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五行大義 / 第二十一論五帝

易經乃上取伏羲。下至虞舜。不言中閒三帝者。以其因脩。無所造作。何以得言之。故不論也。大昊帝庖羲者。姓風也。母華胥。履大人跡而生於成紀。蛇身人首。以木德王天下。爲百王先。易曰。帝出於震。震。木。東方。主春。象日之明。故曰太昊。因象龜文而畫八卦。爲罔罟以田漁。古者人畜相食。爲害者多。帝觀蜘蛛之網。教民取犧牲。以充庖廚。故曰庖犧。是謂羲皇。後世音謬。謂之伏犧。或云宓羲。一號雄皇氏。孝經鉤命決云。伏羲。日角珠衡戴勝。禮含文嘉云。伏羲德洽上下。天應以鳥獸文章。地應以龜書。伏羲則象。作八卦。炎帝神農氏。姓姜。母任姒。名女登。感神龍而生帝於常年。人身牛首。以火承木。位南方。主夏。故曰炎帝。作耒耜。始教民耕農。嘗別草木。令人食穀以代犧牲之命。故號神農。一號魁㠕氏。是爲農皇。禮含文嘉云。神農作田道。就耒耜。天應以嘉禾。地出以醴泉。黃帝軒轅氏。姓姬。母附寶。見大電光繞北斗樞星。明照郊野。感而生帝於壽丘。以土承火。位在中央。故曰黃帝。治五氣。設五帝。始垂衣裳。作舟車。造屋宇。古者巢居穴處。黃帝易之以上棟下宇。以蔽風雨。故號軒轅。亦云。

新字:易経乃上取伏羲。下至虞舜。不言中閒三帝者。以其因脩。無所造作。何以得言之。故不論也。大昊帝庖羲者。姓風也。母華胥。履大人跡而生於成紀。蛇身人首。以木徳王天下。為百王先。易曰。帝出於震。震。木。東方。主春。象日之明。故曰太昊。因象亀文而画八卦。為罔罟以田漁。古者人畜相食。為害者多。帝観蜘蛛之網。教民取犠牲。以充庖廚。故曰庖犠。是謂羲皇。後世音謬。謂之伏犠。或云宓羲。一号雄皇氏。孝経鉤命決云。伏羲。日角珠衡戴勝。礼含文嘉云。伏羲徳洽上下。天応以鳥獣文章。地応以亀書。伏羲則象。作八卦。炎帝神農氏。姓姜。母任姒。名女登。感神竜而生帝於常年。人身牛首。以火承木。位南方。主夏。故曰炎帝。作耒耜。始教民耕農。嘗別草木。令人食穀以代犠牲之命。故号神農。一号魁㠕氏。是為農皇。礼含文嘉云。神農作田道。就耒耜。天応以嘉禾。地出以醴泉。黄帝軒轅氏。姓姫。母附宝。見大電光繞北斗枢星。明照郊野。感而生帝於寿丘。以土承火。位在中央。故曰黄帝。治五気。設五帝。始垂衣裳。作舟車。造屋宇。古者巣居穴処。黄帝易之以上棟下宇。以蔽風雨。故号軒轅。亦云。

書き下し

易経は乃ち上は伏羲を取り、下は虞舜に至り、中間の三帝を言わざるは、その因修して造作する所無きを以てなり。何を以てか之を言うを得ん。故に論ぜざるなり。大昊帝庖羲は、姓は風なり。母は華胥(かしょ)、大人の跡を履(ふ)みて成紀に生まる。蛇身人首にして、木徳を以て天下に王たり、百王の先たり。易に曰く、帝は震に出づ、と。震は木、東方にして、春を主り、日の明に象る、故に太昊と曰う。亀文に因象して八卦を画き、罔罟(もうこ)を為りて以て田漁す。古は人畜相食み、害を為す者多し。帝は蜘蛛の網を観て、民に犠牲を取りて以て庖厨に充つることを教う。故に庖犠と曰う。是れを羲皇と謂う。後世音謬りて、之を伏犠と謂い、或いは宓羲(ふくぎ)と云う。一に雄皇氏と号す。孝経鉤命決に云う、伏羲は日角珠衡にして勝を戴く、と。礼含文嘉に云う、伏羲の徳上下に洽(あまね)く、天は応ずるに鳥獣の文章を以てし、地は応ずるに亀書を以てす。伏羲則(のっと)り象りて、八卦を作る、と。炎帝神農氏は、姓は姜。母は任姒(じんじ)、名は女登、神竜に感じて帝を常羊に生む。人身牛首にして、火を以て木を承け、南方に位し、夏を主る、故に炎帝と曰う。耒耜(らいし)を作り、始めて民に耕農を教う。嘗めて草木を別ち、人をして穀を食わしめ以て犠牲の命に代う、故に神農と号す。一に魁隗(かいかい)氏と号す。是れを農皇と為す。礼含文嘉に云う、神農田道を作り、耒耜に就く。天は応ずるに嘉禾を以てし、地は出だすに醴泉を以てす、と。黄帝軒轅氏は、姓は姫。母は附宝、大電光の北斗の枢星を繞(めぐ)り、明らかに郊野を照らすを見、感じて帝を寿丘に生む。土を以て火を承け、位は中央に在り、故に黄帝と曰う。五気を治め、五帝を設け、始めて衣裳を垂れ、舟車を作り、屋宇を造る。古は巣居穴処す。黄帝之に易(か)うるに上棟下宇を以てし、以て風雨を蔽う。故に軒轅と号す。亦云う、

