史記 / 五帝本紀
堯善之,乃使舜慎和五典,五典能從。乃徧入百官,百官時序。賓於四門,四門穆穆,諸侯遠方賓客皆敬。堯使舜入山林川澤,暴風雷雨,舜行不迷。堯以爲聖,召舜曰:「女謀事至而言可績,三年矣。女登帝位。」舜讓於德,不懌。
新字:堯善之,乃使舜慎和五典,五典能従。乃遍入百官,百官時序。賓於四門,四門穆穆,諸侯遠方賓客皆敬。堯使舜入山林川沢,暴風雷雨,舜行不迷。堯以為聖,召舜曰:「女謀事至而言可績,三年矣。女登帝位。」舜譲於徳,不懌。
書き下し
堯之を善しとし、乃ち舜をして五典を慎和せしむ、五典能く従ふ。乃ち遍く百官に入れ、百官時に序づ。四門に賓せしむ、四門穆穆たり。堯舜をして山林川澤に入らしむ、暴風雷雨するも、舜行きて迷はず。堯以て聖と為し、舜を召して曰く、「女の事を謀ること至りて言の績す可きこと、三年なり。女帝位に登れ」と。舜徳に譲りて懌ばず。
現代語訳
堯はよしとして、舜に五つの教えを慎み深く調和させる仕事を任せた。五つの教えはよく行き渡った。次にあらゆる官職を歴任させると、百官は時宜にかなって秩序立った。四方の門で賓客を接待させると、四方の門は和やかになった。堯は舜を山林や川沢に入らせた。暴風雨や雷雨に見舞われても、舜は道に迷わなかった。堯は彼を聖人と認め、舜を召して言った。「お前が事を謀るさまは行き届き、その言葉は実績となった。三年になる。お前が帝位に登れ」。舜は徳のある者に譲ろうとして、承知しなかった。
解説
「重い役目を託す前に、多方面から、時間をかけて、その人を試す」——帝堯が、後継者・舜を慎重に見極めた過程を描いた一段です。帝堯は、舜という人物を見込みましたが、いきなり帝位を譲ったりはしませんでした。段階を踏んで、多方面から、その真価を試したのです。まず、舜に、五つの倫理(五典=父子・君臣などの道)を、人々に慎み深く広めさせてみると、人々はよくそれに従いました。次に、あらゆる官職の職務に就かせてみると、役所はすべて、時宜にかなって整然と治まりました。さらに、四方の門で賓客を接待させてみると、その応対は、おごそかで、諸侯や遠来の客も皆、敬意を抱きました。そして、極めつけに、舜を山林や河沼といった荒野に送り込んでみると、激しい暴風雷雨に見舞われても、舜は道に迷うことなく、(冷静に)行動しました。人事の内政から、外交、そして極限状況まで——あらゆる角度から、三年もの時間をかけて、その能力と人格を、徹底的に検証したのです。すべての試練を見事に乗り越えた舜を、堯は「聖人だ」と認め、こう告げました。「お前が物事を謀り、その言葉が実績となって現れること、(試して見てきて)もう三年になる。お前が、帝位に登れ」と。しかし舜は、より徳のある者に譲ろうとして、素直には喜びませんでした。ここに、人を見極め、託すことについての教訓があります。第一に、重い役目や地位を人に託す前に、多方面から、時間をかけて、その人の真価を試すこと。堯は、内政・外交・極限状況と、あらゆる角度から、三年もかけて舜を検証した。一つの側面や、短い期間の印象だけで、重要な人事を決めてはならない。第二に、実際の職務に就かせ、その結果(成果・実績)で判断すること(言可績、三年矣)。言葉や評判ではなく、実際にやらせてみて、成果を出せるかで見極める。第三に、そうして厚い信頼を得た舜が、なお驕らず、より徳ある者に譲ろうとした謙虚さ(讓於德)。重い役目を託されてなお、慎み深くあること。組織や人事で、重い役目を託す前に多方面から時間をかけて試すこと、言葉や評判でなく実際の職務の成果で判断すること、そして信頼を得てもなお驕らず謙虚であること——帝堯が舜を試した過程は、人を見極め託すことの慎重さを教えます。
この章句が説くこと
帝堯舜を三年試す多方面から時間をかけて見極める実際の職務の成果で判断言可績託す前の検証
関連する章句
