士道要論 / 士風・質朴で倹素な暮らしが強さの土台となる
さてまた强毅の風を行はんには、先づ質朴儉素の風をまもるべし、士の懦弱になりゆきしは、驕侈華靡に流るゝ故なり、若質朴儉素の風とならば、おのづから强毅堅忍の風にも近かるべし、されば農夫は田野に力作して、其風も質朴なれば、商賈にくらぶれば、心も剛に身も健なり、ゆへに士の風は農夫に近きはきらはず、商賈に似たるはいたくいましむべし、もし小祿貧窮にて、やむをえず生活の助をするとても、商人めきたることはすまじきなり、川に漁どり山に狩り、田を耕し圃を作り、米をうすつき、薪をこるの類は、苦しかるまじ、三河の士近藤何某家まづしかりしかば、常に百姓にやとわれて、田作りてありしに、ある時、東照宮御放鷹のつゐでにはかに通り玉ひしかば、かくれつべうもなく、泥まみれのまゝうづくまりて、いたくかしこみゐたるを、東照宮御らんじて、その志を憐みたまひ御とがめなきのみならず、却て祿まし賜ひしとなん、されば士風の農夫に近きはきらはざるをしるべし、禮記にも士の子の年たけたるをよく薪を負ふといひ、幼なきをいまだ薪を負ふこと能はずといひ、又士の病るを采薪の憂といふをもて禮とす、いにしへ士風の質朴をむねとすることをうかゞふべし、其士たるもの鄙事をみづからすれば、
新字:さてまた強毅の風を行はんには、先づ質朴倹素の風をまもるべし、士の懦弱になりゆきしは、驕侈華靡に流るゝ故なり、若質朴倹素の風とならば、おのづから強毅堅忍の風にも近かるべし、されば農夫は田野に力作して、其風も質朴なれば、商賈にくらぶれば、心も剛に身も健なり、ゆへに士の風は農夫に近きはきらはず、商賈に似たるはいたくいましむべし、もし小禄貧窮にて、やむをえず生活の助をするとても、商人めきたることはすまじきなり、川に漁どり山に狩り、田を耕し圃を作り、米をうすつき、薪をこるの類は、苦しかるまじ、三河の士近藤何某家まづしかりしかば、常に百姓にやとわれて、田作りてありしに、ある時、東照宮御放鷹のつゐでにはかに通り玉ひしかば、かくれつべうもなく、泥まみれのまゝうづくまりて、いたくかしこみゐたるを、東照宮御らんじて、その志を憐みたまひ御とがめなきのみならず、却て禄まし賜ひしとなん、されば士風の農夫に近きはきらはざるをしるべし、礼記にも士の子の年たけたるをよく薪を負ふといひ、幼なきをいまだ薪を負ふこと能はずといひ、又士の病るを采薪の憂といふをもて礼とす、いにしへ士風の質朴をむねとすることをうかゞふべし、其士たるもの鄙事をみづからすれば、
書き下し
さてまた强毅の風を行はんには、先づ質朴儉素の風をまもるべし、士の懦弱になりゆきしは、驕侈華靡に流るゝ故なり、若質朴儉素の風とならば、おのづから强毅堅忍の風にも近かるべし、されば農夫は田野に力作して、其風も質朴なれば、商賈にくらぶれば、心も剛に身も健なり、ゆへに士の風は農夫に近きはきらはず、商賈に似たるはいたくいましむべし、もし小祿貧窮にて、やむをえず生活の助をするとても、商人めきたることはすまじきなり、川に漁どり山に狩り、田を耕し圃を作り、米をうすつき、薪をこるの類は、苦しかるまじ、三河の士近藤何某家まづしかりしかば、常に百姓にやとわれて、田作りてありしに、ある時、東照宮御放鷹のつゐでにはかに通り玉ひしかば、かくれつべうもなく、泥まみれのまゝうづくまりて、いたくかしこみゐたるを、東照宮御らんじて、その志を憐みたまひ御とがめなきのみならず、却て祿まし賜ひしとなん、されば士風の農夫に近きはきらはざるをしるべし、禮記にも士の子の年たけたるをよく薪を負ふといひ、幼なきをいまだ薪を負ふこと能はずといひ、又士の病るを采薪の憂といふをもて禮とす、いにしへ士風の質朴をむねとすることをうかゞふべし、其士たるもの鄙事をみづからすれば、
現代語訳
さて強毅の風を行うには、まず質朴倹素の風を守るべきです。士が惰弱になっていったのは、おごりやぜいたくに流れたためです。もし質朴倹素の風になれば、自然に強毅堅忍の風にも近づくでしょう。ですから農夫は田野で力を尽くして働き、その風も質朴なので、商人に比べれば心も剛く身も健やかです。そこで士の風は農夫に近いのは嫌いませんが、商人に似るのはひどく戒めるべきです。もし禄が少なく貧しくて、やむをえず生活の助けをするとしても、商人めいたことはしてはなりません。川で魚をとり山で狩りをし、田を耕し畑を作り、米をつき、薪を取るといったことは、差し支えないでしょう。三河の士の近藤某は家が貧しかったので、常に百姓に雇われて田を作っていましたが、ある時、東照宮(徳川家康)が鷹狩りのついでに急に通りかかられたので、隠れようもなく、泥まみれのままうずくまって深くかしこまっていたところ、東照宮はご覧になって、その志を憐れまれ、お咎めがなかっただけでなく、かえって禄を増して下さったということです。ですから士風が農夫に近いのは嫌わないと知るべきです。『礼記』にも、士の子が成長していれば薪を背負うことができると言い、幼ければまだ薪を背負えないと言い、また士の病を「采薪の憂い」というのを礼としています。昔、士が質朴を旨としたことがうかがえます。その士たる者が卑しい仕事を自分でするなら、
解説
この章句が説くこと
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