現代語訳

『易経』(繋辞伝)が、上は伏羲を取り上げ、下は虞舜に至るまでを述べて、その中間の三帝を言わないのは、彼らが前代を受け継いで修めただけで、新たに作り出したものがないからである。何を取り上げて言えようか。だから論じないのである。太昊帝庖羲は、姓を風という。母は華胥で、巨人の足跡を踏んで(身ごもり)、成紀で生んだ。蛇の体に人の頭をもち、木の徳で天下の王となり、あらゆる王の先頭となった。『易』に「帝は震に出づ」という。震は木であり東方であって、春を主り、日の明るさにかたどるので太昊という。亀の甲の模様にかたどって八卦を描き、網を作って狩りや漁をした。昔は人と獣が互いに食い合い、害をなすものが多かった。帝は蜘蛛の網を見て、民に犠牲(いけにえの獣)を捕らえて台所(庖厨)を満たすことを教えた。だから庖犠というのである。これを羲皇という。後世に音を誤って伏犠といい、あるいは宓羲ともいう。一説に雄皇氏と号した。『孝経鉤命決』(漢代の緯書)にいう。伏羲は額に日のような骨の盛り上がりがあり、眉間に珠のような相があり、勝(髪飾り)を戴いていた、と。『礼含文嘉』(漢代の緯書)にいう。伏羲の徳が天地の上下にあまねく行き渡ると、天は鳥獣の模様で応え、地は亀の書で応えた。伏羲はこれにのっとりかたどって八卦を作った、と。炎帝神農氏は、姓を姜という。母は任姒、名を女登といい、神竜に感じて常羊で帝を生んだ。人の体に牛の頭をもち、火の徳で木を受け継ぎ、南方に位して夏を主るので炎帝という。耒耜(すきとくわ)を作り、初めて民に耕作を教えた。草木をなめて食べられるものを見分け、人に穀物を食べさせて、犠牲の獣の命に代えた。だから神農と号する。一説に魁隗氏と号した。これを農皇という。『礼含文嘉』にいう。神農が田の道を作り、耒耜を手にすると、天はめでたい穀物で応え、地は醴泉(甘い泉)を湧き出させた、と。黄帝軒轅氏は、姓を姫という。母は附宝で、大きな稲妻の光が北斗の枢星(第一星)をめぐって郊外の野を明るく照らすのを見て、感じて寿丘で帝を生んだ。土の徳で火を受け継ぎ、位は中央にあるので黄帝という。五つの気を治め、五帝(五方の官)を設け、初めて衣裳を定めて垂らし、舟や車を作り、家屋を造った。昔の人は木の上に巣を作ったり穴に住んだりしていた。黄帝はこれを改めて、上に棟木を渡し下に軒を垂らす家に住まわせ、風雨を防いだ。だから軒轅と号する。またこうもいう。

解説

伏羲・神農・黄帝という三皇にあたる帝王の出自と事績を、五行の相生の順に沿って述べる。冒頭で『易経』繋辞伝が伏羲・神農・黄帝・堯・舜の名を挙げ、その間の三帝に触れない理由を、受け継いだだけで新たな創作がないからだと説明する。繋辞伝は聖人が卦の象から道具や制度を作り出したと語る章であり、蕭吉はそこから作った者だけが記されるのだと読んでいる。伏羲は木徳で八卦と網を作り、神農は火徳で耒耜を作って農耕を教え草木を嘗めて食を見分け、黄帝は土徳で衣裳・舟車・家屋を作る。木から火、火から土へと徳が生まれ継がれる相生の順が、狩猟から農耕、そして住まいと制度へという文明の歩みに重ねられている。母が巨人の足跡や竜や稲妻に感じて身ごもるという感生説話は、帝王が天の精を受けて生まれたことを示すためのもので、緯書に多い。人類の歩みを発明の積み重ねとして語る見方は、今の技術史の語り方とも通じている。

この章句が説くこと

五行大義伏羲神農黄帝相生

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