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史記 / 殷本紀

帝太戊立伊陟為相。亳有祥,桑穀共生於朝,一暮大拱。帝太戊懼,問伊陟。伊陟曰:「臣聞妖不勝德,帝之政其有闕與?帝其修德。」太戊從之,而祥桑枯死而去。伊陟贊言于巫咸。巫咸治王家有成,作咸艾,作太戊。帝太戊贊伊陟于廟,言弗臣,伊陟讓,作原命。殷復興,諸侯歸之,故稱中宗。

新字:帝太戊立伊陟為相。亳有祥,桑穀共生於朝,一暮大拱。帝太戊懼,問伊陟。伊陟曰:「臣聞妖不勝徳,帝之政其有闕与?帝其修徳。」太戊従之,而祥桑枯死而去。伊陟賛言于巫咸。巫咸治王家有成,作咸艾,作太戊。帝太戊賛伊陟于廟,言弗臣,伊陟譲,作原命。殷復興,諸侯帰之,故称中宗。

書き下し

帝太戊伊陟を立てて相と為す。亳に祥桑穀の共に朝に生ずる有り、一暮にして大いに拱す。帝太戊懼れ、伊陟に問ふ。伊陟曰く、「臣聞く妖は徳に勝たずと、帝の政其れ闕くる有るか。帝其れ徳を修めよ」と。太戊之に従ひ、而して祥桑枯死して去る。殷復興し、諸侯之に帰す、故に中宗と称す。

現代語訳

帝太戊は伊陟を宰相に立てた。都の亳で、桑と穀の木が一緒に朝廷に生え、一晩のうちに両手で抱えるほどの太さになった。帝太戊は恐れて、伊陟に尋ねた。伊陟は言った。「私はこう聞いております。妖しい兆しは徳に勝てない、と。帝の政治に、何か欠けたところがあるのではありませんか。帝よ、徳を修めなさい」。太戊はこれに従った。すると怪しい桑は枯れて消えた。殷は復興し、諸侯は帰服した。それゆえ彼は中宗と称される。

解説

「不吉な兆しや異変に、恐れおののくのではなく、まず自らの至らなさを省みて正す」——王・太戊が、怪異を徳の修養で乗り越えた逸話を描いた一段です。殷の王・太戊が、伊陟(いちょく)を宰相に任じていた頃のことです。都の亳(はく)で、朝廷の庭に、桑と穀の木が一緒に生え出し、一晩のうちに、両手で抱えるほどの大きさに、異常な成長を遂げるという、不吉な怪異が起こりました。太戊は、これに恐れおののき、宰相の伊陟に、どうすべきかを問います。伊陟の答えは、迷信に走るものではありませんでした。「私はこう聞いております。『妖(不吉な怪異)は、徳には勝てない(妖不勝德)』と。(このような異変が起きるのは)陛下の政治に、何か欠けたところ、至らないところがあるからではないでしょうか。陛下は、(怪異に怯えるより)まず、ご自身の徳を修められませ(帝其修德)」と。異変の原因を、外の祟りや偶然に求めるのではなく、自らの政治の欠陥を省みる機会と捉えよ、というのです。太戊は、この助言に従い、自らの徳を修め、政治を正しました。すると、あの不吉な桑の木は、(ひとりでに)枯れて消え去った、といいます。そして、太戊の治世に殷は再興し、諸侯が帰服したので、彼は「中宗」と称えられたのです。ここに、異変への向き合い方についての教訓があります。第一に、不吉な兆しや、予期せぬ異変、悪い出来事に直面したとき、ただ恐れおののいたり、外の要因(運・祟り・他人)のせいにしたりするのではなく、まず自らの至らなさを省みる機会と捉えること(帝の政其れ闕くる有るか)。異変は、自らを正す警鐘かもしれない。第二に、「妖は徳に勝たず(妖不勝德)」——不吉なもの、悪い流れは、自らが正しく徳を修めていれば、恐れるに足りないということ。占いや迷信に頼るのではなく、自らの在り方を正すことこそが、最も確かな対処である。第三に、警鐘を、恐怖で終わらせず、実際に自らを正す行動(修德)へとつなげること。組織や人生で、予期せぬ異変や悪い出来事を外のせいにせず自らを省みる機会と捉えること、迷信や運頼みでなく自らの在り方を正すことを最も確かな対処と知ること、そして警鐘を恐怖で終わらせず自らを正す行動につなげること——太戊の逸話は、異変を自省と成長の契機とする知恵を教えます。

この章句が説くこと

殷太戊伊陟妖不勝徳異変を自省の機会とする外のせいにしない帝其修徳

この一句を、あなたの毎日に。

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