り、謂ひて曰く、「公何ぞ蚤く我に告げざる。乃ち此に至る」と。宦者曰く、「臣敢へて言はず、故に全きを得たり。臣をして蚤く言はしめば、皆已に誅せられん。安んぞ今に至るを得ん」と。閻楽前みて二世に即きて数めて曰く、「足下驕恣にして、誅殺無道なり。天下共に足下に畔く。足下其れ自ら計を為せ」と。
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史記 李斯列伝蒙恬死するを肯ぜず。使者即ち以て吏に属し、陽周に系ぐ。使者還りて報ず。胡亥・斯・高大いに喜ぶ。咸陽に至りて喪を発し、太子立ちて二世皇帝と為る。趙高を以て郎中令と為し、常に侍中して事を用ふ。二世燕居し、乃ち高を召して与に事を謀り、謂ひて曰く、「夫れ人生の世間に居るや、譬へば猶ほ六驥を騁せて決隙を過ぐるがごときなり。吾既已に天下に臨めり。耳目の好む所を悉くし、心志の楽しむ所を窮めて、以て宗廟を安んじて万姓を楽しましめ、長く天下を有ちて、吾が年寿を終へんと欲す。其の道可ならんか」と。高曰く、「此れ賢主の能く行ふ所にして、昏乱の主の禁ずる所なり。臣請ふ之を言はん。敢て斧鉞の誅を避けず。願はくは陛下少しく意を留めよ。夫れ沙丘の謀、諸公子及び大臣皆疑ふ。而して諸公子は尽く帝の兄、大臣は又先帝の置く所なり。今陛下初めて立ち、此れ其の属意怏怏として皆服せず。恐らくは変を為さん。且つ蒙恬已に死すと雖も、蒙毅は兵を将ゐて外に居る。臣戦戦栗栗として、唯だ終へざらんことを恐る。且つ陛下安くんぞ此の楽しみを為すを得んや」と。二世曰く、「之を為すこと奈何」と。趙高曰く、「法を厳にして刑を刻にし、有罪者をして相坐して誅せしめ、収族に至らしめ、大臣を滅ぼして骨肉を遠ざけ、貧者は之を富まし、賤者は之を貴くし、尽く先帝の故臣を除き去りて、更めて陛下の親信する所の者を置きて之を近づけよ。此れ則ち陰徳陛下に帰し、害除かれて姦謀塞がり、群臣潤沢を被り厚徳を蒙らざる莫く、陛下則ち枕を高くし志を肆にして寵楽せん。計此より出づるは莫し」と。二世高の言を然りとし、乃ち更めて法律を為る。是に於て群臣諸公子罪有れば、輒ち高に下し、之を鞫治せしむ。大臣蒙毅等を殺し、公子十二人咸陽の市に僇死し、十公主杜に矺死し、財物は県官に入れ、相連坐する者は勝げて数ふべからず。
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史記 李斯列伝初め、趙高郎中令と為り、殺す所及び私怨を報ずる所衆多なり。大臣の入朝して事を奏し之を毀悪せんことを恐れ、乃ち二世に説きて曰く、「天子の貴き所以の者は、但だ声を聞かしむるを以てし、群臣其の面を見るを得る莫し。故に号して『朕』と曰ふ。且つ陛下は春秋に富み、未だ必ずしも尽くは諸事に通ぜず。今朝廷に坐し、譴挙当たらざる者有らば、則ち短を大臣に見す。神明を天下に示す所以に非ざるなり。且つ陛下深く禁中に拱し、臣及び侍中の法に習ふ者と事を待ち、事来たらば以て之を揆る有らん。此の如くんば則ち大臣敢て疑事を奏せず、天下聖主と称せん」と。二世其の計を用ひ、乃ち朝廷に坐して大臣に見えず、禁中に居る。趙高常に侍中して事を用ひ、事皆趙高に決す。高、李斯の以て言を為さんとするを聞き、乃ち丞相に見えて曰く、「関東の群盗多し。今上急に益々繇を発して阿房宮を治め、狗馬無用の物を聚む。臣諫めんと欲するも、位賤しと為す。此れ真に君侯の事なり。君何ぞ諫めざる」と。李斯曰く、「固より也。吾之を言はんと欲すること久し。今時上朝廷に坐せず、上深宮に居る。吾が言はんとする所の者、伝ふべからず。見えんと欲するも間無し」と。趙高謂ひて曰く、「君誠に能く諫めば、請ふ君の為に上の間を候ひて君に語らん」と。是に於て趙高、二世の方に燕楽し、婦女前に居るを待ちて、人をして丞相に告げしむ。「上方に間なり、事を奏すべし」と。丞相宮門に至りて上謁す。此の如き者三たび。二世怒りて曰く、「吾常に間日多きに、丞相来たらず。吾方に燕私するに、丞相輒ち来たりて事を請ふ。丞相豈に我を少しとせんや、且つ我を固とせんや」と。趙高因りて曰く、「此の如くんば殆し。夫れ沙丘の謀、丞相与れり。今陛下已に立ちて帝と為り、而して丞相の貴さ益さず。此れ其の意亦地を裂きて王たらんことを望むなり。且つ陛下臣に問はず、臣敢て言はず。
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『新序』雜事第五秦の二世胡亥の公子爲るや、昆弟數人あり。詔して酒を置き羣臣を饗す。諸子を召す。諸子食を賜わりて先に罷む。胡亥階を下りて羣臣を視るに、履を陳ぬる狀の善き者あり。因りて行きて踐み敗りて去る。諸子の之を聞き見る者、太息せざる莫し。二世位に即くに及び、皆な天下の必ず之を棄てんことを知るなり。故に二世趙高に惑い、大臣を輕んじ、下民を顧みず。是を以て陳勝關東に臂を奮い、閻樂望夷に亂を作す。閻樂は趙高の婿なり。咸陽の令と爲る。詐りて賊を逐うと爲し、吏卒を將いて望夷宮に入り、二世を攻射す。就きて二世を數え、刃を加えんと欲す。二世懼れ、入りて將に自殺せんとす。一の宦者有りて之に從う。二世謂いて曰く、何ぞ此に至れりと謂うや、と。宦者曰く、此を知ること久し、と。二世曰く、子何ぞ早く言わざる、と。對えて曰く、臣言わざるを以て、故に此に至るを得たり。臣をして言わしめば、死すること久しからん、と。然る後に二世喟然として之を悔い、遂に自殺す。
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