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史記 五帝本紀堯曰く、「鯀は命に負き族を毀る、不可なり」と。嶽曰く、「异なるかな、試みて用ゐる可からずんば已まんのみ」と。堯是に於て嶽に聴きて鯀を用ゐる。九載にして、功用成らず。堯曰く、「嗟、四嶽、朕位に在ること七十載、汝能く命を庸ゐ、朕が位を践まんか」と。嶽応へて曰く、「鄙徳にして帝位を忝くせん」と。堯曰く、「悉く貴戚及び疏遠隠匿なる者を挙げよ」と。衆皆堯に言ひて曰く、「矜なる有りて民間に在り、虞舜と曰ふ」と。堯曰く、「然り、朕之を聞けり。其れ何如」と。嶽曰く、「盲者の子なり。父は頑、母は嚚、弟は傲なるも、能く和するに孝を以てし、烝烝として治め、姦に至らしめず」と。堯曰く、「吾其れ試みんかな」と。是に於て堯之に二女を妻はせ、其の徳を二女に観る。舜二女を嬀汭に飭め下し、婦の礼の如くせしむ。
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尚書・舜典曰若(ここ)に古(いにしへ)を稽(かんが)ふるに、帝舜を重華と曰ふ。帝に協(かな)ふ。濬哲(しゆんてつ)文明、温恭允塞(いんそく)にして、玄徳升(のぼ)り聞こえ、乃ち命ずるに位を以てす。慎みて五典を徽(よ)くし、五典克く従ふ。百揆に納(い)れ、百揆時(こ)れ敘(つい)づ。四門に賓(ひん)し、四門穆穆(ぼくぼく)たり。大麓(たいろく)に納れ、烈風雷雨にも迷はず。帝曰く、「格(きた)れ、汝舜。事を詢(と)ひ言を考ふるに、乃(なんぢ)の言の績を可(な)すを厎(いた)すこと三載なり。汝帝位に陟(のぼ)れ」と。舜徳あるものに譲りて、嗣がず。正月上日、終を文祖に受く。璿璣玉衡(せんきぎよくかう)を在(み)て、以て七政を斉(ととの)ふ。肆(つひ)に上帝に類し、六宗に禋(いん)し、山川に望し、群神に徧(あまね)くす。五瑞を輯(あつ)む。既に月乃ち日、四岳群牧に覲(まみ)え、瑞を群后に班(わか)つ。歳の二月、東のかた巡守し、岱宗(たいそう)に至りて柴(さい)す。山川に望秩し、肆に東后に覲ゆ。時月を協(あは)せ日を正し、律度量衡を同じくす。五礼・五玉・三帛・二生・一死を修め、贄(し)とす。五器の如くし、卒(を)はれば乃ち復す。五月南のかた巡守し、南岳に至る、岱の礼の如し。八月西のかた巡守し、西岳に至る、初めの如し。十有一月朔のかた巡守し、北岳に至る、西の礼の如し。帰りて藝祖に格(いた)り、特を用ふ。五載に一たび巡守し、群后四たび朝す。
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尚書・堯典帝曰く、「咨(ああ)、四岳。湯湯(しやうしやう)たる洪水方(まさ)に割(そこな)ひ、蕩蕩として山を懐(つつ)み陵に襄(のぼ)り、浩浩として天に滔(はびこ)る。下民其れ咨(なげ)く。能く乂(をさ)めしむる有らんか」と。僉(みな)曰く、「於(ああ)、鯀(こん)なるかな」と。帝曰く、「吁(ああ)、咈(もと)れるかな。命に方(さか)らひ族を圮(やぶ)る」と。岳曰く、「异(や)めんかな。試みて可なれば乃ち已(や)まん」と。帝曰く、「往け、欽(つつし)まんかな」と。九載、績用(もつ)て成らず。帝曰く、「咨、四岳。朕位に在ること七十載。汝能く命を庸(もち)ゐる、朕が位を巽(ゆづ)らん」と。岳曰く、「否徳、帝位を忝(はづかし)めん」と。曰く、「明明を明らかにし、側陋を揚げよ」と。師錫(あた)へて帝に曰く、「鰥(やもを)の下に在る有り、虞舜と曰ふ」と。帝曰く、「俞(しか)り、予聞けり。如何」と。岳曰く、「瞽(こ)の子なり。父は頑(かたくな)に、母は嚚(おろか)に、象は傲(おご)る。克く諧(やはら)ぐるに孝を以てし、烝烝(じようじよう)として乂(をさ)め、姦に格(いた)らしめず」と。帝曰く、「我其れ試みんかな」と。時(これ)に女(めあは)せ、厥(そ)の刑(のり)を二女に観る。二女を嬀汭(きぜい)に釐降(りかう)し、虞に嬪(よめ)せしむ。帝曰く、「欽まんかな」と。
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史記 五帝本紀帝堯は、放勛なり。其の仁は天のごとく、其の知は神のごとし。之に就くこと日のごとく、之を望むこと雲のごとし。富みて驕らず、貴くして舒ならず。能く徳を明馴し、以て九族を親しむ。九族既に睦じく、百姓を便章す。百姓昭明にして、萬国を合和す。
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